2011-01-23

両親の目の前で強姦される少女/『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ


 ・両親の目の前で強姦される少女

『不可触民 もうひとつのインド』山際素男

必読書リスト その二

 読んだのは二度目だ。三度目は多分ないだろう。私は確かにプーランの怒りを受け取った。胸の内に点火された焔(ほのお)が消えることはない。私が生きている限りは。

 若い女性に読んでもらいたい一冊である。できることなら曽根富美子の『親なるもの 断崖』と併せて。女に生まれたというだけで、酷い仕打ちにあった人々がどれほどいたことか。

 プーラン・デヴィは私よりも少し年上だと思われる。つまり昭和30年代生まれだ(Wikipediaでは私と同い年になっている)。少なからず私は同時代を生きたことになる。しかし彼女が生きたのは全く異なる世界であった。

 わたしは読むことも書くこともできない。これはそんなわたしの物語だ。

【『女盗賊プーラン』プーラン・デヴィ:武者圭子〈むしゃ・けいこ〉(草思社、1997年/草思社文庫、2011年)以下同】

 本書は口述筆記で編まれたプーラン・デヴィの自伝である。ガンディーの説いた非暴力がたわごとであったことがよくわかる。どこを開いても凄まじい暴力に満ちている。たとえ親戚であったとしても、カーストが違うというだけで大人も子供も殴られる。

 プーランは両親の目の前で複数の男たちから強姦される──

 だれかがわたしの毛布を引き剥がした。声を出す間もなく、手がわたしの口をふさぐ。
「待て、ムーラ。動くな」と、声がする。「そこにいて、俺たちがおまえの娘をどうするか、ようく見ていろ」
 若い男の一団だった。手にライフルをもったサルパンチの息子と、前に見たことのある男がいた。だが暗くて、ほかの男たちの顔はわからなかった。わたしは怖くて目を閉じた。
 ひとりがわたしの両手を押さえつけ、別の男たちが脚を開かせる。母が殴られ、しっかり見るんだと言われているのが聞こえた。それから父の泣きながら懇願する声……。
「お願いです。勘弁してください。娘を連れて、あした出て行きますから。もう、この村は出て行きますから。お願いです、それだけは……」
 蝋燭の最後の輝きのように、わたしの気力は一緒戻ったが、すぐにまた潮がひくように消えていった。泣き叫ぶ声も懇願も、罵声もののしりも遠くなった。二つの肉体、二つのあわただしいレイプだった。わたしは目を固く閉じ、歯茎から血が出るほど強く、歯を噛みしめていた。

 まだ、10代そこそこの時であった。その後、父と共に拘留された警察署内でも10人ほどの警官からレイプされた。

 インドは滅ぶべきだ。ブッダもクリシュナムルティも関係ない。とっとと世界地図から抹消した方がいい。心からそう思う。そもそもカースト制度自体が暴力そのものなのだ。

 プーランは盗賊にさらわれ、彼らと一緒に生きる道を選んだ。若いリーダーと恋に落ち、結婚。だが愛する夫は仲間の裏切りによって殺される。プーランは夫亡き後、リーダーとして立ち上がった。

 プーランの復讐に怯える男たちの姿が浅ましい。彼らは村に戻ってきたプーランを女神として敬った。

 わたしを尊重し、心を開かせ、愛してくれた男はたったひとりだった。そのひとは教えてくれた──台地が川の流れを遮ることはないということを、この国がインドという国であり、貧しく低いカーストに生まれたものにもほかの者と同じ権利があるということを。
 だが彼は、わたしの目の前で殺された。その瞬間に、あらゆる希望がついえ去った。わたしにはもう、一つのこと──復讐しか考えられなかった。それだけが、生きていく目的になった。わたしは戦いの女神ドゥルガとなって、すべての悪魔を打ち負かしたいと願った。そして闘ってきた。そのことにいま、後悔はない。

 彼女はカーストにひれ伏して、ただ涙に暮れる父親とは違った。復讐することをためらわなかった。圧倒的な暴力が支配する世界で、他の生き方を選択することが果たして可能であっただろうか?

 私からすれば、まだ生ぬるい方だ。やるなら徹底的にやらなくてはいけない。道徳も宗教も関係ない。求められるのは生のプラグマティズムであって、言葉や理屈ではないのだ。

 プーランは甘かった。親戚を始末することができなかった。インドのしきたりに負けたのだ。

 投降後、刑務所で勉強をしたプーランは1996年5月、インド社会党から立候補し見事当選。盗賊の女王が国会議員となった。

 そして2001年7月25日、自宅前で射殺された。暴力によって立った女神ドゥルガは暴力によって斃(たお)れた。

 悠久の大地から陸続と第二、第三のプーランが生まれ出ることを願わずにはいられない。

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プーランデヴィ講演会 京都精華大学創立30周年記念事業
不可触民の少女になされた仕打ち/『不可触民 もうひとつのインド』山際素男
強姦から生まれた子供たち/『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』写真、インタビュー=ジョナサン・トーゴヴニク
常識を疑え/『小説ブッダ いにしえの道、白い雲』ティク・ナット・ハン
自由は個人から始まらなければならない/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
王者とは弱者をいたわるもの/『楽毅』宮城谷昌光
「何が戦だ」/『神無き月十番目の夜』飯嶋和一
少女監禁事件に思う/『父、坂井三郎 「大空のサムライ」が娘に遺した生き方』坂井スマート道子
死ぬ覚悟があるのなら相手を倒してから死ね/『国家と謝罪 対日戦争の跫音が聞こえる』西尾幹二

2011-01-22

フロンティア・スピリットと植民地獲得競争の共通点/『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一


 ・フロンティア・スピリットと植民地獲得競争の共通点

『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 微妙な本だ。正直に書いておくと、最初から最後まで違和感を覚えてならなかった。多分、企画ミスなのだろう。とてもじゃないが文明論的考察とは言い難い。文明論的教養を盛り込んだエッセイである。つまりタイトルと新書という体裁で二重に読者を騙(だま)しているとしか思えない。これが文庫本で『エッセイ 砂と石と泥の文明』であったなら、評価は星三つ半ってところだ。

 全体的に様々な事実を示した上で、「──と個人的に思う」といったレベルにとどまっていて、新書レベルの考察すら欠いている。医学セミナーへ行ったところ実は健康食品の販売だった、ってな感じだ。

 というわけで、文明論入門の雑談として読むことをお勧めしておこう。

 しかも、毎年毎年同水準の生活や産業を維持してゆくだけなら、同じ規模の土地を「エンクロージャー(囲いこみ)」して守っていけばいいが、その水準をあげてゆくためには、土地の規模を拡大していかなければならない。かくして、北フランスやイギリスなどの石の風土に成立した牧畜業は、不断に新しい土地(テリトリー)を外に拡大する動きを生む。これが、いわゆるフロンティア運動を生み、アメリカやアフリカやアジアでの植民地獲得競争(テリトリー・ゲーム)を激化させるのである。
 つまり、西欧に成立し、ひいてはアメリカにおいて加速されるフロンティア・スピリットは、本来、牧畜を主産業とするヨーロッパ近代文明の本質を「外に進出する力」としたわけである。これは、ヨーロッパ文明に先立つ、15〜16世紀のスペイン、ポルトガルが主導したキリスト教文明、いわゆる大航海時代の外への進出と若干その本質を異にする。
 いわゆる大航海時代の外への進出は、17世紀からのイギリスやオランダやフランスが主導した、国民国家(ネーション・ステイト)によるテリトリー・ゲームとは若干違う。大航海時代というのは、キリスト教文明の拡大、つまり各国の国王が王朝の富を拡大するとともに、その富を神に献ずる、つまり「富を天国に積む」ことを企てるものであった。

【『砂の文明・石の文明・泥の文明』松本健一(PHP新書、2003年/岩波現代文庫、2012年)以下同】

 わかりやすい話ではあるが、牧畜がヨーロッパの主産業であったという指摘は疑わしい。ここだけ読むと、農業をしていなかったように思い込んでしまうだろう。危うい文章だ。

 更に指摘しておくと、大航海時代に至った要因には様々なものがあって、貴金属の不足によって悪貨が出回り、新たな貴金属を求めて始まったとする説もある。また、モンゴル帝国が陸上輸送という弱点(コストが高い)を抱えて崩壊していったという背景も見逃せない。松本の指摘はファウスト的衝動に含まれる。

 たとえば、西欧の牧場で羊や牛を飼っている家で、子どもが生まれたり、子どもを学校に行かせたり、あるいはもう少しいいものを食べたいと思えば、その分だけ羊や牛を増やさなければならない。仮に100頭いる羊を120頭にしたいとおもったとしたら、牧場を20パーセント分ひろげる必要がある。いわゆるエンクロージャーした土地を外に拡大しなければならないわけだ。
 こうして牧場をひろげていくと、フロンティアの精神が顕著になる。それによってヨーロッパが発展するためには、ヨーロッパ外に進出しなければならない。ニューフロンティアを求めてアメリカに渡り、アメリカで足りなければアフリカに行き、またアフリカで足りなければアジアで進出する。西欧の近代は、そういう意味で「外に進出する力」というものを文明の本質として持つようになったのである。

 これも話としては理解できるが、根拠が何ひとつ示されていない。歴史的事実であったのか、それとも単なる例え話なのかが不明だ。極端に言えば農業に置き換えることも可能な内容となっている。

 こういった牧畜文明としてのヨーロッパ・アメリカの「外に進出する力」と、農耕文明としてのアジアの「内に蓄積する力」とが激突したのが、160年まえから100年まえあたりの「西力東漸」、言い換えるとアジアにおける「ウェスタン・インパクト」であった。

 これが真実であるなら、まずヨーロッパ圏内で牧畜vs農業の激突が起こってしかるべきではないのか? 日本国内でも起こっているはずだろう。

 何だかんだと言いながら、散々腐してしまったが決して悪い本ではない。

砂の文明 石の文明 泥の文明 (岩波現代文庫)
松本 健一
岩波書店
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