2011-05-24

あまりにも恐ろしくて読み終えることのできなかった本


 人生は「私」という形によって限定されている。だからこそ人と会い、本を開くのだ。コミュニケーションとは交換の異名だ。そして心が通い合うと、交換は交感~交歓へと高まる。つまり双方向で変容が起こるのだ。読書という営みは書き手との対話といえよう。国を飛び越え、時代を超越してコミュニケーションが可能となるのだから凄い。とはいえ、あまりにも恐ろしくて読み終えることのできなかった本が2冊だけある。

 プリーモ・レーヴィの『溺れるものと救われるもの』は読んでいると死にたくなってくる本だ。底知れぬ人間の絶望に私はたじろいだ。本を投げるようにして閉じた。ひょっとすると50歳をすぎても読めないかもしれない。

 もう1冊は、P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8‐1945.4.25』だ。絶版になるのを恐れて3冊買った覚えがある。祖国解放のために若き命を散らしていった青年たちの清らかさを、私は直視することができなかった。彼らはあまりにも眩(まぶ)しすぎた。今ようやく半分ほど読み終えたところだ。私の子供であってもおかしくない若者たちの遺書である。キリスト教が慰めとなっている事実を批判する気も起こらない。ただ静かに、じっくりと彼らの今際(いまわ)の言葉に耳を傾けよう。

溺れるものと救われるもの イタリア抵抗運動の遺書―1943・9・8‐1945・4・25 冨山房百科文庫 (36)

若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ/『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編

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