2001-07-12

蝶のように舞う思考の軌跡/『悲鳴をあげる身体』鷲田清一


『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴

 ・蝶のように舞う思考の軌跡
 ・体から悲鳴が聞こえてくる
 ・所有のパラドクス
 ・身体が憶えた智恵や想像力
 ・パニック・ボディ
 ・セックスとは交感の出来事

『身体が「ノー」と言うとき 抑圧された感情の代価』ガボール・マテ
『ストレス、パニックを消す!最強の呼吸法 システマ・ブリージング』北川貴英
『「疲れない身体」をいっきに手に入れる本 目・耳・口・鼻の使い方を変えるだけで身体の芯から楽になる!』藤本靖
『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス

必読書リスト その二

 これは随分と前に読んだ本。ちょっと気になる箇所があるので書き残しておこう。

 竹内敏晴などに興味がある人は必読。石川九楊や養老孟司のバランス感覚が好きな方にもお薦め。写真家とのコラボレーションである最新作は文体が気になり、読み終えることができなかったことを付け加えておく。

 著者は臨床心理学の提唱者で、身体(しんたい)についての考察は並々ならぬものがある。

 確かに産業革命による分業は、人々から“太陽と共に働き、月星と語る”生活を奪ったといってよいだろう。そもそも機械化は、人間の労力を削減するところに眼目があった。現代の労基法の考え方では、仕事=質量×距離といった物理的なものではなくして、時間の切り売りということになっている。その結果、我々は身体能力をフルに発揮する手立てを失った。幼少の頃からペットボトルをラッパのようにがぶ飲みしている子供が目につき、現代人を悩ませている問題の一つに「肥満」が挙げられることに異論を挟む人は少ないであろう。

 何を隠そう、この私もその一人である。上京してからというもの、胴回りは成長するだけ成長し、76cmだったウエストが現在では93cmという飛躍を示している。せめてこの半分だけでも身長が伸びて欲しかった。それも出来ることならば脚を……。それにしても、給料が上がらないのに肥え続けるというのは不思議である。“出る杭は打たれる”という格言があるが、“出る腹はくたびれる”と言う他ない。

 で、私が気になった箇所というのは以下の部分である。

 たとえば風呂に入ったり、シャワーを浴びたりするのが気持ちいいのは、湯、あるいは冷水といった温度差のある液体に身体を浸すことによって、皮膚感覚が強烈に活性化されるからだ。ふだん視覚的には近づきえない自分の背中の輪郭が、この背中の皮膚感覚の覚醒によってひじょうにくっきりしてくるわけだ。これは、幼児があぐらをかいている父親の膝の上に座りにくる、あるいは押入れなど狭苦しいところに入りたがるのととてもよく似ている。このような視角から考えると、スポーツや飲酒、喫煙についても同様のことが言える。激しい運動をすると、汗の気化熱で肌が収縮して身体表面の緊張が高まるし、また筋肉が凝って、ふだんはぼんやりしている身体の物質的な存在感が増す。アルコールを摂取すれば、血液が皮膚の表面に押し寄せてくるような感覚があるし、煙草や香辛料を口にしたときにも局部的に同様の効果が発生する。他人との身体の接触やマッサージについても同じことが言えそうだ。

【『悲鳴をあげる身体』鷲田清一(PHP新書、1998年)】

 これは凄い指摘だ。私は読んだ瞬間、目の前がパッと開ける思いがしたものだ。鷲田が言うには「身体というのは部分的にしか見ることができない。だから、我々が“自分の身体”という時、それは想像された〈像〉(イメージ)でしかありえない」とのこと。

 大いに首肯できる。例えば日常生活では全く意識されない歯なども、虫歯による痛みがあれば自覚される。それは他の全てを忘れさせてくれるほどの強烈さである。

 つまりだ。上記の文章で鷲田が言っているのは、自分の身体を心地よく実感できる場合に人は快感を覚えるということなのだ。

 そう考えると様々なことに気がつくのである。例えば若者に人気があるオートバイ、スキー、サーフィン、ジェットコースター、バンジージャンプ等々。これらは、スピードを出すことにより風を受けて、自分の身体を実感することができるのが人気の理由かも。

 お茶やコーヒー、あるいはパイプ煙草、ワインなどの嗜好品は嗅覚を実感させる。日焼けや化粧なども肌を実感するためであろう。指輪、イヤリング、ネックレスなどの装飾品も、その部位を意識するものであろう。まあ、呑み屋に入るたびに指輪を外す律儀な男性もいるらしいが……。

 結局のところ、五感に刺激を受けることによって“失われた身体能力”への郷愁のようなものが掻き立てられているのかも知れない。余りにも強い刺激を求めるようになると SMクラブや覚醒剤に手を出すことになるので要注意。まあ、人間は見境のつかないところがあるから、自虐的なまでに刺激を求めてしまうのだろう。自分の身体を苛め抜くという点では、ストイックな宗教の修行と規を一にするのが何とも不思議。

 今までは只単に心地いい・気持ちいいぐらいにしか思ってなかった事柄が、実は自分を感じることによって得られる感覚だということが、実に斬新であった。とはいうものの、シェイプアップは一向に進まない。

悲鳴をあげる身体 (PHP新書)
鷲田 清一
PHP研究所
売り上げランキング: 74,182