2017-07-20

整形手術の是非あるいは功罪


『なぜ美人ばかりが得をするのか』ナンシー・エトコフ

 ・整形手術の是非あるいは功罪

 15年ほど前になるがある掲示板のやり取りで「整形手術は人体コスプレだ」と書いたことがある。コスチューム・プレイ(以下コスプレ)は1990年代から盛り上がりを見せたらしいが私が知ったのは2000年前後のこと。テレビでは『B.C.ビューティー・コロシアム』(2001年)や『整形美人。』(2002年)が放映された。

「目は心の窓」というがこれに倣(なら)えば「顔は遺伝子の玄関」である。「居間」でも宜しい。顔と体型が遺伝情報をもっともわかりやすく表現している。獲物獲得能力に(カネを稼ぐ)オスの優位性があるのは確かだが、健康や身体能力は顔と体型に表れる。

 整形手術の最大の問題は遺伝情報を隠蔽するところにある。「じゃあ女性の化粧はどうなんだ?」という声が当然出てくることだろう。文化的には身だしなみであるが、まあインチキであることに変わりはない。髪型や服装はその人のセンスを示すものとして許す。

 21世紀に入り整形手術は一種のリフォームとして捉えられるようになったと思われるが、様相が変わったのは韓国の整形文化が伝えられるようになった頃からである。


 美人女優まで整形するってえんだから、もはや化粧レベルのお手軽さである。韓国では既に女子小中学生が母親と連れ立って美容整形をしているらしい。

 後ろめたさや疚(やま)しさを感じないのだろうか? 多分感じないのだろう。だったら「どうぞご勝手に」だ(笑)。

 もしも結婚相手が整形していたとすればあなたはどう思うか? そこに自(おの)ずと答えがある。俺は嫌だね(笑)。

 たとえ整形したとしても「醜い自分」「劣った自分」から自由になることができるとは到底思えない。

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