2018-04-30

「洛中洛外図」の日本的視点/『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾


・『怖い絵』中野京子

 ・「洛中洛外図」の日本的視点

必読書リスト その四

 西欧の遠近法や明暗法は、ちょうどある位置でカメラを構えてシャッターを切った時のように、画家の視点は一定の場所に固定されていて、対象も変化のない一定不変の状態にあるということが、基本的前提になっている。画家と対象との距離の差を画面における形態の大小や色彩の鮮明度に翻訳して表現するのが遠近法であり、対象に対する光のあたり方を陰影によって表現するのが明暗法だからである。(中略)だが、画家と対象との距離というものは、当然のことながら、画家の位置が変わればそれに応じて変わる。もし画家が人物を描くたびに、つねにそのすぐそばまで移動して描いたとしたら、遠近法は成立しないであろう。その代り、画中の人物は、つねに同じ大きさで鮮明に描き出されるということになる。洛中洛外図において日本の画家が行なったのは、まさにそのようなことである。画家は町のなかを自由に動き廻って、さまざまの場所を観察し、店先の様子や人びとの姿などをいわば至近距離から眺めて、それぞれの部分を次つぎと画面の上に並べていった。つまり洛中洛外図は、ひとつの固定した視点から眺められた都市図ではなく、都市のさまざまの部分を、つまり複数の視点による都市の姿を画面の上に並置したものなのである。そのそれぞれの部分は、いずれも、例えば人物たちの顔かたちや衣裳の模様まではっきりとわかるように鮮明に描かれているので、相互のあいだに距離感の差はなく、全体として画面は平面的な拡がりを見せることとなる。
 しかも、視点の自由な移動は、町のなかだけにはとどまらない。都市の構造の基本的骨格を形成する建物の配置を描く時は、画家は視点を高めて、あたかも高い塔の上から町を見下ろしたかのような具合に描き出す。われわれの日常の体験において、高い所から見下ろした時の方が町の構成はよくわかるが、洛中洛外図の画家は、まさしくそのような視点によって、都市の空間構造を見る者に伝えてくれるのである。そしてその上で、それぞれの場所における人びとの姿や生活情景が描き出される。その場合、建物そのものは上方から見られているから、例えば屋根などがそのように描き出されるが、しかしその正面部、例えば店先の様子やあるいは通りを歩く人びとの姿は、通常の水平方向の視点で描かれる。つまり、洛中洛外図は、さまざまの部分的情景の集合であるが、そのひとつひとつの部分においても、俯瞰視と水平視という異なった視点が共存しているのである。

【『増補 日本美術を見る眼 東と西の出会い』高階秀爾〈たかしな・しゅうじ〉(岩波現代文庫、2009年/旧版、岩波書店、1991年新板、同時代ライブラリー、1996年)】

 まずは「洛中洛外図」(らくちゅうらくがいず)をご覧いただこう。

Wikipedia
洛中洛外図屏風(上杉本)狩野永徳
洛中洛外図 - 日テレ
狩野永徳《上杉本洛中洛外図屏風》 金雲に輝く名画の謎を読む──「黒田日出男」:影山幸一

 確かに妙な絵である。のっぺりとしていて奥行きがない。私の印象はそこで止まってしまう。ところが高階秀爾の眼は画家の手法を解析し、西洋美術との視座の異なりにまで及ぶ。専門家とは「見る世界」を広げてくれる人物であることがよくわかる。

 西欧の視点が固定されているのは「個人」という意識が確立されていたためだ。もちろんその背景には「神」の存在がある(『翻訳語成立事情』柳父章)。つまり思想や価値観によって目の前の世界は違って見えるということだ。視覚情報は視覚野が翻訳したものだ。現実は都合のいいように歪められる。例えば常に見えているはずの自分の鼻を我々は気にかけることがない。

 戦後教育はGHQによる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に基づいており、日本の過去は否定されるべき歴史として描かれるようになった。また輪を掛けるように左翼や進歩的文化人が江戸時代から戦前までを革命前段階の抑圧世界と位置づけた。原爆慰霊碑に記された「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」との碑文がまさしくその象徴である(原爆を正当化する米国のプロパガンダを、日本人が鵜呑みにする必要はない | 私的憂国の書)。

 19世紀半ばにヨーロッパで日本美術が注目を浴びジャポニスム文化が花開いた。「きっと物珍しかったのだろう」などと思うのは不届き者だ。長らく続いた白人支配は「人間には理性がある→理性とは神を理解する能力である→神を信じない者は人間に非ず」という三段論法に基づいている。アメリカ先住民のインディアンやアフリカの黒人を彼らは【人間と見なさなかった】のだ。大量虐殺は文字通り虫けらを退治するように粛々と行われた。こうした歴史にとどめを刺したのが日露戦争だった(『世界が語る大東亜戦争と東京裁判 アジア・西欧諸国の指導者・識者たちの名言集』吉本貞昭)。

 しかも西ヨーロッパが日本の文化を認めたということはキリスト教世界に衝撃を与え、混乱を招いたことをも示唆している。なぜなら文化は人間の社会からしか生まれないからだ。現代においてすらフランスは文化を鼻に引っ掛けイギリス人を猿だと馬鹿にしている。フランス人のピエール・ブールは第二次世界大戦でフランス領インドシナに派兵され日本軍の捕虜となった。この体験から着想を得て後に小説としたのが『猿の惑星』である。そう。猿とは日本人のことなのだ。

 彼らの人種差別意識に対して日本美術が亀裂を入れた事実を我々は誇っていいだろう。

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