雨上がりの日であったと思う。しゃがみ込んで草むしりをしているお婆さんがいた。手際がよく無駄な動きがなかった。麦わら帽子で隠れた顔は真っ黒に焼けていた。
すると塀の内側からひょっこり顔が覗(のぞ)いた。同じ年代の女性であったが、肌の色がまったく違っていた。雇った側が雇われた側を斜め上からじっと見下ろしていた。私の胸に鋭い痛みが走った。「ここで交換されているものは何か?」。
・貿易黒字は失業を輸出していることに等しい/『藤巻健史の実践・金融マーケット集中講義』藤巻健史
経済行為が等価交換であるならば、労賃を返せば白い肌の老婦人は草むしりをするのだろうか? 絶対にやらないね。別の人間を探すだけの話だろうよ。マダムは決して自分の手を汚すことがない。
人間を2種類に分けてみる。働く人々と働かされる人々がいる。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 6月 18, 2012
人間を2種類に分けてみよう。所有する人々と奪われる人々、虐げる人々と虐げられる人々が存在する。
— 小野不一さん (@fuitsuono) 6月 18, 2012
他人を「働かせる」行為は、誰かを「虐げる」行為なのかもしれない。
簡単な作業ほど働き手は多い。難しい仕事には免許や資格が必要となる。規制がある以上、職業選択の自由は阻害されていると考えてよかろう。
「働かなければ食ってゆけない」――我々が生きる世界は苛酷だ。しかも「働く」ことが「賃金を得る」ことを意味している。資本主義経済は労働を貧しいものに変えてしまった。そして食べることと働くことを完全に切り離すことに成功した。
等価交換の幻想を支配しているのは金融と流通である。そしてこの舞台に広告会社とメディアが演出を施す。経済の実態は消費という反応に堕してしまった。
私は背中越しに胸の中でマダムにつぶやいた。「美食の限りを尽くして、さっさとくたばるがいい」と。アスファルトの道路に唾を吐こうかと思ったが、私の良識が押しとどめた。
・目撃された人々(旧)
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