2000-08-05

風は変化の象徴/『千日の瑠璃』丸山健二


 ・20世紀の神話
 ・風は変化の象徴

 千日の物語は「風」から幕を明ける。まほろ町に吹く一陣の風が運んだドラマだったのかも知れない。

 私は風だ。

【『千日の瑠璃』丸山健二(文藝春秋、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 風は自らの意志をもって一人の老人の命を奪い、一羽の鳥の命を救う。変化を象徴する「風」が生と死の一線を画し、新たな世界へと読者を誘(いざな)う。

 天に近い山々の紅葉が燃えに燃える十月の一日の土曜日、静か過ぎる黄昏(たそがれ)時のことだった。

 千の主語の冒頭を飾る「風」は、すんなり決まったに違いない。丸山はオートバイに初めて乗った瞬間に知った風の感動をエッセイに書いている。スロットルを開いてキラキラとした風の中を体験した時から、この作品に向かっていたのではないだろうか。

 風は変化の象徴である。季節の移り変わりを知らせ、塵(ちり)を払いのけ、根を張らぬものをなぎ倒し、吹き飛ばす。向かい風となって前進する者の意志を試し、追い風となって帆に力を与える。

 風──見えないが、確かに感じる。そこに生と死を絡めた手腕に敬服した。

千日の瑠璃〈上〉 (文春文庫)
丸山 健二
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千日の瑠璃〈下〉 (文春文庫)
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2000-08-01

20世紀の神話/『千日の瑠璃』丸山健二


 ・20世紀の神話
 ・風は変化の象徴
 ・オオルリと世一
 ・孤なる魂をもつ者

 私はある野望を抱いていた。それは、読んだ作品よりも量の多い書評を物することだった。読者へ訴えようとして著された文字の数々が、必要不可欠なものであれば、これに応える読者の感動も同じ数の文字があってしかるべきではないか、そう考えたのだった。

 7歳で文字を読めるようになり、今日(こんにち)までに数千冊の本を読んできたが、繰り返し読むに値する本の何と少ないことよ──。過ぎ去った30年間を振り返り、そう思わざるを得ない。

 そんな読書歴の中で、一昨年、本書と出会った。十数冊の本を併読するのが常であるこの私が、他の本を手にすることが不可能となった。一ページごとに変わる主語。千の視点から紡ぎ出される物語。まほろ町という架空の土地は、さながら小宇宙と化し、主人公である世一少年を中心に魂の劇が展開する。

 本と巡り会ってから丁度30年──。長年の野望を果たす時が来たようだ。

 物語は10月1日から始まった。千日間の冒頭を飾る主語は「風」だった──。詩情豊かな光景の中で、人間が抱く価値観とは全く相反する世界が展開される。

 風が運んで来たドラマに私は圧倒された。感銘などという生易しいものではない。度肝を抜かれたと言った方が正確だ。多読を得意とするこの私が他の書物を手にすることができなくなってしまったことを鮮明に覚えている。しかし、誰にでも薦められる作品ではない。その独特の個性、アクの強い表現、暴力性を伴う緊張感等々。この本を失敗作と評価する向きもある。が、丸山の革新的な手法は、文学の新たな嶺に到達し、読者に媚びを売るそんじょそこいらの作品群を睥睨(へいげい)する。

 一ページごとに変わる主語が千日の物語を紡ぎ出す。ありとあらゆる事物・事象・性質・現象が主語となって「まほろ町」と主人公である少年「世一」を語る。語彙の持つ業(わざ)が森羅万象をつかまえ、凝視し、一ページ一ページが小宇宙の物語を構成する。

 言葉が、自由に飛び交い、舞い上がり、突き刺さり、根を張り巡らす。

 肯定と否定、善と悪、陰と陽、生と死、相反する価値がクモの巣の如く交錯し世一の宇宙を象(かたど)る。

 それぞれのページが瞬間を切り取り、永遠を俯瞰(ふかん)する。微少なドラマを描き、極大の佇まいを奏でる。

 善意は限りなき優しさを伴った美しさとなり、悪意は極まりない辛辣さを満々と湛えドス黒い光を放つ。

 人間の目以外のあらゆるものから見える世界が表出している。

 丸山は、言葉によって構築される世界の限界に挑んだ。そして、それはものの見事に1000ページの作品となって結実した。大自然との交感から編み出された物語は、飽食に驕(おご)る人間の背筋をシャンと伸ばす効果に満ち満ちている。

 圧倒的なスケール、想像を絶する展開、森羅万象が奏でる「まほろ町」という宇宙、そして、自立せる魂の持ち主・少年世一。『千日の瑠璃』は20世紀の神話だ!

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