「私はアマンダ・ベリー。誘拐されたんです。この10年行方不明だったんです」――10年前に16歳で誘拐され、今月6日に解放されたアマンダ・ベリー(Amanda Berry)さんが脱出直後に通報した際の言葉は、10歳で誘拐され、8年間の監禁生活から2006年に解放されたオーストリア人女性のナターシャ・カンプシュ(Natascha Kampusch)さんの最初の言葉を思い起こさせた。
「私の名前はナターシャ・カンプシュ。私のことを聞いたことがあるはずです」
カンプシュさんが懐疑的な警察官にこの言葉をかけたのは、誘拐されてから3000日以上が経ってからだった。
女性の長期監禁事件の中でも最も悪質なケースのひとつに数えられるカンプシュさんの事件は、1998年3月2日に発生。カンプシュさんは登校中に、失業中だった通信技術者のウォルフガング・プリクロピル(Wolfgang Priklopil)容疑者に拉致され、バンの中に押し込められた。
プリクロピル容疑者は、自宅のガレージの下に掘った6平方メートルに満たない地下室に彼女を閉じ込め、幼いカンプシュさんには「ドアや窓には爆弾が仕掛けてある」と伝えた。また、両親は彼女のことを忘れたとも言い聞かせたという。
その後数年間、容疑者はカンプシュさんを殴り、食べ物もごく少量しか与えなかった。何日も食べ物を渡さない日もあり、カンプシュさんが思春期を迎えた後は強姦を繰り返した。
現在25歳のカンプシュさんは、今年初めに当時の様子を振り返り、「叫ぶことはありませんでした。私の体が叫べなかったのです。でも無言で叫んでいました」と述べた。
2006年の夏、プリクロピル容疑者は携帯電話で、カンプシュさんを誘拐した時に使っていた白いバンを売却する話をしていた。その隙をついてカンプシュさんは逃げ出した。
プリクロピル容疑者はその日、線路に飛び込んで自殺した。44歳だった。
カンプシュさんのその後
6日に救助されたアマンダ・ベリーさんと2人の女性と同じく、カンプシュさんの名前は世界中のメディアを駆け巡った。自伝を出版し、複数のテレビのインタビューにも応じ、今年初めには自分の体験をベースにした『3096日』という映画もリリースされた。
しかしカンプシュさんは、まだ普通の日常に戻れないでいるように見える。両親とは「疎遠になった」という。現在はウィーンの自宅で蘭の花やペットの金魚と一緒に過ごす。テレビで好きなのは刑事ドラマだという。
教育も受けられなかったため、教育課程を終わらせ、金細工の技術を身につけようともしたが、続かなかった。
それでも2011年には、自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設した。
ドイツで今年放映されたインタビューによると、いま一番親しい人物は美容師だという。「いすに座って、彼女が私の髪を整えてくれているときが一番幸せ」
「自分に起きたことと共存していくために、毎日をポジティブに生きようと努力してる。気ままな10代の時間はもう取り戻せない。他の人と話をして、若いときの経験を共有してもらうのがせめてもの慰め」
カンプシュさんは、マザーコンプレックスを抱えていたプリクロピル容疑者への複雑な感情についても言及した。容疑者が自殺したと聞いたときには泣いたという。
「脱出することによって、私は自分を迫害していた人間から逃げることができた。それと同時に、いや応なく近くにいた人を失った」とカンプシュさんは自伝に綴っている。
「私を殴り、地下室に閉じ込め、餓死寸前まで追い込んだ男が求めていたものは、誰かに抱きしめてもらうことだった」
【AFP 2013-05-12】
ストックホルム症候群と指摘することはたやすい。彼女を自分と関係のない第三者と見れば。私は不思議な感動を覚えてならなかった。複雑さとは奥深さでもあろう。微にして妙なる人間心理の綾は時に善悪を軽々と超越するのだ。
彼女と比較して自分の幸福を計るような愚者は本当の意味で不幸なのだろう。彼女が不幸であったとしても我々が不幸でないと言い切ることができるだろうか?
ただありのままに不幸を背負う。ただありのままに不遇を生きる。すべての川が海を目指すように我々の生もまた死に至る。どのような流れであったとしても、太陽のきらめきを反射することは可能だろう。人は他の誰かになり得ない。彼女は彼女を生きる。私は私を生きる。
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