・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・言葉の正しさ
・正(まさ)しき道理
・「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事
・不当に富むとそれが不幸のもとになる
・社稷を主とす
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
「自分でよくないとおもったことは、君公がなさってもよくない。そうはおもわぬか」
と、押しかえすような大声をあげた。
晏父戎〈あんほじゅう〉は喉(のど)に刃をあてられたごとく、顔をゆがめ、ことばにつまった。
君主の生活と下級貴族の生活とはちがう。君主が美衣美食の生活をおくろうと、下級貴族はそれをまねすることはできない。上は上、下は下である。下の者が上の者を批判することは、つつしむべきである。それをおこなうことを僭越(せんえつ)という。おのれの職責をまっとうすることに専念すればよい。臣下というものはすべからくそうなのである。士分たる者は君主や上司の意にそうように努めよ、晏父戎〈あんほじゅう〉はそう教えられて育ち、そうすることが忠義であるといまもおもっている。
が、晏嬰〈あんえい〉は一家の主になったわけではないのに、大臣たちを批判し、あまつさえ父の晏弱〈あんじゃく〉さえけなしている。僭越といえば、これより大なるものはなく、礼にも考道にも悖(もと)るではないか。
晏父戎〈あんほじゅう〉はそうおもったが、その声は心のなかで小さく湧(わ)いただけで、なぜか、口をついてでてくるほどの勢いをもたなかった。それより、心のどこかで愧(は)じる色が生じた。君主をいさめるのは大臣たちの役目であり、士がおこなうべきでないと思い込んでいたこと、丈夫(じょうぶ)の飾りは風儀の乱れを招き、男どもは迷惑を感じているのに、そんなささいなことに口出しして上の怒りを買うのは愚かなことだと考え、たれもが口をつぐんでいること、などを晏嬰〈あんえい〉に指弾され、心のなかにめぐらしてあった古びた柵が蹴破(けやぶ)られたような気がした。
――真の忠義とはなにか。
と、若年の者につきつけられた問いに、歴戦の勇士がうろたえた。ただしこのうろたえは爽快感(そうかいかん)をともなっていた。
――晏嬰〈あんえい〉のいう通りだ。
と、認める気持ちが強くはたらいたからである。
【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】
斉の霊公は男装の麗人を好んだ。当然のように国中の女性が宝塚男優っぽくなる。
心ある人々は問題だと考えていた。霊公本人も頭を抱え込んだ。晏父戎〈あんほじゅう〉は真面目であった。真面目ゆえに眼(まなこ)を高く転じることができなかったのだろう。
晏嬰〈あんえい〉の言葉は同時代を生きた孔子が説いた「己の欲せざる所は、人に施すこと勿(なか)れ」(『論語』)とは温度が異なる。孔子が示したのは「恕」(じょ)=思いやりであった。一方、晏嬰〈あんえい〉が語ったのは「正(まさ)しき道理」であった。
真面目で誠実な人々は組織を維持するのには役立つが、飛躍的に発展させることはない。それどころか忠節が結果的に腐敗へ導くのだ。彼らは国家や組織の体面を重んじて小さな問題を軽視するようになる。官僚主義がやがてあちこちに蟻の一穴(いっけつ)を作る。ダムが崩壊するのは時間の問題だ。
晏嬰〈あんえい〉は諫言(かんげん)の人であった。しかもそこには万人が納得せざるを得ない響きと轟(とどろき)があった。官僚の道を説いた孔子が晏嬰〈あんえい〉を批判したのもむべなるかな。
道理とは合理でもある。理(ことわり)は断りと語源を同じくする。
ことわり ※区分割りや割り振りをする際に、理に従って行う。
事割 - 事象を表現し認識する為に、区分割りすること。
言割 - 事象の表現や認識を言葉へ割り振ること。言葉り(ことはり)。
理 - 道理・法則・摂理・倫理・理由。事象の道。宇宙の摂理、自然の摂理、神の摂理、人の摂理のようなもの。ここから、倫理である神道・人道の精神が生じた。理路整然の理(神道=統治者側の道理。人道=人としての道理)。
断り - 本来、何かをする時に入れる理や道理。そこから派生して断る際に理由付をする事 となり、近年では 断る行為のみ に使われている。 また、邪道・邪意・邪気・まがごと を断つ為に理を入れる事もある。
【「ことだま」の例:言霊の幸はふ国(ことだまのさきわうくに) - 美し国(うましくに)】
理なきゆえに無理という。道理は人と人とを結び合わせる。されば道理こそが国家の礎となろう。はて、小手をかざして周囲を見回しているのだが道理が見当たらないのはどうしたことか。福島の原発周辺に、沖縄の米軍基地に道理はあるか? パレスチナにアフリカ諸国に道理は存在するか? 世に、そして己に深く問え。己心を諌(いさ)めきった者のみが諫言を可能とする。
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