・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
「薛公(せっこう)についていえば、天の気をもった人だな。風雨を吐きだすことができる。彼に撃ちかかろうとしても、ひと息で飛ばされよう。飢渇(きかつ)した者は、慈雨(じう)をあびることができよう。中山(ちゅうざん)は薛公にすがることだ」
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
「気」にまつわる文章をいくつか拾ってみよう。気とは陰陽(いんよう)を往き交うものと私は理解している。気息の場合は呼気が陽で吸気が陰となるようだが(第四難)、個人的には呼吸が陽で息の止まる一瞬が陰と考えている。(追記/ただし声で考えると前者がわかりやすい)
陰陽の落差が気格の個性を表すのだろう。「寒さにふるえた者ほど太陽の暖かさを感じる。人生の悩みをくぐった者ほど生命の尊さを知る」(ウォルト・ホイットマン)。苦労や困難が人生の幅を押し広げる。生命の感応する力が豊かになる。そこに気の深さや太さがある。孟嘗君(もうしょうくん/薛公)は背が低かった。だが飄然とした態度の中に気宇壮大が滲み出た。その人格は楽毅の人生に鮮やかな色彩を加えた。先に『孟嘗君』を読んでおくと、まるで自分の親戚が登場したかのような親しみを覚える。
狐午(こご)は中山(ちゅうざん)の貴門を出入りし、他国の貴族と面語することもあるが、楽毅のような人柄に会ったことがない。一言でいえば、ふところが■(ひろ)くて巨(おお)きい。人格からたちのぼる気が、虚空(こくう)をさわやかにあざやかに切りすすんでゆく。
――めずらしい人だ。
と、狐午はおもった。好きになったのである。だが商人としての自覚が、そういう感情のかたむきを認めなかった。人への好悪(こうお)は商人が冷静におこなわなければならぬ計算を狂わせる。その自覚が商売という戦場を生きぬくための商人にとっての甲(よろい)である。
第一巻なので楽毅はたぶん二十代であろう。人生経験の乏しい若者は底が浅い。そして底の浅さに甘んじる若者が多い。やはり溌剌(はつらつ)たる気を漲(みなぎ)らせるべきだろう。自己嫌悪に陥るよりも学ぶことを自らに課せばよい。10代、20代で悪い姿勢が身につくとものが見えなくなる。
父は自分の子を毅然(きぜん)とつくっている魂胆(こんたん)の重厚な精強さに気づいた。暗殺者はもしかすると楽毅に両断されるまえに、楽毅の渾身(こんしん)から発揚された鋭気のようなものにうちのめされたのかもしれない。
――人とはふしぎなものだ。
身分とはちがうところで、人の格差がある。人がつくった身分ならこわすことも、のり■(こ)えることもできようが、天がつくったような差はいかんともしがたい。
人生には気の通う出会いがある。もっと極端に言ってしまえば人生は出会いで決まる。その意味で誰と出会うかが肝心だ。数々の出会いが自分自身を染め上げてゆく。もちろん悪い出会いも多い。易(やす)きに流されればあっと言う間に転落してゆく。尊敬できる人物をもつ人は幸せだ。どんな世界にも人物はいるものだ。若者は血眼になって探し回れ。
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