2014-09-10

「悪は凡庸」ではない? 有名実験を新たに研究


 普通の人々を悪事に駆り立てるものとは何か──この問いについて哲学者や倫理学者、歴史家や科学者たちは何世紀も論争してきた。

 現代にも大きく通じる考えの一つは「ほとんど誰もが」、命令されれば残虐行為を働くことができるというものだ。独裁的な人物の命令や同調意識によって、我々はブルドーザーで家を押し潰し、本を燃やし、親から子どもを引き離し、彼らを殺すことさえやり遂げることができる。このいわゆる「悪の凡庸さ」は第2次世界大戦(World War II)中に何故、教育を受けた一般的なドイツ人が、ユダヤ人虐殺に加担したのかを説明する理論として引用されてきた。しかし、50年以上前に行われた世論形成実験を再検討した心理学者たちが今、再考を求めている。

「参加する者たちは自分たちが何をしているのか分からずに、ただそれを遂行することが目的になっている『考えや意識の無いしかばね』だとする『悪の凡庸さ』という概念だが、我々がデータを読み収集すればするほどそれを裏付ける証拠が減っていった」と、オーストラリア・クイーンズランド大学(University of Queensland)のアレックス・ハスラム(Alex Haslam)教授はいう。「我々の感覚とは一種の同一化であり、従ってすべての非道な行動の基には概して選択がある」

■偽の拷問実験とホロコーストの指揮者

 今回の検証で焦点となったのは、1961年に米エール大学(Yale University)の心理学者スタンリー・ミルグラム(Stanley Milgram)氏が実施した伝説的な実験だ。

 この実験に協力したボランティアは「学習に関する実験をする」と聞かされ、単語を組み合わせて覚えたはずの「生徒役」が回答を間違えると電気ショックを与える「教師役」をさせられた。そして「生徒役」が間違えるたびに「教師役」のボランティアは、実験用白衣を着た博士のような人物から、電気ショックの電圧を上げるように命じられた。電圧の目盛は15ボルトから始まり、最高は致死電圧の450ボルトだった。

 しかし、実はこれは偽の実験だった。「生徒役」は役者で、実際には電流も流されていなかった。実験中、「教師役」のボランティアからは「生徒役」の姿は見えず、聞こえていたのは声だけだった。

 だが驚くことに「生徒役」が止めてくれるよう懇願したり、泣き叫んだりするのが聞こえても、「教師役」のボランティアの3分の2近くが「致死の電圧」に至るまで、実験を続行した。この実験は、命令を受けている下で、いかに良心が抑制され得るかを示す例として様々な教科書で取り上げられるようになった。

 さらにこの実験での発見は、ナチス・ドイツ(Nazi)のホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に関与したナチス親衛隊のアドルフ・アイヒマン(Adolf Eichmann)の1961年の裁判を扱った政治哲学者ハンナ・アーレント(Hannah Arendt)の画期的な著書と一致するものだった。  アーレントが見たアイヒマンは、思い描いていたような怪物的な人物像とは程遠く、むしろつまらない官僚的な人物だった。このことからアーレントは、普通の人間が周囲に同調することによって残虐行為を犯す可能性を言い表すために「悪の凡庸さ」という言葉を生み出したのだった。

■実験に肯定的だったボランティアたち

 英心理学専門誌「ブリティッシュ・ジャーナル・オブ・サイコロジー(British Journal of Social Psychology)」に発表された新たな研究は、先の実験の中で「教師役」とされたボランティアたちについて、さらに詳しく調査した。研究チームがエール大学の保管庫から探し出したのは、実験終了後、実験の真の目的と、拷問が嘘だったことを告げられたボランティアたちが書き残したコメントだった。

 ボランティア800人のうち感想を書き残したのは659人。このうち実験中に不安や苦痛を感じたと答えたボランティアは一部で、多くは実験について肯定的に報告し、一部には極端に肯定する者もいた。

 例えば「このような重要な実験に参加することでのみ、人は良い気分になれる」「人間と他者に対する態度の発達について、ささいな方法ながらも貢献できたと感じる」「こうした研究が人類に寄与するものだと考えるのならば、もっとこうした実験を行うべきだと言える」といった感想だ。

 こうした幸福そうなコメントは、電気ショックが偽物で、従って誰も傷つけてはいなかったことが分かった安堵(あんど)感に由来したのだろうか。

 そうではない、と今回の研究の論文は主張する。義務を果たしたことや、価値あることに貢献したという喜びが、コメント全般にみられた。ミルグラムは実験前、ボランティアたちに具体的な内容は告げずに、しかし、これから行う実験は知識を進化させるものだと告げていた。

 参加者たちが名門エール大学に対する畏敬の念も働いた。コネチカット(Connecticut)州ブリッジポート(Bridgeport)のオフィスで同じ実験を行ったときよりも、服従の度合が高かったからだ。論文は、ボランティアたちが「白衣の監視役」に無気力に従ったのではまったくなく、自分たちは「科学」という崇高な目的のために実行しているのだという信念を持って、電気ショックをエスカレートさせていったのだと指摘している。

 クイーンズランド大学のハスラム氏は「こうした場合、倫理的問題は通常考えられているよりも、もっと複雑だ。ミルグラムは明らかに参加者の不安を和らげた。有害なイデオロギー、つまり他の場合ならば非道なことでも、科学という大義のためであれば容認できるという考えを、参加者に信じ込ませることによって」と述べた。

 英セント・アンドリューズ大学(University of St Andrews)のスティーブン・ライヒャー(Stephen Reicher)教授は今回の研究は、一般的な人物が異常なほどの実害を及ぼす行動を起こす可能性を指摘し、しかしそのときに主要因となっているのは思慮の欠如ではないことを示していると述べた。そして教授は「人々は自分たちが何をしているのか自覚していて、しかも、それを正しいことだと思ってやっているのだというのが、我々の主張だ。この根源にあるのは大義との一体化であり、権力がその大義を正当に代表していると容認するところから来ている」と語った。

AFP 2014-09-09

『服従の心理』スタンレー・ミルグラム
『服従実験とは何だったのか スタンレー・ミルグラムの生涯と遺産』トーマス・ブラス

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