2015-07-19
藤原肇、アーノルド・J・トインビー、若泉敬
2冊挫折。
『未来を生きる トインビーとの対話』アーノルド・J・トインビー、若泉敬〈わかいずみ・けい〉:毎日新聞社外信部訳(毎日新聞社、1971年)/京都産業大学教授の若泉敬とトインビーとの対談であるが、実際は若泉による質問とトインビーの回答集といった内容。人生・学問、国際問題とテーマは多岐にわたる。碩学(せきがく)のトインビーですら時代の波には勝てなかったようで、やはり古いと言わざるを得ない。1971年といえばまだ日本でも「気違い」や「びっこ」などの言葉が日常で使用されていた時代であるから致し方ない側面もある。私はつくづくクリシュナムルティの偉大さを思わずにはいられなかった。クリシュナムルティの講話は第二次世界大戦前のものでも古さを感じないし、世俗でまかり通っていた差別感がどこにも見当たらない。トインビーの言葉はものの見方としては参考になるが、抜き難いキリスト教の影響が先入観として働いてしまっている。例えば「高等宗教と低次宗教」というネーミングなど。100ページほどでやめた。その後トインビーは創価学会会長の池田大作との対談集『二十一世紀への対話』(文藝春秋、1975年)を刊行しているが、池田をトインビーに紹介したのも若泉だった。
『虚妄からの脱出 経済大国の没落と日本文化』藤原肇(東明社、1980年)/読みにくい文章である。「石油開発の弁証法」と「富国強兵と経済大国のソフトウェア」までしか読めず。小室直樹が説くところの「アノミー」(無連帯)を藤原は「ヤマトニズメーション」(空洞化から発狂へのプロセス)と表現したが、ネーミングが悪いと思う。
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