2015-04-30

ブライアン・セルズニック、レスリー・ヴァリアント


 1冊挫折、1冊読了。

生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント:松浦俊輔訳(青土社、2014年)/科学本に迷ったら松浦俊介の訳本を辿ればよい。外れが少ない。これは名著。レスリー・ヴァリアントは計算機学・応用数学の教授。チューリング賞も受賞している。流麗な文章だが、かなり手強い。私は歯が立たなかった。それでも「必読書」に入れ、「情報とアルゴリズム」にも加えた。挫けたのは私の知的レベルに問題があるためで本の問題ではないからだ。頑張れば読めるのだが、修行し直すことにした。尚、1ページの7行目に「与えられたのではななく」との誤植がある。青土社も随分といい加減になったものだ。

 41冊目『ユゴーの不思議な発明』ブライアン・セルズニック:金原瑞人〈かねはら・みずひと〉訳(アスペクト文庫、2012年)/子供に読ませる場合は奮発してハードカバー版を買ってあげたい。500ページのうち、何と300ページほどがイラストである。ま、絵本だと思っていい。まだ映画が誕生したばかりの時代である。身寄りのいないユゴー少年とからくり人形の物語だ。鉛筆で描かれたイラストが映画のカットのようにダイナミックな構図で読者に迫る。これはオススメ。「必読書」入り。マーティン・スコセッシ監督が映画化した『ヒューゴの不思議な発明』も必ず見たい。

手に余る自負/『突然の災禍』ロバート・B・パーカー


『レイチェル・ウォレスを捜せ』ロバート・B・パーカー
『初秋』ロバート・B・パーカー
『チャンス』ロバート・B・パーカー

 ・手に余る自負

『スクール・デイズ』ロバート・B・パーカー

「とにかく、あんたは、驚くほど端的な言い方をするな」
「時間の節約になる」

【『突然の災禍』ロバート・B・パーカー:菊池光〈きくち・みつ〉訳(早川書房、1998年/ハヤカワ文庫、2005年)以下同】

 シリーズ第25作目。複数の女性からセクハラで訴えられた元夫を助けて欲しいとスーザンから頼まれる。スペンサーは現在の恋人であるが夫ではない。はたから見ると微妙な立場だが、スペンサーは微妙な男ではない。手に余る自負を抱えている。自己顕示欲全開である。

 訴えた女性の夫に辣腕弁護士がいた。フランシス・ロナンという人物だった。

「彼はなにか意見を述べた?」
「フム、と言ったよ」
「それがどういう意味なのか、多少なりとも判ってるの?」
「彼は、この仕事は危険に満ちていることを、遠回しに言っていたのだ、と思う」
「フム」リタが言った。
「かもしれない」
「ロナンに会った、と言ったかしら?」
「言った」
 リタが微笑した。「それで、話し合いはうまくいったの?」
「あまりうまくはいかなかった」
 彼女の笑みがますます大きくなった。「あなたはそれ相応に敬意を表したの?」
「あんたは不快なくだらない小男だ、と言ったよ」
 リタが大声で笑い、ツイードを着た男が二人、タラ料理から顔を上げて彼女を見ていた。リタが彼らの視線を捉えて見返すと、二人がタラに目を戻した。
「笑うつもりじゃなかったのよ」リタが言った。「実際にとても真剣な問題なんだけど、驚いたわね! あなたとフランシス・ロナン」まだ微笑しながら首を振っていた。「素晴らしい組み合わせだわ。あなたは彼に劣らず傲慢だから」
「それに、おれのほうが背が高い」
「彼には用心してよ」リタが言った。「これまで相手にしたどんな人間の場合より、用心して」
「判ってる。それに、彼はおれに用心する必要があるかもしれない」

 リタ・フィオーレは『告別』、『蒼めた王たち』、『悪党』にも登場する美人弁護士。

 この会話にスペンサーの性格がよく表れている。騎士道精神と子供染みた強がり。暴力がユーモアを支えている。そして彼は相手がどんな大物でも怯えることがない。マチズモの毒を中和するのは知性である。スペンサーは詩を愛する男でもあった。

「きみはそんなにタフである必要はないんだ」
「物事について、ひ弱な女性のステレオ版になりたくない」
「タフ、というのは、事の前後に、それについてどんな気持ちになるか、ではなく、なにをするか、なのだ。きみはとてもタフだよ」
「自分の過去については、さほどタフではなかったわ」彼女が言った。

「ステレオ版」との訳はおかしい。「ステレオタイプ」で構わないだろう。菊池光はカタカナの使い方にも違和感を覚える。

 スペンサーがスーザンに説くのは「タフな精神」ではなく「行為としてのタフ」である。足を止めなければ思い悩む時間もない。

 若い頃は堪能できたが、大の大人が読むにはチト甘すぎる。それでもスペンサーの諧謔(かいぎゃく)精神にはニヤリとさせられてしまう。ホークも健在だ

 そのつもりになれば、ホークは、クー・クラックス・クランに潜入することができる。

 それは無理だ。ホークは黒人なのだから(笑)。

突然の災禍 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

2015-04-29

宮城谷昌光


 1冊読了。

 40冊目『香乱記(四)』宮城谷昌光(毎日新聞社、2004年/新潮文庫、2006年)/舌なめずりをしながらゆっくりと読み終えた。新聞小説のせいか、いつものような歴史の遠景を淡く描く終わり方をしていない。ドラマは太い線を描いて絶たれる。田横と眷属は壮絶な末期を迎える。楚漢戦争にあって項羽に屈することなく、劉邦にも迎合しなかった男がいた。巨大組織に身を置く者ほど味わいが深いと思う。項羽の冷酷と劉邦の多淫を思えば、田兄弟の施政は光芒を放つ。天下を取った劉邦は項羽以上の残虐非道を為した。

日本にとって危険なヒラリー・クリントン/『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘


『日本はテロと戦えるか』アルベルト・フジモリ、菅沼光弘:2003年
『この国を支配/管理する者たち 諜報から見た闇の権力』中丸薫、菅沼光弘:2006年
『菅沼レポート・増補版 守るべき日本の国益』菅沼光弘:2009年
『この国のために今二人が絶対伝えたい本当のこと 闇の世界権力との最終バトル【北朝鮮編】』中丸薫、菅沼光弘:2010年
『日本最後のスパイからの遺言』菅沼光弘、須田慎一郎:2010年
『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘:2011年
『この国の不都合な真実 日本はなぜここまで劣化したのか?』菅沼光弘:2012年
『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘:2012年
『国家非常事態緊急会議』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄:2012年

 ・フリーメイソンの「友愛」は「同志愛」の意
 ・日本にとって危険なヒラリー・クリントン

『誰も教えないこの国の歴史の真実』菅沼光弘:2012年
『この世界でいま本当に起きていること』中丸薫、菅沼光弘:2013年
『神国日本VS.ワンワールド支配者』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄
『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘:2013年

 売国奴という言葉がありますが、国家観を持たない人間は平気で国を売ります。自分では国を売るという意識もないまま、「親米」だの「親中」だのと体(てい)のいい言葉の裏で、国を売って平然としています。私はこれまでどれほどそういう政治家を見てきたか。本当に嫌になるくらい見てきました。

【『この国はいつから米中の奴隷国家になったのか』菅沼光弘(徳間書店、2012年)以下同】

 今から30年ほど前までは「愛国心」という言葉が右翼を示すキーワードであった。この国は戦争に敗れて以来、「国を愛すること」すら許されなかった。

 本多勝一〈ほんだ・かついち〉の「菊池寛賞を改めて拒否しなおす」(『潮』1983年11月号)に感激した私は、当然のように彼が批判する山本七平からは遠ざかった(『殺す側の論理』すずさわ書店、1972年)。浅見定雄の『にせユダヤ人と日本人』(朝日文庫、1986年)にも私は手を伸ばした。時代の風は左側から吹いていた。それに断固として異を唱えたのが渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉や谷沢永一〈たにざわ・えいいち〉であった。彼らは「右翼」と目された。

 菅沼の指摘は右左の問題ではない。政治家が国益よりも私益を重んじたとの一点にある。新聞・テレビ・企業がこれに続くのは当然であろう。祖国は売り物と貶められた。

 日韓関係についてもそうです。例の従軍慰安婦の問題について、ヒラリー・クリントン国務長官が従来の「コンフォート・ウーマン(慰安婦)」という英語の呼称を「セックス・スレイブ(性奴隷)」にするしかないと言いはじめています。
 これは韓国の圧力によるもので、アメリカのニュージャージー州とニューヨーク州の2ヵ所には、旧日本軍従軍慰安婦の記念碑が建てられています。いずれも公共施設の中です。そこには「20万人の韓国の若い女性が日本帝国政府に拉致されてセックス・スレイブになった」と書かれている。せいぜい数万人とされていたのがいまや20万人になっているのです。
 日本政府はこれを撤去するように申し入れていますが、アメリカはまったく撤去しようとしません。
 この記念碑を見たアメリカ人は、これはひどい、日本は許せないとなるでしょう。それを受けてヒラリー・クリントンはセックス・スレイブと言い出した。
 李明博大統領は来年2月で任期は終りですが、韓国というのは政権の末期になると必ず反日の気運を高めることになります。まして李明博政権は身内の収賄事件などが発覚してボロボロですから、世論を反日に向けさせて自分に矛先が向かないようにしています。それにアメリカも加担しているわけです。


「米国は,アメリカ合衆国下院121号決議の成立と,ヒラリークリントンやバラクオバマの声明によって,韓国の売春婦(政府と売春婦の両方)をサポートした」(アメリカ人ジャーナリストのマイケル・ヨンさんの日本語のブログ)。

 バブル景気に酔い痴れる日本に対して「経済戦争」を仕掛けたのが夫君のビル・クリントンであった(『この国の権力中枢を握る者は誰か』菅沼光弘)。その妻女が親日家であるとは考えにくい。夫婦揃って左派的要素が強いことでも知られる。

 慰安婦問題を歴史的事実としないためにも、「いわゆる慰安婦問題」と表記することが望ましい。結果的に見ればアメリカにおける韓国のロビー活動に我が国が敗れたということだ。

 本来であれば朝日新聞の慰安婦虚報が明らかになった時点で、これをテコに全国民的な歴史検証を開始すべきであった。アメリカ議会に対するロビー活動も必要だとは思うが、まずきちんとした英語情報を書籍やウェブサイトの形で日本から発信すべきである。

渡部昇一の考える、いわゆる慰安婦問題について

 そもそもなぜ慰安婦が必要になったか? 兵士に強姦させないためである。こんな簡単な理屈もわからなくなっている。欧米やロシアの場合は徹底的な強姦を行う。ノルマンディー上陸作戦に参加した米軍兵士たちはフランス人女性を思う存分犯した(AFP 2013-05-27)。ヒトラー率いるナチス・ドイツを破ったロシア軍も手当たり次第にドイツ人女性をレイプした。老女までもが犠牲となった。

 東京裁判史観を完全に払拭することなしに戦後レジームからの脱却はあり得ない。現段階では正確な自国の歴史を述べる機会すら与えられていないのが日本の現状である。

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2015-04-28

日本における集団は共同体と化す/『日本人と「日本病」について』岸田秀、山本七平


 ・断章取義と日蓮思想
 ・日本における集団は共同体と化す

岸田 つまり日本というのは、あらゆる組織、あらゆる集団が、血縁を拡大した擬制血縁の原理で成り立っているわけですね。

【『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)以下同】

 ま、早い話が親分子分の世界だ。確かにそうだ。後進の育成を我々は「面倒を見る」と表現する。この時点でもう兄貴分だ(笑)。結局、日本の集団は「一家」のレベルに過ぎないのだろう。日本経済をバブル景気まで支えてきた終身雇用制は、まさしく「擬制血縁の原理」が機能していた。

山本 私はね、ヨーロッパが血縁幻想を持つための条件をなくしたとすれば、それは二つあると思っているんです。一つは奴隷制ですね、人間を買ってくる。もう一つは僧院制、これは独身主義です。血縁ができない。したがって、これらは真の意味の組織だけになってくるんです。
 奴隷制度はヨーロッパに唯一神が現れる前から、一種の組織だったんですね。あの時代の自由の概念はきわめてはっきりしていて、契約の対象か売買の対象かで自由民か奴隷かが決まるわけです。ひと口に奴隷といっても、いわゆる技能奴隷、学問奴隷などはムチでひっぱたいてもダメで、報酬を与えないと働かない。その結果、ずいぶん金持の奴隷もいたわけなんです。だけど、金を持っただけでは自由民になれない。奴隷は契約の対象じゃないんですから、いわば家畜が背中に貨幣でも積んでいるような形にすぎないんですね。

「民族的伝統と見られているものの大半が過去百数十年の間に『創られた伝統』に過ぎない」(『インテリジェンス人生相談 個人編』佐藤優)としても、やはりヨーロッパには異なる宗教や言語が存在したわけだから「敵」が多かったことは確かだろう。第二次世界大戦に至るまで戦争に次ぐ戦争の歴史を経てきた。それゆえ集団内にあっても徹底的に主張をぶつけ合う。日本のように小異を捨てて大同につくなどということはあり得ない。

岸田 やはりヨーロッパは家畜文化であるというところに、根本の起源があるのかもしれませんね。

山本 そうかもしれません。

岸田 日本には奴隷制はなかったわけですからね。

山本 ないです。「貞永(じょうえい)式目」を見ると人身売買はありますが、ローマのような制度としての奴隷制というものはない。これははっきりしている。

 人間を家畜化したのが奴隷である。

動物文明と植物文明という世界史の構図/『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男

 日本に奴隷制がなかった事実が、ヨーロッパと日本の帝国主義の違いにつながる。イギリスやフランスは植民地を奴隷として扱った。日本は一度もそんな真似をしたことがない。朝鮮も併合したのであって植民地ではなかった。イングランドとスコットランドのようなものだ。

 ヨーロッパ人がアフリカ人やインディアンに為した仕打ちを見るがいい。キリスト教による宗教的正義がヨーロッパ人の残虐非道を可能とした。アメリカでは黒人奴隷が動産として扱われた(『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン)。

岸田 では、日本の集団はどういう原理で動いているでしょうかね。

山本 ただ一つ、言えるだろうと思う仮説をたてるとしますと、日本では何かの集団が機能すれば、それは「共同体」になってしまう。それを擬制の血縁集団のようにして統制するということじゃないでしょうか。ただ、機能しなくちゃいけないんです、絶対に。血縁集団というものは元来、機能しなくていいんですね。機能しなくても血縁は血縁。しかし、機能集団は別にある。しかし、日本の場合、それは即共同体に転化しちゃう。

 これは日本がもともと母系社会であったことと関係しているように思う。父は裁き、母は守るというのが親の機能であるが、日本のリーダーに求められるのは母親的な役回りである。親分・兄貴分も同様で父としての厳しさよりも、母親的な包容力が重視される。考えてみれば村というコミュニティや談合という文化も極めて女性的だ。

 ま、天照大神(あまてらすおおみかみ)は女神だし、卑弥呼(?-248年頃)という女性権力者がいたことを踏まえると、キリスト教ほどの男尊女卑感覚はなかったことだろう。

 今この本を読むと、意外なことに「日本はそれでいいんじゃないか」という思いが強い。自立した人格の欠如とか散々自分たちのことをボロクソに言ってきたが、寄り合い、もたれ合いながらも、奴隷制がなかった歴史的事実を誇るべきだろう。俺たちは『「甘え」の構造』(土居健郎)でゆこうぜ(笑)。今更、砂漠の宗教にカブれる必要はない。自然に恵まれた環境なんだから価値観が異なるのは当たり前だ。それゆえ私は今こそ日本のあらゆる集団が「確固たる共同体」を構築すべきだと提案したい。

日本人と「日本病」について (文春学藝ライブラリー)
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会津藩の運命が日本の行く末を決めた/『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯』村上兵衛
シナの文化は滅んだ/『香乱記』宮城谷昌光

2015-04-27

宮城谷昌光


 3冊読了。

 37~39冊目『香乱記(一)』『香乱記(ニ)』『香乱記(三)』宮城谷昌光(新潮文庫、2006年/毎日新聞社、2004年)/秦の始皇帝の晩年から楚漢戦争までを描いた作品。毎日新聞連載。主役は田横〈でんおう〉という人物である。『遠野物語』のまえがきで柳田國男が名を上げた「陳勝呉広(ちんしょうごこう)」も登場する。そして項羽と劉邦も。少々取っ掛かりにくかったのだが、人相見が出てきた途端、物語が色めき立つ。その後はいつものように一気読みだ。寝る間も惜しみ丸一日で3冊を読んだ。趙高の奸計がやがて秦を亡ぼし、楚漢戦争にまで至る。悪人が時代を揺さぶり、歴史の舞台には次代を担う新しい人々が登場する。

2015-04-26

菅沼光弘、出口汪、福村国春、他


 9冊挫折、5冊読了。

心の病の「流行」と精神科治療薬の真実』ロバート・ウィタカー:小野善郎監訳、門脇陽子、森田由美訳(福村出版、2012年)/良書。専門性が高すぎて挫折。難しいからではなく時間を惜しんだため。統合失調症に関する一級資料と思う。

抗うつ薬の功罪 SSRI論争と訴訟』デイヴィッド・ヒーリー:田島治監修、谷垣暁美訳(みすず書房、2005年)/読み物としてはこちらの方が面白い。こちらも同様で時間がないため放り投げた。目安としては『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』を読んで、更に前へ進みたい人はこの2冊に取り組むのがよい。

ヒトの見方』養老孟司(ちくま文庫、1991年/筑摩書房、1985年『ヒトの見方 形態学の目から』改題)/飛ばし読み。余計な一言が多く、せっかくの主張が台無しになっている。冷笑が養老の悪癖だ。それでも尚、養老の著書を開くのは、私がテーマにしている「見る」ことと鋭い時間論が展開されているためだ。

新薬ひとつに1000億円!? アメリカ医薬品研究開発の裏側』メリル・グーズナー:東京薬科大学医薬情報研究会訳(朝日選書、2009年)/フォントが小さい告発本にはロクなものがないと思ってよい。数ページで挫ける。

オーウェル評論集』ジョージ・オーウェル:小野寺健編訳(岩波文庫、1982年)/二度目の挫折。ディケンズの文学評論が長すぎる。

未知の次元』カルロス・カスタネダ:名谷一郎〈なたに・いちろう〉訳(講談社、1979年)/後回し。

世界史の極意』佐藤優(NHK出版新書、2015年)/後回し。

プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』マックス・ウェーバー:中山元〈なかやま・げん〉訳(日経BP社、2010年)/待望の新訳。読みやすい。が、一筋縄ではゆかず。これも後回し。

すべては1979年から始まった 21世紀を方向づけた反逆者たち』クリスチャン・カリル:北川知子訳(草思社、2015年)/文章がいい。翻訳も優れている。ただ人選を誤っているような気がする。世界的に新自由主義が否定されつつある時にサッチャーを取り上げるとはね。

 32冊目『世界経済の支配構造が崩壊する 反グローバリズムで日本復活!』菅沼光弘、藤井厳喜〈ふじい・げんき〉(ビジネス社、2015年)/菅沼の新刊である。藤井厳喜が菅沼を師匠と呼んでいる。菅沼本は語り下ろしが多いが、これはしっかりした文章である。藤井の執筆部分も非常によい。

 33冊目『ブラック・プリンス』デイヴィッド・マレル:山本光伸訳(光文社、1985年/光文社文庫、1989年)/これは4度目くらいだと思った。やはり山本訳はいいね。マレルの作品では『ランボー』よりもこちらがオススメ。『モンテ・クリスト伯』や『スカラムーシュ』に連なる系譜の復讐譚である。文章も素晴らしい。

 34冊目『歴史の見方がわかる世界史入門』福村国春(ベレ出版、2014年)/一気読み。これはオススメ。世界史全体の流れがよくつかめる。気になる箇所がいくつかあったが、ま、細かいことは言うまい。2~3回続けて読めば、西洋史の時間軸を構築できそうだ。

 35冊目『出口式ロジカル・リーディング 読書で論理思考を手に入れよう』出口汪〈でぐち・ひろし〉(インデックスコミュニケーションズ、2009年)/小論文のカリスマ講師らしい。変わった名前でピンと来た人もいるかもしれないが、何と出口王仁三郎の曾孫。粗製乱造気味と見えて、一冊の本としては締まりに欠ける。

 36冊目『神国日本八つ裂きの超シナリオ』菅沼光弘、ベンジャミン・フルフォード、飛鳥昭雄(ヒカルランド、2013年)/おしゃべり本。大した内容ではないが菅沼ファンは読んでしまう。3人でトークショーも行っていたとはね。

2015-04-25

アブラハムの宗教入門/『まんが パレスチナ問題』山井教雄


神様:
ユダヤ教のヤハベ(エホバ)、キリスト教の神、イスラム教のアラー、みな同一の神様で、何を隠そう、私のことなんじゃ。でも、その頃は小さな部族集団だったユダヤ人の部族神でしかなかったんじゃ。「部族」というのは「民族」より小さい単位で、血がつながっていることを信じている人の集団じゃよ。

その頃は、各部族はそれぞれの部族神を持っていて、その部族神は土地や子孫の繁栄など、現世利益(りやく)を部族に約束するんじゃ。当然、土地をめぐって部族間で争いが起こり、負けた部族やその部族神は亡びるか、勝った部族に統合された。

キリスト教やイスラム教のような世界宗教の神としては、人類全体のことを考えなければいけないんだが、当時のユダヤ教の神としては、自分が選んだ民、ユダヤ人のことだけを考えていればよかったのじゃ。

【『まんが パレスチナ問題』山井教雄〈やまのい・のりお〉(講談社現代新書、2005年)以下同】

 アブラハムの宗教入門としてオススメである。「まんが」と題しているが、実際は「大きなイラスト」で、文章の殆どが科白(せりふ)として書かれている。

 もともと部族宗教であったユダヤ教から、キリスト教・イスラム教という世界宗教が生まれた。宗教人口はキリスト教が22.54億人(33.4%)でイスラム教が15億人(22.2%)、ユダヤ教が1509万人(0.2%)となっている(百科事典『ブリタニカ』年鑑2009年版)。米調査機関ピュー・リサーチ・センターによれば、2070年にはイスラム教徒とキリスト教徒がほぼ同数になり、2100年になるとイスラム教徒が最大勢力になると予測している(日本経済新聞 2015-04-06)。


 こうして一覧表にしてもらうと実にわかりやすい。日本人からすれば殆ど差はないように見えるが、それぞれの宗教が無数に分派している現実を思えば、教義に対する解釈論争の厳しさが浮かんでくる。

 アブラハムの宗教は啓典宗教である(『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹)。神よりも言葉が重い。そしてその言葉の解釈を巡って争いが起こる。世界とは聖書世界を意味しており、神の存在証明を目指して西洋では学問が発展してきた。

 テキストを重んじることで宗教の機能は命令と禁止に転落した。複雑を極めたユダヤ律法に異を唱えたのがイエスであった。そしてイエスの弟子たちは同じ過ちを繰り返している。

まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)

2015-04-24

イラク日本人人質事件の「自己責任」論/『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行


『彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行
『ほんとに、彼らが日本を滅ぼす』佐々淳行

 ・瀬島龍三はソ連のスパイ
 ・イラク日本人人質事件の「自己責任」論

『私を通りすぎた政治家たち』佐々淳行
『私を通りすぎたマドンナたち』佐々淳行
『私を通りすぎたスパイたち』佐々淳行
『重要事件で振り返る戦後日本史 日本を揺るがしたあの事件の真相』佐々淳行

 私が意見具申したのは、この事件は周囲の人が止めるのも振り切ってバクダッド陥落1周年というもっとも危険なときに、無謀にも現地入りをした本人たちの「自己責任」の問題であるということを前提に、
(1)善意のNGOを人質にするのは許しがたいとの日本政府の怒りの表明
(2)すぐ解放せよという要求
(3)自衛隊はイラク復興のためにサマワに派遣されたのであって、1発も撃っていない。老幼婦女子を殺しているという犯行グループによる非難は、まったく当たらないという、強い否定。
(4)したがって、撤退はしない
(5)だが日本政府は、人名尊重の見地からアメリカ特殊部隊の力を借りてでも人質は必ず救出する

 という5点だった。
 この意見具申の電話は、家内が後ろで聞いていた。また、私はすぐさま佐々事務所の石井事務局長にも内容を伝え、「官房長官はハト派だから、たぶんこのノー・バットの強硬な意見はボツだろうね」と話し合っていたところ、驚いたことに、この意見具申の12分後、福田官房長官が緊急記者会見を行い、順番まで私の言った通りに政府声明をテレビで発表したのである。

【『インテリジェンスのない国家は亡びる 国家中央情報局を設置せよ!』佐々淳行〈さっさ・あつゆき〉(海竜社、2013年)以下同】


(1分30秒から福田官房長官)

 佐々が伝えた相手は自民党国対委員長をしていた中川秀直だった。国家の危機管理という視点から見事なアドバイスが為されていると思う。だが佐々が提案した「自己責任」論は直ぐさま暴走を始め、人質となった3人に対して昂然とバッシングが行われた。まざまざと記憶が甦る。私も自己責任との言葉に乗せられた一人だ。テレビカメラ越しに見た彼らの印象がよくなかった。人質の一人(共産主義者であると自ら表明)が日本の空港で出迎えた両親と口論する様子まで報じられた(下の動画2分53秒から)。


 イラク日本人人質事件(2004年)はまず4月に高遠菜穂子〈たかとお・なほこ〉ら3人が解放され、同月さらに2人が解放された。しかし10月に1人が殺害された。インターネット上には斬首動画が出回った。遺族は「息子は自己責任でイラクに入国しました。危険は覚悟の上での行動です」との声明を発表した。

 後に高遠菜穂子がこう語っている。

 ちょうど新潟県中越地震が起きたばかりのときだったんですけど、「新潟の被災者とか、日本にも困ってる人はいっぱいいるのに、それを放っておいて外国で何をやってる」ということだったみたいです。でも、最初は意味がわからなくて。「うーん、でも私の身体は一個しかないし、今はイラクのことで忙しいので、じゃあすいませんけどあなたが新潟に行ってもらえますか」とか、真面目だけどかなりとんちんかんな返事をしてました(笑)。
 事件前から同じようなことは言われてたんだけど、私は「日本の中も外も同じ」みたいに思っていたから。事件後にものすごい剣幕でそう言われたときは、本当に意味がわからなかったです。

高遠菜穂子さんに聞いた その2

 当初から「これがアメリカであれば彼らは英雄として迎えられたことだろう」と言われた。日本のマスコミは彼らを袋叩きにした。「解放された人質3人の帰国を待っていたのは温かな抱擁ではなく、国家や市民からの冷たい視線だった」(ニューヨーク・タイムズ)。

 日本の共同体を維持してきた村意識にはリスクを嫌う性質がある。「出過ぎた真似をするな」というわけだ。善悪の問題ではなくして、こういうやり方で日本の秩序は保たれてきたのだろう。また「遠くの親戚より近くの他人」という俚諺(りげん)が人質となった彼らには不利に働く。日本人に深く根づく「内と外」意識は単純な理屈で引っくり返せるような代物ではない。

 もちろん自己責任は自業自得と同義ではない。自国民の救出・保護に全力を尽くすのは国家の責務である。日本政府としては、何としても人質を救出するぞという確固たる決意があった。

 国家の危機管理を行う立場からすれば、佐々が示した対応はほぼ完璧に近い。ただし自己責任論が予想以上の広がりを見せたことに苦い思いがあったのだろう。

 今年の1月、イスラム国で二人の日本人が殺害された。そして、またぞろ自己責任論がまかり通った。日本の民族的遺伝子には元々モンロー主義的要素があるような気がする。「君子危うきに近寄らず」「触らぬ神に祟りなし」と。

 佐々淳行や菅沼光弘の目の黒いうちに中央情報機関の設置を強く望む。特に最近、中国や韓国による歴史捏造は目に余るものがあり、日本にとって最大の危機といっても過言ではない。正確な情報できちんと反撃しておく必要がある。


2015-04-23

止観/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ


 ・努力と理想の否定
 ・自由は個人から始まらなければならない
 ・止観

 そこで問題は、私たちの思考がそこいら中をうろついており、そして当然ながら秩序をもたらすことを望んでいるということです。が、どのようにして秩序をもたらしたらいいのでしょう? さて、高速で回転している機械を理解するためには、それを減速させなければなりません。もし発電機を理解したければ、それを減速させてから調べなければなりません。もしそれを停止させてしまえば、それは死物であり、そして死物はけっして理解できません。そのように、思考を排除、孤立によって殺してしまった精神はけっして理解を持つことはできないのですが、しかしもし思考過程を減速させれば、精神は思考を理解できるのです。もし皆さんがスローモーション映画を見れば、皆さんは馬が跳躍するときの筋肉の見事な動きを理解できるでしょう。筋肉のそのゆるやかな動きには美がありますが、しかし馬が急に跳躍すれば、運動がすぐに終わってしまうので、その美は失われるのです。同様にして、精神が、各々の思考が起こるつどそれを理解したいので、ゆっくり動くときには、思考過程からの自由、制御され、訓練された思考からの自由があるのです。思考は記憶の応答であり、それゆえ思考はけっして創造的ではありえません。新たなものに新たなものとして、新鮮なものに新鮮なものとして出会うことのうちにのみ、創造的な存在があるのです。

【『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)】

止観」(しかん)の意味がわかったような気がする。想念や思考を止めるのではなく、自分が止まって注意力を全開にしながら、ゆっくりと動き出す想念や思考を見つめればよいのだろう。


 鍵は「スローモーション」という言葉に隠されている。つまり、「全てに気づいた状態」は脳が超並列でフル回転した状態を意味する。馬の筋肉を馬自身は理解していない。理解するためには減速する必要があるのだ。たぶんスポーツ選手よりも、バレリーナや舞踊家の方が身体機能を理解していることだろう。

 現在の行為をひたすら実況中継するヴィパッサナー瞑想の原理もきっと一緒だろう。ただしクリシュナムルティは特定の方法を否定する。「ただありのままに見よ」としか教えていない。

 日本仏教(鎌倉仏教)は後期仏教(大衆部≒いわゆる大乗)のロジックにまみれているため、生の全体性を論理の中へ組み込んでしまうところに致命的な問題がある。初期仏教やクリシュナムルティの言葉は平易でありながらも深遠な哲理をはらんでいる。宗教という宗教が用語の中に埋没している事実をありのままに見つめる必要があろう。


八正道と止観/『パーリ仏典にブッダの禅定を学ぶ 『大念処経』を読む』片山一良

2015-04-20

ニューヨークを「人種の坩堝」と表現したイズレイル・ザングウィル/『プラグマティズムの思想』魚津郁夫


 こうした考えをドラマにしたのが、イギリス系ユダヤ人作家I・ザングウイル(Israel Zangwill, 1864-1926)の「ルツボ(The Melting Pot)」(1908年)である。
 物語のクライマックスで登場人物のデビッドとヴェラがアパートの屋上からニューヨークの街を見おろしながらいう。

「デビッド:ここに偉大なルツボが横たわっている。きいてごらん。君には、どよめき、ぶつぶつとたぎるルツボの音がきこえないかい。……あそこには港があり、無数の人間たちが世界のすみずみからやってきて、みんなルツボに投げこまれるのだ。ああ、なんと活発に煮えたぎっていることか。ケルト系もラテン系も、スラヴ系もチュートン系も、ギリシア系も、シリア系も。――黒人も黄色人も――。
ヴェラ:ユダヤ教徒もキリスト教徒も――。
デビッド:そうだよ。東も西も、北も南も、……偉大な錬金術師が聖なる炎でこれらを溶かし、融合させている。ここで彼らは一体となり、人間の共和国と神の王国を形成するのだ。……」

【『プラグマティズムの思想』魚津郁夫〈うおづ・いくお〉(ちくま学芸文庫、2006年/財団法人放送大学教育振興会、2001年『現代アメリカ思想』加筆、改題)】

 イズレイル・ザングウィルとの表記はWikipediaに倣(なら)った。イスラエルが人名になるとイズレイルと発音するのだろうか? 不明である。

 ケルト系はアイルランド・スコットランド系で、ラストネームに「マック」(Mac、Mc)の付く人が多い。McDonald(マクドナルド)やMcGREGOR(マクレガー)など。ラテン系は中南米(ヒスパニック、ラティーノとも称する)。スラヴ系はロシア、ウクライナ、チェコ、クロアチア、ブルガリアなど。チュートン系はゲルマン民族の一部。


 最近では「溶け合う」意味を嫌って「人種のサラダボウル」ともいう。私としては「坩堝」(るつぼ)に軍配を上げたい。ピルグリム・ファーザーズが求めた(信仰の)「自由」と、アメリカという国家を共同体たらしめる「正義」には、やはり坩堝の熱が相応(ふさわ)しいと思うからだ。

 生き生きとした言葉から時代の熱気が伝わってくる。アメリカは夢が実現できる国でもあった。多様な人々が共存するところにアメリカの強味がある。

 そのアメリカが新自由主義によって滅びつつある。物づくりをやめ、国民皆保険制度を失い、大統領は石油メジャーやウォール街に操られるようになってしまった。ソ連はアフガニスタン侵攻(1979-89)が原因で滅んだ。アメリカもまたアフガニスタン(2001-)を攻めて滅ぶ可能性があると思う。アフガニスタンは3000年以上も戦争や紛争に耐えてきた国だ。そう簡単には敗れない。

プラグマティズムの思想 (ちくま学芸文庫)

2015-04-16

女子高生の清冽な言葉/『適切な世界の適切ならざる私』文月悠光


(にらみつけた先は、けして暮れることのない夕空。“夜闇が口を開く間際”、そんな張り詰めた一瞬を焼きつけたまま、時間を止めているこの“世界”。
今こそ疾駆せよ!
夕日を踏みつけ、
夜をむかえに走ろう。
オレンジ色に染まりながら、爪を立てて生きてみたい。〈後略〉

【『適切な世界の適切ならざる私』文月悠光〈ふづき・ゆみ〉(思潮社、2009年)】

 行頭もママ。文月は17歳で現代詩手帖賞を、本書で18歳の時に中原中也賞を受賞した。いずれも最年少記録である。女子高生の小気味いい言葉が水鉄砲のように私を撃つ。そして意外な温度の低さに冷やりとさせられる。

 ただし中年オヤジからすれば、やはり「けして」などという言葉づかいに眉をひそめてしまうし、ペンネームも仰々しさが目立つ。

生きる意味は
どこに落ちているんだろう。
きれいに死ねる自信を
誰が持っているんだろう。
自分は風にのって流れていく木の葉か、
でなければ、あんたが今
くつの裏でかわいがった吸い殻ではないのか。
存在なんてものにこだわっていたら、
落ちていくよ。
『どこへ?』
橋の下さ。

 社会に染まってしまえば言葉は死ぬ。反骨精神を欠いた若者は生ける屍(しかばね)も同然だ。文月は札幌出身である。同郷の誼(よしみ)で応援せざるを得ない(笑)。

 尚、本書についてはブログ「詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)」に秀逸なレビューがあるのでそちらを参照せよ。

文月悠光『適切な世界の適切ならざる私』

適切な世界の適切ならざる私

極太の文体/『内なる辺境』安部公房


 べつに、すべての軍服が、ファシズムに結びつくなどと思っているわけではない。
 しかし、あらゆる軍服の歴史を通じて、やはりナチス・ドイツの制服くらい、軍服というものの神髄にせまった傑作も珍しいようだ。あの不気味に硬質なシルエット。韻を踏んでいるような、死と威嚇の詩句のリフレイン。実戦用の機能を、いささかも損なうことなく、しかも完全に美学的要求を満足させている。

【『内なる辺境』安部公房〈あべ・こうぼう〉(中央公論社、1971年/中公文庫、1975年)以下同】

 実は安部公房の小説を読み終えたことがない。丸山健二が評価していることを知ってから何冊か開いたがダメだった。本書もエッセイだからといって全部に目を通すつもりはなかった。ただ、熊田一雄〈くまた・かずお〉氏のブログで見つけた文章を探すためだけに読んだ。私は胸倉をつかまえられた。そのままの状態で結局読み終えてしまった。

 極太の文体である。太い油性ペンで書かれた角張った文字のような印象を受けた。目的の言葉は冒頭の「ミリタリィ・ルック」(1971年)にあった。


 と言うことは、同時に、ナチスの制服が、いかに完璧に彼等の素顔を消し去り、日常を拭い去っていたかの、証拠にもなるだろう。敗北が彼等から奪ったのは、単なる闘志や戦意だけではなかったのだ。彼等が奪われたのは、まさに制服の意味であり、制服の思想であり、制服を制服たらしめていた、国家そのものだったのである。
 この2枚の写真は、ある軍服の死についての、貴重な記録というべきだろう。それはまた、一つの国家の死の記録でもある。動物の死の兆候が、まず心臓にあらわれるように、国家の死の兆候は、こんなふうにして軍服の上にあらわれるのかもしれない。

 2枚の写真から制服のシンボル性を著者は探る。1枚はドイツ兵が戦闘に向かう場面で、もう1枚は白旗を掲げる写真であった。

 制服は秩序を象徴する。我々は無意識のうちに行動や思考を制服に【合わせる】。というよりはむしろ、TPOに応じた服装そのものによって自分の型(スタイル)を表現していると考えられる。軍服が示すのは他人を殺す意志と、他人に殺される覚悟であろう。意識が尖鋭化するという点では勝負服やコスチュームプレイも軍服に近いと思われる。それを着用する時、人は衣服に同化する。

 ともかく、どうやら、悲痛な異端の時代はすでに過ぎ去ったらしい。本物の異端は、たぶん、道化の衣裳でやってくる。

 学生運動が翳(かげ)りを帯びた頃、ミリタリィ・ルックが流行った。そして2~3年前から迷彩柄が流行している。ファッションとしてのアーミーは異端ではなく迎合である。「道化の衣裳」と聞いて私の貧しい想像力で思い浮かぶのは、花森安治のオカッパ頭とスカート、楳図かずおの紅白ボーダーライン、志茂田景樹のタイツなど。

「道化」という言葉に託されたのは具体性よりも、時代を嘲笑する精神性なのだろう。

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新しい動きは古い衣裳をつけてあらわれる/『昭和の精神史』竹山道雄

2015-04-14

優れたセルフコーチング術/『悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術』ブレット・N・スティーンバーガー


 自分の理想を表現できる役者などほとんどいない。われわれには長所もあるし才能もある。夢も野心もある。しかし、長い間見ていても、そうした理想が具体的に表現されている例は少ない。数日が数カ月になり、数年になり、ようやく(残念ながら決定的になった時点で)人生を振り返り、今まで何をやってきたのかと頭をひねるのが普通である。
 皆さんもそうだろう。「どうして闘う人間になれなかったんだろう。もしかしたら違う人生を生きていたかもしれないし、自分の理想を表現する役者になって、その実現を謳歌していたかもしれないのに」と、中高年者は過去を振り返る。

【『悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術 自分で不安や迷いを解決するための101のレッスン』ブレット・N・スティーンバーガー:塩野未佳〈しおの・みか〉訳(パンローリング、2010年)以下同】

 巧妙な詐欺師を思わせる文章だ。アメリカ人はプレゼンテーション能力が優れている。しかもブレット・スティーンバーガーは医科大学で精神医学と行動科学を教える准教授で臨床心理学博士という人物。ま、他人を操るのが仕事といってよい。タイトルに「メンタルコーチ術」とあるが正確にはセルフコーチング術である。動機の分析・修正・方向付けによって行動を変えるところに目的がある。

 良書だが乗せられてはいけない。著者は実社会で実現し得なかった自己実現が、あたかもマーケットでは可能であると読者に思わせたいのだろう。甘い、まったく甘いよ。マーケットの勝者は15%とされる。殆どの人々が苦渋を味わい、辛酸を嘗(な)め、敗れ去るといった点で実社会と何ら変わらない。ただしマーケットでは自由と平等が保証されている。買うのも売るのも自由だし、するしないも自由だ。

 自由競争が資本主義の原理である。だが実態は異なる。倒れかかったメガバンクや大企業には税金が投入され、会社内では同族が優遇され、学歴・資格・試験によって走るコースが変わる。スポーツの世界ですら自由競争が行われているかどうか怪しい。才能や技術よりも、カネやチームの都合が優先する。芸術の世界は多分スポーツよりも劣る。パトロンやコネ、賞などに支配されていることだろう。

 それでも義務教育を振り返ればわかるが、やはりスポーツ・芸術・学問は自由な競争が行われていると考えてよい。もちろん生まれ持った才能や素質はあるものの、周囲の評価は共通している。そして努力が報われる世界でもある。

 社会全般における競争はカネに換算される。資本主義はカネ(≒資本)の奪い合いをする世界の異名だ。学校法人や宗教法人までもが広告を打つのはそのためだ。あらゆる言葉がマーケティングを志向し、結果的にプロパガンダと化す。大衆消費社会は広告という嘘によって扇動される。

 そして自己を実現するのもまたカネである――と思い込まされるのが資本主義の罠だ。っていうか、「実現されるべき自己がある」と思っている時点で既にやられている。そんなものはない。今の自分が全てだ。他人と比較して自分に欠けたものを見出すことに意味はない。できないことは、できる人にやってもらえばいいのだ。

 日本人の大半は投資をしていない。でも、実は本人に代わって銀行や保険会社が運用している。自分で運転できないから、タクシーやバスを利用しているようなものだ。

 投資やマーケティングに関する書籍は生々しい言葉で競争の本質を描くところに魅力がある。

 頭脳には手とまったく同じパワーがある。世界を支配するだけでなく、それを変革するパワーが。
     ――コリン・ウィルソン

 こんな言葉が出てくるのだから、やはり侮れない。

悩めるトレーダーのためのメンタルコーチ術 (ウィザードブックシリーズ)
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2015-04-11

「ブッポウソウ」(仏法僧)と鳴くのはコノハズク


 長年にわたる疑問がやっと晴れた。






日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

甦れ、ブッポウソウ (ネイチャー・ストーリーズ)仏法僧の不思議 (ルネッサンスbooks)

2015-04-10

Adrien M / Claire B



2015-04-09

草間彌生











唯識における意識/『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ

2015-04-08

自己犠牲/『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー


『エリック・ホッファー自伝 構想された真実』エリック・ホッファー

 ・沖仲仕の膂力と冷徹な眼差し
 ・自己犠牲

 最も利己的な情熱にさえ、自己犠牲の要素が多分に含まれている。驚くべきことに、極端な利己主義でさえ、実際には一種の自己放棄にほかならない。守銭奴、健康中毒者、栄光亡者たちは、自分を犠牲にする無私の修練において人後に落ちるものではない。
 あらゆる極端な態度は、自己からの逃避なのである。

【『魂の錬金術 エリック・ホッファー全アフォリズム集』エリック・ホッファー:中本義彦訳(作品社、2003年)以下同】

 間もなく読み終える『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ:阿部宏美訳(紀伊國屋書店、2013年)につながる内容を見つけた。恐るべき偶然である。私のようなタイプは記憶が当てにならないので、やはり本を開くに限る(正確には画像ファイルをめくったわけだが)。

 エリック・ホッファーの抽象度の高さは「学歴がない」位置から生まれたように見える。つまり知識や学説に依存するのではなくして、ひとりの人間として学問に向き合う真摯な姿勢が独自性にまで高められているのだ。本書を開けば立ちどころに理解できる。ここにあるのは「誰かの言葉」ではなく「彼自身の言葉」なのだ。

 過剰な筋肉をまとったボディビルダーや完璧なコスチュームプレイも「極端な態度」である。自己表現というよりは、むしろ表現によって自己を規定する顛倒(てんとう)が窺える。一種のフェティシズム(手段と目的の倒錯)なのだろう。その自己放棄は暴走族と似ている。放棄が「損なう」ベクトルを描く。

 放蕩は、形を変えた一種の自己犠牲である。活力の無謀な浪費は、好ましからざる自己を「清算」しようとする盲目的な努力にほかならない。しかも当然予想されるように、放蕩が別の形の自己犠牲へと向かうことは、決して珍しいことではない。情熱的な罪の積み重ねが、聖者への道を準備することも稀ではない。聖者のもつ洞察は、多くの場合、罪人としての彼の経験に負っている。

 頭の中でライトが灯(とも)った。マルチ商法のセールスや新興宗教の布教はまさしく「放蕩」という言葉が相応(ふさわ)しい。そこには下水のようなエネルギーが溢(あふ)れている。彼らはただ単に洗脳されて動いているわけではなく、自らを罰する(「清算」)ためにより活動的にならざるを得ないのだ。Q&A集に基づくセールストークは「他人の言葉」だ。

「活力の無謀な浪費」で想起するのは、アルコール・ギャンブル・ドラッグなどの依存症だ。共産主義の流行や学生運動の広がりも実際は「放蕩」であったことだろう。

 ある情熱から別の情熱への転位は、それがたとえまったく逆方向であると、人びとが考えるほど困難なものではない。あらゆる情熱的な精神は、基本的に類似した構造をもっている。罪人から聖者への変身は、好色家から禁欲主義者への変身に劣らず容易である。

 信者は教団を変えても尚、信者である。依存対象を変えた依存症患者と同じだ。往々にして情熱は盲目を意味する。走っている人に足下(あしもと)は見えない。自己犠牲という欺瞞は何らかの取り引きなのだ。それゆえブッダは苦行を捨てたのだろう。

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2015-04-07

イーサン・ウォッターズ、町山智浩


 2冊読了。

 30冊目『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』町山智浩(文藝春秋、2008年/文春文庫、2012年)/待望の文庫化。映画評論家として知られる町山はもともと編集者であった。やや砕けた調子なのは若者を想定したためか。日本人が抱く「アメリカ」という幻想を木っ端微塵にしてくれる。またかの国が福音派を中心とするキリスト教原理主義である実態を見事に伝える。「キリスト教を知るための書籍」に追加。因みに宮崎哲弥の最初の編集者が町山であった。年齢も同じ。

 31冊目『クレイジー・ライク・アメリカ 心の病はいかに輸出されたか』イーサン・ウォッターズ:阿部宏美訳(紀伊國屋書店、2013年)/期せずしてアメリカ本が2冊並んだ。どちらも収穫が大きかった。4章で構成されているが、第4章が「メガマーケット化する日本のうつ病」となっている。拒食症やうつ病など、病名が広く知られることによって病人が増大する傾向がある。しかもその背景には医師が無意識のうちに患者製造に加担している可能性がある。そして一方には流行の病に冒されることで自己主張をする人々が存在する。これは十分あり得ることである。私流に言えば「脳内情報の上書き更新」である。ひとたび精神疾患という物語が構成されれば、脳や身体(しんたい)は物語に沿って動き出す。文章の行方が時々危うくなるのは英語本文のせいか。もっと思い切った意訳を試みてもよかったのではないか。傑作『精神疾患は脳の病気か? 向精神薬の化学と虚構』エリオット・S・ヴァレンスタインとは角度が異なり、社会科学的色彩が強い。そして本書もまた製薬会社の薄汚い手口を暴いている。こちらは近々書評を書く予定だ。

2015-04-04

ラ・ロシュフコーの素描/『月曜閑談』サント=ブーヴ


 ・ラ・ロシュフコーの素描
 ・恐るべき未来予測

 自尊心という家の2階に住んでいる者たちは、階下に住んでいる者たちとは何の関係もないと主張する。したがって彼らは、2階に昇る秘密の階段があることを人に知らせたという点で、ラ・ロシュフコーを許さないのだ。

【『月曜閑談』サント=ブーヴ:土居寛之〈どい・ひろゆき〉訳(冨山房百科文庫、1978年)】

 シャルル=オーギュスタン・サント=ブーヴ(1804年12月23日-1869年10月13日)は近代批評の父と呼ばれる作家である。ユゴーやバルザックと同世代。さしずめフランス文学界の三銃士といったところだ。

 まあ見事なアフォリズムである。わずか3行(本文)でラ・ロシュフコーの素描(スケッチ)を描いている。『ラ・ロシュフコー箴言集』(二宮フサ訳、岩波文庫、1989年)は『書斎のポ・ト・フ 』(潮出版社、1981年/潮文庫、1984年/ちくま文庫、2012年)で開高健、谷沢永一、向井敏の3人が絶賛しており、直ぐに読んだのだが二十歳前後ということもあってあまりピンと来なかった。ちょっと調べてみたところ、吉川浩の新訳(角川文庫、1999年)の方がよさそうだ。

 日本の文芸批評を確立した第一人者は小林秀雄で、小林ももちろんサント=ブーヴの影響を受けている。『我が毒』は小林の翻訳。

 フランスは文化の宗主国を自認しているが、ま、連中が図に乗るのも仕方がない。だってこんな名文があるのだから。

 尚、出版社は「ふざんぼう」(冨山房)と読む。硬派の良書を数多く発行している会社だ。『緑雨警語』斎藤緑雨、中野三敏編や『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編など。

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運と気まぐれに支配される人たち―ラ・ロシュフコー箴言集 (角川文庫)
ラ・ロシュフコー
角川書店
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小林秀雄全作品〈12〉我が毒
小林 秀雄
新潮社
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2015-04-03

情報という概念/『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ


『異端の数ゼロ 数学・物理学が恐れるもっとも危険な概念』チャールズ・サイフェ
『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー

 ・情報という概念

『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ
情報とアルゴリズム

 熱力学の法則――物質のかたまりに含まれる原子の運動を支配する法則――は、すべての根底にある、情報についての法則だ。相対性理論は、極度に大きな速さで動いている物体や重力の強い影響を受けている物体がどのように振舞うかを述べるものだが、実は情報の理論である。量子論は、ごく小さなものの領域を支配する理論だが、情報の理論でもある。情報という概念は、単なるハードディスクの内容よりはるかに広く、今述べた理論をすべて、信じられないほど強力な一つの概念にまとめあげる。
 情報理論がこれほど強力なのは、情報が物理的なものだからだ。情報はただの抽象的な概念ではなく、ただの事実や数字、日付や名前ではない。物質とエネルギーに備わる、数量化でき測定できる具体的な性質なのだ。鉛のかたまりの重さや核弾頭に貯蔵されたエネルギーにおとらず実在するのであり、質量やエネルギーと同じく、情報は一組の物理法則によって、どう振舞いうるか――どう操作、移転、複製、消去、破壊できるか――を規定されている。宇宙にある何もかもが情報の法則にしたがわなければならない。宇宙にある何もかもが、それに含まれる情報によって形づくられるからだ。
 この情報という概念は、長い歴史をもつ暗号作戦と暗号解読の技術から生まれた。国家機密を隠すために用いられた暗号は、情報を人目に触れぬまま、ある場所から別の場所へと運ぶ方法だった。暗号解読の技術が熱力学――熱機関の振舞い、熱の交換、仕事の生成を記述する学問――と結びついた結果生まれたのが情報理論だ。情報についてのこの新しい理論は、量子論と相対性理論におとらず革命的な考えである。一瞬にして通信の分野を変容させ、コンピューター時代への道を敷いたのが情報理論なのだが、これはほんの始まりにすぎなかった。10年のうちに物理学者と生物学者は、情報理論のさまざまな考えがコンピューターのビットおよぎバイトや暗号や通信のほかにも多くのものを支配することを理解しはじめた。こうした考えは、原子より小さい世界の振舞い、地球上の生命すべて、さらには宇宙全体を記述するのだ。

【『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2007年)】

 驚愕の指摘である。熱力学の法則と相対性理論と量子論を「情報」の一言で結びつけている。「振る舞い」とのキーワードが腑に落ちれば、エントロピーで読み解く手法に得心がゆく。『異端の数ゼロ』で見せた鮮やかな筆致は衰えていない。

 ロルフ・ランダウアーが「情報は物理的」と喝破し、ジョン・ホイーラーが「すべてはビットから生まれる」と断言した。マクスウェルの悪魔に止めを刺したのはランダウアーの原理であった。

 よくよく考えるとマクスウェルの悪魔自身が素早い分子と遅い分子という情報に基いていることがわかる。思考実験恐るべし。本物の問いはその中に答えをはらんでいる。

 調べものをしているうちに2時間ほど経過。知識が少ないと書評を書くのも骨が折れる。熱力学第二法則とエントロピー増大則がどうもスッキリと理解できない。この物理法則が社会や組織に適用可能かどうかで行き詰まった。結局のところ新たな知見は得られず。

物質界(生命系を含め)の法則:熱力学の第二法則

 エントロピー増大則は諸行無常を志向する。自然は秩序から無秩序へと向かい、宇宙のエントロピーは時間とともに増大する。コップの水にインクを1滴たらす。インクは拡散し、薄く色のついた水となる。逆はあり得ない(不可逆性)。つまり閉じたシステムでエントロピーが減少すれば、それは時間が逆行したことを意味する。風呂の湯はやがて冷める。外部から熱を加えない限り。

 生物は秩序を形成している点でエントロピー増大則に逆らっているように見えるが、エネルギーを外部から摂取し、エントロピーを外に捨てている。汚れた部屋に例えれば、掃除をすれば部屋のエントロピーは減少するが、掃除機の中のエントロピーは増大する。乱雑さが移動しただけに過ぎない。

 ゲーデルの不完全性定理は神の地位をも揺るがした。

 ニューヨーク州立大学の哲学者パトリック・グリムは、1991年、不完全性定理の哲学的帰結として、神の非存在論を導いている。彼の推論は、次のようなものである。

 定義 すべての真理を知る無矛盾な存在を「神」と呼ぶ。
 グリムの定理 「神」は存在しない。

 証明は、非常に単純である。定義により、すべての真理を知る「神」は、もちろん自然数論も知っているはずであり、無矛盾でもある。ところが、不完全性定理により、ゲーデル命題に相当する特定の多項方程式については、矛盾を犯すことなく、その真理を決定できないことになる。したがって、すべての真理を知る「神」は、存在しないことになる。
 ただし、グリムは、彼の証明が否定するのは、「人間理性によって理解可能な神」であって、神学そのものを否定するわけではないと述べている。

【『ゲーデルの哲学 不完全性定理と神の存在論』高橋昌一郎〈たかはし・しょういちろう〉(講談社現代新書、1999年)】

神の存在論的証明

 では熱力学第二法則はどうか? 仏教東漸の歴史を見れば確かに乱雑さは増している。ブッダの時代にあっても人を介すほどに教えは乱雑になっていったことだろう。熱は冷め、秩序は無秩序へ向かう。しかしその一方で人間の意識は秩序を形成する。都市化が典型である。そして生命現象という秩序は、必ず死という無秩序に至る。

 宇宙的な時間スケールで見た時、生命現象にはどのような意味があるのか? それともないのか? 思考はそこで止まったまま進まない。

宇宙を復号する―量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号
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ゲーデルの哲学 (講談社現代新書)
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火星人の一人/『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター


『放浪の天才数学者エルデシュ』ポール・ホフマン

 ・火星人の一人

 分厚い眼鏡をかけてしわくちゃのスーツをまとった小柄でひ弱そうな男。男は片方の手には家財一式を入れたスーツケースを、もう片方の手には論文を詰め込んだバッグを持って夜昼の見境なく訪問先の玄関をノックする。世界の数学者この非常識な訪問を50年以上もの間にわたって経験した。玄関先で「マイ・ブレイン・イズ・オープン!」と宣言するこの訪問者こそが、20世紀最大の数学者であり誰もが奇人と認めるポール・エルデシュである。
 家も仕事も持たず、身のまわりのことすらまともにはできないエルデシュを支えていたのは、寛大な数学者仲間と数学の魅力そのものだった。「誰が何と言おうと数(すう)は美しいんだ」――エルデシュはよくそう言った。

【『My Brain is Open 20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記』ブルース・シェクター:グラベルロード訳(共立出版、2003年)】

ハンガリー火星人説」をご存じだろうか? ハンガリー人の桁外れの知性に驚嘆した人々が唱えた説だ。「1900年頃、確かに火星人の乗った宇宙船はブダペストに降り立った。そして出発するとき、重量オーバーのために、あまり才能の無い火星人たちをそこに置いてこなければならなかったんだ」とレオ・シラードは語った。火星人の嚆矢(こうし)とされたのは多分ジョン・フォン・ノイマンだろう。

週刊スモールトーク (第66話) 天才の世界II~歴史上の天才~
『異星人伝説 20世紀を創ったハンガリー人』天才たちの誕生の秘話。マルクス・ジョルジュ(著)


 ポール・エルデシュも火星人の一人である。そして火星人の多くがマンハッタン計画に参加した。

 エルデシュが発表した論文は1500篇にも及び、レオンハルト・オイラー(1707-1783年)に次ぐ数とされる。ただしエルデシュの論文の大半は共著であった。そこにこそ彼の人生の本領があった。論文が旅の記念碑にすら見えてくる。出会いと別れを繰り返しながらエルデシュは数学世界を大股で闊歩した。

 漂泊への憧れを抱いていた私にとってはエルデシュの人生こそ理想である。40代後半から身軽になることを目指し、着々と物を減らしている。ゆくゆくはバッグパックひとつで風のような日々を過ごしたい。そして野垂れ死にこそが人間に最も相応(ふさわ)しい死に様であると考えている。ベッドで死のうが、路上で死のうが大差はない。布団にくるまって死ぬよりも、歩きながら死にたい。

 単なる「わがまま」(我が儘)ではなく、「我の思うがまま」に生きて人と人とが結び合わされば、これにまさる幸せはないだろう。

 尚、読む順番は刊行年に準じただけで、どちらが先でも構わない。

My Brain is Open―20世紀数学界の異才ポール・エルデシュ放浪記
ブルース シェクター
共立出版
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2015-04-02

鍵山秀三郎、アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司、渡部昇一、馬渕睦夫、他


 4冊読了。

 26冊目『人たらしの流儀』佐藤優(PHP研究所、2011年/PHP文庫、2013年)/Q&A語り下ろし。あとがきに出てくる小峯隆生〈こみね・たかお〉が相手か。あたかもスパイの流儀といった内容で、「凄い」と思う一方で嫌悪感が湧いてくる。どうも好きになれない人物だ。

 27冊目『日本の敵 グローバリズムの正体』渡部昇一〈わたなべ・しょういち〉、馬渕睦夫〈まぶち・むつお〉(飛鳥新社、2014年)/馬渕本は本書から入るのがいいだろう。渡部という相手を得たことでテーマに広がりがある。反グローバリズム=ナショナリストとしてプーチン大統領と安倍首相が挙げられている。

 28冊目『希望のしくみ』アルボムッレ・スマナサーラ、養老孟司〈ようろう・たけし〉(宝島社、2004年/宝島SUGOI文庫、2014年)/養老孟司は媚(こ)びを売ることをしない男である。そして宗教に対する造詣も深い。スマナサーラは養老を「先生」と呼び、やや下手に出ている。編集者を含めた鼎談(ていだん)で3人のバランスが絶妙。これはオススメ。

 29冊目『小さな実践の一歩から』鍵山秀三郎〈かぎやま・ひでさぶろう〉(致知出版社、2002年)/久し振りに鍵山本を読む。鍵山といえば掃除道の元祖である。講演が元になっていて読みやすい。ま、本好きからすればスカスカ本ではあるが。イエローハット創業者の清らかな心根が読む者にじわじわと染み伝わってくる。