2019-04-06

仲好しだったオバアサンへの手紙


 ・仲好しだったオバアサンへの手紙

『5秒 ひざ裏のばしですべて解決 壁ドン!壁ピタ!ストレッチ』川村明


 まったく不思議な縁だった。1年にも満たない付き合いだったが彼女は忘れ得ぬ存在となった。夫が死んだ時にも泣かなかった彼女と、父が死んだ時にも泣かなかった私が二人で泣いた。

 交情が愛別離苦を深める。私の母親よりも年上で、お嬢さん育ちで苦労を知らず、わがままで直ぐに弱音を吐く人だった。どうしてウマが合うのか不思議である。横柄(おうへい)で乱暴な口を利(き)く私のことを「こんな人、初めて見た」と言った。別名は小野蝮三太夫だ。

 ひょんなことから車椅子の動かし方を教えてあげたのが最初の出会いだった。それから請われて訓練を施した。私の教え方は運動部そのもので時に激烈なものとなった。「やる気があるの? ないなら帰るよ!」と怒鳴りつけたことも一度や二度ではない。その度に下を向いて黙り込み。「どうしたの?」と訊ねると、「悔しい」と泣いていた。もちろんそれで甘やかす私ではない。「泣いたって車椅子は動かないよ」と言い放った。

 別の日に訪ねると、「小野ちゃんは怖いけど好きだよ」と言った。「体はどこか悪いところがあるの?」と訊かれて私がすかさず「あるよ」と応じた。「どこ?」「口」と答えると大笑いしていた。「本当に口が悪いよねー」と言い「でも心は優しいから」と付け加えた。私の優しさを見抜いたのは55年生きてきたがこれで3人目である。

 泣いて、笑って、語って、歌って、喧嘩して、触れ合って、そして別れた。車椅子の動かし方は私が望むほど上手くならなかったが、日常生活に支障のない程度まで動かせようになった。

「私のことはあなたの晩年に吹いた春一番のようなものと思っていただければ幸いです」と手紙に書いた。涙――。

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