・若き斎藤秀三郎
・超一流の価値観は常識を飛び越える
・「学校へ出たら斃(たお)れるまでは決して休むな」
・戦後の焼け野原から生まれた「子供のための音楽教室」
・果断即決が斎藤秀三郎の信条
・斎藤秀雄の厳しさ
・『齋藤秀雄・音楽と生涯 心で歌え、心で歌え!!』民主音楽協会編
家に帰って斎藤はさっそく書生を通して父と話し合う約束をとりつけた。
「ドイツに音楽の勉強に行きたいのです」
「ああ、いいだろう」
ものの10分しないうちに秀雄の留学は決まった。
音楽は男子がするものではないといった風潮の時代である。斎藤家の総領である秀雄の寝耳に水のような音楽留学の申し出を、あっけなく秀三郎が認めたなどということは、「果断即決が先生の信条」と納得していた弟子筋の人々にとっても驚嘆以外のなにものでもなかった。
【『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』中丸美繪〈なかまる・よしえ〉(新潮社、1996年/新潮文庫、2002年)】
(※左が単行本、右が文庫本)