・
歌詞
好きなものについて書くのは中々難しい。ともすると「ただ好きなんだ」となってしまいがちだ。批評には一定の距離感が求められる。その意味で私が書く書評やレビューは感情に走り過ぎるきらいがある。
SIONは以前から知っていたが、胸に突き刺さるようになったのは「同じ列車に乗ることはない」(『
住人 Jyunin』収録)という曲を聴いてからのことだ。
同じ頃から
Tha Blue Herbも聴くようになった。両者に共通するのは岩をも砕くような振動の力だ。私は耳をひねり上げられているような心情になるのが常だ。
八王子では昨日からツクツクボウシが鳴き始めた。去りゆく夏を「つくづく惜しい」と告げるかのように。
この曲に耳を傾けながら、「ああ、俺の人生の夏も終わったのか」と不意打ちを食らった。48歳にもなれば正真正銘の中年である。あと10年もすれば初老の領域だ。気づかぬうちに肉体は衰え、かつてできたことが段々とできなくなってゆくのだろう。
風の色が変わる瞬間がある。そこで初めて我々は季節の変化を知る。人生の春秋にもそんな時が訪れる。
五行思想では青春の後に朱夏(しゅか)、白秋(はくしゅう)、玄冬(げんとう)と続く。
冬は死の季節だ。そして老境を錦秋の如く迎える人はあまりにも少ない。美しく老いることは至難の業(わざ)だ。そもそも「老い」という言葉自体が醜さを示している。我々は花に目を奪われて木の全体を見ることがない。
中年期になると自分の周りで死者が増える。親は順序からいって当たり前だが、先輩や友人が亡くなることも珍しくない。烈風に耐え抜くだけの体力がなければ無気力の穴に陥る。
時は移ろい、去りゆく季節と訪れる季節の間に現在がある。我が生命に去来するリズムが反響して人生の彩りを決める。
アフマド・シャー・マスードは48歳で死んだ。周囲が思うほど彼に悔恨はなかったことだろう。完全燃焼しながら生きている人物は何ものにも執着することがないからだ。
・
SION