2011-10-04

イスラエルの作家に「無宗教」認める判決


 イスラエル・テルアビブ(Tel Aviv)の裁判所は前週、同国の作家に対し、公式に登録されている宗教を「ユダヤ教」から「無宗教」にすることを認める判決を下した。2日の同国日刊紙ハーレツ(Haaretz)が伝えた。
 作家のヨラム・カニュク(Yoram Kaniuk)氏は内務省に対し、自身の宗教を「ユダヤ教」から「無宗教」に変更したいと申し出たが拒否されたことを受け、5月に提訴した。
 同紙によると、判決文は「宗教からの自由は、(イスラエルの)基本法の『人間の尊厳と自由』で保護されている人間の尊厳の権利に由来するものだ」と述べた上で、「唯一検討しなければならない問題は、原告が自分の意思の深刻さを証明できたかどうかということだ。自分の要求を法廷に持ち込んだこと以外、原告にいかなる重荷も負わせる必要はないと判断する」と付け加えている。
 カニュク氏は同紙に、「裁判所は個人が自分の良心に従ってこの国で生きる正当性を認めた。この判決では、人間の尊厳と自由は自分のアイデンティティを自分で決められることを意味しているとされた。だから、私は無宗教でも国籍としてユダヤ人を名乗ることができる。非常に興奮している」と述べ、判決を「歴史的」と評価した。
 イスラエル政府は国民を宗教と民族籍によって登録している。民族籍には「イスラエル人」という選択肢はなく、ユダヤ系国民は「ユダヤ人」と登録される。これを不服とした世俗主義者団体は何年も前から、内務省に「ユダヤ人」ではなく「イスラエル人」に置き換えるよう要請している。

AFP 2011-10-04

 これは重要なニュースだ。無宗教の思想性が認められたという事実は重い。それでも尚、人間は宗教的ドグマから解放されない。なぜなら感情を直接支えているのが宗教であるからだ。

ありふれたパレスチナの日常


 何の前触れもなく家を破壊され、撃たれ、爆弾を落とされる。内蔵の飛び散った遺体の後始末を年端(としは)も行かぬ子供が行っている。これが、ありふれたパレスチナの日常だ。瓦礫(がれき)の間に見える幼児の手、脚がくの字に曲がったまま息絶えた少年の姿を私は忘れない。

People in Palestine

Phalisteen GAZA

GAZA HOLOCAUST

gal_gaza_01

GAZA HOLOCAUST

Innocent child KILLED

Gaza-Palestina

pb13

「商品は持っていけ」…優しい店員に強盗自首


 富山県警富山中央署は3日、富山市問屋町、自称無職M容疑者(53)を強盗の疑いで緊急逮捕した。
 発表によると、M容疑者は同日未明、同市綾田町のコンビニエンスストアで、男性アルバイト店員(61)に包丁を突きつけ、「俺は金が無い。金を出せ」と脅し、清涼飲料水やパンなどの商品計7点(販売価格合計1174円)を奪った疑い。店員にけがはなかった。M容疑者が同日正午頃、同署の広田交番に自首してきたため発覚した。
 同署によると、店員から「悪いことはやめろ、商品は持っていけ」と諭され、店員がレジ袋に入れて渡した商品を持って逃走したという。
 森竹容疑者は「職もなく、悪いことを重ねるかもしれないと思い出頭した。店員が優しく、申し訳ないと思った」と話しているという。店から被害届は出ていなかったという。

YOMIURI ONLINE 2011-10-04

 被害届が出ていなかったということは店員が建て替えたのだろう。富の再分配が良心的な自主性で行われたのだ。店員は政府の過ちを正したといえる。時に「犯罪」という場面を通して、人と人とが出会うこともあるのだ。何という不思議だろうか。

人は後ろ向きに未来へ入っていく


 湖に浮かべたボートをこぐように、
 人は後ろ向きに未来へ入っていく。
 目に映るのは過去の風景ばかり。
 明日の景色は誰も知らない。(ポール・ヴァレリー)

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アメリカとイスラエルの共通点


 宗教的な立場を理由にして弾圧され、今度は自分たちが新たな天地で暴虐・殺戮の限りを尽くす。これがアメリカとイスラエルに共通する歴史である。

国連総会のテロ非難決議に反対したアメリカとイスラエル(1987年)
パレスチナ人女性を中傷するイスラエルの若者たち