・太平洋の海洋汚染マップ
2011-10-19
2011-10-18
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
「普通の男性」望んだが 成人後始める治療、継続困難
大学1年の冬、サークルの合宿で仲間と風呂に入るのが急に恥ずかしくなった。21歳になっていたが、陰毛はなく、声も小学生のままだった。新潟大歯学部5年の大田篤さん(24)は人目をはばかり民間病院を受診したが、結局自ら通う大学に紹介され、2年の夏に性分化疾患の一つ「低ゴナドトロピン性性腺機能低下症」と診断された。ホルモンの異常で2次性徴が起きない疾患だった。
「原因があったんだ。治療すれば治るんだ」。ショックはなく、むしろ肯定的に受け止めた。
週1回、腹部に自己注射するホルモン治療を始めると、数カ月で変化が表れた。声が低くなり、ひげや陰毛が生え、初めて射精した。「なよなよした体」は筋肉質に変わり、鏡を見るのが楽しくなった。初めて経験する性欲には戸惑った。「無意識のうちに視線が女性の胸元に行くなんて、思ってもみなかった」
しかしある時、ふと疑問がわいた。「これは望んでいたことか」。治療は「普通の男性」になるためだったのに、まるで飢えた獣にでもなってしまった感覚だった。大田さんは「それこそが思春期なのかもしれないが、僕の場合は薬で人工的に変化したので、何かが違うと感じた」。
治療を始めて1年9カ月後の昨冬、すっぱりと治療をやめた。ホルモンが足りず不健康になるだろうし、子どもを作ることもできなくなるが、それでもよかった。主治医に告げると「最近、中性がはやってるからね」と笑い、反対もしなかった。「自分は男」という認識が揺らいだことは一度もない。医師の言葉にカチンときたが「そうじゃない。自分が自分でなくなるのが嫌なんだ」という心の叫びはぐっとのみ込んだ。
こうした疾患を診ることが多い池田クリニック(熊本県合志市)の池田稔院長は、治療が持続するかどうかは開始した年齢と深く関係すると感じている。不妊をきっかけに結婚後に治療を始めた患者は、男性ホルモンの重要性を理解はしても、妻が妊娠するとほとんど来なくなる。一方、10代で始めた患者は今も全員が治療を継続しているという。
池田院長は「思春期に男性ホルモンが低い状態で自己を確立した人は、成人後に治療でホルモンを平常値にしても、自分でないような感覚になるのではないか」との仮説を立てる。
ホルモン治療をした大田さんは、後悔の念にさいなまれている。「注射を打つたび男らしくなっていくのが、あれほどうれしかったのに」。太くなった声や筋肉質の体は元に戻らない。ひげや体毛にも嫌悪感がある。一度は劣等感から解放してくれた治療が今は恨めしい。下宿の隅に積んでいた未使用のアンプルは、捨てた。
「娘の人生を私が決めてしまった」「いいえ、選んだのは私」。神奈川県在住の佐藤真紀さん(45)と長女(24)には互いを思いやるやさしさがあふれている。
89年正月、帰省先の福島県で長女は脱腸を起こし、緊急手術を受けた。手術中に廊下に出てきた医師の言葉に佐藤さんは耳を疑った。「睾丸(こうがん)が見つかりました。腸と絡み合っているので切り取ります。おなかを開いたままなので時間がありません。いいですね」。長女は出生時に膣口(ちつこう)が開いていなかったが、染色体をはじめ10日ほどかけてじっくり調べ、女性で間違いないと診断されていた。
東京にいる夫とは連絡がつかない。「娘は男だったんだ。でも、私の一存で男として生きる可能性を断ち切ることになる」。そんな思いが頭を駆け巡ったが、医師は「お母さん、どうしますか」と迫ってくる。「じゃあ、切ってください」と言うしかなかった。手術室のドアがしまると、義母の前で号泣した。すべてが終わった後、ようやくつながった電話で夫は「そばにいてあげられなくてごめん。一人で大変な決断をさせてしまったね」と謝った。
東京の大学病院で再検査を受けると、女性としての発達が不十分になる「ターナー症候群」だが、性染色体に男性化とかかわりが深いY染色体のかけらがある特殊な例だと分かった。
佐藤さんには他に3人の子がいる。「弟や妹と比べると違いがよく分かる。男女どっちでもないというか、どっちでもあるというか……」という。
小学4年のとき、学校での性教育が近いと知り、佐藤さんは長女に初めて詳しい話をした。「おなかの中にあるはずの赤ちゃんの部屋がないかもしれないんだ」
長女は答えた。「他の子と違うみたいだと、何となく思っていた。赤ちゃんを産むのは怖いからいいよ」。しかし「本当はショックだった」と今、打ち明ける。
中学生になると、骨粗しょう症の防止などでホルモン治療が必要になった。幼少時の手術の決断を十字架のように背負っている佐藤さんは「男女どっちを選んでもいいんだよ」と言ったが、長女は女性ホルモンを選んだ。「あまり女性的にはなりたくない」と生理が来ない程度の量にした。17歳のときには「簡単な手術で膣口も作れる」と医師から勧められたが、断った。
「本人の意思を尊重しているが、決まった道を行くのと違い自己責任がある。可哀そうな面がある」。佐藤さんはいう。
長女はいま税理士事務所で働く。一人でも生きていけるようにと、税理士を目指している。「両親はずっと『どんな道を選んでも、あなたが好きなことに変わりはない。味方だからね』と言い続けてくれた。それが私を支えている」。長女は穏やかな表情でふり返る。
「男性ならこう生きるべきだ」「女性ならこんな治療を受けるべきだ」。性分化疾患の当事者たちは、男女に二分された社会でプレッシャーを受けながら、自分らしい生き方を模索している。
◇低ゴナドトロピン性性腺機能低下症
精巣の働きに深く関係する脳の視床下部や下垂体からのホルモン分泌が悪いために2次性徴や精子形成ができなくなる疾患。陰茎の発達も悪く、陰毛や脇毛が生えない、においを感じにくい、といった症状が出ることもある。若年では見過ごされることも多く、不妊をきっかけに見つかるケースが少なくない。
【毎日新聞 2011年10月18日 東京朝刊】
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(下) 「判断妥当か」医師に重圧
境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(上) 「男子と女子、どっちがいい?」
思春期に男性化する疾患の長女、小4で告知受け混乱
染色体やホルモンの異常により男性か女性かの区別がはっきりしない「性分化疾患」。医学的には未解明な部分が残り、男性と女性の枠組みしかない社会で生きる難しさも伴う。性の選択を迫られた時、治療方針を決める時――。当事者と家族、医療者のそれぞれの決断の場面を追った。
昨年7月、大阪市の大阪警察病院。夏休みに入った小学4年の長女(当時9歳)に付き添い、関西地方の夫婦が小児科を受診した。「そろそろ私から本人に説明しましょうか」と切り出した望月貴博医師に、夫婦は顔を見合わせ黙ってうなずいた。病気のこと、受けることになるかもしれない性器の手術のことを話した後、医師は長女に尋ねた。
「男の子にもなれるし、今のまま女の子を選ぶこともできる。どっちがいい?」。しばし流れる沈黙。父は「男と言ってくれ」と祈ったが、長女は消え入るような声で「女の子がいい」と答え、しくしく泣いた。
父が「男」を願ったのには理由がある。
夫婦には2人の子がいる。いずれも女の子と思っていたが5年前、陰核(クリトリス)の肥大などをきっかけに性分化疾患の一つ「5α還元酵素欠損症」とそろって診断された。性染色体はXYの男性型だが、ホルモンの異常が原因で男性器が発達せず生まれ、大半が出生時に女性と判定される。しかし2次性徴期になると、程度の差はあれ確実に男性化する特徴がある。
日本では下腹部に隠れている精巣を摘出して女性ホルモン剤を服用する治療が行われてきたが、欧米では女性として育った人の多くが性別の違和感に悩み、約6割が男性に性別変更したとのデータもある。
長女が思春期を迎えた時、声も体形も男性化し、小さめの陰茎(ペニス)ほどに陰核が育っていったら……。本人の驚きと戸惑いを想像すると胸が痛んだ。
病気がわかったとき、望月医師から「将来、妊娠はできない。男性としてなら子を作れる可能性はある」と言われた。小学校入学が目前に迫り、ピカピカの赤いランドセルも準備していた。夫婦は入学を心待ちする長女を男の子に変える気持ちにはなれなかった。
翌年、今度は次女の幼稚園入園が迫った。望月医師は「性別を変えるなら、新しい社会に入り人間関係も変わる今のタイミングがいい」と促した。1年前から悩み抜いてきた夫婦は、長女の時とは逆の決断をした。「出生時の性別判定は間違い」との診断書を家庭裁判所に提出し、入園直前に次女の戸籍は「長男」となり、名前も変わった。
男の子になった弟はとても陰茎が小さく、立ち小便ができないため個室トイレしか使えない不便はあるが、学校生活を楽しんでいる。夫婦の心配は長女だ。制服以外はスカートをはかず、野球やサッカーが大好きで、遊び相手も男の子だ。
父は「男性化が進んでも女の子でいたいというなら、人格を無視してまで性別を変えることなどできない。男の子を望むなら、誰も何も知らない町に転居して、再スタートする覚悟はできている」と唇をかむ。
主治医の望月医師にとっても、治療方針の決定は容易ではない。
次女の入園が迫った時、性別をどうすべきかを症例の豊富な医師たちに尋ねたが、男の子に変えるのは反対だというメールが次々返ってきた。「ちんちんがあまりに小さく、将来コンプレックスになる」という率直な意見もあった。診断にかかわった藤田敬之助・大阪市立総合医療センター元副院長も「思春期にどれだけ男性化するかは個人差がある。本人に性別を選ばせたいので、留保してはどうかと伝えた」と振り返る。
望月医師は「絶対的な答えがあるわけではないが、私はより新しい国際的な知見を重視した。時代は変わってきているのです」と胸を張る。長女については、男性的な2次性徴が始まったら薬でいったん止め、本人に考える猶予を与える治療法を検討している。
「どちらの性別で育てますか?」
東海地方の主婦(28)は2年前に長男を出産してから医師に「選択」を迫られ続けてきた。性器の発達が不十分だった。産院を退院してすぐ、大学病院にかかりさまざまな検査を受けた。「断定はできないが、染色体は男性型だから男で大丈夫では」。あいまいな言葉でも医師を信じるしかなく、2週間の期限ぎりぎりに長男として役所に届けた。性別を保留できることは当時は知らなかった。
その後、別の医師からは「精巣がなく、子宮がある可能性がある。女の子として生きる方がいいのでは」と言われた。迷い続けてたどり着いた小児専門病院でも、男性の外性器の形成手術が難しいことを理由に、女の子を勧められた。「心も女の子になるんですか」と尋ねても明確な答えはなかった。
この春、詳しい検査で子宮や卵巣のないことが分かり、男の子として育てていく気持ちがやっと固まった。まずは陰茎を大きくする。将来子どもを持つのは難しいが、声も体も大人の男性になれるよう、定期的に男性ホルモンを注射していく。
「来年はスカートかも」。少し前は子ども服を買うのもためらったが、いま、性別そのものへの迷いは晴れた。
関西地方の夫婦が次女の性別選択で考慮した点(望月医師の説明による)
◇女性の場合
・子宮と卵巣はなく膣(ちつ)も不完全
・外陰部や膣の形成は男児にする場合より容易
・妊娠できない
・精巣を放置すれば思春期に男性化する可能性
・乳房の発達などのため女性ホルモンの内服が生涯必要
◇男性の場合
・精巣はある
・外陰部の形成は女児にする場合より難しい
・子どもが作れる可能性
・思春期に自然に男性化する可能性
・陰茎が小さいままの可能性
「境界を生きる」とは
連載「境界を生きる」は09年9月にスタート。近年まで医療界でさえタブー視されてきた性分化疾患や、心と体の性別が一致しない性同一性障害の子どもたちの苦悩を追い、社会の無理解などを問いかけてきた。
【毎日新聞 2011年10月17日 東京朝刊】
・境界を生きる:性分化疾患・決断のとき(中) 「自分でなくなる」投薬中止
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