2011-12-19

世界を不安定化させるアメリカ


 しかし、アメリカは2011年に入ってから、現行の社会システムを意図的に破壊しようとしている。

 これは北アフリカ・アラブ圏の安定していた政権を2011年にすべてひっくり返したことで分かる。

 イラクも不安定化した。アフガンも不安定化した。パキスタンも不安定化した。

 そして、チュニジアも、エジプトも、リビアも、イエメンも、シリアも、すべてドミノの駒を倒すかのように不安定化していっている。

鈴木傾城〈すずき・けいせい〉

soldiers pledge

【TPPの真実】米国の狙いはやっぱり267兆円の郵貯マネー


下院公聴会でも、日本の財産を“米国のサイフ”にする魂胆丸出し

 今月14日、米下院でTPPに関する公聴会が開かれたが、米国の重要ターゲットのひとつが日本郵政であることがハッキリした。出席者の多くが「日本郵政問題が重要事項」と発言。「農業や自動車ではなく、日本郵政が本丸じゃないか」(市場関係者)という見方まで飛び出している。
 TPPは金融サービス分野も対象としている。「米国はTPPに乗じて、郵貯マネーを奪いにきている」(経済評論家・黒岩泰氏)のだ。
 ゆうちょ銀行の預金残高は174兆6532億円(11年3月末)、簡易保険(かんぽ生命)の保険契約準備金は92兆8178億円。いわゆる郵貯マネーは267兆円を超えている。ひと頃の350兆円に比べれば減少したとはいえ、三菱UFJフィナンシャル・グループの124兆円をはるかにしのぐ規模だ。第一生命経済研究所の熊野英生首席エコノミストが言う。
「米国は日本の金融市場は閉鎖的だと主張し、開放を求めています。しかし具体的な要求が見えてきません。小泉・竹中チームが進めた完全民営化を実行しろということでしょう」
 野田政権は郵政株式売却凍結法を成立させ、政府が3分の1超を保有する方向で動いている。米国はこれを「暗黙の政府保証が続く」「公正な競争条件ではない」と批判。TPPで、完全民営化を要求してくる。
 だが、米国の本当の狙いは金融市場の開放などではない。国民の財産を根こそぎ奪う謀略だ。「日本郵政を上場させ、米金融機関を大株主として送り込む。日本郵政は現在、日本国債で多くを運用していますが、運用利回りの有利な米国債など外債に変更させる。米金融機関の増資に応じてもいいし、国際的なM&Aに投資させる手もある。大株主として次々と提案してくるでしょう。要するに郵貯マネーを米国のサイフにしたいのです」(黒岩氏)
 庶民がコツコツと貯めてきた267兆円が、米国救済のために使われる。そんな馬鹿なことを許していいはずがない。だから野田無能シロウト政権によるTPP参加は、怖いのだ。

ゲンダイネット 2011-12-17

中野剛志

バッハをキリスト教に閉じ込めてはならない/『J・S・バッハ』礒山雅


 私は、バッハにおけるキリスト教の役割を軽視する考えには、絶対に反対である。バッハにとってこれほど大切だったものを尊重し、その内容を知り、その影響を考えることは、正しいバッハ理解のための不可欠の条件であると思う。その意味では、聖書の勉強がたいへん役に立つ。
 だが、だからといってバッハを、キリスト教に閉じ込めてはならない。バッハを教会で聴くのはいいものだが、演奏の場を教会に限るべきではないだろう。それと同じように、バッハのメッセージも、当時の教会の教えにすべて還元されるべきではない。むしろわれわれは、バッハがその教えの上に立ちながら、いかに国境と時代を超えた作品を作り出したかに、目を注ぐべきである。
 バッハの人間理解に深さが感じられるのは、彼が人間の概念を、いつも人間を超えたものとの関係においてとらえているからではないだろうか。

【『J・S・バッハ』礒山雅〈いそやま・ただし〉(講談社現代新書、1990年)】

 我が音楽の嗜好は20代でロックからブラックミュージックへと進み、ワールドミュージックを経て沖縄ポップスに辿り着いた。そして40代の後半になってTha Blue HerbとSIONの歌声に耳を委ねている。そんな私だが「一曲だけ選べ」と言われたら、迷わず『マタイ受難曲』と答える。バッハと出会ったのは丸山健二の小説でのこと。

丸山健二と『マタイ受難曲』/『虹よ、冒涜の虹よ』丸山健二

 直ちに名演との誉れ高いカール・リヒター指揮の1958年盤を取り寄せた。丸山の形容は決して大袈裟なものではなかった。

 礒山のリベラルな精神が見事にバッハを捉える。リベラルとは中途半端を意味しない。常に別の可能性を模索し得る柔軟な精神性を指すのだ。

 世界はイデオロギーという絵の具で色分けされている。つまり「所属」を通して人間を判別するのだ。どの国家、どの宗教、どの政党、どの学校、どの企業、どの地域に所属しているのか? 氏素性(うじすじょう)というのも一緒である。

 我々はありのままの人間を見つめる前に敵か味方かを問うのだ。これは多分本能に基づいているのだろう。石器時代であれば、「騙(だま)される」ことは死を意味する。

 それゆえ世界の挨拶は「味方であること」を示すサインとなっている。握手は利き腕に武器を持っていない証拠であるし、日本のお辞儀は人間の急所である頭部を相手に差し出す行為だ。ハグも攻撃され得る距離に身を委ねる営みである。

 例えば礒山とは反対にクリスチャンとしてのバッハを論じることも可能だろう。しかしバッハという人物の幅を狭めることで、多くの共感を獲得することは困難であろう。

 礒山が見つめるのは「人間バッハ」である。視点の高さがバッハという地平を豊かに広げる。

J・S・バッハ (講談社現代新書)バッハ:マタイ受難曲

バッハはリズム、モーツァルトはメロディ、ワーグナーはハーモニー/『J・S・バッハ』礒山雅
バッハ「マタイ受難曲」カール・リヒター指揮
「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」バッハ

名作のタイトルに一文字足すとよく分からなくなる

パコ・ラバンヌ(Paco Rabanne) 2012年春より


 後ろ姿、ではない。帽子から目が覗(のぞ)いている。メタリックカラーがぴったりと身体にフィットする。近未来というスタイル。機能を兼ね備えた美しさが性的なメッセージを斥(しりぞ)けている。足元を軽くしたセンスがまた憎い。

pac

Paco Rabanne - Paris Fashion Week: Spring 2012