2012-01-16

自作自演 ラビ傷害事件

2003年。





 民族的憎悪を拡大再生産するために芝居が行われる。後になって嘘だと判明しても、一度点火された憎悪の炎は消えることがない。

カダフィ死後のリビア 在仏リビア人証言 2011年11月10日

パリ、アラブ世界研究所前にて。



2012-01-15

マーシャ・ガッセン

1冊読了。

 3冊目『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』マーシャ・ガッセン:青木薫訳(文藝春秋、2009年)/「今後の読書がつまらなくなるかもしれない」――そんな思いがよぎった。私の中で傑作評伝といえば中丸美繪〈なかまる・よしえ〉著『嬉遊曲、鳴りやまず 斎藤秀雄の生涯』であるが、スリリングの度合いにおいて本書が上回っている。ミレニアム懸賞問題の一つであるポアンカレ予想をロシアの天才数学者グレゴリー・ペレルマンが証明した。副題の100万ドルとはこの懸賞金のこと。ペレルマンはミレニアム賞もフィールズ賞も拒絶した。著者のマーシャ・ガッセンはペレルマンと同世代であり、彼と同じようにロシアの数学専門学校で学んだ女性だ。で、何がスリリングかというと、ガッセンは一度もペレルマンと会うことができなかったのだ。それゆえ資料とインタビューからペレルマンの人物像を手繰り寄せるしかなかった。要はポアンカレ予想を始めとする「犯行」に至る動機と状況証拠を捜査する役回りとなっている。読み物としては、ロバート・カニーゲル著『無限の天才 夭逝の数学者・ラマヌジャン』よりはるかに面白い。青木薫の翻訳も実に素晴らしい。

不思議な光を放つ双眸


Boundless [explored]


 何なのだろう。この不思議な光は。双眸(そうぼう)に見つめられ身動きができなくなる。じっと見入ると息苦しくなってくるほどだ。眉間には憂愁が刻まれている。が、口元は微笑んでいるようにも見える。首からぶら下げた十字架はエチオピア正教のものだ。杖の握り部分からは年季が窺える。男は何を見てきたのか。天国でないことは確かだろう。彼は言語に絶する苦しみや悲しみを見続けてきたのだろう。それでも運命と受け止め、神の残酷な仕打ちに耐えてきたのだろう。清らかな瞳には一点の後悔も見られない。ただ覚悟の焔(ほのお)が静かに燃え続けている。

2012-01-14

見ざる、聞かざる、聞かざる


Wise monkey

Amnesty International Concert/Bush

Amnesty International Concert/Bush

Amnesty International Concert/Bush


 三猿(さんざる、さんえん)は「見ざる、聞かざる、言わざる」という智慧を表したものだが、下の3人に知恵はない。一見すると耳を塞いでいるように見えるが、元々彼らに耳はないのだ。愚かな権力者は存在自体が戯画的である。そして彼らの滑稽(こっけい)さが国民に塗炭の苦しみを与える。笑うに笑えない話だ。