・若きパルチザンからの鮮烈なメッセージ
・無名の勇者たちは「イタリア万歳」と叫んで死んだ
・パルチザンが受けた拷問
ここで断っておくが、収集の過程で出会った何百もの人びとのうち、拷問に(あまりの拷問に!)抗しきれずに口を割り、同志の名前を明かしてしまった者は、わずか3名しかいなかった。それにひきかえ、抗しきれずに口を割ることを恐れ、みずから命を絶った者は、少なくなかった。ただひとりだけ、少年が、命の助かる可能性を前にして、敵の隊列に加わることを求めた。それにひきかえ、恩赦をもちかけられながら、それが妥協や裏切りにつながらないにもかかわらず、それをはねつけ、進んで同志たちの運命にならい、最後まで不屈の抵抗を貫いた者の数は、少なくなかった。最後の瞬間の模様が正確に知られている多くの人びとのなかで、男女を問わず、ひるんだり、気を失ったり、嘆願をした者などは、ただのひとりもいなかった。ある者はみずからの死刑執行人たちを嘲(あざけ)り、ある者は彼我の悲劇的な争いの虚しさを超えて同じ人間としての連帯を呼びかけた。なかにはまた、みずから「撃て」と号令をかける者、あるいは銃殺班に向かって「この胸を撃て」と叫ぶ者、さらには最初の一斉射撃が的をはずすと、すかさず「しっかり撃て」と叫ぶ者もいた。そして多くの者が、大多数の者が、「イタリア万歳」と叫んで死んだ。(「編者ノート」ピエーロ・マルヴェッツィ、ジョヴァンニ・ピレッリ)
【『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編:河島英昭、他訳(冨山房百科文庫、1983年)】
パルチザンの一人ひとりがチェ・ゲバラであった。
・チェ・ゲバラの最後
・真のゲリラは死ぬまで革命家であり続けた/『チェ・ゲバラ伝』三好徹
はっきりと書いておこう。人間の記憶は書き換えられる。よき思い出は美化され、苦い経験は黒く染められる。連合国が打ち負かした瞬間に枢軸国の価値観は引っくり返った。マイナスとプラスが反転したのだ。その時の昂揚を思えば、この記述に美化がないとは言い切れないだろう。
・個人の記憶は無意識のうちに書き換えられていく、「社会への同調」で生まれる「ニセの記憶」
またこうも考えられる。これが事実であったとすれば、恐るべき執念でパルチザンの最期を検証したこととなり、それは生き残った者たちが再び死者を「裁いた」ことを意味する。
悔恨は憎悪に結びつきやすい。イタリアといえばカトリックの総本山である。聖性を強調した文章を読んでいると、殉教を煽られているような感覚に陥る。
だが、いずれにせよ、彼らの勇気を疑う者は一人もあるまい。理想を胸に抱き、その胸を銃弾の前にさらし、彼らの血潮はイタリアの大地に染み渡った。
彼らが叫んだ「イタリア」とは何か? それは特定のイデオロギーや特定の国家体制ではなかったはずだ。ホール・ケインが描いた『永遠の都』を彼らは夢見たに違いない。
「もし、“人間共和”がいつ実を結ぶのかと聞かれたら、われわれはこう答えればよいのです。たとえば、まずあそこにひとつ、ここにひとつ、あるいはあそこの国、ここの国といったように、世界が“人間共和”をつくりあげるような下地が出てくれば、従来の世界を支配してきた権力は、こんどは“人間共和”によって支配されるようになるだろう、と」
【『永遠の都』ホール・ケイン:新庄哲夫訳(潮文学ライブラリー、2000年/白木茂訳、潮出版社、1968年)原書は1901年作】
パルチザンの下地は教会権力と闘ってきたイタリアの伝統にあったのだろう。単純な共和制ということではない。神の僕(しもべ)という位置からの脱却であり、世界観の中心軸を神から人間の側に取り戻すことを意味したのだ。
我々はその意味での「日本」を持ち合わせているだろうか?