・■(サイ)の発見
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文字は絶対王朝から生まれる
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『漢字 生い立ちとその背景』白川静
そろそろ
白川静〈しらかわ・しずか〉に手をつけねば、と本書を選んだ。
この手の雑誌もどきの本はおしなべてレイアウトがよくない。ヴィジュアル中心のため文字の読みやすさが置き去りにされている。特に私が憎悪の対象としているのは『別冊ニュートン』だ。
はっきり言えば総花的で散慢な印象を受けた。白川静という人間に迫っていない。企画が一つの焦点に向かっておらず、杜撰(ずさん)なパッチワークとなっている。だが、それでも写真を見るだけの価値がある。
1970年、そのことは、広く世間に知られることとなった。
〔■(サイ)〕の発見である。
岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的な■(サイ)のデビューとなる。
■(サイ)は、1970年を遥かに遡る時代に発見されている。
発見者はもちろん「白川静」。
【『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽(平凡社、2001年)以下同】
(甲骨文におけるサイ)
「白川静」と言えば、〔■(サイ)〕の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、「口」には二つの意があり、口耳の“口”に対して、もう一つ神への申し文(もうしぶみ/人が神に願事〈ねぎごと〉をするために書かれた手紙)を入れる“器”という意味があった。
それが白川静、曰(い)うところの〔■(サイ)〕である。
この〔■(サイ)〕の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。
そればかりではない。その〔■(サイ)〕という“器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。
「祝詞(のりと)を収める箱の形」と口部を読むことで漢字の統一的解釈が可能になる――と白川は独創した。古代中国は宗教社会の面持ちで新たな姿を現した。
■(サイ)――この象(かたち)を何と呼ぶか、何と読むか。
その名付け親も白川静である。
何が凄いかって、数千年間にわたって誰も読むことができなかった文字を、白川ただ一人が「読んだ」のである。これはもう「悟り」としか言いようがない。
甲骨文は最古の漢字で
殷(いん/紀元前17世紀頃-紀元前1046年)の時代に使われた。次に登場するのが
金文である。これらの文字から白川は「■(サイ)」を導き出した。
白川によって現代人と古代中国人のコミュニケーションが可能となったのだ。私はその偉業に「縁起的世界」を感じてならない。彼が開いた扉は新しい漢字世界に通じていた。
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縁起に関する私論/『仏教とはなにか その思想を検証する』大正大学仏教学科編
神々は、花に坐す。木に坐す。風に坐す。山に坐す。川に坐す。海に坐す。
食事の器にも時々降って宿っています。あなたの掌の中にもいます。
古代人は、神々をそう捉えてきた。神はスピリット、精霊、総ての“もの”に宿っている、と。
だから病も神。
白川静曰(いわ)く、
「風邪も、“ふうじゃ”という神さんです」
日本に根づいているアニミズムの源流が窺える。仏教が漢字で翻訳された時点でアニミズムの影響は避けられなかったことだろう。そして白川は漢字の本質をこう言い切る。
白川静の或る言葉とは――
【「呪的儀礼(じゅてきぎれい)を文字として形象化(けいしょうか)したものが漢字である」】
これ、マンダラである。もともと「呪」と「祝」は同じ意味であった。また「呪(まじな)い」とも読む。「呪」の起源が定かではないが、人々の強い情念、願い、希望などが混じり合った意味を感じる。
白川●本来は「道」そのものが、そのような呪術的対象であった訳。自己の支配の圏外に出る時には、「そこには異族神がおる、我々の祀る霊と違う霊がおる」と考えた、だから祓いながら進まなければならん訳です。
梅原猛●実際に生首を持って歩いた。生々しいなあ。
これは「道」のツクリが文字通り生首を示すという話。物語とは「その時代の合理性」であることを見失ってはなるまい。古代の人々を支配していた恐怖感が伝わってくる。未知とは恐怖の異名なのだ。文明や科学の発達が恐怖を解消する役目を担ってきた。
■(サイ)に祝詞(のりと)を入れた形が「曰」となる。「曰(いわ)く」。言葉には神への誓いが込められていた。「呪」(じゅ)なる世界を失うことで、我々の言葉は木の葉のように軽くなってしまった。そんな気がしてならない。
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