・『最悪の事故が起こるまで人は何をしていたのか』ジェームズ・R・チャイルズ
・災害に直面すると人々の動きは緩慢になる
・避難を拒む人々
・9.11テロ以降、アメリカ人は飛行機事故を恐れて自動車事故で死んだ
・英雄的人物の共通点
・『失敗の科学 失敗から学習する組織、学習できない組織』マシュー・サイド
・『集合知の力、衆愚の罠 人と組織にとって最もすばらしいことは何か』 アラン・ブリスキン、シェリル・エリクソン、ジョン・オット、トム・キャラナン
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
災害は被災者だけではなくメディアをも混乱に陥れる。報道陣が「より悲惨な情報」を探し回ることにも起因するのだろう。
ハリケーン「カトリーナ」の犠牲者たちは、人口の割合からいって、貧しい人たちではなく高齢者だったことが後に判明した。「ナイト・リッダー・ニュースペーパーズ」紙の分析によると、死者の4分の3は60歳以上で、半数は75歳を越えていた。
【『生き残る判断 生き残れない行動 大災害・テロの生存者たちの証言で判明』アマンダ・リプリー:岡真知子訳(光文社、2009年/ちくま文庫2019年)以下同】
これは知らなかった。念のためWikipediaを参照したところ、案の定「避難命令があったものの、移動手段をもたない低所得者が取り残され」と書かれている。つまり誤った情報が7年を経た今でもまだ生きているのだ。
更に驚くべき事実が判明する。多くの高齢者が「避難することを拒んだ」のだ。家族の懸命な説得も彼らの心を動かすことはなかった。
つまり、重要なのは移動手段よりも動機づけだったのだ。
ここに落とし穴があった。通常の認知レベルでは「被災~避難」という連続性に我々は疑問を抱くことがない。ところが実際は客観的な被災状況がわからず、避難を迷う人々もいれば、避難を思いつかない人々もいるし、更には避難を拒む人々も存在するのだ。
すなわち巨大ハリケーンは一人ひとりに対して「別な顔」で現れたと考えるべきなのだ。
今日では、意思決定を研究しているほとんどの人々が、人間は理性的ではないということに同意している。
そりゃそうだ。だいたい理性を司る大脳新皮質なんてえのあ、脳味噌の上っ面にすぎない。深部にあるのは情動を司る大脳辺縁系だ。実際に上司を殺害するサラリーマンは少ないが、密かに殺意を抱いている連中は山ほどいることだろう(笑)。
生きるとは反応することだ。快不快を判断するのは理性ではない。極めて本能的な領域だ。つまり我々はまず本能で判断した後で「考える」のだ。理性は感情に基づいていると考えてよかろう。
コーヒーとドーナツは合計で1ドル10セントである。コーヒーはドーナツより1ドル高い。ドーナツの値段はいくらか?
最初に出した答えが10セントなら、答えているのはあなたの直観システムだ。それから考え直して正しい答え(5セント)に到達したら、それはあなたの分析システムが直観を支配下に置いたのである。
個人的に直観という言葉は英知を意味するものと考えているので、ここは「直感」とすべきだろう。経験則に基づく直感的判断をヒューリスティクスという。
五感による認知機能は膨大な外部世界の情報を網羅することよりも、むしろ大半を切り捨て特定の情報をピックアップしている。我々は「見える」「聞こえる」と実感しているが、実際は「見たいもの」しか見ていないことが認知科学によって判明している。
固い信念や強い確信を抱く人物ほど世界を固定的に捉える傾向が強い。他人の意見に耳を傾けることができない人物は「死ぬ確率」が高いことを弁える必要がある。