2012-04-27
平安から近世にかけては火葬が主流だった
大化2年の薄葬令の影響もあってか、702年に崩御した女帝・持統が火葬に付されたのを嚆矢に、平安から近世にかけては仏教的な火葬が主流だった。巨大な陵墓に土葬する復古主義が始まったのは孝明天皇以来。このように幕末・明治以降、新政府の権威付けのための宮中儀礼の「捏造」が多くみられた。
— tetsuya kawamoto さん (@xxcalmo) 4月 26, 2012
わが国最初の火葬例は、公式記録によれば、文武4年(700)に死んだ元興寺(がんこうじ)の僧道昭(どうしょう)である。
【『隠された十字架 法隆寺論』梅原猛(新潮社、1972年/新潮文庫、1981年)】
2012-04-26
岸田秀、山本七平
1冊読了。
24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。
24冊目『日本人と「日本病」について』岸田秀〈きしだ・しゅう〉、山本七平〈やまもと・しちへい〉(文藝春秋、1980年/青土社、1992年/文春文庫、1996年)/一度読んでいる。しかし全く理解できていなかったようだ。繰り広げられる知の饗宴。間髪を入れぬ応酬。解体される日本人の姿。骨太の知性は30年を経ても色褪せることがない。日本文化の伝統として、徳川時代の町人学者から連綿と続く断章取義を挙げている。そして日本社会を構成する原理は「擬制の血縁」である、と。唸(うなり)り続けているうちに読み終えていた。
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