このアンソロジーはお薦め。装丁・装画は安野光雅〈あんの・みつまさ〉。尚、理由は知らないが単行本と文庫本の巻数が異なっている。
・筑摩書房
クリシュナムルティ●あなたはこうたずねられるかも知れません。「あなたは輪廻転生を信じますか?」と。そういうことですね? 私は何も信じません。私が何も信じないというのは回避ではありません。そしてそれは私が無神論者であるとか、神を冒涜(ぼうとく)するとかいったことを意味するのではないのです。その中に入り込み、それが意味するものを見て下さい。それは精神が信念のあらゆるゴタゴタから自由になることを意味するのです。
【『仏教のまなざし 仏教から見た生死の問題』モーリス・オコンネル・ウォルシュ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2008年)】
とすると1劫ごとに輪廻が繰り返されたとしても、我々の認識では「繰り返し」と見なすことが不可能だ。
【岡野潔「仏陀の永劫回帰信仰」に学ぶ その一】
すべての人にそれぞれ現在があって、その現在においてのみ、その人の時があり、それが現在であるという。しかも、そこではいつでも現在が中心になっています。ですから、仏教では現在・過去と並称するときには決して「将来」ということばは使わない。「未来」ということばを使う。(三枝充悳〈さいぐさ・みつよし〉)
【仏教的時間観は円環ではなく螺旋型の回帰/『仏教と精神分析』三枝充悳、岸田秀】
望む、とは、ただ見ることとはちがう。呪(のろ)いをこめて見ることを望むという。望みとは、それゆえ、攻め取りたい欲望をいう。
【『楽毅(一)』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】
そう、私は理知によって世界を知ることができる、誇り高いオートバイなのだ。
【『見よ 月が後を追う』丸山健二(文藝春秋、1993年)以下同】
私の青は、うねる蒼海の青であり、遠い分水嶺の青であり、亜成層圏辺りに広がる青、
私の青は、世の風潮にほとんど影響されない青であり、神々の審判をきっぱり拒む青。
そこかしこに蔓延(はびこ)っている、一生を棒に振り兼ねない、投げ遣りな静観主義。
深々と更け渡る夜のなかにあって命の振動音を発しているのは、原子力発電所のみだ、
こんな片田舎でともあれ権勢を誇って生き生きとしているのは、低濃縮ウランだけだ。
稼働してまもない、とかく風評のある、元凶の典型となったそいつ、
人命など物の数ではないといわんばかりに、一意専心事に当たるそいつ、
桁外れの破壊力を秘めながら、普段は目立たない汚染を延々と繰り返すそいつ。
そいつは暗々のうちに練られた計画に従って、高過ぎる利益を生み出している、
そいつは進取的な素振りを見せながら、旧弊家どもの手先として働いている、
そいつは昼夜を問わず制御棒をぶちのめす機会を虎視眈々(たんたん)と狙っている。
およそ人が造り出した物で自然の摂理に逆らわない物はない、と原子力発電所は嘯(うそぶ)く、
たしかに……この私にしてからがそうだ。
鉄やゴム、それに少々のガラスといった材料から成る私も決して例外ではない、
原子炉の比ではないにしても、私もまた、やはりそれなりの毒を撒き散らす者だ、
これまで私が受けてきた非難にしても、謂(いわれ)のない非難というわけではない。
私は気化させたガソリンを連続的に爆発させて、燃えかすと爆音を世間に叩きつける、
私は前後ふたつの車輪を意のままに回転させて、世に満つくだらない不文律を蹴散らす、
私は無意味な高速がもたらす【がき】染みた示威行為によって、進退極まった中年男を悲しみのどん底から救い、陶然と酔わせる。
私にしがみついて疾駆する者は、自ずと他律的に振舞うことをやめるのだ、
私と共にある者は、何事にも怯(ひる)まず、飯代に事欠く立場さえすっかり忘れてしまう、
私といっしょに雲を霞(かすみ)と遁走する者は、私がその潜在意識とやらを充分に汲み取って、ひと思いに死なせてやろう、
むろん独りで死なせはしない。
私は突っ走ることで主我を確立する。
私が放つ光芒は皮相的な見解を突き破り、外界のありとあらゆる事物や、有象無象の一時も忽(ゆるが)せにできないめまぐるしい変化に鋭く対応する、
私が発する感嘆の声は根拠のない推論を押しのけ、魂も消え入るような思いを叩き伏せ、未だに固持されている旧説を素早く追い越して行く。
それから彼は、自分の両親と娘の家族が郷里を引き払った理由について説明する、
つまり、かれらがそうしたのは大半の住民に倣ったまでのことだ、と言い、町の定住人口を却って激減させてしまったのは当の原子力発電所だ、と語る、
原子力発電所がこの町に居坐るために気前よくばら撒いた金と、いつの日かきっとばら撒くであろう放射能のせいで、多くの人々が一生に一度の決断を下したのだ、と言う。
とにもかくにも完璧に制御されているものと信じるしかない核反応の恐怖に寄り掛かって惰眠を貪るしかない町、
この町はすでに拒絶する力を失っているのかもしれない、
もしそうだとすれば、身を潜めなくてはならない者にとっては打ってつけの土地だろう。
思った通りの死せる町、
際立っているのは原子力発電所のみだ、
そいつは既知の事実を誣(し)いる輩、
そいつがせっせと造りつづける電力はあっという間に300キロも遠く懸け隔てた彼方へと、国家の枢機を握っている大都市へと吸い込まれてゆく。
地元の素封家を差しおいてこの町を牛耳っている原子力発電所、
それは尚も廃家の数を増やしつづけ、生命や文化や尊厳を殺し、ついでに因習や禁忌といったものまでもゆっくりと残害しつづけている。
外洋の彼方で早くも油然と湧く夏雲、
海水に溶け込んでいる希元素の憂鬱、
改心の見込みなどまるでない放射能。
かれらは、安堵の胸を撫でおろしている者ではなく、静座して思索に耽る者でもない、
かれらは、放射能の源に対して舌尖鋭く詰め寄る者ではなく、安く造った電力に法外な値を吹っかけて売りつける企業に一矢を報いる者でもない。
郷里にとどまることにした者たちは、常に無能な時の為政者が大仰に述べ立てた言葉を頭から信じたのではないだろう、
さんざん疑った挙句に、ともあれ成り行きに任せてみることにしたのだろう、
そうやって居残った人々は、殺気を孕んだ大気や、前途に横たわる暗流を、現実から遊離した不安として無理矢理片づけてしまったのだろう。
従ってこの地はもはや、汚されたと言い表せるほどの聖域ではなくなっているはずだ、
よしんばプレアデス星団が見て取れるような澄明な夜が続いたとしてもだ。