2012-10-09
2012-10-08
迫真の肖像力
いやはや、またぞろ凄いのを発見したよ。「偽りの画像が生む本物の迫真性」で紹介した klikatu's photostream に匹敵する衝撃を受けた。記事タイトルの肖像力とは「肖像が持つ力」ではない。「肖像を捉える力」である。私は画像処理を施した写真はあまり好きじゃないのだが、被写体の本質を引き出すためのデフォルメであれば歓迎する。数枚見ただけで、「これは厳選しなければ膨大な数になってしまう」と憂慮しながらも、tumblrにこれだけの枚数をアップした。撮影者は意図的に物語性を排除していると思われる。悲哀や寂寥(せきりょう)はない。ただ「ありのままの事実」にアプローチしているだけだ。その率直さが写真に独立性を与えている。どの作品を見ても心が震える。震えてならない(枚数が多いため画像を小さくしてある。是非ともクリックして元画像をご覧いただきたい)。
・Alέxandros Bairamidis' photostream
既知からの自由
「既に知っていること」で「新しいこと」を解釈するのではなくて、「新しいこと」を使って「既に知っていること」を解釈する方がいいと思う。「既に知っていること」は知っている「つもり」であるので、それ使って新しいことを受け入れるのは実は受け入れたことにならないから。
— びゅうろうさん (@bu_reau) 10月 5, 2012
これをクリシュナムルティは「既知からの自由」と表現した。
・暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ
「慈悲の瞑想」アルボムッレ・スマナサーラ
このマントラはよい。思わず一緒に口ずさんでしまった。アルボムッレ・スマナサーラはスリランカの上座部仏教(テーラワーダ仏教)シャム派の日本大サンガ主任長老を務める人物(Wikipedia)。著作も数多く刊行されている。
・仏教分裂の歴史/『慈経 ブッダの「慈しみ」は愛を越える』アルボムッレ・スマナサーラ
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