・日本語初のDVDブック/『変化への挑戦 クリシュナムルティの生涯と教え』J・クリシュナムルティ
2013-03-08
チャベス関連リンク
チャベス大統領死去、ハリウッドスターからも追悼の声 ショーン・ペン「親愛なる友人を失った」 - シネマトゥデイ cinematoday.jp/page/N0050893
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月7日
チャベスの報道は注意して見る必要がある(情報操作の疑い濃厚) - にほん民族解放戦線^o^ blog.goo.ne.jp/nanbanandeya/e…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月7日
ベネズエラ検察官ダニーロ・アンデルソンの暗殺はチャベス暗殺の前触れか jca.apc.org/stopUSwar/Bush…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月7日
ベネズエラとウゴ・チャベスの実績を明確にする: マスコミに載らない海外記事 eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/p…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月7日
中南米共同体と アメリカによるチャベス暗殺計画|神秘の杜 ameblo.jp/mo-014925/entr…
— 小野不一さん (@fuitsuono) 2013年3月7日
・欧米メディアはなぜチャベスを嫌うのか?:西谷修-Global Studies Laboratory
記憶に残る言葉たち、故チャベス大統領
5日に58歳で死去したベネズエラのウゴ・チャベス(Hugo Chavez)大統領は、その発言で支持者を魅了し、敵対する人々を憤慨させる冗舌な演説家だった。記憶に残るチャベス氏の言葉の一部を集めた。
「同志よ、残念ながら、差し当たっては、われわれの目指した目標は達成されなかった」
1992年2月4日、ベネズエラのカルロス・ペレス(Carlos Andres Perez)大統領(当時)に対するクーデターが失敗に終わったことについて、責任を表明するチャベス中佐(当時)の発言。
「キューバは幸福の海だ。ベネズエラはそこへ向かう」
2000年3月8日、キューバからのボランティア受け入れの際に。キューバのフィデル・カストロ(Fidel Castro)前国家評議会議長はチャベス氏の重要な政治的盟友であり、チャベス氏はカストロ氏を「父」として慕った。
「ALCA、ALCA…al carajo!」(アルカラホ、「くたばりやがれ」の意)
2005年11月4日、米州首脳会議がアルゼンチンで開催された際に、米国が強く後押しする米州自由貿易地域(FTAA、スペイン語の頭文字をとってALCAとも呼ばれる)の創設に反対して。
「あなたはロバだ、ミスター・デンジャラス」
2006年3月19日、毎週放送されるテレビ・ラジオ番組「こんにちは大統領(Alo Presidente)」で、ジョージ・W・ブッシュ(George W. Bush)米大統領(当時)を評しての発言。チャベス氏は他にもブッシュ氏を「臆病者」「殺人者」「集団虐殺(の犯人)」「酔っ払い」などと呼んだ。
「昨日、悪魔がここにいた。まさにここだ。今も硫黄の臭いがする」
2006年9月20日、国連総会で、その前日に演説を行ったブッシュ大統領(当時)について言及して。
「あなたの友人になりたい」
2009年4月18日、トリニダード・トバゴで開かれた米州首脳会議で、バラク・オバマ(Barack Obama)米大統領に告げた言葉。
「生きよう、そして勝利しよう!」
2011年6月30日、がんと診断された後に発表された新たなスローガン。その前のスローガンは「社会主義祖国か、死か」だった。
「おまえにはブタの尾があり、ブタの耳があり、そしてブタのように鳴く。おまえはブタだ」
2012年2月16日、10月の大統領選挙を前に、野党候補エンリケ・カプリレス(Henrique Capriles)氏に向かって。
「主よ、あなたのイバラの冠をわたしに与えてください。その冠でわたしは血を流します。あなたの十字架を、100の十字架を与えてください。あなたに代わってわたしがそれを担ぎましょう。そのかわり、命をわたしに与えてください。わたしには、わが国民と祖国のためにやるべきことがまだあるのです。まだ奪わないでください」
2012年4月5日、がん治療の中で行われた健康祈願のミサで。
「マドゥロを共和国大統領に選んでくれ。私の心からの頼みだ」
2012年12月8日、次期大統領選挙に自らが出馬できなくなった場合にニコラス・マドゥロ(Nicolas Maduro)副大統領を選ぶよう国民に求めて。
「母国ベネズエラに戻ってきた。(中略)神に、そしてわが愛する国民に感謝をささげる。(中略)わたしはキリストとともにおり、主治医と看護師らを信頼している。(中略)いつも言っていることだが、勝利のときに再び会おう。生きよう、そして勝利しよう!」
2013年2月18日、1週間の沈黙をやぶって突如、療養先のキューバからベネズエラに帰国した際の言葉。
【AFP 2013-03-07】
2013-03-07
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』関連動画
男は格闘技に生き、格闘技に翻弄された。木村政彦の名は本書によって格闘技の歴史に極太ゴシック体で記されたといってよい。そして木村を貶(おとし)めた力道山もまた格闘技に翻弄された一人であった。上下二段700ページに及ぶ大冊だ。新潮社の2600円という価格設定は勇断である。増田俊也〈ますだ・としなり〉は格闘技でもって見事に昭和史を切り取ってみせた。牛島辰熊〈うしじま・たつくま〉、木村政彦、岩釣兼生〈いわつり・かねお〉の師弟三代にわたる武士道は最後の一ページで結実する。読者は「あ……」と息を呑んで、胸の振動に身を揺さぶられることだろう。著者もまた柔道家である。時折、ペンが感情の激流に流され呪詛の域に達する。それもまたよしとしよう。木村の強さに引きつけられた者は信者となってしまうのだ。
以下に木村関連の動画を紹介する。見てから読んでもいいし、読んでから見ても構わないだろう。本書は木村の虚実をも赤裸々に描いている。
尚、合気道の神様といわれた塩田剛三〈しおだ・ごうぞう〉は拓大時代からの親友で、大山倍達〈おおやま・ますたつ〉は拓大の後輩である(※大山の経歴については異論もあるようだ)。
岩釣兼生 木村政彦伝 鬼の柔道
・東京新聞:『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』 増田俊也さん(作家、中日スポーツ記者)
・「そして、リヴェンジは果たされた」平野啓一郎
2013-03-06
増田俊也
1冊読了。
10冊目『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也〈ますだ・としなり〉(新潮社、2011年)/一部飛ばし読み。上下二段700ページを3日間で読了。昂奮冷めやらず。本書については項目を別にして書く。
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