クリシュナムルティのエッセンスをものの見事に一言でいい表している。
手段以外の目的は、すべてまやかしである。「成る」ことは「在る」ことの否定である。
— ブルース・リー (@Tao_JKD) 2012, 10月 9
・努力と理想の否定/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
・ブルース・リー
手段以外の目的は、すべてまやかしである。「成る」ことは「在る」ことの否定である。
— ブルース・リー (@Tao_JKD) 2012, 10月 9
小雪が舞っていた。まだあどけなさを残した男子中学生3人組がぽっかりと口を開けて空を見上げていた。ちびっ子二人組は走りながら「ゆきー、ゆきー、ゆき~~~」と歌っていた。小節を回した瞬間、私の顔を見て首を揺らした。ベテランの演歌歌手さながらであった。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 1月 10
間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。
【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】
暗いときには星が見える。
(ペルシアのことわざ)
【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)以下同】
「あなたの村に、何かお手伝いできることはありませんか?」
「教わることは何もありません。あなた方が持っているものも、たいしてうらやましくないです。どこをとっても、私たちの方が幸せそうだと思います。ただ、学校だけは欲しい。子どもたちを学校に通わせたいのです」
(エドマンド・ヒラリー卿とウルキエン・シェルパの対話 『雲の中の学校』より)
偉大さは、つねに次のものを基礎とする。
ごく平凡な人間の姿と言動である。
(シャムス・ウッディーン・ムハンマド・ハーフィズ)
心に哀しき憧れを抱け。
決してあきらめず、決して希望を失うな。
アラーいわく「我は打ちのめされた者を愛する」。
傷つくがいい。打ちのめされるがいい。
(シャイフ・アブ・サイード・アビル・ヘイル またの名を、名も無き者の息子)
アラーを信ぜよ。
だが、自分のラクダはしっかりつないでおけ。
(スカルドゥの第5飛行団基地の入り口にあった注意書き)
諸君、
美しい女の瞳はなぜ許可制でないのか?
弾丸のように勇気をつらぬくし、刃のようにするどいのに。
(バルティスタンのサトパラ渓谷にある、現存する世界最古の仏様にスプレーで書かれた落書き)
ヒマラヤの原始的な暮らしが、工業化の進んだ私たちの社会に教えてくれる。ばかげた考えだと思うかもしれない。しかし、きちんと機能する未来の姿を求めれば、めぐりめぐって、人間と大地とが共存する暮らしに必ず回帰する。昔ながらの文化は、悠久の大地を絶対に無視しない。
(ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ)
打ちおろされるかなづちではなく、たわむれる水こそが
小石を完全なるものに歌いあげる。
(ラビンドラナート・タゴール)
算数や詩の時代は終わった。兄弟たちよ、今は機関銃(カラシニコフ)や手榴弾から学ぶ時代だ。
(コルフェ小学校の壁にスプレーで書かれた落書き)
ノバトゥスの兄上、あなたは私を動かして、一体どうすれば怒りは静められるかについて書くように求めたが、あらゆる感情のうちで取りわけ疎(うと)ましく気狂いじみたこの感情を、特にあなたが恐れているのは無理からぬことと思う。なぜかと言えば、これ以外の感情には何らかの安らかさ・静かさも含まれているが、この感情だけは全く激烈であって、憎しみの衝動に駆(か)られて、武器や流血や拷問(ごうもん)という最も非人間的な欲望に猛り狂い、他人に害を加えている間に自分を見失い、相手の剣にさえも飛びかかり、復讐者(ふくしゅうしゃ)を引きずり回して、是が非でも復讐を遂げさせようとするからである。それゆえ或る賢者たちは、怒りを短期の気狂いだと言っている。
【「怒りについて」/『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年)】