2014-03-15
ファーリー・モウェット、齋藤利男、ジャン・ジグレール、副島隆彦、佐藤優、響堂雪乃、他
5冊挫折、8冊読了。
『黒い怒り』W・H・グリアー、P・M・コッブズ:太田憲男訳(未來社、1973年/投資日報出版、1995年)/猿谷要著『生活の世界歴史 9 北米大陸に生きる』で引用されていた一冊。良書。時間がないため半分ほどしか読めず。
『生命文明の世紀へ 「人生地理学」と「環境考古学」の出会い』安田喜憲〈やすだ・よしのり〉(レグルス文庫、2008年)/たぶん創価学会主催の聖教文化講演をまとめた内容だろう。ちょっと媚び過ぎだと思う。最悪なのは村上和雄を引用していること。それだけでも、まったく読む価値のない疑似科学本だと言い切れる。好きな学者だけに落胆の度合いも深い。
『世界を変えた10冊の本』池上彰(文藝春秋、2011年/文春文庫、2014年)/飛ばし読み。ラインナップがオーソドックス過ぎて興味が高まらず。
『停滞空間』アイザック・アシモフ:伊藤典夫訳(ハヤカワ文庫、1979年)/ポール・J・スタインハート、ニール・トゥロック著『サイクリック宇宙論 ビッグバン・モデルを超える究極の理論』に引用されていた「最後の質問」だけ読む。
『頭を5cmずらせば腰痛・肩こりはすっきり治る! 一日3分の姿勢矯正エクササイズ』綾田英樹〈あやた・ひでき〉(角川SSC新書、2012年)/3分の1ほど読む。文章はよいのだが、時折カイロプラクティックへの誘導が見られるのが難点。親切な営業マンっぽくて残念。
11冊目『サイクリック宇宙論 ビッグバン・モデルを超える究極の理論』ポール・J・スタインハート、ニール・トゥロック:水谷淳〈みずたに・じゅん〉訳(早川書房、2010年)/昨年読み終えたのだが書いていなかった。最新宇宙論のひとつ。ビッグバン理論およびインフレーションモデルに疑問を投げかけ、サイクリック宇宙論を提示する。宇宙は誕生したり滅亡したりしながら循環してゆくという話。泡みたいなものか。筆づかいが慎重なためドラマ性には欠けるが、それでも読ませるだけのわかりやすさがある。
12冊目『相場サイクルの基本 メリマンサイクル論』レイモンド・A・メリマン:皆川弘之訳(投資日報社、1995年)/これは勉強になった。テクニカル派はやはりロジックが大切だ。
13冊目『バビロンの大富豪 「繁栄と富と幸福」はいかにして築かれるのか』ジョージ・S・クレイソン:大島豊訳(グスコー出版、2008年)/原書は1920年刊。若い人にオススメ。この手の本は読んだ瞬間に思考回路が変わるようでなければいけない。意外と読み手を選ぶ本だと思う。
14冊目『狼が語る ネバー・クライ・ウルフ』ファーリー・モウェット:小林正佳訳(築地書館、2014年)/カナダの国民的作家らしい。期待したほどではなかったが一日半で読み終えた。本当のことを書いておくと、テンプル・グランディン著『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』に「ヒトは狼から社会性を学んだ」とあったので、それを補強する材料を探しただけのこと。アニー・ディラードと比べると浅い。
15冊目『2015年の食料危機 ヘッジファンドマネージャーが説く次なる大難』齋藤利男(東洋経済新報社、2012年)/これは面白かった。食糧モノを集中的に読み込んでいるのだが、アメリカが穀物を戦略物資と位置づけていることがよくわかった。
16冊目『世界の半分が飢えるのはなぜ? ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』ジャン・ジグレール:たかおまゆみ訳、勝俣誠監訳(合同出版、2003年)/以前からタイトルは知っていたが読むのが遅れた。先ほど読了。やはり合同出版は気骨がある。最初は舐めてかかっていたのだが大間違いだった。食糧モノの筆頭第1冊目に推す。 今後ネスレ商品は一切購入しないことを決意した。
17冊目『暴走する国家 恐慌化する世界 迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠』副島隆彦〈そえじま・たかひこ〉、佐藤優〈さとう・まさる〉(日本文芸社、2008年)/一気読み。佐藤優は明らかに真っ向勝負をしていない。「受け」に徹している。そのためか副島も礼儀正しく誠実な話しぶりである。書評済。
18冊目『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉(ヒカルランド、2012年)/いやあ知らなかった。こんなブロガーが存在したとは。全国紙系列の広告代理店で編集長を務めた人物で著者名はハンドルと思われる。タイトルと各章の見出しだけで読書意欲が湧く。何と言ってもジャン・ボードリヤールを思わせる華麗な文体が凄い。文章の圧縮度が高く、説明能力が引用文献を上回り、あらん限りの力で警鐘を乱打している。該当ブログの記事は既に削除された模様。著者は男性のようだ。唯一の瑕疵は参考文献が手抜きなところ。ナオミ・クラインを挙げていないのはおかしい。
2014-03-14
システマのナイフディフェンス
先日、千葉県柏市で連続殺傷事件が起こった。日本では銃を規制されているため、通り魔はナイフを使用すると考えてよい。もちろん我々素人が咄嗟(とっさ)に対応できるとは思えないが、やはり学習しておくに限る。家族と同居している人は実際に練習してみるとよいだろう。知識がなければ身体は動かない。
(11分10秒から)
官僚は増殖する/『パーキンソンの法則 部下には読ませられぬ本』C・N・パーキンソン
・『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ
・『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル
・官僚は増殖する
・『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
そこで技術的な点を省略し(実は非常に数多いが)、まず次の二つの動因を特に考えてみることにしよう。それらはさしあたり、次の二つの公理的ステートメントでいいあらわされる。すなわち、(1)役人は部下を増やすことを望む。しかしながら、ライヴァルは望まない。(2)役人は互いのために仕事をつくり合う。
第一の素因を理解するために、自分の仕事が過重であると感じている一人の公務員について考えてみよう。この人物をAとする。仕事の過重の真疑(ママ)は問題ではないのだが、一応このAの感じは自分の精力の減退、つまりいわゆる更年期障害からくるものとしよう。この場合の処方は大ざっぱにいって三つある。すなわち、辞めるか、同僚Bと仕事を分ち合うか、あるいは二人の部下CおよびDの助力を求めるかである。しかし、実はAがこの第三以外の方法を選ぶ例は、歴史的にみても、ほとんどない。辞めれば恩給がもらえなくなるし、Bを自分と同列に入れれば、いずれW氏が引退するときにそのあとをつぐライヴァルをつくることになる。したがって、AがCおよびDなる後輩を自分の部下にしたいと考えるのはむしろ当然である。二人の部下は自分の重要さを増し、仕事を二つに分けてCとDとに分担させれば、自分だけ両方のパートに精通しているただ一人の男になりうるのである。CとDと、どうしても二人必要だということは重要な点である。Cだけを入れることはできない。何となれば、C一人を入れ、仕事の一部をさせれば、Cは、さきにBの場合にみたように、自分をAと同列の地位にあるように考えだす。もしCがAのたった一人の後継者だとしたら、問題はさらに深刻である。したがって部下の数は常に二人以上で、互いに他の昇格をおそれさせるようにそておかねばならない。そのうちやがてCがその仕事の過重を訴えてくるようになったら(必ずそうなるであろう)、Cとの協力で、さらに彼を助ける二人の助手、EおよびFを入れるべく意見具申をし、かつまた内部摩擦をさけるため、Dにも二人の助手、GおよびHをつけるよう意見具申をする。こうして、E、F、G、Hの採用に成功すれば、Aの昇進はもはや疑いの余地はない。
【『パーキンソンの法則 部下には読ませられぬ本』C・N・パーキンソン:森永晴彦訳(至誠堂、1965年)以下同】
シリル・ノースコート・パーキンソンはイギリスの政治学者・経済学者である。パーキンソンの法則を端的に表現すると次のようになる。
第一法則:仕事は、その遂行のために利用できる時間をすべて埋めるように拡大する。
第二法則:支出の額は収入の額に達するまで膨張する。
第三法則:拡大は複雑化を意味し、組織を腐敗させる。
【情報システム用語事典:パーキンソンの法則】
1955年(英国『エコノミスト』誌 11月19日号)に発表した風刺コラムが税金に寄生する官僚の実態を見事に暴く。そしてステレオタイプ化された様相が笑いを誘う。巨大組織は官僚を必要とするが、官僚はどこの官僚も同じ表情をしている。
・「裸の王様上司」は「ヒラメ部下」によってつくられる
事なかれ主義と不作為(『国家の自縛』佐藤優)が官僚の自律神経として働く。引き続き著者は官僚が増殖する様をコミカルに描く。
こうして、前に一人でやっていた仕事を、7人の人間がやることになった。ここで、第二の要因が働きだす。すなわち、7人の人間は互いに仕事をつくり合い、Aは事実上、前にも増して忙しくなる。1通の受入書類は、彼等のあいだを次々にまわって行くこととなる。まずEがその書類はFの管轄に属することを定め、Fはその回答の下書きをCに提出し、CはDに相談する以前にそれを大幅に修正し、Dはこの問題についてはGに取扱いを命ずる。ところが、Gはこれから出張なので、Hにファイルをわたす。Hは覚え書きをつくり、Dがそれにサインをし、Cにわたす。Cはそれを見て、前の下書きを改訂し、その改訂版をAにもって行く。
さて、Aは何をするか。いまこそ彼にはメクラ判を押す口実がヤマとある。つまり一人であまりにも多くのことを考えなければならないからだ。来年Wのあとをつぐことになっているので、CかDのいずれかを自分の後任にきめなければならない。またAはGの出向に、必ずしもというわけではないが、同意せねばならない。もしかしたら、健康上の理由からはHをやった方がよいのかもしれない。彼はこのごろ顔色がすぐれない。家庭的な事情もあるらしいが、必ずしも、それだけでも(ママ)ないらしい。それからFの給料を会議の期間中にましてやらねばならない。Eは恩給局に転勤希望を申しこんできている。Dが夫のあるタイピストと恋愛しているということをきいていたし、GとHが絶交中だという話もある。(しかも理由を知ったものは誰もいないというのだ)。こういうわけだから、AはいまCのよこした文書にただサインだけして片付けてしまいたいところである。だが、Aには良心がある。彼は、彼の仕事仲間が、みんなや自分のために作り出してくれたさまざまの問題、つまり、これらの役人がいるということだけのために生じてきた問題に悩まされながらも、その義務を怠るような男ではないのである。彼は注意ぶかくその文書を読み、CおよびHによってつけ加えられた気に入らぬ部分をけずり、結局、少々喧嘩早いが有能なFによって最初にきめられた形にもどしてしまう。彼は英語を直し――近ごろの若いものときたら、英語もろくすっぽ書けない――そして、公務員C、D、E、F、G、Hはまったく不必要な存在であったかのように、回答を作成する。だが、もっとずっと多くの人びとが、これよりもはるかに多くの時間をかけて同じものを作っていることもある。ここでは誰一人として怠けた者はいなかった。全員がベストをつくした。そしてAが退庁し、イーリングの自宅に向って帰途につくときには、もう日は暮れかかっている。オフィスの最後の灯は、また今日も長い労働の一日の最後をマークする薄明の中に消されて行く。最後に退庁する人群れにまじって、Aは肩を丸め、ゆがんだ微笑をうかべながら思う。頭が白くなるのと同じように、時間がおそくなるのも、成功の代償のひとつなんだな、と。
失礼。面白いあまり引用が止まらなくなってしまった。だが笑ってばかりもいられない。ブラックユーモアを真面目に実行する彼らが複雑怪奇な法制度や経済システムを構築し、国民の資産を税金という形で天下り先に流しているのだから。
日本の場合、事実の上で官僚が三権を支配している。ここに大鉈(おおなた)を振るわない限り、民主主義が実現することはあり得ない。各省庁に稲盛和夫のような人物を社外取締役に任命し、国民が直接監査する制度が必要だと思う。
・国を賊(そこな)う官僚/『誰が国賊か 今、「エリートの罪」を裁くとき』谷沢永一、渡部昇一
パレートの法則/『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ
・『反社会学講座』パオロ・マッツァリーノ
・『ピーターの法則 創造的無能のすすめ』ローレンス・J・ピーター、レイモンド・ハル
・『パーキンソンの法則 部下には読ませられぬ本』C・N・パーキンソン
・パレートの法則
・『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート=ラズロ・バラバシ
80対20の法則とは、投入、原因、努力のわずかな部分が、産出、結果、報酬の大きな部分をもたらすという法則である。たとえば、あなたが成し遂げる仕事の80%は、費やした時間の20%から生まれる。つまり、費やした時間の80%は、わずか20%の成果しか生まない。これは、一般の通念に反する。
投入と産出、原因と結果、努力と報酬の間には、どうにもできない不均衡があり、その不均衡の割合はおおよそ80対20なのである。投入の20%が産出の80%、原因の20%が結果の80%、努力の20%が報酬の80%をもたらす。
【『新版 人生を変える80対20の法則』リチャード・コッチ:仁平和夫〈にひら・かずお〉、高遠裕子〈たかとお・ゆうこ〉訳(増補リニューアル版、2018年/阪急コミュニケーションズ、2011年/阪急コミュニケーションズ旧版、1998年)以下同】
この法則を発見したのはイタリアの経済学者ヴィルフレード・パレートで1897年のこと。パレートの法則は、80対20の法則、最小努力の法則、不均衡の法則などとも呼ばれる。基本的な原理は以下のページがわかりやすい。
・パレートの法則
自由競争や合理化の限界を示しているようで面白い。生産性を旨とするコミュニティは不均衡によって支えられているとも考えられよう。ただし資本主義は不当な格差を生んでしまった。自由な社会とは正当な格差に基いて、上位20%の人々が貧困者に対してスポンサーシップを発揮するスタイルであろうか。勤勉な20%のアリが富を独占することは決してない。
パレートの法則は所得分布の経験則にすぎない。ただし汎用度が広い。
ビジネスの世界で、この80対20の法則がはたらいている例は枚挙にいとまがない。通常、売り上げの80%を占めているのは、20%の製品、20%の顧客である。利益をとってみても、この比率に変わりはない。
社会をみると、犯罪の80%を20%の犯罪者が占めている。交通事故の80%を20%のドライバーが占め、離婚件数の80%を20%の人たちが占め(この人たちが結婚と離婚を繰り返しているため、離婚率が実態以上に高くなっている)、教育上の資格の80%を20%の人たちが占めている。
家庭をみると、カーペットの擦り切れる部分はだいたいいつも決まっていて、擦り切れる場所の80%は20%の部分に集中している。これは衣類についても同じだろう。侵入防止の警報装置があるとすれば、それが誤作動する80%は、あらゆる問題のうちの20%が原因で起こる。
エンジンをみても、80対20の法則がみごとにはたらいている。燃料の80%は無駄になり、車輪を回しているのは、燃料の20%だけなのだ。この場合、投入の20%が産出の100%をもたらしている。
ビジネスシーンでは苦情の80%は20%の事柄に集中していると考え、解決策の優先順位を決めやすい。それとは反対にネット通販ではロングテールという手法を用い、80%部分を充実させることで20%部分を伸ばすモデルも登場した。
ここで恐ろしい想像をしてみよう。ひょっとすると機能する社会とは、20%の優秀な人々と60%の一般人と20%のダメ人間で構成されるのかもしれない。私は民主制よりも貴族制(『民主主義という錯覚 日本人の誤解を正そう』薬師院仁志)を支持しているのでわかりやすい構成といえる。世界の混乱は貴族階級(上位20%)がノブレス・オブリージュの精神を失ったところに原因があるのだろう。強欲が人類を滅亡へといざなう。その強欲に翼を与えたのはミルトン・フリードマンであった。
2014-03-13
進化宗教学の地平を拓いた一書/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド
・ウイルスとしての宗教/『解明される宗教 進化論的アプローチ』 ダニエル・C・デネット
・進化宗教学の地平を拓いた一書
・忠誠心がもたらす宗教の暗い側面
・宗教と言語
・宗教の社会的側面
・普遍的な教義は存在しない/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・キリスト教を知るための書籍
・宗教とは何か?
宗教はとりわけ、共同体のメンバーが互いに守るべき道徳規範を示し、社会組織の質を維持する。まだ市民統治機構が発達していなかった初期の社会では、宗教だけが社会を支えていた。宗教は、同じ目的に向けた深い感情的つながりをもたらす儀礼をつうじて、人々を束ね、集団で行動させる。
したがって、単独で存在する教会はない。教会とは、同じ信念を持つ人々が作る特別な集団、つまり共同体である。その信念はありふれた無味乾燥なものの見方ではなく、深い感情的つながりを持つ。象徴的儀礼や、合唱や一斉行動のなかで共通の信念を表現することによって、人々は、自分たちを共同体として束ねている共通の信仰に深くかかわっているという信号を送り合う。宗教(religion)という語が、ラテン語で「束ねる」を意味する religare からおそらく派生しているのは、この感情的な結びつきのためかもしれない。
【『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)】
余生が少なくなってきたので(あと30年くらいか)重要な書籍からどんどん紹介してゆこう。進化宗教学の地平を拓いた一書である。「宗教とは何か?」で順序を示してあるので参照せよ。相対性理論や数学の知識がある人は小室直樹から始めてよろしい。このラインナップですら省(はぶ)いている書籍は多い。本来であればやはり「キリスト教を知るための書籍」から入るのが正しい。流れとしてはキリスト教→科学→宗教→仏教&クリシュナムルティという順序が望ましい。ま、所詮は感性の問題であるが。
人間と動物を分かつのは宗教行為である。政治や経済は類人猿にも存在する(『あなたのなかのサル 霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源』フランス・ドゥ・ヴァール/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。だが死を悼(いた)み、死者を弔(とむら)い、遺体を埋葬し祈りを捧げるのは人類だけだ。宗教行為は「死の認識」に基づく。
ヒトのコミュニティが巨大化して国家にまで至ったのはなぜか? それは「悲しい」という感情を共有したためと考えられよう。「悲しみ」はたぶん後天的な感情だと思われる。既に学術的価値がないとされるJ・A・L・シング著『野生児の記録 1 狼に育てられた子 カマラとアマラの養育日記』(福村出版、1977年/原書は1942年)にもそのような件(くだり)があった。
北朝鮮の国家主席が死亡した際に登場する泣き女もシャーマン(巫女)と関係があるのではないだろうか。
「笑い」が知的行為で人によって異なるのに対して、「悲しみ」の感情は同じ場面で現れる(『落語的学問のすゝめ』桂文珍)。つまりコミュニティとは「悲しみを共有する」舞台装置なのだろう。オリンピックがその典型であろう。浅田真央が転んだと聞けば、オリンピックをまったく見ない私ですら悲しくなる。国家は感情を分断する。戦争が国家単位で行われるのも不思議ではない。
世界宗教と呼ばれるような宗教でも教義解釈によって絶えず分派を繰り返す。国家であろうと宗教であろうと権力は必ず腐敗する。その悪臭の中から必ず原点回帰運動が起こる。そして叫ばれた「正義」が人々に受け入れられると一気に暴力行為が花開くのだ。
宗教の語源については以下も参照せよ。
・宗教の語源/『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル
細切れの時間で書いたため取りとめのない文章となったが今日はここまで。あと10回か20回は紹介する予定だ。
宗教を生みだす本能 ―進化論からみたヒトと信仰
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・宗教は人を殺す教え/『宗教の倒錯 ユダヤ教・イエス・キリスト教』上村静
・デカルト劇場と認知科学/『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー
・マントラと漢字/『楽毅』宮城谷昌光
・『歴史的意識について』竹山道雄
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