2014-04-14

日米関係の初まりは“強姦”/『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー


岸田●ペリーがきたというのが、アメリカと日本の最初の関係のはじまりなわけですけれども、その最初の事件に関するアメリカ人の見方と日本人の見方に、非常に大きな開きがあって、そこに日米誤解の出発点があるんじゃないかと思います。日本の側から言えば、あれは強姦されたんです。

バトラー●文化に対する強姦ということは言えるんでしょうかねえ。

岸田●その理論的根拠については僕の書いた本のなかに述べておりますが、僕は、個人と個人の関係について言い得ることは集団と集団との関係についても言い得ると考えているわけです。強姦されたと言ったのは、司馬遼太郎さんですがね。僕はどこかで読んだんですけれども、そのとき、まさにそうだと僕は思ったわけです。日本が嫌がるのにむりやり港を開かされたのは、女が嫌がるのにむりやり股を開かされたと同じだと。ところがアメリカのほうは、近代文明をもたらしてあげたんだぐらいに思っている。

バトラー●そのつもりでしたね。

岸田●アメリカのほうは、封建主義の殻に閉じ籠もっていた古い日本を近代文明へと拓いた、むしろ恩恵を与えたぐらいのつもりで、日本のほうは強姦されたと思っているわけですね。同じ事件に関する見方が、かくも違っている。

バトラー●(省略)

岸田●ああいう形で日米が出会ったのは、やはり不幸な出会いだったんじゃないかと思います。いわばある男と女の関係が強姦ではじまったようなものです。そしてその強姦された女は、その男と仲よくしたいと思うんだけれども、いろいろなことから、どうしてもこだわりがあるわけです。

【『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー(トレヴィル、1986年青土社、1992年/河出文庫、1994年)】

 ケネス・D・バトラーは東洋言語学博士でアメリカ・カナダ大学連合日本研究センターの所長を務めた人物。岸田の対談集はどれも面白いが本書の出来はあまりよくない。

 私はペリー強姦説が岸田のオリジナルだと思い込んでいたので司馬遼太郎の名前を見て驚いた。

 ペリー来航の意義は、圧倒的な武力による開国の強要だけではなく、また交易の開始でもなかった。政治と経済、文化といったあらゆる面において、日本が近代という巨大なシステムに吸収されるということだったのである。

【『近代の拘束、日本の宿命』福田和也(文春文庫、1998年)】

 つまり強姦された挙げ句に、白人の家へ嫁入りさせられてしまったわけだ。そう。先進国一家だ。

 憂鬱になってくる。強姦した相手が金持ちであったために結婚生活が何となく幸福に見えてしまう。日本の経済発展の底流にはそういう心理的な誤魔化しがあったのだろう。で、怒りの矛先はアメリカではなく中国や韓国に向かう。まったく捻(ねじ)れている。

 しかも、黒船ペリーが開国を迫ったのは捕鯨船の補給地を確保するためだった(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)。現在、その捕鯨で我が日本は白人どもから叩かれている(有色人捕鯨国だけを攻撃する実態)。

「強姦」は喩えではない。アメリカ人は黒人奴隷やインディアンを実際に強姦しまくっている。ノルマンディー上陸作戦においては白人をも強姦している(「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」)。奴らのフロンティアスピリットとは強姦を意味するのかもしれない。

「世界の警察」を自認するアメリカは強姦魔であった。民主主義が有効であるならば、アメリカは倒されてしかるべき国家だ。



黒船の強味/『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八
泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典
意識化されない無意識は強迫的に受け継がれていく/『世界史講師が語る 教科書が教えてくれない 「保守」って何?』茂木誠

2014-04-13

無意味と有意味/『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド


『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 ・無意味と有意味

『たまたま 日常に潜む「偶然」を科学する』レナード・ムロディナウ

 真実は両者の中間にある。つまり、世界は完全な無意味ではないが、意味のわかる部分は限られている。このため、わたしたちはある方向には行動できるが、他の方向にはどうするべきかまったくわからないのである。
 簡単な例を使ってこれを考えてみよう。まず、目や耳、鼻や手を通して脳に送られてくる感覚情報は、つぎのようにビット(0または1)が連なった数列の形にあらわされているとする。

00101000110110……

 こんな仮定は奇妙に思われるかもしれないけれど、わたしたちはこの方法を使ってコンピュータと情報のやりとりをしているのである。たとえば、何かの絵をコンピュータの中に取りこむときに、どんなことがおこなわれるかというと、まず、ちょうど新聞紙に印刷された写真のように、絵を小さな点に分解する。それから、各点における色に2進法で番号を付ける。そうしてコンピュータに0と1のビット列を読みこませて、ディスプレイ上に絵を再現するのだ。
 つぎにマックスウェルから小さな悪魔を借りてきて、0と1からなる感覚情報をわたしたちの脳の代わりに読んでもらおう。この悪魔が受けとる情報はもっぱら感覚毛色から届くものとし、感覚毛色からは刻一刻と新しいビットが送られ、すでにわかっている数列につけ加えるとする。何しろ彼は悪魔なので永遠に生きられる。ということは、この世の終わりには、0と1が無限につづく数列が彼のもとに届くわけで、そうしたらわたしたちはこの世界に意味があるかどうかを彼にたずねることにしよう。

【『偶然とは何か 北欧神話で読む現代数学理論全6章』イーヴァル・エクランド:南條郁子訳(創元社、2006年)】

 偶然に関する分野はなかなか奥が深い。大雑把にいうと統計学と複雑系科学に分かれるが、本書は北欧神話と数学でアプローチしている。

 偶然と必然はただ単に無意味と有意味につながるものではない。キリスト教世界では自由意志の問題と決定論に関わってくる。

 脳は時系列を因果関係として認識し、ここに意味が生まれる。ただし意味は解釈によって変わるわけだから、「我々が生きるのは現実世界ではなくして解釈世界である」という私の持論が成立する。そして五感情報がバイアス(歪み)を避けられないため解釈された世界は妄想の色を帯びる。ここに宗教発生のメカニズムがある。

宗教の原型は確証バイアス/『動物感覚 アニマル・マインドを読み解く』テンプル・グランディン、キャサリン・ジョンソン

 単なる偶然を必然の物語に変えるのが宗教の仕事だ。偶然とは思えないような出来事は必ず宗教色が滲み出る。

ユングは偶然の一致を「時間の創造行為」と呼んだ/『本当にあった嘘のような話 「偶然の一致」のミステリーを探る』マーティン・プリマー、ブライアン・キング

 私はどちらかというと複雑系科学に興味があるため、本書はあまりピンとこなかった。アプローチの仕方はユニークなのだが淡白な文章に馴染めなかった。上記テキストもよく読むとちょっとおかしい。ビット化されたデジタル情報は「世界が0と1で構成されている」ことを意味するのではなく、「殆どの情報を0と1に置き換えられる」ことを示しているだけのこと。

 置き換えとは翻訳であるから、本来であればここから言語の限界に進むべきだと思われる。ビット列で画像が表示できるわけだから、0と1は既に軽々と言語を超えた。

 現実生活の作法としては偶然や必然を思い詰めて考えるべきではない。意味の罠に捕われてしまうと自分で自分を裁く場面が増えるように思う。ブッダが示した因果は必然ではなく、現在性を時間の流れの中で捉え直したものだと思う。必然性というよりは関係性(縁起)に重きを置く。

 我々は不幸な出来事が起こると、「なぜ?」と問わずにはいられない。「なぜ私だけがこんな目に遭わないといけないのか?」と。私がアウシュヴィッツやルワンダ、インディアン、パレスチナに関する書籍を読んできたのもこのテーマを探るためだった。

 神谷美恵子〈かみや・みえこ〉はハンセン病患者と出会い「何故私たちでなくてあなたが?」と問うた(『人間をみつめて』)。

 悲劇には固有の顔がある。人間の残酷さには限りがない。やがて地球は人類の悲しみを支えることができなくなることだろう。

 希望を抱くことは悲哀からの逃避に過ぎない。ゆえに、ただ悲しみを手放すことが正しい生き方だ。

偶然とは何か―北欧神話で読む現代数学理論全6章

歴史が人を生むのか、人が歴史をつくるのか?/『歴史は「べき乗則」で動く 種の絶滅から戦争までを読み解く複雑系科学』マーク・ブキャナン
偶然性/『宗教は必要か』バートランド・ラッセル
情報理論の父クロード・シャノン/『インフォメーション 情報技術の人類史』ジェイムズ・グリック
偶然か、必然か/『“それ”は在る ある御方と探求者の対話』ヘルメス・J・シャンブ

2014-04-12

パール金属 セーラムスリム 3段式 水切りバスケット

パール金属 セーラム スリム 3段式 水切りバスケット H-6125

サイズ:(約)幅385×奥行230×高さ560mm

「死ぬ理由に勝る、生きる理由がない」









人類の戦争本能/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ


・人類の戦争本能
アメリカを代表する作家トマス・ウルフ

「(中略)どこか海外の、別の戦区はどうですか。デスクワークが退屈なら、前線に出るのは?」
「とくにそういう希望はありません」と若い軍曹は言った。
「じゃ何が希望なのかな」
 軍曹は肩をすくめ、自分の手を眺めた。「平和に暮らしたいです。なぜか一晩のあいだに世界中の銃砲類が一つ残らず錆(さ)びつき、細菌爆弾の細菌が死に絶え、戦車が突然タールの穴と化した道路で有史前の怪物のように沈んでしまえばいい。それが私の望みです」

【「木製の道具」/『とうに夜半を過ぎて』レイ・ブラッドベリ:小笠原豊樹〈おがさわら・とよき〉訳(河出文庫、2011年/集英社、1978年/集英社文庫、1982年)以下同】

 河出書房新社から復刊。20年振りに再読した。「読む官能」ともいうべき刺激に溢れている。やはり小説は年をとらないと読めないものだ。そこそこ面白かったと記憶していたが、そんなレベルではなかった。『鳥 デュ・モーリア傑作集』ダフネ・デュ・モーリア、『廃市・飛ぶ男』福永武彦、『日日平安』山本周五郎、ちくま日本文学の『中島敦』、それに本書を加えて短篇集ベスト5としたい。467ページのどこにも隙(すき)がない。本が涎(よだれ)だらけになってしまった(ウソ)。

 神経過敏症と思われる軍曹が上官に呼ばれる。戦地で平和を望むのは子供染みている。という「常識」にブラッドベリは罠を仕掛ける。ゆっくり時間をかけて丹念に読まないと味わいが薄くなる。絶品の料理に舌鼓を打つようなものだ。


 だが軍曹は自分の手にむかって語りつづけ、その手をひっくり返しては指をじっと見つめるのだった。「もしあすの朝起きたら銃砲類がぼろぼろに錆びていたとして、あなた方士官のみなさんは、私たち部下は、いや【世界全体】はどうするでしょうか」
 この軍曹は注意深く扱わねばならない、と思った士官は、静かな笑顔を見せた。
「それは面白い質問ですね。そういう仮定について話すことは興味深い。恐慌状態が広範囲に広がるだろうというのが私の答です。どの国も世界中で武器を失くしたのは自国だけだと考えて、その災厄をもたらした張本人としての敵国を非難するでしょう。自殺や、株の暴落が続けさまに起って、数限りない悲劇が生れるでしょう」
「しかし、その【あと】は」と軍曹は言った。「すべての国が武器を失ったことは事実だとわかり、もう何一つ恐れるべきものはない、私たちはみんな新鮮な気持で再出発できるのだとわかったあとは、どうなります」
「どこの国も先を争って再武装するでしょうね」
「もしそれを阻止できたとしたら?」
「その場合は拳で殴り合うでしょう。事態がそこまで進めばの話ですが。鋼鉄のスパイクのついたグローブをはめて、男たちの大群が国境地帯に集まるでしょう。そのグローブをとりあげれば、爪や足を使うでしょう。脚を切り落せば、唾を吐きかけ合うでしょう。舌を切り、口にコルクを詰めたとしても、男どもは大気を憎しみで満たすでしょう。その大気の毒にあてられて、蚊も地面に落ち、鳥も電線からばったり落ちるほどにね」
「じゃ結局、武器を破壊しても、なんにもならないということですか」と軍曹が言った。
「その通りです。ちょうど亀の甲羅を剥がすようなものだ。ショックのあまり、文明は息がとまって死ぬでしょう」

 再読したのは「その場合は拳で殴り合うでしょう」の科白(せりふ)を確認するためだった。人類の戦争本能をこれほど見事に語った言葉を私は他に知らない。「人類の」というのは言い過ぎだが、集団に戦争本能が存在することは否定できまい。我々の社会ではそれを「競争」と呼ぶ。

 平和を夢見る軍曹の戯言(たわごと)が少しずつ色を変える。そして寛容な上官の言葉がどんどん尖鋭化(せんえいか)してゆく。まさに戦争と平和が対立する姿だ。

 物語はあっと驚く展開となり劇的に幕を下ろす。軍曹を「神の化身」と考えれば、物語の味わいは更に深まる。

とうに夜半を過ぎて (河出文庫)

本のない未来社会を描いて、現代をあぶり出す見事な風刺/『華氏451度』レイ・ブラッドベリ
宗教と言語/『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド