2014-06-26
第二巻のメモ/『楽毅』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
よく光る目が沈黙を重々しいものにした。黙ってすわっていることが、かえって相手を威圧するという人物をはじめてみたおもいの楽毅は、この人物のなかにあるのは年月の厚みばかりではなく、戦場の外にもある死地を果敢に乗り越えてきた自信であろうと観察した。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)以下同】
薛公(せっこう)は人にけっして恐怖をあたえない。むしろ、この人には以前どこかで会ったのではないかという親しげなものやわらかさをただよわせている。天下の信望を集める人は、あのようでなくてはなるまい、と楽毅は痛感したことがある。その薛公にくらべると司馬熹(しばい)の人格には深みが不足している。
若い武将は、ふつう策を好まず、勇猛さを誇ろうとするあまり、戦陣における変化を無視し、応変ということができない。
主従そろって目が■(目+毛/くら)いなかで、ひとり明察の目を具(そな)えていることは、いかに危ういことか、趙与という男にはわかっている。
――ここは魯(にぶ)さをよそおうしかあるまい。
武将というものは感情を殺すべきときに殺し、ふるまうべきときにふるまうことのできる者をいう。
現代に酔っている人々は、古人の知恵をつい忘れがちになる。現代にあって古言や古事を学ぶことは、知識を豊かにする以上に、おのれのいたらなさを知ることになり、むしろ学問の神髄とはそこにあるといえる。
楽毅は3年間の留学でおのれが見えるようになった。ということは、相手をも見えるようになったのである。
「人を相する者は、無私でなければならぬ。その無私に人の運命を映しだす。それゆえ、一瞬であろうと、相手と運命をともにする。相手が吉祥の持ち主であればよいが、凶妖(きょうよう)をもっている場合は、それに憑(つ)かれるの、祓(はら)わねばならぬ。要するに天与の幸を享(う)ける者は希(まれ)にしかおらず、その人に付(ふ)すことによって幸をわけてもらうというのが幸運とよばれているものである。いまかるがるしく天命というが、天命を知る者はかつて天子しかおらず、諸侯でさえ地神を祀(まつ)る者でしかなかった。それゆえ貴殿のような人臣は、天地の命をうかがい知ることはできず、すべては人により運命は左右されるとお考えになるがよかろう。幸運の人にお属(つ)きなされよ」(唐挙)
「国難は人の虚飾を剥(は)ぐ」(楽毅)
それがわかる丹冬は、
「雲は龍に従い、風は虎に従う、といわれます。聖王が龍虎(りゅうこ)であれば、それにしたがう風雲のゆくすえはさだまりますが、龍虎のいない天地で、風はどう吹き、雲はどう流れるのでしょうか」
と、きいた。むろん風雲とは楽毅のことである。
楽毅の心はきれぎれの想念を明るくまとめあげ、ひとつの決断にもってゆくというはずみをうしなっている。
郊昔(こうせき)の推量は衍(ゆた)かである。しかも妄誕(ぼうたん)へながれてゆかない。
「公子、勇気をもたれることです。勇気とは、人より半歩すすみでることです。人生でも戦場でも、その差が大きいのです」
天下の才は、天下のために使うべきであり、それが天意というものであろう。ひとりの人物が天業のために不可欠であるのなら、かならずその人物に天啓というものがある。その天啓をさまたげようとする者は、天の怒りを買い、天譴(てんけん)をくだされる。
「なにかを信じつづけることはむずかしい。それより、信じつづけたことをやめるほうが、さらにむずかしい。わしは聖人でも非凡人でもない。人並みの困難を選ぶだけだ」(楽毅)
こころざしが高い者は、それだけ困難が多く苦悩が深い
「兵の形は水に象(かたど)る。兵に常勢(じょうせい)なく、水に常形(じょうけい)なし、という」(楽毅)
「私欲を捐(す)て、兵を愛し、天の声、地の声、人の声をきけば、おのずと道はさだまる」(楽毅)
2014-06-25
外交とは戦いである/『楽毅』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『長城のかげ』宮城谷昌光
・マントラと漢字
・勝利を創造する
・気格
・第一巻のメモ
・将軍学
・王者とは弱者をいたわるもの
・外交とは戦いである
・第二巻のメモ
・先ず隗より始めよ
・大望をもつ者
・将は将を知る
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・『奇貨居くべし』宮城谷昌光
・『香乱記』宮城谷昌光
外交の才は、平和時に必要とされる場合が多いので、甘くぬるいものにおもわれがちであるが、戦時や軍事の才となんらかわりなく、大局をつかみ臨機応変でなければならない。外交の場裡(じょうり)も、戦争の場裡とかわらぬ生死のかかったきびしさにある。外交とは戦いであるという認識で、楽毅は趙王に謁見(えっけん)したのであるが、その戦いには勝てなかった。楽毅の才覚が趙王の暴言をうわまわれば、実際に戦争は熄(や)み、趙兵と中山兵とは殺しあわずにすむのである。両国にとってそれが最善であることは、いうをまたない。が、楽毅が趙王の陰點(いんかつ)さを斂(おさ)めさせることができず、それからのがれることに終始したことで、たれの目にもあきらかな戦いが再来する。
【『楽毅』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)】
春秋戦国時代における中国の強味は亡命、すなわち人材の流動性を確保できたところにあった。
翻って日本はどうか。野茂英雄〈のも・ひでお〉がアメリカ大リーグへ渡ったのは1995年のことだった。所属チームであった近鉄とマスコミは野茂を散々バッシングした。高輝度青色発光ダイオード(LED)を発明した中村修二に日亜化学工業が支払った報酬は2万円だった。中村は後に提訴し、東京地裁は発明の対価を約604億3000万円と算定した(東京高裁において8億4391万円で和解)。2000年、中村も渡米した。
出る杭は打たれる。抜きん出た才能を疎(うと)ましく思い、横並びを奨励するのは、やはり日本人が村社会から脱却できていないためだろう。
グローバリズムは人や資本の移動を容易なものに変えた。その意味では春秋戦国時代とよく似ている。
弱い国は蹂躙(じゅうりん)され、強い国に飲み込まれる。激しい合従連衡の時代を生き抜くためには外交が死活問題であった。人材を確保する目的で行われた食客という風習が起こったのもこの頃である。
外交では礼容と言葉、そして何よりも大義が問われる。些細な粗相や一言の失言で戦争になりかねない。ゆえに胆力と智謀なくして外交は務まらない。
ヨーロッパが行った植民地主義に外交で対抗し得ることは不可能であった。圧倒的な物量差がヨーロッパをして傍若無人な振る舞いに駆り立てた。アフリカやアジアは今尚そのダメージを払拭できていない。
楽毅の外交は見事なものであった。それでも戦争を回避するまでには至らなかった。若き猛将は恐れることなく起ち上がった。
2014-06-21
「JKお散歩」は人身売買=米国務省が年次報告書
【ワシントン時事】米国務省は20日、世界各国の人身売買の実態をまとめた年次報告書を公表した。日本については、女子高生とデートできるとうたった「JKお散歩」と呼ばれる接客サービスを新たな性目的の人身売買の例として示した上で、各国の取り組みを4段階に格付けした中の、上から2番目の評価に据え置いた。
日本が2番目の評価にとどまったのは10年連続。報告書は「援助交際」も人身売買の例に挙げ、「日本に来る外国人の女性や子供の中には、到着後すぐに売春を強要される者もいる」と指摘。「日本人男性は、東南アジアやモンゴルでの児童買春ツアーの大きな需要源」とも記した。
また、政府が運営する技能実習制度で来日した人も含め、外国人労働者が強制労働の被害者になりやすい実態があると説明。「日本政府は、人身売買撲滅のための最低基準を十分に満たしていない」と認定し、包括的な人身売買禁止法の制定などを改めて勧告している。
4段階のうち最高評価だったのは米国、韓国など31カ国・地域。制裁対象となり得る最低評価はロシア、北朝鮮、イランなど23カ国だった。
【時事ドットコム 2014-06-20】
2014-06-20
登録:
投稿 (Atom)