2014-11-16
宮城谷昌光書評一覧 年代順
・『天空の舟 小説・伊尹伝』
・『太公望』
・『管仲』
・『重耳』(講談社、1993年/講談社文庫、1996年)
・『介子推』(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)
・『孟夏の太陽』
・『沙中の回廊』
・『夏姫春秋』
・『晏子』(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)
・『子産』
・『湖底の城』
・『孟嘗君』(講談社、1995年/講談社文庫、1998年)
・『楽毅』(新潮社、1997年/新潮文庫、2002年)
・『青雲はるかに』
・『奇貨居くべし』(中央公論新社、1997年/中公文庫、2002年)
・『香乱記』
・『草原の風』
・『三国志』
2014-11-15
菅沼光弘
1冊読了。
90冊目『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘(KKベストセラーズ、2013年)/日本を取り巻くインテリジェンス戦後史。オウム事件については他でも触れられているが、特筆すべきはGRU(グルー/ロシア連邦軍参謀本部情報総局)に深く食い込んでいたのはオウム真理教と統一教会で、オウムに対する武器供与には統一教会が絡んでいると指摘。韓国に統一産業という外郭企業があり、ロシアの武器を転売するのみならず武器製造まで行っているという。
2014-11-13
書く
白川静と宮城谷昌光が「書くこと」を勧めている。やはりキーを打つのと書くのとでは脳に対する定着の度合いが異なるのだろう。で、一大決心をして来年から書くことにした。もちろん時間的な余裕があるわけではないため、覚え書き程度の代物になるだろう。それでも構わない。自分の中でどのような変化が起こるかを確認したい。
「書く」は元々「掻く」に由来しており、畑を耕す⇒大地を引っ掻く意味があるという説があります。カルチャーの語源が「耕す」であるのと似てますね。 RT @bobnekko: ペンは鍬よりも強しか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
普段はぺんてるのサインペンを使っているのだが、「書く」が「掻く」に由来していることを踏まえるとやはり万年筆が好ましい。で、万年筆で書くとなれば自動的にツバメノートに落ち着く。amazonで安いツバメノートはこれだけ。他は高いので要注意。万年筆もシルバーだと送料がかかる。
・ぺんてる 水性ペン トラディオ プラマン
菅沼光弘、武田邦彦
2冊読了。
88冊目『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘(徳間書店、2012年)/読み始めて「ハズレかな?」と思った。1/3ほどは忍耐力を要する。そこからギアが噛み合い、後半は例の如く一気読みだ。かつて日本と北朝鮮の国交正常化が実現に向かったことは二度あった。しかし二度ともアメリカに阻止されている。東アジアのパワーバランス、そして核兵器が持つ現代的な意味がよく理解できる。日本が拉致問題でもたもたしている間に、中国もアメリカもどんどん北朝鮮に進出している。本来であれば日中国交回復を果たした後に日本が主導権を握って東アジア経済圏をつくるべきであった。それを木っ端微塵にしたのがロッキード事件である。アメリカに葬られた田中角栄を見て、日本の政治家は尻尾を丸めてアメリカにひれ伏した。政治の不在は今も変わらない。
89冊目『国債は買ってはいけない!』武田邦彦(東洋経済新報社、2007年)/amazonレビューの批判はことごとく的外れだ。武田は原理を単純に示すことで国債のメカニズムを明らかにしている。アッと驚く為五郎である。「100万円の国債を買ったら、結果的に-205万円になる」と指摘する。それはなぜか? 国債を償還するのに税を徴収するためだ。恐るべき国債マジックである。金融本でこんなことを指摘した人は一人もいない。もともと信用経済自体がインチキ的であるわけだが、税と国債も負けてはいない。国民が国にカネを貸すことで税金が上がるという仕組みだ。「自分は国債を買っていないから関係ない」と思うのは浅墓である。あなたの預金で銀行が国債を買いまくっているのだから。銀行が国債を購入するのは国債がBIS規制の自己資本として認められているからだ。「お金は腐る」とも武田は指摘している。現金がインフレ率に対抗できないためだ。折しも日銀による金融緩和が立て続けに行われている。マネーストックが増えるのだからマネーの価値は目減りし続ける。武田は最終章で株式投資を薦めているが、投資をするなら日経225CFDがいいだろう。ただし株高も永遠に続くわけではない。余裕をもってドルコスト平均法で購入するのが正しい。そして時期を見て売りを仕掛ける程度の勉強はしておくべきだろう。
2014-11-11
深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず/『奇貨居くべし 飛翔篇』宮城谷昌光
・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・戦争を問う
・学びて問い、生きて答える
・和氏の璧
・荀子との出会い
・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
・孟嘗君の境地
・「蔽(おお)われた者」
・楚国の長城
・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
・徳には盛衰がない
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
――もっとも深いところまで行った者だけが、もっとも高いところまで行ける。
【『奇貨居くべし 飛翔篇』宮城谷昌光(中央公論新社、2000年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】
これが本書の主題である。荀子曰く「深谿(しんけい)に臨まざれば地の厚きことを知らず」と。高峰(こうほう)を極めなければ天の高さはわからないし、深い谷に下りた者でなければ大地の厚さを知ることはない。
君子曰はく、
「学は以て已むべからず。」と、
青は、之を藍より取りて、藍より青く、
氷は、水之を為して、水より寒し。
木直くして縄に中るも、輮めて以て輪と為さば、
其の曲なること規に中り、槁暴有りと雖も復た挺びざるは、
輮むること之をして然らしむるなり。
故に、木、縄を受かば則ち直く、金、礪に就かば則ち利く、
君子博く学びて日に己を参省せば、
則ち智明らかにして行ひに過ち無し。
故に高山に登らざれば、天の高きを知らず、
深谿に臨まざれば、地の厚きをしらず、
先王の遺言を聞かざれば、学問の大なるを知らざるなり。
干越夷貉の子、生まれたるときは而ち声を同じくするも、
長ずれば而ち俗を異にするは、教へ之をして然らしむるなり。
【青はこれを藍より取りて藍より青し 勧学篇第一より】
先ほど探り当てたページである。本書はこの部分を小説化したといっても過言ではない。そう思い至ってページを繰ってみると、荀子との出会いに始まり、様々な場面にこの教えが散りばめられている。
「知る」という行為の深さには行動が伴う。「人は天空を飛べない。そのことがほんとうにわかっているのは、この世で、わしくらいなものだ」(火雲篇)と荀子は語っている。つまり限界を知った上で自らの意志を働かせながら行動した者だけが「知る」ことができる。過去の経験から学ばぬ者は多い。「経た」ことは「知った」ことにならない。
「之(これ)を知る者は之を好む者に如(し)かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」と孔子は説いた。牽強付会(けんきょうふかい)ではあるが、「好む」は感情であり「楽しむ」は意志であると読みたい。すなわち真に「知る」者とは「楽しむ」者である。
一流の登山家が生きとし生けるものを拒む高みを目指す。実際には苦しいだけの営みだ。だがそこに「楽しみ」がある。つまり苦しみを通らずして楽しみを味わうことはできない。
人知れず苦労をし、暗闇の中を一人歩むことが人生には必ずある。その時、自分の魂を青々と染め上げている自覚を失ってはならない。
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