2014-11-16
クリシュナムルティ書評一覧 刊行順
・『阿羅漢道』クリシナムルテ:今武平訳(文党社、1925年)
・『ヘンリー・ミラー全集11 わが読書』ヘンリー・ミラー:田中西二郎訳(新潮社、1966年)
・『自己変革の方法 経験を生かして自由を得る法』クリシュナムーティ著、メリー・ルーチェンス編:十菱珠樹訳(霞ケ関書房、1970年)
・『自由への道 空かける鳳のように』クリシュナムーテイ:菊川忠夫訳(霞ケ関書房、1982年)
・『大師のみ足のもとに/道の光』J・クリシュナムルティ、メイベル・コリンズ:田中恵美子訳(竜王文庫、1974年)
・『道徳教育を超えて 教育と人生の意味』クリシュナムーティ:菊川忠夫、杉山秋雄訳(霞ケ関書房、1977年)
・『英知の探求 人生問題の根源的知覚』J・クリシュナムーティー:勝又俊明訳(たま出版、1980年)
・『自我の終焉 絶対自由への道』J・クリシュナムーティ:根木宏、山口圭三郎訳(篠崎書林、1980年)
・『暴力からの解放』J・クリシュナムーティー:勝又俊明訳(たま出版、1982年)
・『クリシュナムルティの瞑想録 自由への飛翔』J・クリシュナムルティ/大野純一訳(平河出版社、1982年/サンマーク文庫、1998年)
・『クリシュナムルティの日記』J・クリシュナムルティ:宮内勝典訳(めるくまーる、1983年)
・『真理の種子 クリシュナムルティ対話集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(めるくまーる、1984年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー クリシュナムルティの手帖より 1』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒(めざめ)のコメンタリー 2 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒のコメンタリー 3 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『生と覚醒のコメンタリー 4 クリシュナムルティの手帖より』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1984年)
・『クリシュナムルティの神秘体験』J・クリシュナムルティ:おおえまさのり監訳、中田周作訳(めるくまーる、1985年)
・『生の全体性』J・クリシュナムルティ、デヴィッド・ボーム、デヴィッド・シャインバーグ:大野純一、聖真一郎〈ひじり・しんいちろう〉訳(平河出版社、1986年)
・『英知の教育』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1988年)
・『クリシュナムルティ・目覚めの時代』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)
・『クリシュナムルティ・実践の時代』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1988年)
・『クリシュナムルティ・開いた扉』メアリー・ルティエンス:高橋重敏訳(めるくまーる、1990年)
・『未来の生』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1989年)
・『学びと英知の始まり』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1991年)
・『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司訳(平河出版社、1992年)
・『最後の日記』J・クリシュナムルティ:高橋重敏訳(平河出版社、1992年)
・『自己の変容 クリシュナムルティ対話録』クリシュナムルティ:松本恵一訳(めるくまーる、1992年)
・『クリシュナムルティ 人と教え』クリシュナムルティ・センター編(めるくまーる、1992年)
・『気づきの探究 クリシュナムルティとともに考える』ススナガ・ウェーラペルマ:大野純一訳(めるくまーる、1993年)
・『生の全変容』 J・クリシュナムルティ、アラン・W・アンダーソン:大野純一訳(春秋社、1993年)
・『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1993年)
・『人類の未来 クリシュナムルティVSデビッド・ボーム対話集』渡部充訳(JCA出版、1993年)
・『ザーネンのクリシュナムルティ』J・クリシュナムルティ:ギーブル恭子訳(平河出版社、1994年)
・『自由とは何か』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1994年)
・『瞑想』J・クリシュナムルティ:中川吉晴訳(UNIO、1995年)
・『私は何も信じない クリシュナムルティ対談集』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、1996年)
・『恐怖なしに生きる』J・クリシュナムルティ:有為エンジェル訳(平河出版社、1997年)
・『学校への手紙』J・クリシュナムルティ:古庄高訳(UNIO、1997年)
・『あなたは世界だ』J・クリシュナムルティ:竹渕智子訳(UNIO、1998年)
・『キッチン日記 J.クリシュナムルティとの1001回のランチ』マイケル・クローネン:高橋重敏訳(コスモス・ライブラリー、1999年)
・『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)
・『白い炎 クリシュナムルティ初期トーク集』J.クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2003年)
・『リシバレーの日々 葛藤を超えた生活を求めて』菅野恭子(文芸社、2003年)
・『知恵のめざめ 悲しみが花開いて終わるとき』J・クリシュナムルティ:小早川詔、藤仲孝司訳(UNIO、2003年)
・『自由と反逆 クリシュナムルティ・トーク集』J・クリシュナムルティ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2004年)
・『片隅からの自由 クリシュナムルティに学ぶ』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2004年)
・『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール/尾関修、尾関沢人(講談社学術文庫、2005年)
・『人生をどう生きますか?』J・クリシュナムルティ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2005年)
・『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2005年)
・『いかにして神と出会うか』J・クリシュナムルティ:中川正生訳(めるくまーる、2007年)
・『既知からの自由』J・クリシュナムルティ:大野龍一訳(コスモス・ライブラリー、2007年)
・『智恵からの創造 条件付けの教育を超えて』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司、横山信英、三木治子訳(UNIO、2007年)
・『変化への挑戦 クリシュナムルティの生涯と教え』J・クリシュナムルティ:柳川晃緒訳、大野純一監訳(コスモス・ライブラリー、2008年)
・『世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本』一条真也監修、クリエイティブ・スイート編(PHP文庫、2008年)
・『精神の自由ということ 神なき時代の哲学』アンドレ・コント=スポンヴィル:小須田健、C・カンタン訳(紀伊國屋書店、2009年)
・『わらの犬 地球に君臨する人間』ジョン・グレイ:池央耿訳(みすず書房、2009年)
・『回想のクリシュナムルティ 第1部 最初の一歩……』イーブリン・ブロー:大野純一訳(コスモス・ライブラリー、2009年)
・『仏教と西洋の出会い』フレデリック・ルノワール:今枝由郎、富樫櫻子訳(トランスビュー、2010年)
2014-11-15
菅沼光弘
1冊読了。
90冊目『日本を貶めた戦後重大事件の裏側』菅沼光弘(KKベストセラーズ、2013年)/日本を取り巻くインテリジェンス戦後史。オウム事件については他でも触れられているが、特筆すべきはGRU(グルー/ロシア連邦軍参謀本部情報総局)に深く食い込んでいたのはオウム真理教と統一教会で、オウムに対する武器供与には統一教会が絡んでいると指摘。韓国に統一産業という外郭企業があり、ロシアの武器を転売するのみならず武器製造まで行っているという。
2014-11-13
書く
白川静と宮城谷昌光が「書くこと」を勧めている。やはりキーを打つのと書くのとでは脳に対する定着の度合いが異なるのだろう。で、一大決心をして来年から書くことにした。もちろん時間的な余裕があるわけではないため、覚え書き程度の代物になるだろう。それでも構わない。自分の中でどのような変化が起こるかを確認したい。
「書く」は元々「掻く」に由来しており、畑を耕す⇒大地を引っ掻く意味があるという説があります。カルチャーの語源が「耕す」であるのと似てますね。 RT @bobnekko: ペンは鍬よりも強しか?
— 小野不一 (@fuitsuono) 2010, 10月 25
普段はぺんてるのサインペンを使っているのだが、「書く」が「掻く」に由来していることを踏まえるとやはり万年筆が好ましい。で、万年筆で書くとなれば自動的にツバメノートに落ち着く。amazonで安いツバメノートはこれだけ。他は高いので要注意。万年筆もシルバーだと送料がかかる。
・ぺんてる 水性ペン トラディオ プラマン
菅沼光弘、武田邦彦
2冊読了。
88冊目『日本人が知らないではすまない 金王朝の機密情報』菅沼光弘(徳間書店、2012年)/読み始めて「ハズレかな?」と思った。1/3ほどは忍耐力を要する。そこからギアが噛み合い、後半は例の如く一気読みだ。かつて日本と北朝鮮の国交正常化が実現に向かったことは二度あった。しかし二度ともアメリカに阻止されている。東アジアのパワーバランス、そして核兵器が持つ現代的な意味がよく理解できる。日本が拉致問題でもたもたしている間に、中国もアメリカもどんどん北朝鮮に進出している。本来であれば日中国交回復を果たした後に日本が主導権を握って東アジア経済圏をつくるべきであった。それを木っ端微塵にしたのがロッキード事件である。アメリカに葬られた田中角栄を見て、日本の政治家は尻尾を丸めてアメリカにひれ伏した。政治の不在は今も変わらない。
89冊目『国債は買ってはいけない!』武田邦彦(東洋経済新報社、2007年)/amazonレビューの批判はことごとく的外れだ。武田は原理を単純に示すことで国債のメカニズムを明らかにしている。アッと驚く為五郎である。「100万円の国債を買ったら、結果的に-205万円になる」と指摘する。それはなぜか? 国債を償還するのに税を徴収するためだ。恐るべき国債マジックである。金融本でこんなことを指摘した人は一人もいない。もともと信用経済自体がインチキ的であるわけだが、税と国債も負けてはいない。国民が国にカネを貸すことで税金が上がるという仕組みだ。「自分は国債を買っていないから関係ない」と思うのは浅墓である。あなたの預金で銀行が国債を買いまくっているのだから。銀行が国債を購入するのは国債がBIS規制の自己資本として認められているからだ。「お金は腐る」とも武田は指摘している。現金がインフレ率に対抗できないためだ。折しも日銀による金融緩和が立て続けに行われている。マネーストックが増えるのだからマネーの価値は目減りし続ける。武田は最終章で株式投資を薦めているが、投資をするなら日経225CFDがいいだろう。ただし株高も永遠に続くわけではない。余裕をもってドルコスト平均法で購入するのが正しい。そして時期を見て売りを仕掛ける程度の勉強はしておくべきだろう。
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