二十歳くらいの頃から「きれい」と「美しい」の違いについてボンヤリと考え続けてきた。綺麗と漢字で書いてしまうと「綺羅綺羅して麗々しい」ニュアンスが出てしまうので、ここはやはり「きれい」と平仮名にしておきたい。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
「美しい風景」と言うことはあっても「美しい女性」と口にすることはまずない。「きれいな女性」と言う人が殆どだろう。きれいはビューティフルともちょっと違う。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
日本人が使う「きれい」は、汚れがなく清潔なさまを意味する。日本人はきれい好きで知られる。江戸時代の日本を訪れたヨーロッパ人は町や道にゴミが一つも落ちていない事実に驚愕した。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
昔の名前に清や清子が多かったのも故なきことではあるまい。日本人の美的感覚を支えているのは多分「川の水」だ。「水に流す」という表現は悪い例として引用されることが多いが、元々は「きれい、さっぱり」マイナス感情を捨てることを意味したはずだ。きれいは「切れ」にも通じている可能性がある。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
きれいの反対語は「汚い」である。日本人にとっての悪とは「汚い」真似のことだ。決して「醜い」ではない。そして「汚い」は「狡(ずる)い」を含意している。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
韓国人女性の大半が整形手術をしているらしいが、日本人が躊躇するのはその行為が「きれい」なものではないためだろう。嘘や誤魔化しは「汚い」ことだ。業務上の不正行為を悪職といわずに汚職というのも同じ理由だろう。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
もちろん「汚い」が穢(けが)れ思想につながり、差別の土壌となる危険性を秘めている。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28
若い女性にはカラフルな美よりも、きれいな月や星を目指してほしい。流れが止まった川は濁る。清らかさを保つためには流れ続けるしかない。流れるとは生きることだ。
— 小野不一 (@fuitsuono) 2014, 11月 28