2015-06-21

日本の月見/『お江戸でござる』杉浦日向子監修


 ・三行半は女が男からもぎ取っていくもの
 ・日本の月見

日本の近代史を学ぶ

 江戸時代に入って、月見(つきみ)が盛んになりました。もともとは中国から渡ってきた風習で、中国では赤い鶏頭(けいとう)の花を飾り、月見のためのお菓子・月餅(げっぺい)を食べました。それが日本では、すすきと団子(だんご)に変わります。最初は、上流階級の楽しみでしたが江戸の中頃になって庶民生活が豊かになり、ゆとりができると月見の風習が広がります。

【『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修(新潮文庫、2006年/杉浦日向子監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成、ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)以下同】

「月月に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」(詠み人知らず)。月の字を八つ用いることで旧暦の8月15日すなわち十五夜を示す歌である。平安貴族は川や盃に月を映して楽しんだという。文化は豊かさから生まれる。江戸文化を生んだのは庶民であった。

 一家仲むつまじく団子を作るのが縁起がよいので、沢山作って三方に飾り、軒先に出しておくと、「お餅つかせて」といいながら、近所の子どもたちが盗みに来ます。子どもたちは長い棒きれやお箸などで、団子を突いて盗んでいきます。
 たくさん盗まれるほど縁起がよく、子どもたちも、よその家から団子をもらうと元気に育ちます。皆から認められていたいたずらです。長屋に住んでいると、団子は大家さんがくれます。

 最後の件(くだり)をよく覚えておいてもらいたい。江戸時代にあって大家は大活躍をした。詳細は次回に譲る。

 すすきは、江戸の市中に売りに来て、秋の七草(ななくさ)もセットになっています。8月の14日と15日のお昼まで2日間だけ売り歩き、1束が32文(もん)ほどします。蕎麦(そば)が16文なので、その倍です。縁起担ぎの意味もあるし、季節限定の際物なので、高くてもしかたがないのです。
 その頃、武蔵野(むさしの)は一面すすきの原でした。すすきを飾るのは、武蔵野の面影をしのぶという意味もあります。

 少し前にbotでこう呟いたばかり。


 本書によれば、8月だけでも15日が「望月」(もちづき/芋名月〈いもめいげつ〉とも)、16日が「十六夜」(いざよい)、17日が「立待月」(たちまちづき)、18日が「居待月」(いまちづき)、19日が「臥待月」(ふしまちづき)とイベントは連日続く。

 曇りで見えない時は、「無月」(むつき)といい、雨で見えない時は、「雨月」(うげつ)といいます。それでもその日は、月見の騒ぎをするのです。(中略)
 中国では満月だけを愛でましたが、江戸ではいろいろな形の月を愛でているのです。

 庭から器に及ぶ日本文化の非シンメトリー性を思えば、満月以外を愛(め)でる感情は自然なものだ。たとえそれがイベントの口実であったとしても(笑)。

 豊かさとは経済性だけを意味するものではない。多様な姿を愛する精神性は日本人がありのままの差異を受容したことを示すのではないだろうか。

 江戸時代の道路は子供と犬の天下で、車夫はいちいち車を止めて幼子を抱きかかえて移動したと渡辺京二が書いている(『逝きし世の面影』)。江戸は豊かな時代であった。それを「絶対的権力の圧政下で民衆が塗炭の苦しみに喘(あえ)いだ」と改竄(かいざん)したのは、戦後に跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)した進歩的文化人であった。

お江戸でござる (新潮文庫)

新潮社
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私が彼女たちの "声" になる(紛争下の性的暴力に立ち向かう):国連広報センター

2015-06-19

三行半は女が男からもぎ取っていくもの/『お江戸でござる』杉浦日向子監修


『国家の品格』藤原正彦

 ・三行半は女が男からもぎ取っていくもの
 ・日本の月見

『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子
日本の近代史を学ぶ

 NHKの人気番組『コメディーお江戸でござる』(1996-2004年)で杉浦が担当していた「おもしろ江戸ばなし」9年分をテーマ別にまとめた本。「日本の近代史を学ぶ」の筆頭に掲げた。尚、文庫版からは深笛義也の名前が削除されているが、性愛モノを書いているためか。

漢字雑談』で本書を知った。あの口喧しい高島俊男が引用するくらいだからと目星をつけたのが正解であった。

 江戸の識字率は、世界でもまれに見るくらいの高さでした。江戸市内だったら、ひらがなに限っていえば、ほぼ100パーセントで、当時のロンドンやパリと比べても群を抜いています。絵草紙(えぞうし)でもなんでも、漢字の脇に仮名が振ってあれば読めました。ただし、黙読ができないので、声に出して読まないと頭の中に入っていきません。高札場(こうさつば)などに御触(おふ)れが立つと、集まった人々が各々声に出して読むので、輪唱のようになってしまいます。貸本(かしほん)などでも、座敷の中でひとりが読んで、女性が出るところになると「じゃあ、女将(おかみ)。ここから読んでくれ」と、バトンタッチして、それをみんなが聞くというように4~5人で楽しみました。

【『お江戸でござる』杉浦日向子〈すぎうら・ひなこ〉監修(新潮文庫、2006年/杉浦日向子監修、深笛義也〈ふかぶえ・よしなり〉構成、ワニブックス、2003年『お江戸でござる 現代に活かしたい江戸の知恵』改題)以下同】

 幕末の日本を訪れたヨーロッパ人は日本の庶民が本を読んでいる事実に驚嘆した。もともと理性や知性は「神を理解する能力」を意味した。日本人は彼らの神とは無縁な衆生だから驚くのも無理はない。権力は知性を恐れる。中世に至るまで聖書はラテン語で書かれ(ヴルガータ)、聖職者しか読むことがかなわなかった。1455年、グーテンベルク聖書が登場したものの、本格的に普及したのはルターによる宗教改革(1517年)以降のことである。

 江戸の識字率が高かったのは寺子屋があったためだ。寺子屋とは上方(かみがた)の言葉で、学問を教えるものに「屋」がつくのは商売じみていてよろしくないということで江戸では「指南所」と呼んだ。江戸後期には江戸市内だけで1500もの指南所があったという。一つの町内に2~3ヶ所あった計算になる。

 看板娘は13~18歳までがピークで、20歳で引退します。あまりに看板娘が江戸中の市民の心を惑わせたので、幕府から禁令が出ました。「茶屋に出す娘は13歳以下の子どもか、40歳以上の年増(としま)に限る」となり、年頃の娘は出してはいけないことになりました。


「年増」という言葉も既に死語だ(笑)。30年前は普通に使っていたものだが。たぶん落語が聴かれなくなっているのだろう。看板娘の年頃が当時の結婚適齢期か。俗に「人生五十年」というが昔は幼児の死亡率が高かったので平均寿命と考えるのは早計だ。

 実は江戸では、武士が皆の上に立つ者という意識もありませんでした。「士農工商」という四文字熟語が普及したのは、明治の教科書でさかんにPRされたからです。それ以前もそういう言葉はありましたが、庶民は知りません。「士農工商」といったら「え? 塩胡椒?」と聞き返すくらいです(笑)。身分が順位付けられているなんて、全然考えていません。

 前の書評のリンクを再掲する。

教科書から消えたもの 士農工商
江戸時代の身分制度に関する誤解

 で、私が一番面白いと思ったのがこれ――。

「三行半(みくだりはん)を叩きつける」というセリフをよく聞きますが、本来、三行半は男が女に叩きつけるものではなく、女が男からもぎ取っていくものです。(中略)
「誰と再婚しようと一切関知しない」という意味で、つまりは再婚許可証なのです。夫の権利ではなく義務で、妻はこれを夫からもぎ取っておかないと、次の男性と縁づけません。
 結婚する時、「この人は浮気するかもしれない」などの不安がある時は、「先渡し離縁状」を書いてもらいます。三行半をあらかじめ預かることを条件に結婚するのです。夫は受取状を、妻からもらいます。
 江戸の町は女性の数が少ないこともあって、再婚は難しいことではありません。バツイチは少しも恥ずかしくないのです。お上が、「なるべく女性は二度以上結婚しなさい」と奨励しているくらいで、絶対数の多い男性が一度でも結婚を経験できるようにという配慮でしょう。再婚どころか、三度婚、四度婚、六度婚、七度婚も珍しくありません。そんな女性は逆に経験を積んでいて貴重であると見られます。

 意外や意外、江戸時代は既に男女平等であった。

 バツイチが平気なくらいだから、出戻りもOKで「辛いことがあったら、いつでも帰っておいで」と、娘を嫁に出します。実際に、何回帰ってきても、恥ずかしいことではないのです。江戸では出戻りとは呼ばず、「元帰(もとがえ)り」「呼び戻し」と称します。

 現代よりも進んでいる。「恥の文化」などという言葉を鵜呑みにするのは危険だ。

 江戸ではたいてい、女性から持参金を持って結婚します。夫婦別れをするときは、それを一銭も欠けずに返さなくてはいけません。仲人に払った謝礼も、夫が耳を揃えて返します。嫁入りの時に持ってきた家財道具も、一つも欠かさず持って行かさなくてはなりません。「去る時は九十両では済まぬなり」という言葉が残っていますが、離婚する時、男性がいかに大変かということです。
 そんな事情もあり、たいがいの夫は、妻を大事にします。

 経済的にも平等であったことが窺える。

 家事育児は、手の空いた方がするのが当たり前で、江戸では、男性に付加価値がないと妻をもらえません。料理が上手、マッサージが上手など、何か一芸に秀でていないといけないのです。

 こりゃ男の方が大変ですな。実は「家」という制度に押し込められたのは上流階級の女性であった。

 それでも三行半を書いてもらえない時は、関所、代官所、武家屋敷に駆け込んで離婚を願い出ます。
 最後の最後の手段が、「駆け込み寺」とも呼ばれる縁切り寺に行くことで、鎌倉松ヶ丘の東慶寺、上州世良田村の満徳寺の二つがあります。

 ちゃあんと救済措置があったことが江戸社会の成熟度を物語っている。セーフティーネットが機能していたのだ。日本人は幸せだった。訪日した多くのヨーロッパ人がそう記している。本書を開くと「ご先祖様に会えた」ような気分になる。

お江戸でござる (新潮文庫)

新潮社
売り上げランキング: 89,084

言葉の空転/『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩
竹山道雄の唯物史観批判/『昭和の精神史』竹山道雄
役の体系/『日本文化の歴史』尾藤正英

真の無神論者/『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥


 ・ブッダが解決しようとした根本問題は「相互不信」
 ・人を殺してはいけない理由
 ・日常の重力=サンカーラ(パーリ語)、サンスカーラ(サンスクリット語)
 ・友の足音
 ・真の無神論者

『仏陀の真意』企志尚峰
『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬

ブッダの教えを学ぶ
必読書リスト その五

 さて、よく「俺は無神論者だ」などという人がいます。
「無神論」という言葉が、例えばヨーロッパではどのような戦いの中で、勝ち取られてきた言葉か――自称「無神論者」の人たちは理解しているでしょうか。「神」の権威を振りかざす王や権力者との間で行われた戦いの熾烈さを、想起しているのでしょうか。少なくとも、「真の無神論者」は、真剣に信仰に生きている人をバカにしたりはしません。おそらく「真の無神論者」がもっとも嫌悪するのが、年中行事として形骸化した葬式でしょう。それこそが、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのですから。
 しかし、日本の自称「無神論者」はしっかり、初詣には行くのです。神殿の前でしっかり、「本年一年無病息災、商売繁盛」と祈るのです。言葉の厳密な意味で「無神論者」が最も批判するのは、日本的な「仮称無神論者」かもしれません。
「初詣は宗教じゃない。みんなやっている習慣なんだ」。しっかり神だのみをしている事実を覆い隠すように「仮称無神論者」は言います。この「習慣」というのが曲者(くせもの)なのです。「習慣」とは、権力者が作り上げた「虚構の共同体の維持装置」なのです。ミシェル・フーコーが「権力のまなざし」として感じ、ヴァルター・ベンヤミンが「勝者の歴史」と見抜いたものに通じるのです。そして、まさに仏教が疑問を投げかけた、サンカーラそのものなのです。

【『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥(第三文明社、2000年)】

 一度抜き書きで紹介しているのだが再掲。

無神論者/『世界の[宗教と戦争]講座 生き方の原理が異なると、なぜ争いを生むのか』井沢元彦

「年中行事として形骸化した葬式」とはサンカーラを意味する。せっかくなんでサンカーラとサンスカーラについて調べてみた。

 サンカーラはパーリ語でサンが「集める」という意味をもった接頭語。カーラは「作る」の意味の名詞で「再構成」を示しています。仏典のなかには「サンカーラー」という複数形で使われ、これが諸行無常の「諸行」を表します。(田口ランディ

「五蘊」とは「色受想行職」のことで、「行」は「意志」などと解説されるが、サンスクリットでは「サンスカーラ」、パーリ語では「サンカーラ」で……「行」は、形成力、および形成された物という2つの意味を併せ持ち、「意志」と訳される場合も、「意志的形成力」というニュアンス(ややこしい「サンカーラ」の話

 ちょっと自分を観察すると、心の中に「何かをしたい」という気持ちが常にあることがわかります。それがサンカーラです。(初期仏教の世界

 サンカーラというのは、潜在意識の残存印象、経験の蓄積によって条件付けられたすべてのパターンの保管場所で、いわゆるエゴに当たるものであり、用語として熟しています。(諸行無常は間違い?

行(サンカーラ)―― サンカーラの作用は識として認識に出る少し前。(お釈迦様の悟り、般若心経

 広義のサンカーラは、五蘊の全体を含むものです。しかしこの場合は、色・受・想・識の四蘊は別出されていますので、四蘊に含まれないサンカーラ、主として心理的な形成力を、この場合の「行」としているのであります。(五蘊とサンカーラー

 サンスカーラとは「好むと好まざるに関わらず、対象を捉えようと対象に向かって無意識に(自分勝手に)働きかけていってしまう力。形成力」のことです。(仏教とは何か?

 サンスカーラとは : 様々な経験は、その残存物を生じさせ、それが心の中に保存される。この残存物をサンスカーラ(残存印象)と呼び、これが刺激されると、その反応として習慣的パターン化した思考や行為が生じる。この反応は、それ自身の残存物を生じさせ、それが再び心の中に保存される。人はこの循環を繰り返している。(心の反応パターン

 サンスカーラの原因は煩悩であり、それはヴァーサナーという、非常に古い時間の中で形成されてきたものです。ヴァーサナーというのは傾向、習性と訳されます。(カルマ-苦とその原因

 古代インドのバラモン教徒が誕生,結婚など生涯の各時期に通過儀礼として家庭内で行った宗教的儀式の総称で,通常〈浄法〉と訳される。サンスクリットの〈サンスカーラ〉という語は本来,なんらかの現実的効果をもたらす潜在的な力を意味したといわれ,この意味で聖別,浄化などの効力を賦与する各種の儀式がこの名称で呼ばれるようになったと思われる。(世界大百科事典 第2版

行蘊(ぎょううん、saṃskāra) - 意志作用(Wikipedia

 ああ疲れた。ものを書くことはつくづく疲れる(笑)。以前、北尾トロに「ライターという仕事を続けてきて、精神というか、自分の内部で擦り切れてくるような感覚はないんですか?」と尋ねたら、「ああ、それは確かにある」と答えた。たぶん「書く」行為は彫刻のように何かを削る営みなのだろう。

 広義と狭義の違いを踏まえながらも一言でいってしまえば、サンカーラおよびサンスカーラとは「業に基づく意志作用」なのだろう。もちろん“業に基づく”とは五蘊(ごうん)全体に言えることだ。

 無神論はたいていの場合「科学への信頼」とセットになっている。合理に向かえば神の影は薄くなる。近代自然科学が発達すると理神論が生まれる(PDF「近代キリスト教と自然科学」)。ま、折衷案みたいなものか。

 本書は大変に優れた仏教書ではあるが、この部分については友岡が信仰者であるためやや宗教側に傾いた姿勢が強い。いくら何でも「『習慣』 とは、権力者が作り上げた『虚構の共同体の維持装置』なのです」は言い過ぎだ。そもそも共同体という共同体をすべて「虚構」と考えることも可能だ。渡辺京二著『逝きし世の面影』を読むと、江戸末期のお伊勢参りが脱日常の行事であったことが理解できる。例えば「抜け参り」といって江戸の奉公人が主人に黙って仕事中にもかかわらず伊勢参りの一行に潜り込むことが容認されていたという。着の身着のままで同行しても、往く先々で施しを受けることができたそうだ。これを友岡の論理で切り捨てることは難しいだろう。

 1990年代から日本の近代史が注目されるようになり、それまでは否定的に扱われてきた江戸時代を捉え直す動きが出てきた。実は士農工商という言葉は身分社会を意味するものではない。既に現在の教科書からは削除されている。

教科書から消えたもの 士農工商
江戸時代の身分制度に関する誤解

 職業や性別、年代を超えた「連」という知的コミュニティもあった。

 総じて日本人が名乗る場合の無神論者とは「創造的人格神」を否定したものであって、全体的には精霊信仰(アニミズム)に染まっている。

紀曉君 Samingad