2015-09-28

愛着障害と愛情への反発/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 人は、生まれつき愛情を受け取るようにできている。だから、生まれてすぐに赤ちゃんは愛情に反応する。母子関係の最初、この世の存在の出発点だ。しかし、求めていた愛情が受け取れないばかりか、それをあからさまに否定されると、子どもは愛情を受け取ろうとする心にブレーキをかけ、ついにはロックして使えないようにする。期待して裏切られるよりは最初から受け取らないと決めるほうが、苦しみは小さく、生きやすいからだ。
 被虐者に限らず、人の愛情や親切、感謝を、遠慮したり、躊躇したり、時には拒否してしまう心理は誰にでもある。
 しかし、被虐者の場合は、それが人一倍強く、人生全体を支配している。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 これを愛着障害という。生きるために心を閉ざすのだ。そして三つ子の魂は百まで引き継がれる。幼児期に閉ざした心が開くことは稀だ。なぜなら「閉ざした」自覚がないゆえに。

 39歳の一人暮らしの男性、青井椋二さんが語ってくれた。
 彼は虐待を受けて育った。小さい頃、十分な食事をもらえなかった。もの心ついた頃には、彼は台所の米びつから生の米を食べていた。
「近くに住む叔父の家が農家だったので、家にお米はあったのだと思う。小学校5年生の時、近所のおばさんからお米の炊き方を教えてもらった。自分で炊いて初めて温かいご飯を食べた。すごく柔らかくて甘かった。
 小学校に入る前だったと思うが、台所の引き出しの奥に、破けた即席ラーメンの袋を見つけた。その中には麺のかけらが残っていた。ほんの少ししかなかったけど、とてもうれしかった。まるごとの即席ラーメンを食べられることはなかった。だから、18歳で家を出て、自分で働くようになっても、きちんと袋に入った即席ラーメンは、長い間、僕のご馳走だった。
 20歳の頃、恐る恐る、思い切って、母親に言ってみた。
『小さい頃、食事をもらえなかった』と。
 あの人が何と返事をするかと思ったら、『あんたは食が細かったからね』と、あっさり返された。まったく覚えていないようだった」

 コミュニティは崩壊し、セーフティネットの機能を失った。生米を食べて生きる少年に誰一人気づかなかったとすれば、そこに社会は存在しない。虐待する親というたった一本の線にすがって生きることが唯一の選択肢である。

 少し前に映画『アクト・オブ・キリング』を見た。インドネシアで100万人の大虐殺を行ってきた「英雄」たちが再現映画を制作する。彼らは笑いながら思い出を語る。殺人の効率化を同じ現場で実演し、昂奮に酔って歌い踊る。そして映画のカットを自慢気に孫たちに見せる。終盤に至ってわずかばかりの罪悪感が頭をもたげるが、多分彼らの生き方が変わることはないだろう。

 次回紹介する予定だが高橋は虐待の原因として、親の知的障害・精神障害・発達障害などを挙げている。彼らは共感能力を欠くゆえに子供と愛着関係を結ぶことができないのだろう。

チンパンジーの利益分配/『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール

 カウンセリングを受ける中で小学5年生の頃の記憶がありありと蘇る。近所に住む優しいお姉さんがクッキーをくれた。透明の袋は赤いリボンで結ばれていた。そんなきれいなものを見るのは初めてのことだった。お姉さんは「遠慮しなくていいのよ」と声をかけた。彼はお姉さんの手からクッキーを奪うと、地面に叩きつけた。そして「こんなものいらない! いらない! いらない! いらない!」と叫びながらクッキーを足で踏みつけた。

 高橋はこれを「被虐待児の『試し行動』」と解説する。私はそうは思わない。試し行動は一種のテストクロージングであろう。少年の行動は鹿野武一〈かの・ぶいち〉やナット・ターナーと同じものである。

ナット・ターナーと鹿野武一の共通点/『ナット・ターナーの告白』ウィリアム・スタイロン

「その優しさ」を受け入れてしまえば自己の拠(よ)って立つ世界が崩壊するのだ。少年は本能的にクッキーを拒むことで、優しいお姉さんと親の比較を回避したのだろう。穴の深さを知ってしまえば這い上がる気力もなくなる。それほどの深みに彼は位置していたのだ。

 ある地域の保育士によれば、感覚的には1/3から半分くらいの児童に発達障害傾向が見られるという(『ニッポンの貧困 必要なのは「慈善」より「投資」』中川雅之、2015年)。とすると少子化とはいえ子虐待の比率は高まる可能性も考えられよう。私の頭では幼稚園や小学校で定期的に聞き取り調査を行うといった程度の策しか思い浮かばない。



「ママ遅いよ」
【衝撃事件の核心】見逃されたSOS…両親からの虐待で死亡した7歳男児の阿鼻叫喚
「死んじゃう」空腹耐えかね男児万引き 父らに傷害容疑

2015-09-25

ジェレミー・コービンがイギリスの労働党党首選挙に圧勝


 これは気になるニュースである。いくつか記事を紹介しよう。

 コービン氏は党首選で59.5%を得票し、ほかの3候補に大差で勝利した後、「現在の経済格差と貧困は我慢できない。平等で自由な世界実現のために力を合わせて戦っていこう」と支持者らに呼びかけた。

英労働党党首にコービン氏 「経済格差と貧困我慢ならない」 反緊縮や反核訴える ノーネクタイのスタイル:産経ニュース

 この選挙キャンペーン期間中は、イギリスの女王を始め、トニーブレアや保守党、マードックの所有するメディア、各界の有名人が「ジェレミー・コービンを労働党党首にするなキャンペーン」に参加し、あの手この手を使って彼に対するネガティブ・キャンペーンが行われていました。

 戦争することで利益を得る集団は、こぞって彼に猛反対していました。(彼は戦争にも核にも、明確に反対しています)

イギリスの革命児が労働党党首選挙に圧勝 ジェレミー・コービン:世界の裏側ニュース

 イギリスの労働党を本来の姿に戻そうとしている人物がいる。ジェレミー・コルビンがその人で、党内で支持を集め始めた。それを懸念した労働党の幹部は党首選でコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪い始めたという。

 トニー・ブレアの時代に労働党は組合との関係を断ち、強者総取りの新自由主義を導入したマーガレット・サッチャーの後を追った。そうしたことを可能にしたのはブレアに強力なスポンサー、イスラエルが存在していたからだ。

巨大資本とイスラエルに奉仕していたブレアの路線を止めようとするコルビンを嫌う英労働党の幹部:櫻井ジャーナル

 9月12日に行われたイギリス労働党の党首選でジェレミー・コルビンが勝ったという。この人物は労働党を本来の姿に戻そうと考えている人物で、党の幹部はコルビンに投票しそうなサポーターを粛清、つまり投票権を奪うなどの妨害活動を続けていたが、それを上まわる力が働いたということだろう。

 党内でコルビンと対立関係にある勢力とはトニー・ブレアと結びついていた勢力。イスラエルを資金源にしていたブレアはメディアの支援も受けていた。内政では新自由主義、外交では親イスラエルという立場、つまり社会的な弱者を痛めつけてイスラエルの破壊と殺戮を支持するという人びとだ。今後、コルビンはこうした勢力からの攻撃に立ち向かわなければならない。

英国労働党の党首選でブレアが推進した親イスラエル、新自由主義の政策に反対するコルビンが勝利:櫻井ジャーナル

 コービン候補はマルクス主義的な伝統的左派の政策への回帰を目指し、緊縮財政への反対、鉄道などの再国有化、企業・富裕層への増税、家賃の上限設定などを掲げている。ブレア元首相が推進してきた第三の道を真っ向から否定、当選後はブレア氏が削除した党綱領第四条の「生産及び交易手段の国有化」を復活させる意向も示している。とても、中道寄りのスタンスの党員に受け入れられる内容ではない。

第8回 「政権奪還よりも大切なコービン候補」

 僕はコービンの飾らない人柄に、ある種の清涼感を覚えます。
 彼の暮らしは質素で、趣味は自家菜園で取れた果物でジャムを作る事です。マイカーは持っておらず、どこでも自転車で出かけるそうです。
 そのような彼のメッセージが、多くの英国の有権者の心に響いている背景には、酷くなる一方の格差問題があると思います。
 マーガレット・サッチャーのヒーローがF・A・ハイエクならば、ジェレミー・コービンのヒーローはカール・マルクスです。

情けない国に成り下がる英国 ジェレミー・コービンという病:Market Hack

・反緊縮財政、反公共支出削減。公共投資の大幅な拡大
・働く人と政府が富の創造のプロセスを公平に共有するバランスの取れた経済の実現
・英国は、国が主導する経済成長と経済再建が必要。それが、緊縮財政、規制緩和、民営化、法人税の削減という現政府によるモデルの代替案の核となるべき
・公共支出削減ではなく、より速い経済成長、給与水準の引き上げ、税収増加、福祉への需要を下げることによって財政赤字を解消する
・「人々のための量的金融緩和政策(People’s Quantitative Easing)」によって資金量を増やし、住宅、エネルギー、交通、デジタル関係などのインフラ投資に充てる。具体的には、「国立投資銀行」を設置し、同銀行が発行する国債をイングランド銀行が購入することによって資金量を増やす
・企業への税の軽減措置を一部取り止め、企業への補助金削減
・富裕層と企業への増税
・脱税、税回避の取り締まり。企業による納税を確保するための措置

ジェレミー・コービンの党首選マニフェストには何が書いてあったんだっけ(その1):英国政治ニュース

 世界各国が行っている量的緩和政策が深刻な格差を生み、格差是正を求める大衆の声によって資本主義が滅びるかもしれない。いずれにせよ緩和マネーによるバブルが崩壊するのは時間の問題だ。コービンの党首選勝利と安倍政権による安保法改正がひょっとすると世界経済の潮目を表している可能性がある。新自由主義の暴走に終焉を告げる出来事のような気がする。

虐待による睡眠障害/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 彼女は身体的な虐待は受けていなかった。虐待の種類については次章で述べるが、彼女が受けていたのは「心理的虐待」である。心理的虐待は周りに気づかれないだけでなく、子ども自身も気づくことはない。
 心理的虐待は子どもの心の中に奇妙な、矛盾した母親像を作り出す。
 彼女は、いつも怖い母親だったと振り返る一方で、「食事もお弁当も作ってくれた」、「叱られたことはなかった」、だから母親は優しい人だった、と言う。
 心理的虐待を続ける母親が、子どもに優しいはずはない。叱られなかったのは、子どもに無関心だっただけだろう。しかし、放っておかれたことを「優しかった」と被虐待児は翻訳して理解する。食事を作ってくれたのは、家族の食事と一緒だったという理由だけだろう。しかし、彼女はそこに子への愛情を読み込む。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)以下同】

 私は幼い頃からものを感じる力が人より強かった。3歳の時、スーパーで見知らぬオバサンに「どうして僕の頭にカゴをぶつけて謝らないの?」と大騒ぎをしたことがあるらしい。もちろん憶えていない。20代になって伯母から聞いた。そのことを父が語ったのは更に20年後のことである。私の父はお世辞にもいい親とは言えない。ただ怖いだけの存在だった。しかし正義感の塊(かたまり)みたいな人で判断を誤ることも殆どなかった。きっと父の影響が幼い私に及んでいたのだろう。

 正義感というのは厄介なものだ。望むと望まざるとにかかわらず周囲に波風を立ててしまうからだ。しかも敏感に不正を感じ取るために誰も気づかないような温度で怒りに火がつく。そして純粋な怒りは速やかに殺意へと向かう。真剣といえば聞こえはいいが、その中身は殺意である。斬るか斬られるかとの判断から「相手を斬る」方向に素早く行動する。もちろん直ぐ斬るわけではない。物事には段階がある。ただ最終的に「斬る」という覚悟は最初から決めている。

 虐待体験だけの寄せ集めであれば私は読み終えることができなかったことだろう。高橋は構成をよく考えている。不眠症の相談に訪れたのは41歳の女性である。彼女は日にちと曜日の感覚が欠落していた。日々の眠りが浅く一日が途切れていないためだった。それが虐待に由来する症状だとは素人には思いも寄らない世界である。

 彼女はいつも緊張し、自分を抑え、母親の顔色をうかがい、先回りして生きてきた。そうしていないと、もっとけなされて見捨てられてしまうからだ。母親は、子どもにいつも無関心なだけなのだが、子どもはそこに必死になって自分の期待を投影しようとする。しかし、母親は反応しない。これでもだめなんだ、ここまでがんばってもだめなんだと、その空回りがまた底なしの恐怖を育て、彼女の心は緊張でいつも震えている。身体的な虐待を受けたのとは違う、真綿で首を絞められるような、恐怖と孤独が心を覆う。恐怖に潰されないために、ぎりぎりで自分を支えるために必要だったのが、「優しい母親」という翻訳である。
 こうして彼女は、幼稚園の頃から不眠症になった。

 脳は因果を求めて物語を形成する。

物語の本質~青木勇気『「物語」とは何であるか』への応答

 幼子にとって母親の存在は「環境そのもの」である。母親は子供の「生きる場」であり別の選択肢はない。生きることは「母親を頼る」ことを意味する。十分な理性も知識もない幼児が母親の是非を問うことは不可能だ。ダメな親であったとしても受け入れるしかない。逃げることも死ぬこともできないのだから当然だ。そこに「歪んだ解釈」が生まれる。人類初期の宗教と似たメカニズムであろう。

 カウンセリングを通して彼女は虐待の鎖から解き放たれる。生まれて初めて自由を味わった言葉が悟性の輝きを発する。

「先生、私、生まれて初めて『一日が終わる』という体験をしました。一日って終わるんですね」

「眠れるようになったんです。体が楽になりました。生活が変わりました」

「最近、眠るコツが分かりました。ああ、目を閉じると眠れるんだ、と思いました。体の疲れで眠れるという感じがします。体が『重たい』のではなくて、『眠たい』というのがわかりました。眠たいというのは気持ちがいいものなのですね。
 それから、朝起きても肩が重くない。体がこわばっていないんです。『ああ、また朝が来てしまった』という重い気分がないです。眠ると体が軽くなるんですね。
 毎朝、新しい気持ちになって、毎朝、幸せって思います」

 よく生きることはよく死ぬことに通じ、よき一日の生活はよき睡眠につながるのだろう。死んだように眠れる人こそ幸せである。

 一日が、夜に終わって、朝に始まる。その間、完全に意識が消え、時間が途切れる。時計は動き続けていても、人の心の中の時間は夜11時で止まり、朝、6時に新しく始まる。それで、翌朝は前の日とは違う気分になる。だから、一日が終わり、新しい日にちが始まる。
 前の日の心は、前の晩に途切れいている。朝、新しい心が動き出すからこそ、毎日、毎日、という区切りができて日付が変わる。一昨日、昨日、今日ができて日にちが数えられるようになり、1週間の曜日ができあがる。

「虐待を受けている子どもは、『普通の』眠りを知らない」という。彼らの不安や恐怖を思えば当然だろう。今度から児童と話す機会には必ず睡眠状態を確認してみようと思う。

 最後にもう一つ彼女の言葉を紹介しよう。

「辛いことや嫌なことがあっても、1週間経つとそれがあまり気にならなくなって、初めて『過ぎ去る』ということがわかりました」


「死にたい」と「消えたい」の違い/『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳


『3歳で、ぼくは路上に捨てられた』ティム・ゲナール
『生きる技法』安冨歩
『子は親を救うために「心の病」になる』高橋和巳

 ・被虐少女の自殺未遂
 ・「死にたい」と「消えたい」の違い
 ・虐待による睡眠障害
 ・愛着障害と愛情への反発
 ・「虐待の要因」に疑問あり
 ・「知る」ことは「離れる」こと
 ・自分が変わると世界も変わる

『生ける屍の結末 「黒子のバスケ」脅迫事件の全真相』渡邊博史
『累犯障害者 獄の中の不条理』山本譲司
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 当初、私は元「被虐待児」の「消えたい」という訴えを聞いた時に、うつ病と同じように「希死念慮あり」とカルテに記載していた。つまり、抑うつ感の中で「自殺したい」と思っていると解釈していたのだ。
 しかし、その後、「死にたい」と「消えたい」とは、その前提がまったく異なっているのが分かってきた。
「死にたい」は、生きたい、生きている、を前提としている。
「消えたい」は、生きたい、生きている、と一度も思ったことのない人が使う。
(中略)
 被虐待児がもらす「消えたい」には、前提となる「生きたい、生きてみたい、生きてきた」がない。生きる目的とか、意味とかを持ったことがなく、楽しみとか、幸せを一度も味わったことのない人から発せられる言葉だ。今までただ生きていたけど、何もいいことがなかった、何の意味もなかった、そうして生きていることに疲れた。だから、「消えたい」。
「死にたい」の中には、自分の望む人生を実現できなかった無念さや、力不足だた自分への怒り、それを許してくれなかった他人への恨みがある。一方、「消えたい」の中には怒りはないか、あっても微かだ。そして、淡い悲しみだけが広がっている。

【『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳〈たかはし・かずみ〉(筑摩書房、2010年/ちくま文庫、2014年)】

 人は「思ったように」しか生きられない。いつでも選択肢は自由なようでありながら実は不自由の中を生きている。面白くないことがあると思い悩み、不安や怒りにとらわれ、思考と感情は同じ位置をぐるぐる回る。我々は想念すら自由に扱うことができない。感覚もまた同様であろう。見るもの、聞くものの刺激に次々と反応しているだけだ。

 PTSDなどに代表される「傷ついた心理」の問題もここにある。いじめは行為そのものも悲惨だが、「いじめられた記憶」に苛まれる事後の影響が深刻なのだ。

 虐待され続けた子供たちは「死にたい」と思うことすらできなかった。彼らは人間として扱われてこなかったために自我形成をも阻害されたのだろう。虐待という環境下で自由な発想は生まれない。ただ親から振るわれる暴力に怯え、反応するだけだ。彼らは死のうとする意思まで奪われた。

 自由な感情すら持てなかった彼らの「消えたい」という言葉は「淡い存在」を示し、自己の輪郭すらはっきりと描けなかった事実を物語っている。

 そんな彼らが高橋と出会って変わる。彼らは初めて一個の人間として接してもらった。カウンセリングはコミュニケーションでもあった。人とつながった時、彼らは自分の存在を実感できたことだろう。「私はいてもいいんだ」とすら思ったかもしれない。

 人と人とがつながる。ただそれだけで救われることがある。果たして我々は周囲の人々と確かにつながっているだろうか?