2016-01-30

泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず/『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典


 ・泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず

『幕末外交と開国』加藤祐三
『黒船幻想 精神分析学から見た日米関係』岸田秀、ケネス・D・バトラー
『日本の戦争Q&A 兵頭二十八軍学塾』兵頭二十八

 ところで、あまり知られていないことだが、「情報」という語句そのものは、江戸時代にはなかった。もちろん、「情報」に代わる言葉はあった。例えば、当時「うわさ」とか「風聞」(ふうもん)とか「風説」といった言葉はよく使われていた。(中略)
 はじめて「情報」という言葉が使われたのは、明治9年(1876)に刊行された『仏国歩兵対中(ふつこくほへいたいちゅう) 要務(ようむ)実地演習軌典』であるという(仲本秀四郎『情報を考える』丸善ライブラリー)。「敵情を報告する」の簡略語として造語されたらしい。

【『予告されていたペリー来航と幕末情報戦争』岩下哲典(新書y、2006年)以下同】

 日本の近代史は黒船来航(嘉永6年/1853年)から始まる。当時の世相を詠んだのが下の狂歌である。

「泰平のねむりをさますじようきせん たつた四はいで夜るも寝られず」

 宇治の高級茶「上喜撰」と黒船の蒸気船を掛けている。黒船は4杯(4隻)で訪れた(種類による船の数え方)。

 ともかく、この狂歌の出典は意外にも知られていない。

 確実な出典としては、昭和59年(1984)に東京堂出版より刊行された『江戸時代落書類聚(らくしょるいじゅう)』である。同署は、幕臣の後裔で、後備陸軍一等主計をつとめ、雑誌『江戸』などに投稿していた「江戸生き残りの故老」(小川恭一『柳営学』の人々(2)―堤朝風と矢嶋松軒『日本古書通信』第817号)こと矢嶋松軒(やじましょうけん/隆教)なる人物が、大正3年(1914)から4年をかけて編纂(へんさん)した書物である。
 松軒は、江戸時代に作られたとされる落書にたいへん興味を持ち、それを集めて『江戸時代落書類聚』として編纂した。
 落書とは、政治や世の中を風刺する匿名の文書で、「落とし文(ぶみ)」ともいう。政治権力の追求を免れるために路上に落としたり、門や塀に貼ったりした。あるていど事実を書いたものもあれば、ほとんど作り物であることも少なくない。しかし、いずれも時の政府や支配階級を風刺していて、当時の人々の注目を集めたものが多く、庶民の精神を知るうえで貴重な資料である(吉原健一郎『落書というメディア 江戸民衆の怒りとユーモア』教育出版、1999年)。

 何ということだ。私が中学で習った時点では「確実な出典」がなかったことになる。この歌で狂歌なるジャンルを知った人も多いのではあるまいか。もちろん私もその一人だ。

 落書の謂(いわ)れも初めて知った。送り仮名がないので「らくしょ」と読むのだろう。現代の落書きがメッセージ性を書いているのはメディア進化のゆえか。情報伝達の量が増えるに連れて、訴える力(発信力)が弱まっているのだろう。「檄(げき)を飛ばす」という言い回しは残っていても本物の檄文を見たことはない。

 少ない情報は豊かな想像力で補われる。句歌が千年を超えて嗜(たしな)まれてきたのは、そのイメージ喚起力にあるのだろう。

 当時実際に詠まれた歌として二首を挙げる。

「老若のねむりをさます上喜(じょうき)せん 茶うけの役にたらぬあめりか」
「毛唐人(けとうじん)などと茶ニして上きせん たつた四はひで夜は寝られず」
(いずれも『藤岡屋日記』藤岡由蔵〈ふじおか・よしぞう〉)

 結論はこうだ。

 考えてみると「泰平の」という語句には、江戸時代を「ペリーの『黒船』に腰を抜かすような情けない弱腰の江戸の武士たちが、まさに惰眠をむさぼっていた『泰平の世の中』だったのだ」という評価が込められているように思う。いかにも江戸を遅れた時代だと批判した名人時代人の歴史認識を示す表現ではないだろうか。つまり「泰平の」は、江戸時代をだめなものと思い込もうとした明治人によってアレンジされた狂歌なのではないかとも思われる。
 明治は江戸を否定した時代だった。だからこそ、この狂歌は人々の言の葉にのぼり有名になったのだろう。いや、いささかなり過ぎたと思う。
 要するにペリー来航当時、この狂歌は謳われていなかった可能性が高い。

 ところがどっこい話はそう簡単に収まらない。

たった四はいで夜も…黒船来航直後の作

 黒船来航(1853年6月)にあわてふためく江戸幕府の様子を風刺した狂歌「太平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)(お茶の銘柄。蒸気船とかけている) たった四はいで夜も寝られず」が、ペリーが浦賀沖(神奈川県横須賀市)に来航した直後に詠まれていたことを示す書簡が東京・世田谷の静嘉堂(せいかどう)文庫で見つかった。

 この狂歌は、1878年(明治11年)の史料で確認されるのが最初で、後世の作との説も出てきたことから、現在は、多くの教科書が記載を見送っている。新資料の発見で旧来の説が裏付けられた形となった。

 発見したのは、専修大学元講師の斎藤純さん(62)。常陸土浦(茨城県)の薬種商で国学者だった色川三中(みなか)(1801~55年)あての書簡を集めた「色川三中来翰集(らいかんしゅう)」のうち、江戸の書店主、山城屋左兵衛からの書簡にこの狂歌が記されているのを確認した。

 書簡は53年6月30日付で、異国船が来て騒動になり、狂歌や落首が色々作られたと説明した上で、「太平之ねむけをさます上喜撰(蒸気船と添え書き) たつた四はいて夜るもねられす」の狂歌も記している。

 これまで「眠り」とされていた部分が、今回の狂歌では「ねむけ」となっており、岩下哲典・明海大教授(日本近世・近代史)は「最初に詠まれた時すでに、『眠け』と『眠り』の異なった狂歌があったのか、もともと『眠け』と表現されていたのか。今後、さらに研究が必要だ」と話している。

【YOMIURI ONLINE 2010年3月8日】

 歴史も法廷も証拠ひとつで引っくり返る。コンクリートがなかった時代の火事の多さを思えば、既に焼失してしまった証拠も数多くあるに違いない。歴史の難しさと面白さが相争う場面でもある。

 著者の視点はよいのだが文章がすっきりとせず、やたらと「後述する」を連発する悪癖が見られる。説明能力に問題あり。

予告されていたペリー来航と幕末情報戦争 (新書y)
岩下 哲典
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2016-01-26

矢部宏治、他


 2冊挫折、1冊読了。

北のまほろば 街道をゆく 41』司馬遼太郎(朝日新聞社、1995年/朝日文芸文庫、1997年/朝日文庫、2009年)/まほろばとは古語で「すばらしい場所」の意。司馬は青森を敢えて「北のまほろば」と呼ぶ。少し前に見かけた青森県の児童が書いた詩を読むために開いた。結局、最後のページに掲載されていた。私はあまりこの人の文章が好きではない。改行も多すぎる。斗南(となみ)の件(くだり)で柴五郎に触れている。

世界のニュースがわかる! 図解地政学入門』高橋洋一(あさ出版、2015年)/手抜き本。出だしはいいのだが途中から単なる世界史本になってしまっている。ちょうど半分ほどで挫ける。

 13冊目『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治〈やべ・こうじ〉(集英社インターナショナル、2014年)/矢部は創元社の「知の再発見」双書「戦後再発見」双書を手掛けた人物。amazonの評価が頗(すこぶ)る高いので取り寄せた。米軍基地と原発を結ぶのは安全保障である。大東亜戦争敗戦以降、日本という国家が独立し得ていない情況を巧みに解説する。砂川裁判によって日本国憲法はアメリカとの条約よりも下位に位置づけられた。つまり占領体制が続行しているということだ。また国連憲章の敵国条項は知っていたが、実にわかりやすく説明されている。というわけで大変勉強になった。にもかかわらず、私は本書を「クソ本」と評価する。詳細は書評にて。読書会などには打って付けのテキストだと思う。

プラスチックゴミに殺されるコアホウドリの幼鳥


 今回、初めて自分の目で確かめて驚いたのは、島中に無数のプラスチックごみが散乱していることでした。海岸などに漂着しているごみもたくさんあるのですが、島のいたるところにキャップ類やライター、牡蠣の養殖漁具などが散乱しています。FWSのジョン・クラビッターさんは「コアホウドリは海中に潜って餌をとることができないので、海面に浮いたり、海面近くを泳いでいるイカや魚を食べる。親は餌と間違えて飲み込んだプラスチックを雛に与えてしまう。これまでに多くの死骸を解剖したが、99.9%、プラスチックを飲み込んでいた。雛は巣立ちの前に、体を軽くするために体内に残っているものを吐き出すが、健康な状態でないと吐き出せない場合がある。島の中のプラスチックごみは、死骸の中に残っていたごみか、雛が吐き出したごみのどちらかで、つまり鳥が海から持ってきたものだ」と話してくれました。死骸から出てくるごみのトップ3は、キャップ、牡蠣の養殖パイプ、ライターだそうです。

海ごみプラットフォームJAPAN:JEAN 小島あずさ

2016-01-24

吉岡栄二郎、エリック・シュローサー、トール・ノーレットランダーシュ、ラダビノード・パー、田中正明


 3冊挫折、4冊読了。

続・大空のサムライ 回想のエースたち』坂井三郎(光人社NF文庫、2003年)/光人社版は四部作となっている。『大空のサムライ かえらざる零戦隊』『戦話・大空のサムライ 可能性に挑戦し征服する極意』『大空のサムライ・完結篇 撃墜王との対話』。

二・二六事件とその時代 昭和期日本の構造』筒井清忠(ちくま学芸文庫、2006年)/二・二六事件は面白いようで面白くない。

西郷札  傑作短編集三』松本清張(新潮文庫、1965年)/大清張のデビュー作が冒頭の「西郷札」(さいごうさつ)だ。何かの本で知ったのだが失念した。異母兄妹の淡い想いを散りばめながら、世の移り変わりに翻弄される人々を描く。西郷札とは西郷軍が発行した軍票のこと。

 9冊目『パール博士「平和の宣言」』ラダビノード・パール:田中正明編著(小学館復刻版、2008年/東西文明社、1953年)/復刻版は章立ての順序を変えてある。1952年の来日を綴った田中のテキストはすべての日本人が読むべき内容で、パールは法の番人というよりも宗教者に近い行動で敗戦に打ちひしがれた日本人を慰め、励まし、鼓舞した。なんとA級戦犯を始め、B・C級戦犯とも面会している。アジアには確かに共通の価値観があることがわかった。深い感動に打ち震えながら、感謝と恩義の念が泉の如く湧いてくる。義務教育の教科書に採用するべきだ。

 10冊目『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ:柴田裕之訳(紀伊國屋書店、2002年)/再読。やはり神本(かみぼん)である。いくらか勉強してきたせいか、驚くほどすっきりと頭に入る。私に言わせれば各章が一冊の本に匹敵するほどの内容である。すなわち16冊に等しい書籍が4500円であると考えれば驚くほど安い。原書刊行は1991年だから、まだネット時代の前夜である。21世紀になっても尚、本書を凌駕する作品は現れていないと断言できる。

 11冊目『ファストフードが世界を食いつくす』エリック・シュローサー:楡井浩一〈にれい・こういち〉訳(草思社、2001年/草思社文庫、2013年)/一度挫けている。挫けた理由がわからぬ。それほど面白かった。ナオミ・クライン著『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』の後に読むのがよかろう。全くどこにも隙(すき)のない100%完璧なノンフィクションである。狙いといい、構成といい、文章といい100点満点だ。

 12冊目『『焼き場に立つ少年』は何処へ ジョー・オダネル撮影『焼き場に立つ少年』調査報告』吉岡栄二郎(長崎新聞社、2013年)/5年余りの取材をまとめたものだが100頁足らずという小品。きっかけは「焼き場に立つ少年」を見た地元の人々の声だった。「これは長崎ではないのではないか」という声がいくつも上がった。当時は瓦礫(がれき)だらけでとても裸足で歩けるような状況ではなかった。ジョー・オダネル著『トランクの中の日本 米従軍カメラマンの非公式記録』を読んだ人なら手を伸ばさずにはいられない。少年にまつわるオダネル発言の数々と共にトリミングされていない写真が掲載されている。