キーボードを一心不乱に叩きながら彼女は語る。
「一番大きな問題は私たちのこの悲劇には名前がついていないことです。世界の注目どころか、国内でも無視され切り捨てられている」
名前さえもついていない問題。確かにコソボ難民という言い方をすれば、ほとんどの外国人はアルバニア系住民のことを指すと思うだろう。
【『終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ』木村元彦〈きむら・ゆきひこ〉(集英社新書、2005年)】
名前のない悲劇とは現在進行形の悲劇を意味する。終わらぬ惨禍は歴史として締め括ることができない。
人間の言葉は名詞から始まったと考えられている。ヘレン・ケラーが最初に発した言葉は「ウォーター」であった。名は体を表す。存在論であろうと唯名論であろうと名前のないものは実在を認められない。
人類史上において名前のない最大の悲劇といえば、イスラエルによるパレスチナ略奪である。第二次世界大戦のどさくさに紛れて、ロスチャイルド家が世界中のユダヤ人をパレスチナに移動させた。実に1948年からいまだに続く悲劇だ。
世界から忘れ去られ、苦難に喘ぐ人々がもっとも必要としているもの、言い換えるならば、世界に自らの存在を書き込み、苦難から解放されるために致命的に必要とされるもの、それは、「イメージ」である。他者に対する私たちの人間的共感は、他者への想像力によって可能になるが、その私たちの想像力を可能にするのが「イメージ」であるからだ。逆に言えば、「イメージ」が決定的に存在しないということは、想像を働かせるよすがもないということだ。
【『アラブ、祈りとしての文学』岡真理(みすず書房、2008年)】
岡真理の指摘がシオニズムの政治的意図を鋭く射抜く。電波や活字に乗らない事件は我々にとって存在しないも同然だ。ルワンダ大虐殺も当初は報じられなかった。海外からのニュースを取捨選択するのは西側メディアであることを我々はきちんと弁える必要がある。
・バルカンのホスピタリティ/『終わらぬ「民族浄化」 セルビア・モンテネグロ』木村元彦
・自爆せざるを得ないパレスチナの情況/『アラブ、祈りとしての文学』岡真理