2010-05-29

小野田寛郎を中傷した野坂昭如/『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月


『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎
『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 ・小野田寛郎を中傷した野坂昭如

・『奇蹟の今上天皇』小室直樹

 ルバング島のジャングルで30年の長きにわたって戦い続けた小野田寛郎は、帰国後メディアから集中砲火を浴びる。小野田は格好の標的となった。物珍しければ何にでも飛びつくのがメディアの習性だ。連中は野良犬のように鼻が利き、野良犬のようにしつこい。

 野坂昭如(のさか・あきゆき)が小野田寛郎を中傷した――

(野坂昭如による“談話筆記”〈『週刊ポスト』8月16日号〉)
 小野田さんはいろいろ偉そうなことをいっているけど、そして偉い面もあるけど、游撃戦にしろ、残置諜報者にしろ、その本分は何も果たしていないじゃないか。
 彼は自分の頭の中に艦船の出入りとか、飛行機のなんとかというものをしっかり納めていたという。それがやがて来たるべき日本の反撃に備える自分の任務だった、というが、じゃ、それを書いてみろといったら、おそらく書けないのではないか。
 横井さんの場合は、「あれは逃亡兵だ、逃げ回った人間だった」という決めつけ方をされていて、小野田さんの場合には「闘った」というふうにいわれている。しかし、状況判断の悪さからいうと、あれは闘ったことにはならない。
 そのことはさておき、彼は、自分の判断が間違っていたために、小塚さんがどうした、島田さんがどうしたとかいっているが、この文章を読んだ範囲においては、その判断の誤りについてほんとうの後悔は何もない。いやしい感じの方が強い。

【『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月〈とい・じゅうがつ〉(新潮社、2005年)以下同】

 私は以前から野坂という人物に嫌悪感を抱いてきた。見るからに薄汚い風体で、妙にヘラヘラしている。本人はニヒルを気取っているつもりだったのだろう。

 多分この記事は、国民の多くが小野田を礼賛することに背を向けるような格好で発信したのだろう。また小野田が陸軍中野学校出身であったことに警戒感を抱いていたのかもしれない。だが野坂は口の軽い男だった。そう。彼はただの酔っ払いなのだ。そして相手が悪かった。

 例えば、この記事の殆どの部分が、憶測と思い込みによって成立している。あらかじめ、自分の頭の中で描いた絵に結論を引き寄せようとしていると言ってもいい。少なくとも野坂は、小野田から直接話を聞いてもいないし、中野学校のことを調べてもいないし、ルバング島へ取材にも行っていない。その意見の殆どの部分は想像と感想の域を出ていない。いわば、言い放し、書き放しといっていい。しかし、そんなものでも活字になってメディアに載れば力が生まれる。なるほど、そうかと思う人間が出てくる。そうやって、ある人間や、ある出来事のイメージがつくられてゆく。
 小野田は、会ったこともない人間やメディアによって空気がつくられ、知らぬ間にそれが既成事実になってゆくような曖昧さといい加減さが許せなかった。それでは、戦前の日本と同じではないか。野坂の記事を読んだ小野田は、「言いたいことがあるなら、黒眼鏡を外して堂々と言え」と激怒したという。

 野坂は明らかに思い上がっていた。スポットライトを浴びた者は逆光で客席が見えなくなる。目に映るのはライトが当たっている自分の周囲だけだ。傲(おご)りという病(やまい)は治し難い。肥大した自我を正当化するために彼等はひたすら前進するのだ。

 国のために戦い続けてきた男は見世物にされた。小野田の中で日本のイメージが激しく揺れ動いた。彼が守ろうとした国も国民も既に消え失せていた。小野田は帰国から一年を経ずして長兄次兄のいるブラジルへ移住する。

 軽薄な売れっ子であった野坂に対し、小野田はどんな人物だったのか。以下に小野田自身が書いた手紙を紹介する――

 しばらくして週刊誌から手記連載の申し入れがあり、小野田は、代筆者や編集者たちと共に伊東市の出版社寮に缶詰めになった。その頃、小野田は、励ましの手紙をくれた戦争遺族たちに次のような礼状を送っていた。

 拝啓
 御健勝の御事喜ばしく存じます。
 私 帰還に際してはわざわざ御親切なお祝のお便りを頂き誠に有りがたく存じて居ります。今日、生きて日本に帰り得たことはひとえに亡くなられた戦友のお蔭と国民皆様の努力の賜で何とお礼を申し上げてよいものか言葉もなき次第でございます。
 帰られぬ戦友、帰り得た私、その運命の非情さを考えれば帰還の喜びは一瞬に失せ、思いは再び戦場に還ってしまいます。全く相済まぬ事をいたしました。肉親の皆様方に深くお詫びいたしお叱りを受けて、そのお赦しを願わねばなりません。
 肉親の皆様は終戦後の毎日をさぞおつらくお苦しく続けられたことでしょう。よくお耐え下さいました。
 男一匹の私らとは比べものにならない年月をお送りなされたことでございましょう。よく生き貫いて下さいました。
 今、御遺族の貴方様から御慰め頂きましたがこれは全く逆でございます。お慰め申し上げなければならぬのはこの私でございます。何と申し上げても申し上げきれないのはこの私でございます。本当に申し訳ございません。私の今日が祝福されればされる程、私はますます御詫び申し上げなければならないのです。お願いでございます。私の心をお察し下さってお赦し頂きとうございます。
 お互いに死を誓って戦場に出たとは申せあくまでも死は死、生は生でございます。亡くなられた方は再び生きてかえらず、生き帰ったものは全く倖せなのです。戦争の悲劇、全く言い様のない気持です。今迄生き貫かれた貴方様、尚も強く生き通して下さい。それが私にとって最もうれしくお祝の言葉、お慰めの贈りものでございます。
 私の社会復帰について御心配を頂きますがそんなことは第二第三の問題です。私の第一は遺族の皆様のお赦しを頂くことです。どうぞ御健康に御多幸に一日も早く遺族の苦しみ悲しみから抜け出して下さい。それで私は心から解放されるのでございます。右御詫びかたがた御礼まで。
 昭和49年5月
      海南市  小野田 寛郎

 何がここまで私の心を打つのか。私は戦争という戦争を忌み嫌い、戦争へ行ったことを得々と語る老人に対して、「お前は平然と人を殺し、何の躊躇(ためら)いもなくレイプに加担したような人物だろう。たとえお前がやらなかったとしても、周囲で行われたことを黙認するような卑劣漢だ」と心で罵るような人間なのだ。

 私が嫌悪する戦争、私が嫌悪する時代から、なぜこのような人物が生まれたのか。礼儀や人の振る舞いに着地するのは簡単だ。しかし、そんな皮相的なレベルで30年もサバイバル生活を生き延びることは不可能だ。

 小野田の時計は30年前に止まっていた。人間を人間たらしめていたのが30年前の記憶であったとすれば、30年間に及ぶ社会の変化は人間性を失わせるものだったことになる。

 そしてやはり陸軍中野学校の教育が大きかったことだろう。教育というものは例外なく、国家という枠組みに適応させる目的で施される。しかし中野学校では戦時中にもかかわらず、天皇よりも日本国民を重んじる教育を叩き込んだ。その意味では国家を超越する思想を提示したといえよう。

 小野田寛郎の偉大さは、時代や社会から取り残されたジャングルで人間として生き、人間を貫いたところにある。

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2010-05-23

現代人は木を見つめることができない/『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ


 ・現代人は木を見つめることができない
 ・集団行動と個人行動

クリシュナムルティ著作リスト

 文明の進歩は人間を自然から隔絶した。密閉された住居、快適な空調、加工された食品、電線や電波を介したコミュニケーション、情報を伝えるメディア……。文明の進歩は人間を人間からも隔絶してしまったようだ。

「自然との正しい関係とは、実際は何を意味するのでしょう?」という質問にクリシュナムルティが答えた一部を紹介しよう――

 私たちはけっして木を見つめません。あるいは見つめるとしても、それはその木陰に坐るとか、あるいはそれを切り倒して木材にするといった利用のためです。言い換えれば、私たちは功利的な目的のために木を見つめるということです。私たちは、自分自身を投影せずに、あるいは自分に都合のいいように利用しようとする気持ちなしに木を見つめることがけっしてないのです。まさにそのように、私たちは大地とその産物を扱うのです。大地への何の愛もなく、あるのはただその利用だけです。もし人が本当に大地を愛していたら、大地の恵みを節約して使うよう心がけることでしょう。つまり、もし私たちが自分と大地との関係を理解するつもりなら、大地の恵みを自分がどう使っているか、充分気をつけて見てみるべきなのです。自然との関係を理解することは、自分と隣人、妻、子供たちとの関係を理解することと同じくらい困難なことなのです。が、私たちはそれを一考してみようとしません。坐って星や月や木々を見つめようとしません。私たちは、社会的、政治的活動であまりにも忙しいのです。明らかに、これらの活動は自分自身からの逃避であり、そして自然を崇めることもまた自分自身からの逃避なのです。私たちは常に自然を、逃避の場として、あるいは功利的目的のために利用しており、けっして立ち止まって、大地あるいはその事物を愛することがありません。自分たちの衣食住のために利用しようとするだけで、けっして色鮮やかな田野をを見て楽しむことがないのです。私たちは、自分の手で土地を耕すことを嫌がります──自分の手で働くことを恥じるのです。しかし、自分の手で大地を扱うとき、何かとてつもないことが起こります。が、この仕事は下層階級(カースト)によってのみおこなわれます。われわれ上流階級は、自分自身の手を使うには偉すぎるというわけです! それゆえ私たちは自然との関係を喪失したのです。(プーナ、1948年10月17日)

【『瞑想と自然』J・クリシュナムルティ:大野純一訳(春秋社、1993年)】

 木を見る。比較することなくただ木を見つめる。葉や花に捉われることなく全体を、木の存在そのものを見る。そこに「生の脈動」がある。人が木を見つめ、木が人を見返す。ここに関係性が生まれる。私も木も世界の一部だ。そして世界は私と木との間に存在している。私は木だ。私は木と共に【在る】。

 そんなふうに物事を見ることは殆どない。「見慣れる」ことで我々は何かを見失っているのだろう。「見える」のが当たり前と思い込んでいるから、「生きる」ことも当たり前となってしまう。このようにして二度と訪れることのない一瞬一瞬を我々はのんべんだらりと過ごしているのだ。

「明日、視力が失われる」となれば、我々の目は開くことだろう。「余命、3ヶ月です」と診断されれば、我々は真剣に生きるのだろう。

 生きるとは食べることでもある。生は他の生き物の死に支えられている。生には動かし難い依存性が伴う。そして食べることは残酷なことでもある――

・『豚のPちゃんと32人の小学生 命の授業900日』黒田恭史

 美味しい肉に舌鼓を打つ時、屠(ほふ)られた動物の叫び声が我々の耳に届くことはない。欲望はあらゆるものを飲み込む。動物に課された理不尽な運命は易々(やすやす)と咀嚼(そしゃく)される。我々が気にするのは値段だけだ。家畜が屠殺(とさつ)される瞬間に思いを馳せることもない。

 文明は死を隠蔽(いんぺい)する。そして死を見つめることのない生は享楽的になってゆく。社会は経済性や功利主義に覆われる。

 生は交換することができない。資本主義経済はあらゆるものを交換可能な商品にした。現代人の価値観は「商品価値」に毒されている。出自や学歴、技術や才能で人間を評価するのは、人間が商品となってしまったためだ。だからこそ我々は「労働力」と化しているのだ。

「あの花を見よ」とクリシュナムルティは言う。花が見えなければ、自分の心も見えない。集中するのではなく、注意深く見つめる。「見る」が「観る」へと昇華した瞬間に世界は変容するのだろう。

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