2014-01-31

橋下市長発言要旨「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」


橋下市長発言要旨「朝日や毎日のような主張を言えば政治的中立害さない、というのはおかしい」(1/6ページ) - MSN産経west


【NHK問題については9分38秒から】


プリシラ・アーン / Priscilla Ahn


 先ほど見つけたアメリカ人シンガーソングライター。声が美しい人は多いが、これほど柔らかな声質は珍しい。











ナチュラル・カラーズGood Dayホーム~マイ・ソング・ダイアリー

2014-01-30

ラス・カサスとフランシスコ・デ・ビトリア(サラマンカ大学の神学部教授)/『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤


 インディアスに滞在した経験のない学級の徒ビトリアは、征服者フランシスコ・ピサロがアンデス山中の高原都市カハマルカで策を弄してインカ王アタワルパを捕らえ、大勢のインディオを殺戮したことや、約束どおり身代金として莫大な量の金・銀財宝を差し出したアタワルパを絞首刑に処したことを知って、ペルー征服の正当性に疑義を表明し、1539年1月にサラマンカ大学で『インディオについて』と題する特別講義を行った。ビトリアはその講義で、征服戦争の実態に関する情報を頼りに、トマス・アキナス(ママ)の理論に依拠して、ローマ教皇アレキサンデ6世の「贈与大教書」をスペイン国王によるインディアス支配を正当化する権原とみなす公式見解に異議を唱えたばかりか、当時主張されていたそれ以外の正当な権原(皇帝による譲与、先占権、自然法に背馳するインディオの罪など)をことごとく否定した。しかし、彼はそれにとどまらず、独自の「万民法理論」をもとに、新しくスペイン人による征服戦争を正当化する七つないし八つの権原を導いた。さらに、ビトリアは征服戦争の行き過ぎを防ぐために、同年6月、場所も同じサラマンカ大学で『戦争の法について』という特別講義を行った。

【『大航海時代における異文化理解と他者認識 スペイン語文書を読む』染田秀藤〈そめだ・ひでふじ〉(渓水社、1995年)以下同】

 本書によればフランシスコ・デ・ビトリアは後に「国際法の父」と謳われる人物だ。戦争とは人間の残虐さを解放する舞台装置である。殺し合いが目的なのだから、非道な残虐行為が必ず行われる。何をしようが相手を殺せばわからない。味方の国であっても信用ならない。

「解放者」米兵、ノルマンディー住民にとっては「女性に飢えた荒くれ者」

 ノルマンディー上陸作戦は1944年のこと。インディアン虐殺はその400年前である。人類史の大半は残酷というペンキで塗られている。

 ラス・カサスは「1502年に植民者としてエスパニョーラ島に渡航(中略)1514年にエンコメンデロの地位を放棄してインディオ養護の運動に身を捧げてから修道請願をたててドミニコ会士になるまで(1522年)、二度にわたってスペインへ帰国し、当局にインディアスの実情を訴え、その改善策を献じた。

 そのラス・カサスが1540年に帰国した(8度目の航海)。この時の報告内容が1522年に発表された『インディアスの破壊についての簡潔な報告』の母胎となった。

ラス・カサスの立ち位置/『インディアスの破壊についての簡潔な報告』ラス・カサス

 不思議な時の符合である。閉ざされたキリスト世界から開かれた人間が登場したのだ。二人の存在はどのような環境に置かれようとも人間は自由になれることを教えてくれる。そして彼らが殺されなかった事実が歴史の潮目が変わったことを伝える。

 モトリニーアはスペイン人植民者の虐待からインディオを保護することに尽くしたが、征服戦争の犠牲となったインディオの死を「邪教を信じたことに対する神罰」と解釈し、むしろインディオが日々改宗していく様子に感激して、常に改宗者の数を誇らしげに記し、新しいキリスト教世界の建設に大きな期待を表明した。しかし、常にキリスト教化の名のもとにインディオが死に追いやられた事実の意味を問いつづけるラス・カサスはそのような歴史認識を抱くことができなかった。

 これが「普通の宗教的態度」であろう。信仰とは教団ヒエラルキーに額(ぬか)づいてひたすら万歳を叫ぶ行為だ。教団はサブカルチャー装置である。社会通念とは別の価値観を提供し、下位構造の中で競争原理を打ち立てる。更に教団内部でサブカルチャーを形成することで、信者に存在価値・役割・使命・生き甲斐を与えるのだ。資本無用のギブ・アンド・テイク。しかも黙っていてもお布施が入ってくるシステムだ。ああ、教祖になっておけばよかった。

目指せ“明るい教祖ライフ”!/『完全教祖マニュアル』架神恭介、辰巳一世

 罰(ばつ)や罰(ばち)を持ちだして人間の罪悪感に訴える宗教には要注意。「自分こそ正しい」と思い込んでいる彼らにこそ天罰が下されるべきだ。

 ラス・カサスとビトリアの言葉が世界を変えたかどうかはわからない。ただ私を変えたことは確かだ。

2014-01-28

穀物メジャーとモンサント社/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会


なくならない飢餓
・穀物メジャーとモンサント社

 世界の食料供給は、すべてアメリカが掌握してきたといっても過言ではないだろう。従来の農業を根底から変え、「国際化」「大規模化・高収量化」「企業化」戦略を実現させた。その背景にあるのが、いわゆる“穀物メジャー”と呼ばれる多国籍企業による巨大資本だ。
 アメリカ国籍のカーギル、コンチネンタル・グレイン、オランダ国籍のブンゲ、フランス国籍のアンドレが五大穀物メジャーといわれ(現在はアメリカのADMが穀物メジャー第2位に急成長した)、全世界における穀物貿易の70~80%のシェアを握っていると推定される。オイルメジャーと並び世界経済の実質的な支配者といっていいだろう。
 日本のように食料の海外依存度が高い国にあっては、不測の事態が生じた時こそ穀物メジャーにビジネスチャンスが生まれる。
 なにしろ、自国の食糧さえ供給できれば、あとは市場で値をつり上げて売ればいい。食糧供給量が減って価格が高騰すれば、それだけ余剰利益を上げられる仕組みとなるからだ。
 こうした構造は、1954年に成立した農業貿易促進援助法(PL480号)にその萌芽を見ることができる。

【『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会(日本文芸社、2004年)以下同】

「カーギル、ブンゲ、ドレフェス、コンチネンタル、アンドレが、その五大穀物メジャーだが、カーギルを除き、すべてユダヤ系資本である」(笑う穀物メジャー。: 日本人は知ってはいけない。)。やっぱりね。ユダヤ人の世界戦略は数千年間にわたる怨念に支えられている。彼らの意趣返しを止めることは決してできない。

 以前から不思議でならないのは日本の食料自給率の低さである。きっと敗戦によって食の安全保障までアメリカに支配されているのだろう。小学校の給食でパンが出るようになったのも「アメリカの小麦戦略」であった。

 軍事・エネルギー・食糧を海外に依存しながら独立国家であり続けることは難しい。牙を抜かれた上に与えられる餌でしか生きてゆくことができないのだから。

 本書は軽薄なタイトルとは裏腹に硬骨な文体で国際情報の裏側に迫っている。

 たとえば、モンサント社はカーギル社の海外種子事業を買収するほか、アメリカ国内はもとより海外の種子企業まで軒並み買収している。市場規模ではアメリカが57億ドルとトップだが、それに次いで日本が25億ドルと、ニュービジネスに賭ける意気込みは強い。

モンサント社が開発するターミネーター技術/『自殺する種子 アグロバイオ企業が食を支配する』安田節子

 アグリビジネスといえば聞こえはいいが、実際に行っているのは大掛かりなバイオテロに等しい。種の自爆テロ。穀物が実るのは一度だけ。農家は永久に種を買い続ける羽目となる。砂漠の民は自然を脅威と捉えて愛することがないのだろう。種に死を命じる発想がやがては人間にも及ぶことだろう。

 そもそも、種子市場で主要輸出国の上位3位を占めるのが、アメリカ、オランダ、フランスとくれば、いかに穀物メジャーと密接なかかわりをもつかは一目瞭然だ。これらで世界の種子輸出の53%をきっちり押さえ、複合的にビジネスが展開されていく。

 いつからだろうか。ビジネスがトレード(交換)を意味するようになったのは。右から左へ物を移して、差額分を儲けるのがビジネスだ。それを労働とは呼びたくない。かつては商いにだって志が存在したものだ。高値で売れればよしとするなら麻薬売買と変わりがない。

 遺伝子組み換え作物の開発主体が、多国籍アグリビジネスであることはもはや周知の事実。1980年台から農業や医薬部門を主力とする多国籍化学企業によるM&Aが進み、モンサント、デュポン、シンジェンダ、アベンティスの4社でシェアのほぼ100%を寡占している状態だ。

 企業はメガ化することで国家を超えた存在と化す。多国籍企業は最も法人税率の低い地域に本社を設置し、オフショアバンクを通じて国家から利益を守りぬく。彼らは租税を回避し、世界中から収奪した富をひたすら蓄え続けるのだ。彼らは飢餓をコントロールできる存在だ。

 エネルギーは少々困ったところで経済的な打撃を受けるだけである。だが食糧が絶たれれば生きてゆくことは不可能だ。その時になってから戦争を始めても遅い。

不二貿易 ちゃぶ台(幅60cm)

不二貿易 ちゃぶ台(幅60cm)

 なぜか画像が表示できない。サイズは幅60×奥行45×高さ29.5cm。ノートパソコンの架台にするのはLIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉よりもこっちの方がよさそうだ。私が使用しているキーボードの幅が50cm弱のため。

2014-01-27

クリシュナムルティ『知恵のめざめ』



知恵のめざめ―悲しみが花開いて終わるとき

なくならない飢餓/『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会


 ・なくならない飢餓
 ・穀物メジャーとモンサント社

 人間一人が生きていくために必要な食料が穀物で年間約150キログラムとすると、数字の上では133億人分が確保されていることになる。
 ところが、その多くは人間のためだけではなく家畜の飼料に回され、先進国の食肉用として消費される割合が高いのが現状だ。
 その結果、生産地の国々に食料が回らず、先進国では飽食状態となる構造が生まれた。この偏在が是正されないかぎり、食料不足と飢餓人口の増大には歯止めがかけられないのだ。

【『面白いほどよくわかる「タブー」の世界地図 マフィア、原理主義から黒幕まで、世界を牛耳るタブー勢力の全貌(学校で教えない教科書)』世界情勢を読む会(日本文芸社、2004年)】

 この状況を端的に表したのが以下の画像である。

IMF(国際通貨基金)を戯画化するとこうなる

 資本主義経済は椅子取りゲームであり、国家同士がプレイする場合には椅子の数は8脚しかない(G8)。そしてクラブに出入りできる国家も限られている(OECD)。

 胴元はFRBIMF世界銀行など。

 コモディティのメインである原油やゴールドは完全に白人が支配している。

経済侵略の尖兵/『エコノミック・ヒットマン 途上国を食い物にするアメリカ』ジョン・パーキンス
ODA(政府開発援助)はビジネスだ

 飢餓状態にある人間は学ぶことができない。反逆する意思すら持てないことだろう。彼らは乏しい糧食のためにどんな酷い仕打ちにも耐えながら生きてゆくほかない。病めば死ぬ。免疫力も抵抗力も削がれている。

 人間を奴隷という名で家畜化したのが白人の文化であり、日本は有色人種でありながらその恩恵を享受している。確かに貧富の差は拡大しているが、まだスラム化までには至っていない。

 以下のページで紹介した動画をよく見て欲しい。

暴力と欲望に安住する世界/『既知からの自由』J・クリシュナムルティ

 こんな世界は一度破壊しなければならない。同じような世界が再び現れるなら何度でも破壊すべきだろう。


中国人が肉を食べ始めた/『国家の自縛』佐藤優

2014-01-26

LIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉

LIHITLAB TEFFA 机下台〈520〉 A7360-0 白

 大きさは、520×350×317mm。ノートパソコンの架台にする予定。外部接続するキーボードは邪魔にならないだろうが、少し高すぎるか。でも、LIHITLAB TEFFA 机上台〈590〉だと低すぎる。

高橋睦郎、宮城谷昌光、苫米地英人、今西憲之、他


 5冊挫折、5冊読了。

愚か者死すべし』原リョウ(早川書房、2004年/ハヤカワ文庫、2007年)/よもや、原リョウを挫折するとはね。主人公も気取りすぎだ。ハードボイルドをチャンドラー的修飾と勘違いしている節が窺える。しかも修飾が長すぎて文章の行方が危うくなっている。

ダック・コール』稲見一良〈いなみ・いつら〉(早川書房、1991年/ハヤカワ文庫、1994年)/美意識にあざとさがある。フィルターが強すぎて現実の姿が見えてこない。科白も冗長で説明的。フェティシズムを小説化しただけではないのか。

死をふくむ風景 私のアニミズム』岩田慶治(NHKブックス、2000年)/岩田の入門書とでもいうべき位置づけか。わかりやすいだけに総花的で散漫な内容。

カミの誕生 原始宗教』岩田慶治(淡交社、1970年『世界の宗教 第10 カミの誕生 原始宗教』/講談社学術文庫、1990年)/本格的なフィールドワーク。こちらは重すぎた。

カミの人類学 不思議の場所をめぐって』岩田慶治(講談社、1979年/講談社文庫、1985年)/これが一番しっくりきた。実に面白いのだが結論に感覚的跳躍があり合理性を欠く。本当に残念だが結果的に文学の域を脱していないと思われる。それでも尚、岩田のセンスは光を放つ。

 3冊目『年収が10倍アップする 超金持ち脳の作り方』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(宝島SUGOI文庫、2009年)/良書である。特に複式簿記的発想が参考にる。苫米地の著作は自我宣揚本であることに目をつぶれば問題はない。ただし本書は読む人を選ぶ。

 4冊目『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』今西憲之+週刊朝日編集部(朝日新聞出版、2013年)/読み物としては今ひとつである。機密ファイルとは西村成生〈にしむら・しげお〉(動燃総務部次長)が残したファイルを指す。西村はもんじゅのナトリウム漏洩火災事故において、ビデオ隠しの特命内部調査員を務めた人物で、後に変死体が発見されるも自殺と認定された。遺書すら偽造された可能性が高いようだ。動燃の選挙対策、メディア対策、CIA張りの調査手法などが赤裸々に描かれている。原発のカラクリを明かした点でやはり苫米地本に軍配が上がる。もっとスケールの大きな絵を描くべきではなかったか。

 5冊目『花の歳月』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、1992年/講談社文庫、1996年)/読み始めて二度目であることに気づいた。広国という名に覚えがあった。宮城谷作品を読んだことがない人は本書から入るのがよいと思う。藤原正彦の解説も実に素晴らしい。所感を記す気が失せるほど。

 6冊目『長城のかげ』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(文藝春秋、1996年/文春文庫、1999年)/劉邦〈りゅうほう〉を巡る短篇連作。項羽がチンパンジーで劉邦はボノボであった。有り体にいえば助平な野人だ。戦国時代の猛将が一筋縄でゆかない人物であるのは当然のこと。美しいリーダー像を求める方がどうかしている。宮城谷は苦味を込めて劉邦を描いている。表面にとらわれてしまっては人間の奥深さが見えてこない。その当たり前の事実が重い。

 7冊目『季語百話 花をひろう』高橋睦郎〈たかはし・むつお〉(中公新書、2011年)/久々の掘り出し物であった。さほど句歌には興味がないのだが季節感を味わうにはこの手の本が一番。朝日新聞の土曜日Be版連載。硬骨な文体が蝶のように舞う。花の名の由来から歴史を自由に語り、句歌を自在に紹介。西洋史から宗教にまで目が行き届いている。であるにもかかわらず博覧強記ぶりを感じさせない文章の清廉に驚く。巻末に付された川瀬敏郎との対談も味わい深い。

2014-01-25

パソコンが壊れた、死んだ、殺した


 パソコンが壊れた。立ち上がらなくなってしまった。手に負えなかったのですかさずバックアップ用のパソコンに取り替えた。悪いことは続くものである。何と一日で同じ状態となった。ま、数年間も放置していたのだからパソコンを責めるつもりはない。因みに太郎先輩から購入した中古パソコンであった。

 電源スイッチを入れると黒い画面に「NTLDR is missing Press CTRL+ALT+DEL to restart」とのエラーメッセージが。ブルースクリーンではなかった。

NTLDR is missing Press CTRL+ALT+DEL to restartとエラーメッセージが表示されてパソコンが起動しない
NTLDR is missingのメッセージが出て起動しない
NTLDR is missing Press CTRL+ALT+DEL to restart. の対処方法

 すかさず太郎先輩に電話をした。返答は短いものであった。「そうか……あきらめろ」以上である。で、あきらめた。私は果断に富む男なのだ。

 パソコンは私だ。私の主要な情報が詰まっているのだから。そこには脳味噌に収めきれなかった情報が網羅されている。私の過去の大半といってもよい。

 立ち上がらなくなった時点で私は寝たきりとなった。そして捨てられた(まだ家にはあるが)。私は死んだ。あるいは殺されたも同然だ。そして買い替えたパソコンにクラウド上の情報がダウンロードされた。私は蘇った。だが厳密にいえばそれは私ではない。多分私の子供なのだろう。コピー。パーマン2号だ。

 私は「私という情報」なのだろうか? ふとそんなことを思った。思い続けた。

 そうではあるまい。なぜならそこには私の体温や匂いがないからだ。生きるとは息することだ。つまり呼気(体温+匂い)こそが生きる私であり、生きるとは「私が反応する」ことなのだ。

 ブッダやクリシュナムルティは反応しない。死者は誰一人として反応することがない。だが彼らに思いを馳せた私が反応することで彼らは生き返るのだ。縁起とは「私に縁(よ)って起こる生命現象」を意味するのだろう。

 パソコンと人間は異なる。人間は立ち上がらなくなっても存在する価値はある。もちろん家族の判断によるわけだが。私はいたずらに延命措置をすることを奨励しているわけではない。ただ、そこにいてくれるだけでいいという関係性もあるのだ(コミュニケーションの可能性/『逝かない身体 ALS的日常を生きる』川口有美子)。

 やがて私は死ぬ。確実に死ぬ。私の情報は発信したものだけがウェブ上に残る。それがたった一人であっても誰かの役に立てばよい。ブロガーの覚悟とはそんなものだ。

コピーに関する覚え書き
移動(コピー)した方が本物

ルートアール USB-PS/2 変換ケーブル RC-U2MK

ルートアール USB-PS/2 変換ケーブル RC-U2MK

 古いタイプのキーボードやマウスはPS/2コネクタが多い。現在のノートパソコンなどには接続できない。USBに変換するアダプタが必要。楽天でもっと安く出ているが、送料込みだとamazonに軍配が上がる。尚、ヤマダ電機では1250円ほど。

2014-01-20

「原子力 明るい未来のエネルギー」…この標語を小学生時代に作った大沼雄二さんが「標語を撤回したい」と意思表明

2014-01-19

パソコン初期設定~個人用覚え書き


Firefox
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メイリオ滲み解消
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・YouTubeのアカウント切り替え
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残置諜者の任務を全うした男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎、『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月


『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』小野田寛郎

 ・陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男
 ・残置諜者の任務を全うした男

『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月
・『奇蹟の今上天皇』小室直樹
『秘境 西域八年の潜行』西川一三

 残置諜者(ざんちちょうじゃ)――何と酷(むご)い言葉だろう。残の字が無残を表しているようで「惨」にも見えてくる。日本の敗戦を知らず、30年もの長きにわたって残置諜者の任務を全うした男が16日黄泉路(よみじ)へと旅立った。小野田寛郎、享年91歳。

 小野田は1944年(昭和19年)情報将校としてフィリピンに派遣される。陸軍中野学校二俣分校で育成された彼はサバイバル技術と遊撃戦(ゲリラ戦)の訓練を受けていた。スパイは死ぬことを許されない。たとえ捕虜になろうとも生還して報告する義務があるからだ。そもそも小野田が派遣された時点で日本の敗戦は織り込み済みであった。中野学校では米軍が原子爆弾を投下することまで予想していた(『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月)。

 残置諜者の任務は情報収集と共に敵へ撹乱(かくらん)攻撃を加えることであった。ルバング島での敵とは米軍を指す。これは終戦後も変わらなかった。小野田は米軍基地から弾薬を奪い、いつでも使用できるように手入れを行っていた。体力の限界を60歳と定め、その時が来たら単独で米軍基地を奇襲する覚悟を決めていた。

 そして1974年(昭和49年)3月10日、遂に「参謀部別班命令」が口達(こうたつ)され任務解除~投降となる。

 一 大命ニ依リ尚武集団ハスヘテノ作戦行動ヲ解除サル。
 二 参謀部別班ハ尚武作命甲第2003号ニ依リ全任ヲ解除サル。
 三 参謀部別班所属ノ各部隊及ヒ関係者ハ直ニ戦闘及ヒ工作ヲ停止シ夫々最寄ノ上級指揮官ノ指揮下ニ入ルヘシ。已ムヲ得サル場合ハ直接米軍又ハ比軍ト連絡ヲトリ其指示ニ従フヘシ。

  第十四方面軍参謀部別班班長 谷口義美

 小野田はそれまでに百数十回に及ぶ戦闘を展開し在比アメリカ軍およびフィリピン警察軍関係者を30名殺傷していた。またルバング島で殺人事件があるたびに「山の王」「山の鬼」(現地人がつけた小野田の渾名〈あだな〉)の仕業とされた。投降した小野田は処刑されると思っていた。

 翌3月11日朝、小塚の墓標にひざまずいたあと、私はマニラのマラカニアン宮殿にヘリコプターで運ばれた。マルコス大統領が待っていた。
 大統領は私の肩を抱き、こういった。
「あなたは立派な軍人だ。私もゲリラ隊長として4年間戦ったが、30年間もジャングルで生き抜いた強い意志は尊敬に値する。われわれは、それぞれの目的のもとに戦った。しかし、戦いはもう終わった。私はこの国の大統領として、あなたの過去の行為のすべてを赦(ゆる)します」

【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)】


 眼光の鋭さが多くを物語る。小野田は30年間にわたって油断とは無縁であった。風呂どころか行水(ぎょうずい)すら一度もしていない。眠る時は常に傾斜のある場所で敵を見下ろせるようにしていた。これが祟(たた)って帰国後、平らなベッドで眠ることができなかったほどである。厚生省によって3週間入院させられたが、ドアの外に看護師の気配がしただけで目が醒めた。

 マニラでは軍楽隊が小野田を送り、羽田ではわずか1本のラッパだけが小野田を迎えたという(『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月)。日本は平和という温もりの中で背中を丸めていた。

 私が知っているのは、戦争と自然だけである。
 帰還直後は、とにかく人間が怖かった。

【『たった一人の30年戦争』小野田寛郎〈おのだ・ひろお〉(東京新聞出版局、1995年)以下同】

 小野田は背筋を伸ばしたまま上体を少し傾けて礼をし、そして、ゆっくりタラップを下りた。小野田が地面に足をつけるなり、政治家たちが先を争って名刺を差し出し、自分の名前や肩書きを口にした。昨日まで何の関係もなかった人間たちが群がってくる──これから始まる大騒ぎの、それが最初の洗礼だった。訳も分らぬ小野田は、傲慢で破廉恥な政治家たちの自己宣伝にも、いちいち「お世話になりました」と丁寧な挨拶で応えた。

【『小野田寛郎の終わらない戦い』戸井十月〈とい・じゅうがつ〉(新潮社、2005年)】

 カメラの前で「天皇陛下万歳」をしたことが一部の人々の神経を逆撫でした。知識人がまだ左翼を気取っている時代であった。小野田は政府から支給された見舞金100万円と全国から寄せられた義援金のすべてを靖国神社に奉納した。待ってましたとばかりに小野田を叩く連中が現れた。また帰国後、元々ウマが合わなかった父親と口論し切腹未遂にまで至っている。

 色々と調べているうちに最初の著作『わがルバン島30年戦争』(講談社、1974年/日本図書センター、1999年、『小野田寛郎 わがルバン島の30年戦争』と改題)をゴーストライターが書いた事実を初めて知った。その後この人物は臆面もなく舞台裏を本に著した。子息が全文を公開している。

『幻想の英雄 小野田少尉との三ヵ月』津田信〈つだ・しん〉(図書出版社、1977年)

 行間から異臭が漂う。津田の瞳は当初から先入観で曇っていた。かつて文学賞候補となった人物の思い上がりもあったことだろう。人の悪意は心の中で生まれ、あっという間に泥沼が形成される。国家間が平和な時代は人と人との間で戦争が行われるのだろう。

 昨日、戸井十月のインタビュー動画を視聴した。


 小野田に理解を示した戸井でさえ、「敵を殺す」ことに思いは至っても、「常に殺される状況にある」事実にまで想像が及んでいない。生きるか死ぬかを迫られている時に罪悪感の出番などあるはずもない。

 私はかつてこう書いたことがある。

 本書を読みながら、とめどなく涙がこぼれる。だが、私の心を打つものの正体がいまだにつかめないでいる。

陸軍中野学校の勝利と敗北を体現した男/『たった一人の30年戦争』小野田寛郎

 動画を見てやっとわかった。


 小野田の話は実にわかりやすい。小難しい論理や複雑性がまったくない。そこには明快な原理・原則がある。

 日本に嫌気が差してブラジルへ渡った小野田が数年後日本へ戻ってくる。神奈川金属バット両親殺害事件(1980年)に衝撃を受けた彼は日本の子供たちを放っておけなかった。そして1984年にサバイバル塾「小野田自然塾」を開講した。

 かつて国家から見捨てられた男は追い詰められた子供たちを見捨てなかった。残置諜者が「心の長者」となった瞬間である。

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小野田寛郎関連動画
小野田寛郎の盟友・小塚金七の最期
人物探訪:小野田寛郎の30年戦争 - 国際派日本人養成講座

2014-01-16

飼い犬だとみくびっていたら実は眠れる獅子であった/『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也


『折伏 創価学会の思想と行動』鶴見俊輔、森秀人、柳田邦夫、しまねきよし

 ・飼い犬だとみくびっていたら実は眠れる獅子であった

『「黒い手帖」裁判全記録』矢野絢也
『乱脈経理 創価学会 VS. 国税庁の暗闘ドキュメント』矢野絢也

 矢野絢也は元公明党委員長である。1989年、明電工事件への関与が取り沙汰されて委員長を辞任。1993年には政界から引退し政治評論家に。テレビ番組にもよく登場していた。

 悪い言い方をすれば「創価学会の飼い犬」だ。ただし本書を読むと「番犬」であったことが窺える。創価学会は何を血迷ったか突然番犬を叩いた。飼い主は手を噛(か)まれて「眠れる獅子」であったことに気づいた。ま、そんなところだ。

 私は2008(平成20)年5月12日、半世紀以上にわたり所属してきた創価学会ならびに同会の幹部7名を、東京地方裁判所に民事提訴した。それに先立つ5月1日に私と家内、息子夫妻とその娘3人は創価学会を退会した。
 提訴内容は以下の三つである。
(1)2005(平成17)年5月14日、学会青年部幹部5名が私を威迫して、政治評論家としての活動を中止させた。これは憲法で保障された表現の自由ならびに職業選択の自由を侵す違法な行為である。
(2)同年6月15日、学会幹部3名が私との会談の際、私に自宅を売却して2億円、3億円という莫大な金額の寄付をするよう執拗(しつよう)に強要した。
(3)創価学会は機関紙『聖教新聞』などで、私への誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)記事を継続して掲載した。これは名誉毀損にあたる。
 こうした一連の人権侵害行為を行ったことについて、創価学会および同会の幹部に5500万円の賠償を求めている。

【『黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録』矢野絢也〈やの・じゅんや〉(講談社、2009年)以下同】

 教団の体質を象徴する内容と見てよい。そもそも宗教自体が束縛の道具であるゆえ、縛(いまし)めを解いて自由になろうとする者を教団が許すはずもない。これは何も宗教に限った話ではあるまい。濃密な人間関係を基(もと)にしたムラ的コミュニティすべてに共通している。いかがわしい商売でなくとも、ある種の宗教と化している企業やサークルも存在する。

 見逃せないのは多額の寄付を強要している点である。しかも「自宅を売れ」と命じているのだ。

 矢野本人に黒い噂が絶えなかったこととこれとは別問題だ。

 創価学会は日蓮正宗総本山大石寺と二度目の紛争以降、聖教新聞を使って猛烈なキャンペーンを張ってきた。教団がターゲットとして選んだ人物の個人情報をさらし、徹底的な攻撃を加えてきた。そのたびに裁判沙汰を起こしている。創価学会寄りの識者からも問題視された(渡辺武達〈わたなべ・たけさと〉著『聖教新聞の読み方 創価学会・機関紙のエネルギー源を探る』)。

 私は学会が巻き込まれた厄介事(やっかいごと)の処理を、学会首脳から、ほぼすべて依頼され、各方面に対応してきた。それらの多くは、およそ口にできないような内容だったが、「学会を守る」「池田先生を守る」という、当時の生きる目的ともいえる思いが私を動かしていた。
 たとえば、私が関わった代表的な出来事を挙げると、学会による言論出版妨害事件創価学会と共産党との協定、池田大作名誉会長の女性問題を記事にした『月刊ペン』との裁判本山大石寺(たいせきじ)との二度にわたる紛争ルノアール絵画疑惑捨て金庫事件、国税庁による学会への税務調査などである。
 それ以外にも諸々の事件の顛末(てんまつ)が手帖には記載されている。そのような極秘資料が外部に流出すれば、学会のみならず、政界など多方面に多大な迷惑をかけるだろう。
 多くの事件は既に時効を迎えている。今さら、それを蒸(む)し返し、真相を暴露したところで、多くの人が傷つくだけである。私の心積もりとしては、世間に口外せずに、墓場まで持っていこうと思っていた。ところが、学会はそうは考えず、このような物騒(ぶっそう)な極秘メモを持つ私を危険人物とみなしたようである。

 散々汚れ仕事をやらされた結果がこのザマだった。矢野が告訴に踏み切るのも当然だろう。

 創価学会は青年部幹部を使って矢野を脅迫し、公明党OBを使って矢野から100冊を超える「黒い手帖」を取り上げた。まるで暴力団のような手口である。本丸には傷つかないよう細心の注意を払っている。使い走りにするのは「いつでも切って捨てる」ことのできる連中だ。

 創価学会の会長にさしたる権限はない。とすればやはり池田大作の意向で矢野を封じ込めようとしたのだろう。

 自分自身の神格化のために邪魔者は葬る――そんな魂胆が見えてくる。先日、北朝鮮で処刑された張成沢〈チャン・ソンテク〉の姿が矢野と重なる。

 尚、矢野絢也はその後も立て続けに書籍を上梓しているが、『乱脈経理 創価学会vs.国税庁の暗闘ドキュメント』が一番お薦めできる。

黒い手帖 創価学会「日本占領計画」の全記録闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社プラスアルファ文庫)私が愛した池田大作 「虚飾の王」との五〇年乱脈経理 創価学会VS.国税庁の暗闘ドキュメント

矢野絢也

2014-01-15

苫米地英人、藤原伊織


 2冊読了。

 1冊目『原発洗脳 アメリカに支配される日本の原子力』苫米地英人〈とまべち・ひでと〉(日本文芸社、2013年)/昨年読んだのだが書き忘れていた。良書。何だかんだ言っても苫米地は知らない事実を教えてくれる。しかも合理的思考で。日本の原発はアメリカの古い技術で事実上、日本の国土が原発の住宅展示場状態になっている。しかも日本が原発をつくり、輸出するごとにパテント料はアメリカがせしめるビジネスモデル。飼い犬ニッポンの現状がよく理解できる。原発本に関しては安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉著『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』、今西憲之+週刊朝日編集部『原子力ムラの陰謀 機密ファイルが暴く闇』を併読せよ。更に深く知りたい人は、村田光平著『原子力と日本病』、ステファニー・クック著『原子力 その隠蔽された真実 人の手に負えない核エネルギーの70年史』を読むこと。

 2冊目『雪が降る』藤原伊織(講談社、1998年/講談社文庫、2001年)/20代で読んだ時は何とも思わなかった。30代後半で読んだ時は心を撃ち抜かれた。50になって読むと拙さが目についた。黒川博行の「解説」も薄気味悪い。作家の解説は私(わたくし)を語るものが多すぎる。仲間内の話を公の場でするな。本書を読む場合は心して「大人の童話」であることを弁えよ。

『新訂 字統 [普及版]』白川静(平凡社、2007年)

新訂 字統

 白川静字書三部作として巷間親しまれている『字統』『字訓』『字通』。第一作の『字統』は、50年におよぶ文字研究の成果を一般に提供することを企図した著者が、6800余の漢字を取り上げて編んだ字源辞典です。初版刊行は1984年8月、著者74歳のときのことでした。それから20年、今回の『字統 第二版』は約200の見出し字を追加し、この間の白川氏の研究成果をあますところなく加筆して、より読みやすく引きやすくなりました。日々の生活の中で、漢字が本来もつ豊かな表現力を発揮するに有用な書となることを願ってやみません。



常用字解 第二版』を買おうと思っていたのだが、常用漢字2136字に対して、2倍以上の6800余を収録しているのだからコストパフォーマンスは高いだろう。

字統

2014-01-14

クリシュナムルティ『花のように生きる』



花のように生きる―生の完全性 (クリシュナムルティ著述集)

クリシュナムルティ『静けさの発見』



静けさの発見―二元性の葛藤を越えて (クリシュナムルティ著述集)

あらゆる事象が記号化される事態/『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール


知の強迫神経症
・あらゆる事象が記号化される事態

 西欧社会がおこなった大事業は、世界中を金儲けの場にして、すべてを商品の運命に引き渡したことだ、と言われる。国際的な美的演出、世界のイメージ化と記号化による世界中の美化もまた、西欧社会の大事業であったと言えるだろう。現在われわれが、商品レヴェルの唯物論を越えて立ち会っているのは、宣伝とメディアとイメージをつうじてあらゆる事象が記号化される事態だ。もっとも周辺的(マージナル)で、凡庸で、猥褻なものさえもが美化され、文化となり、美術館に入ることができる。あらゆるものが言葉をもち、みずからを表現し、記号としての力あるいは記号の様態を帯びる。システムは、商品の剰余価値によってよりはむしろ、記号の美的剰余価値によって機能する。

【『透きとおった悪』ジャン・ボードリヤール:塚原史〈つかはら・ふみ〉訳(紀伊國屋書店、1991年)】

「メディアはメッセージである」とマーシャル・マクルーハンは書いた(『メディア論 人間の拡張の諸相』原書は1967年)。これに対して小田嶋隆が「メディアは“下水管”に過ぎない」と反論している(『無資本主義商品論 金満大国の貧しきココロ』1995年)。きっとどちらも正しいのだろう。マクルーハンはメディアを祭壇に仕立てようと試みた。無神論者の小田嶋からすればそれは欲望が排泄(はいせつ)される下水管にすぎないということだ。

 メディアは広告メッセージである。元々は信仰メッセージであった。印刷革命はグーテンベルク聖書に始まる。プロテスタントが広まったのも「安価で大量の宣伝パンフレット」(『宗教改革の真実 カトリックとプロテスタントの社会史』永田諒一)を紙つぶてのように放ったからだ。

 メッセージは信仰から広告へと変わった。神は死んだが紙はまだ生き残っている。

「西欧社会がおこなった大事業」の筆頭は奴隷貿易であろう。

大英帝国の発展を支えたのは奴隷だった/『砂糖の世界史』川北稔

 彼らは人間を商品に変えた。それ以前から労働力が商品であったことを踏まえると「人間の家畜化」(『環境と文明の世界史 人類史20万年の興亡を環境史から学ぶ』石弘之、安田喜憲、湯浅赳男)に真っ直ぐ進むのは当然だ。

 メディアはメッセージである。権力者からの。そう。ビッグ・ブラザーだ。マス(大衆)に向かって開くメディアは視聴する人々に何らかの基準となって行動や判断を促す。子供の時分から「昨日のあれ、見た?」「オー、見た見た。面白かったよなー」というやり取りが普通になっている。

 私が幼い頃は一家に一台が標準であった。ブラウン管の前にカーテンや扉がついたテレビも存在した。今思うとあれは確かに祭壇の雰囲気を漂わせていた。そして一家が揃って同じ番組を観ていたのだ。

 バブル前夜、価値観は多様化した。今から30年ほど前のことだ。若者は老舗メーカーよりも新興ファッションブランドを選んだ。そして“大衆消費社会は「モノの消費」から「情報の消費」へ”(『ケアを問いなおす 〈深層の時間〉と高齢化社会』広井良典)と向かう。

 記号や情報というと小難しく思えるが何てことはない。孔雀の羽みたいなもんだ。結局、高度情報化によって人間の情動がセンシティブになるのだろう。

 21世紀は人間が記号化される。私は単なるIDと化す。その時、世界はこんなふうになっているだろう。

Cildo Meireles作「Fontes」は日蓮へのオマージュか?

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その詐欺電話、中国発 拠点に日本人十数人/報酬、詐取額の5% 元組員が証言


すべての犯罪を立証する司法システムは永遠に存在しない

2014-01-13

まざまざと蘇る記憶/「メロディー」玉置浩二


 昔は何とも思わなかった歌が、突然心を揺さぶることがある。

 例えばJ-WALKの「何も言えなくて…夏」。ヒットした当時は鼻にもかけなかった。ところが数年前に聴いた時、「時がいつか 二人をまた/初めて会った あの日のように導くのなら」というワンフレーズに私の心は激しい反応を示した。

 わかっている。ただ単に自分の経験と歌詞が偶然マッチしただけであることは。だがメロディーが感情を増幅してやまない。




 この歌もそうだ。

 あの頃は なにもなくて
 それだって 楽しくやったよ
 メロディー 泣きながら
 ぼくたちは 幸せを 見つめてたよ

 確かにそうだった。あの頃は……。胸を刺す痛み。取り返しのつかない悔い。今流れる別々の時間。

 数々の場面がフラッシュバックしては消え去る。思い出されるのは楽しいことばかりだ。

 ありがとう。ごめん。またな。

田園 KOJI TAMAKI

日本に真のジャーナリズムは存在しない/『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝、藤原肇


強靭なロジック
・日本に真のジャーナリズムは存在しない

正慶●メディアが社会を支配するメディアクラシーも進んでいます。したがって、コマーシャリズムとセンセーショナリズムに支配されるマスメディアが改まらない限り、日本に福音はもたらされないような気がします。

藤原●しかも、日本の場合、新聞社がテレビを支配する構造になっています。本来、新聞とテレビはまったく異質の媒体だから、それぞれ独立した形であるべきですが、日本はテレビ局が新聞社の天下り先になっている。こんな構造がまかり通っている間は、日本に真のジャーナリズムは存在しないと言えます。

【『ジャパン・レボリューション 「日本再生」への処方箋』正慶孝〈しょうけい・たかし〉、藤原肇(清流出版、2003年)】

 ジャーナリストやアナウンサーがもてはやされる時代は嘆かわしい。メディアへの露出度が権威と化した時代なのだろう。テレビに「ものを作っている」ような顔つきをされると片腹が痛くなる。お前さんたちは単なる加工業者にすぎない。

 報道とは世の中の出来事を知らしめることであるが、「道」の字に込められた願いはかなえられているだろうか? 報道は偏向することを避けられない。なぜなら観測者は複数の位置に立つことができないからだ。ところが昨今のジャーナリストは少々の取材で「すべてを知った」つもりになっている。まるで神だ。

 権力を監視する役割を担うマスコミが既に第四の権力と化している。テレビは許認可事業で広告収入によって支えられている。当然のように政治家・官僚&業界とは持ちつ持たれつの関係となる。そしてテレビはあらゆる人々をタレント化する。最も成功したのは小泉元首相であろう。繰り出されるワン・フレーズはあたかも優れた一発芸のようであった。多くの視聴者が求めているのは事実でもなければ真実でもない。単なる刺激だ。我々は強い反応を求める。そう。涎(よだれ)を催すベルが欲しいのだ(パブロフの犬)。

 マスメディアは改まることがない。もちろん我々もだ。幸福とは十分な量のパンとサーカスを意味するのだから。

「真のジャーナリズム」を求めるところに依存が生じる。むしろ「ものを見る確かな眼」を身につけながら、情報リテラシーを磨くべきだろう。

 存在しないのはそれだけではない。真の政治家もいなければ、真の教育者もいなければ、真の宗教家もいない。真の奴隷は存在するようだが。



立花隆氏の基調講演(1)テーマ「ジャーナリズムの危機」
時代に適した変化が求められるジャーナリズム

2014-01-12

今、一番大きなバブルは、日本円の購買力

2014-01-11

無学であることは愚かを意味しない/『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン


現実の入り混じったフィクション
・無学であることは愚かを意味しない

 バター茶が運ばれてくると、ハジ・アリが口を開いた。
「ここでうまくやっていきたいとお思いなら、我々のやり方を重んじてくだされ」お茶に息を吹きかけながら言った。
「バルティ族の人間と初めていっしょにお茶を飲むとき、その人はまだよそ者だ。2杯目のお茶を飲む。尊敬すべき友人となる。3杯目のお茶をわかちあう。そうすれば家族の一員となる。家族のためには、我々はどんなことでもする。命だって捨てる。グレッグ先生、3杯のお茶をわかちあうまで、じっくりと時間をかけることだ」
 温かい手を僕の手に重ねた。
「たしかに、我々は無学かもしれん。だが、愚かではない。この地で長いこと生きのびてきたのだから」

 この日、ハジ・アリは僕の人生の中でいちばん大切なことを教えてくれた。

【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)】

 何となくわかったつもりになっていた副題がここでストンと腑に落ちる。バルティ族はパキスタンの最北西部に住む部族で元々はチベット領であった。過酷な風土が人間に奥行きを与えるのだろうか。優しさの中に哲学性が光る言葉だ。

 無学であることは愚かを意味しない。無学は事実にすぎない。恥ずべきは愚かである。

 そして焦りがよい結果をもたらすことはまずない。魚をくわえたドラ猫を裸足で追いかけるサザエさんは確実に怪我をする。また短期間でつくり上げた建築物は短期間で崩壊するというのが歴史の鉄則だ。

 アレクサンドル・デュマは『モンテ・クリスト伯』の結末に「待て、しかして希望せよ!」と書いた。エドモン・ダンテスは無実の罪で14年もの間、監獄でただひたすら復讐の時を待った。ダンテス青年の不屈を黒岩涙香〈くろいわ・るいこう〉は『岩窟王』と訳した。

 人生には必ず不運や不遇がつきまとう。じたばたしたところで上手くゆくことはない。私の場合、しっかりと腰を下ろして本を読んだり、深夜の月を見上げることにしている。あるいは、ひたすら寝るという手もあるな(ニヤリ)。

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)

新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間/『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子


ハサミの値札の法則~報道機関は自分が当事者になった事件の報道はしない
・新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間

 7年も政権の座にあった佐藤に、国民はウンザリしていた。沖縄返還で延命をはかるも不人気に歯止めはかからず、7月6日、ついに佐藤内閣は退陣を表明する。退陣会見の席で彼が口にした台詞はあまりにも有名だ。
「テレビはどこにあるんだ。テレビを通じて国民に直接話をしたい。偏向的な新聞は大嫌いだ。新聞記者は出て行け」
 新聞からテレビへとメディアの主役が交代した瞬間である(ということにしよう)。

【『たまには、時事ネタ』斎藤美奈子(中央公論新社、2007年)】

 7月6日は内閣総辞職をした日のようだ。私が9歳になった日でもある。もちろん記憶にない。この年の出来事で覚えているのは、グアム島で横井庄一発見・札幌冬季オリンピック千日デパート火災ミュンヘンオリンピック日中国交正常化といったところ。

佐藤栄作:退陣表明記者会見

 新聞が社会の木鐸(ぼくたく)であることをやめた年と考えてもよさそうだ。


 小田嶋隆は新聞の編集能力を評価しているが、全国紙の代わり映えしない紙面を見ると眉に唾をつけたくなる。ナベツネや橋本五郎(読売新聞特別編集委員)あたりの増長ぶりを目の当たりにすると彼らが権力にコミットしているのは明らかであろう。

 それでも今なお新聞社の人間はテレビ局の人間を小馬鹿にしている。格が違うとでも思っているのだろう。そして現在、メディアの主力はテレビからインターネットに移りつつある。

 人々は一方的に情報の受け手となることを拒み始めた。これは革命的な出来事といってよい。民主主義が実質を伴って動き出したのだから。その意味で情報の双方向性を嫌う公式サイトもやがて葬られてゆくに違いない。

 今はまだ小さな動きだがインターネットは経済にも影響を及ぼす。更に文化のスタイルさえ変えてゆくことだろう。

 SNSが台頭した後に訪れるのはネット上の階層化ではあるまいか。つまり、馬鹿を削除する何らかのシステムが生まれそうな予感を覚える。

たまには、時事ネタ

女の毒舌

世界の楽器


 不思議だ。電子音とまったく違う。楽器自体の震えが温度を伴って響いてくる。エアコンの暖気とストーブの違いと似ている。我々の日常に音楽は溢れている。だがそれは「聴くための音楽」だ。カラオケがなければ歌うことも少ない。オーディオがなくとも楽器を奏でる人々の方がずっと豊かに見える。










孔子は作詞家でもあった。もちろん自ら楽器の演奏も行った

2014-01-10

「編集手帳」のボヤき


 元日の各紙を購入するのは今年でやめようと思う。買うだけの価値がもうない。

 昨年は日本経済新聞を購読していた。経団連の機関紙といわれるだけあって提灯記事がずらりと並ぶ。株価が上がると一段と威勢がいい。一般的には経済紙と思われているがテクニカル分析がデタラメでファンダメンタルに関しても鋭さを欠く。これは日経に限ったことではないが専門性の高い記事ほどいい加減になるのが新聞の弱点と言い切ってよい。

 契約期間の途中であったが、一面コラム「春秋」が放つ腐臭に耐え切れず毎日新聞に替えてもらった。新聞記者の奢り高ぶりが行間にぎっしりと詰まっている。あれを毎日読んで平気な人は自分の感覚を疑うべきだ。それほど酷い。

 一方、読売の一面コラム「編集手帳」はここのところ文学づいている。やたらと俳句・和歌・川柳などを引用しては一人ほくそ笑む姿がありありと目に浮かぶ。1月8日付では見事に馬脚を露(あら)わした。

 コラムの執筆に得意科目や不得意科目はないが、この十余年でとくに稽古を積んだのは「ボヤき」である。景気や賃金を取り上げては、いろいろな言葉を借りてボヤいてきた。

【読売新聞 2014年1月8日付】

 コラム子(し)の本音は「原発事故をボヤく」ことにあるのではないか?

 不振に陥っていた読売新聞の経営権を買収して立て直したのは正力松太郎であった。準A級戦犯であり、戦後はCIAの手先として「原子力発電の父」となった人物だ。関東大震災(1923年)の折には警察官僚の身でありながら「朝鮮人が井戸に毒を投げ入れた」とのデマを流した人物でもある。

正力松太郎というリトマス試験紙
原発導入のシナリオ 冷戦下の対日原子力戦略

 全国紙はしばらくの間、反原発デモすら意図的に報じてこなかった。それも当然だ。彼らは原子力発電を推進してきたのだから。

 原発事故の悲惨さは裁かれる人がいないことにある。そして東京電力は従来通り原発を稼働させるべく着々と前へ進んでいる。

 家族を喪った人々の悲しみは行き場をなくし、引っ越したくても引っ越せない事情を抱えた人々が放射線物質に汚染された大地に伏す。株価が上がっているとはいえ、派遣社員は苦しい生活を余儀なくされていることだろう。沖縄の米軍基地問題も揺れたままだ。

 敗戦後に抱え込んだ矛盾がありとあらゆる場所で噴火の炎を上げている。

 編集手帳はかような時にコラムとは名ばかりの文学趣味を披露し、挙げ句の果てにはボヤきに磨きをかけているのだ。私には「亡国の兆し」としか思えない。


読売新聞東京本社の新本社ビル完成

「成る」ことは「在る」ことの否定である


 クリシュナムルティのエッセンスをものの見事に一言でいい表している。


截拳道(ジークンドー)への道

努力と理想の否定/『自由とは何か』J・クリシュナムルティ
ブルース・リー

タクティカルペン(防犯・護身用)


 まだまだ若い者に負けない自信はあるのだが、やはり五十ともなると体力の衰えが著しい。そこで有事に備えてタクティカルペンを購入した。キーホルダーとしても使える。物騒な時代である。力の弱い女性はせめて催涙スプレースタンガン、そしてタクティカルペンのどれかを準備しておくべきだ。

 私が買ったのはこれ。

CKR 護身用 タクティカルペン 防犯グッズ 災害グッズ 通勤 通学 暗い夜道の防犯に! 《ブラック》 大切な人へのプレゼントにもGOOD!

 色はにもあるが、やはり相手に悟られにくいブラックがお薦めである。実際のペンとして使用できる物もある。

Smith & Wesson(スミス&ウェッソン)SWPENMP2BK 2nd Generation タクティカルペン ブラック

 つかまれた場合は手の甲や手首の内側を攻撃すればよい。また顔面を狙う場合は頬骨の上の鼻に近い部分を狙えば、ほぼ確実に眼球に突き刺さる。力は不要だ。襲われた時はすぐさま反撃することが重要だ。一瞬の躊躇が死につながることも決して珍しいことではない。尚、使用法については以下の動画も参考にされよ。







目撃された人々 50

2014-01-09

現実の入り混じったフィクション/『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン


・現実の入り混じったフィクション
無学であることは愚かを意味しない

 アメリカで360万部を売り上げたベストセラーである。著者のグレッグ・モーテンソンはK2から下山する途中で遭難しかける。パキスタンの山間部であった。彼は地元の村人に救われる。その村には学校がなかった。無名のアメリカ人青年は村の子供たちのために学校をつくることを約束する。

 無謀な夢が3年後に実現する。しかも立て続けに3校がつくられた。後に財団を設立し、本書が刊行された時点で何と53校も建設している。

 異なる文化が摩擦を生む。だが手探りしながら共通の価値観を見出し、互いが互いに寄り添う努力をしながら学校は建った。アフマド・シャー・マスードを知り、中村哲〈なかむら・てつ〉を読んだ私は迷うことなく本書を「必読書」リストに入れた。

 内容を確認しようと思い検索したところ、本書に捏造疑惑があるとの記事を見つけた。

『スリー・カップス・オブ・ティ』の大嘘 | 葉巻のけむり 高田直樹ブログ
米軍必読のベストセラーに捏造疑惑 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

 ウーーーム、疑惑は濃厚だ。著者は更に学校をつくるべく、過剰な演出・行き過ぎたマーケティング・結果オーライ志向の創作を行ったのだろう。もっと言ってしまえば、たとえ嘘をついてカネを集めようと、目的が正しければ構わないとまで考えたのかもしれない。

 私からグレッグ・モーテンソンにクリシュナムルティの言葉を送ろう。

 間違った手段はけっして正しい目的をもたらすことはできません。目的は手段の中にあるからです。

【『クリシュナムルティの教育・人生論 心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性』大野純一著編訳(コスモス・ライブラリー、2000年)】

 ひょっとすると彼の目的は学校をつくることから、学校をつくる自分を宣揚することに変質した可能性がある。活字による嘘は読者を騙すとか自分を偽るという次元ではなく、平然と自然に生まれるものだと私は考える。書く営みはいつだって自分に正確さを強いる。私はツイッターですら嘘は書けない。それどころか言葉づかいや知識の正誤を確認すべく検索するのが常である。

 嘘つきは病気だ。馬鹿と嘘つきにつける薬はない。

 先ほど必読書から外した。だがそれでも本書は一読の価値がある。最初から「現実の入り混じったフィクション」と思って読めばよい。

 各章に配されたエピグラフが秀逸だ。長くなってしまったので、これだけ紹介しておく。

 暗いときには星が見える。
(ペルシアのことわざ)

【『スリー・カップス・オブ・ティー 1杯目はよそ者、2杯目はお客、3杯目は家族』グレッグ・モーテンソン、デイヴィッド・オリヴァー・レーリン:藤村奈緒美訳(サンクチュアリ出版、2010年)以下同】

「あなたの村に、何かお手伝いできることはありませんか?」
「教わることは何もありません。あなた方が持っているものも、たいしてうらやましくないです。どこをとっても、私たちの方が幸せそうだと思います。ただ、学校だけは欲しい。子どもたちを学校に通わせたいのです」
エドマンド・ヒラリー卿とウルキエン・シェルパの対話 『雲の中の学校』より)

 偉大さは、つねに次のものを基礎とする。
 ごく平凡な人間の姿と言動である。
(シャムス・ウッディーン・ムハンマド・ハーフィズ)

 心に哀しき憧れを抱け。
 決してあきらめず、決して希望を失うな。
 アラーいわく「我は打ちのめされた者を愛する」。
 傷つくがいい。打ちのめされるがいい。
(シャイフ・アブ・サイード・アビル・ヘイル またの名を、名も無き者の息子)

 アラーを信ぜよ。
 だが、自分のラクダはしっかりつないでおけ。
(スカルドゥの第5飛行団基地の入り口にあった注意書き)

 諸君、
 美しい女の瞳はなぜ許可制でないのか?
 弾丸のように勇気をつらぬくし、刃のようにするどいのに。
(バルティスタンのサトパラ渓谷にある、現存する世界最古の仏様にスプレーで書かれた落書き)

 ヒマラヤの原始的な暮らしが、工業化の進んだ私たちの社会に教えてくれる。ばかげた考えだと思うかもしれない。しかし、きちんと機能する未来の姿を求めれば、めぐりめぐって、人間と大地とが共存する暮らしに必ず回帰する。昔ながらの文化は、悠久の大地を絶対に無視しない。
(ヘレナ・ノーバーグ・ホッジ)

 打ちおろされるかなづちではなく、たわむれる水こそが
 小石を完全なるものに歌いあげる。
ラビンドラナート・タゴール

 算数や詩の時代は終わった。兄弟たちよ、今は機関銃(カラシニコフ)や手榴弾から学ぶ時代だ。
(コルフェ小学校の壁にスプレーで書かれた落書き)

スリー・カップス・オブ・ティー (Sanctuary books)クリシュナムルティの教育・人生論―心理的アウトサイダーとしての新しい人間の可能性

2014-01-08

怒りは害を生む/『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵訳


『人生の短さについて』セネカ:茂手木元蔵訳

 ・怒りは害を生む

『怒りについて 他二篇』セネカ:兼利琢也訳

必読書リスト その五

 ノバトゥスの兄上、あなたは私を動かして、一体どうすれば怒りは静められるかについて書くように求めたが、あらゆる感情のうちで取りわけ疎(うと)ましく気狂いじみたこの感情を、特にあなたが恐れているのは無理からぬことと思う。なぜかと言えば、これ以外の感情には何らかの安らかさ・静かさも含まれているが、この感情だけは全く激烈であって、憎しみの衝動に駆(か)られて、武器や流血や拷問(ごうもん)という最も非人間的な欲望に猛り狂い、他人に害を加えている間に自分を見失い、相手の剣にさえも飛びかかり、復讐者(ふくしゅうしゃ)を引きずり回して、是が非でも復讐を遂げさせようとするからである。それゆえ或る賢者たちは、怒りを短期の気狂いだと言っている。

【「怒りについて」/『怒りについて 他一篇』セネカ:茂手木元蔵〈もてぎ・もとぞう〉訳(岩波文庫、1980年)】

 昨年暮れに兼利琢也〈かねとし・たくや〉訳(岩波文庫、2008年)を中ほどまで読んだ。セネカの崇高な精神が降りしきる雨のように私を打った。本を閉じて目をつぶった。「襟を正して最初から読み直すべきだ」と思わざるを得なかった。ブッダとクリシュナムルティを除けば、これほど心を揺さぶられたことはない。セネカは生きる姿勢や態度を教えてくれる。

 勢いあまった私は茂手木元蔵訳から取り組むことにした。正解であった。実は内容が異なるのだ。茂手木訳の他一篇は「神慮について」で、兼利訳の他二篇は「摂理について」と「賢者の恒心について」となっている。もちろん2冊とも「必読書」に入れた。

 翻訳比較も行う予定なので冒頭のテキストから紹介する。尚、まだ読了していないことを付記しておく。

「気狂い」はルビを振っていないが「きちがい」と読んで差し支えないだろう。怒りは害を生む。怒りはすべてを忘れさせ、相手を傷つけ、自分を損なう。セネカはあらゆる角度から怒りを論じ、数多くの絶妙な比喩を示して怒りを解明する。賢明さが理性とセットであれば、怒りは愚かとセットなのだろう。

 直情径行で怒りやすい性格の私であるがゆえにわかるのだが、怒りは常に殺意を伴っている。人を殺すことは簡単だ。「殺すことが正しい」と思えば。あるいはそう「思い込ませれば」よいのだ。その瞬間、理性はどこかへ去っている。相手の家族や友人を思うほどの余裕もない。怒りは崩壊の音色を奏でる。あらゆる暴力は怒りに支えられていることを知るべきだろう。

 セネカの前では三木清の言葉も色褪せる。

蛇の毒/『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳

 三木は弱い人間であったのだろう。だからこそ怒りにしがみついたのだ。

 おお、ルキウス・アンナエウス・セネカ(紀元前1年頃-65年)よ、私はブッダとクリシュナムルティを父と恃(たの)み、あなたを兄と慕う。

 もうひとつ付言しておくと、『人生の短さについて 他二篇』茂手木元蔵訳(岩波文庫、1980年)と『生の短さについて 他二篇』大西英文訳(岩波文庫、2010年)は茂手木訳の方が断然よい。



今日、ルワンダの悲劇から20年/『ルワンダ大虐殺 世界で一番悲しい光景を見た青年の手記』レヴェリアン・ルラングァ

2014-01-07

2014-01-06

社稷を主とす/『晏子』宮城谷昌光


・『夏姫春秋』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光

言葉の正しさ
正(まさ)しき道理
「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事
・社稷を主とす

・『子産』宮城谷昌光

 社稷(しゃしょく)というのは、もともと王朝の守護神のことで、社は夏王朝の、稷は穀物の神である。こまかなことをいえば、社は土地の神ではなく、じつは水の神であり、稷は穀物の神であるが、周王室が合祀して、地の実りの神にしてしまった。周王室が社稷を第一の神とするかぎり、周王室に属する国々の公室も社稷をあがめた。ということは国家の存立は社稷にかかっているといえなくはない。そこから社稷といえば国家を指すようになった。晏嬰〈あんえい〉のいう社稷もその意味である。
 一国にとって最も大切なのは、君主であるのか、社稷であるのか。晏嬰はそれについて、
「君主というものは、民の上に立っているが、民をあなどるべきではなく、社稷に仕えるものである。臣下というものは、俸禄のために君主に仕えているわけではなく、社稷を養う者である」
 と、ここで明言した。
 さらに晏嬰は、君主が社稷のために死んだのであれば、臣下も社稷のために死ぬ。君主が社稷のために亡命すれば、臣下も社稷のために亡命する。と言葉を継いだ。
 君主が自分のために死んだり、亡命したのであれば、君主に寵愛された臣でなければ、たれが行動をともにしよう。

【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】

 老子(?/紀元前6世紀とされる)曰く「国の垢を受くる、是れを社稷の主と謂ふ。国の不祥を受くる、是れを天下の王と謂う」(語訳、解説)と。また『礼記』(らいき)には「社稷之臣」と。

 人類の脳が一変した様子が見てとれる。重んじるべきは祭壇(宗教)からシステム(組織、国家)にスライドしたのだ。これ以降、物語の主役は政治となった。

 晏嬰〈あんえい〉の言葉は「大文字の物語」(ジャン=フランソワ・リオタールポスト・モダンの条件 知・社会・言語ゲーム』)を紡ぎだした。人類の脳は家族や地域を超えてつながることが可能となった。だがその一方で人は権力を巡る動物と化した。

 古代中国ではその後、呂不韋〈りょふい〉(?-紀元前235/『奇貨居くべし』)が登場し民主主義という壮大な理想に向かう。

 軸の時代(紀元前800年頃-紀元前200年)は絢爛(けんらん)たる人材群を輩出し、人類の精神を調(ととの)えた。だがどうしたことか。スポーク(軸)はあるのに回転すべき車輪がない。人類史は停滞したまま淀(よど)んでいる。西洋では社稷が強大な権力を握るキリスト教会となってしまう。

 軸の時代と比べればルネサンス(14-16世紀)やナポレオンも精彩を欠く。巨視的に見ればその後の最も大きな変化は科学と金融経済であろう。だが大きな物語は終焉した。残されたのは小人物のみだ。

 あるいはこう考えることも可能だ。既に人類が一つになる鍋(インフラ)は整備された。あとは人類の存亡を揺るがす出来事が強火となって鍋のスープを完成させることだろう。末法ハルマゲドンの真意はそこにあるのかもしれない。

 来たれ、人類の春秋時代よ。


2014-01-05

不当に富むとそれが不幸のもとになる/『晏子』宮城谷昌光


・『夏姫春秋』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『孟嘗君』宮城谷昌光

言葉の正しさ
正(まさ)しき道理
「牛首を懸けて馬肉を売る」(羊頭狗肉)の故事
・不当に富むとそれが不幸のもとになる
社稷を主とす

・『子産』宮城谷昌光

「不当に富むと、それが不幸のもとになる。名誉だけをさずかれば、それは人に奪われぬ」
 と、いい、湿りのない笑声を放った。
 実際、晏弱〈あんじゃく〉の心底には、暗さも湿りもなかった。

【『晏子』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(新潮社、1994年/新潮文庫、1997年)】

 高厚〈こうこう〉という人物によって莱国(らいこく)攻略の報酬が怪しくなった。領地が増えないことを懸念した配下にかけた晏弱の言葉である。

 誰しも富を愛する。当今は富んでいないにもかかわらず富んだふりをするほどだ。身の丈を超えた家・クルマ・衣服、そして言葉。

 富は人々の心を揺らす。カネがあるとわかれば誰もが親切に扱ってくれる。お世辞・阿諛追従(あゆついしょう)で酒食にありつくことができれば安いものだ、とでも考えているのだろう。富者をさもしい連中が取り巻く。

 実際に求められているのは富ではなく心の余裕だろう。カネ=余裕となっているところに現代人の不幸がある。

 内面のものを熱望する者は  すでに偉大で富んでいる。(「エピメニデスの目ざめ」1814年、から)

【『ゲーテ格言集』ゲーテ:高橋健二編訳(新潮文庫、1952年)】

 我々の悲しい錯覚は外の富が内なる富を引き出してくれると固く信じていることだ。

 貧者から奪われたもの――それが富だ。だが真の富は奪えない。赤ん坊を見よ、彼らはただそこに存在するだけで既に富んでいる。満たされない心の穴を金品が埋めてくれると思ったら大間違いだ。



無である人は幸いなるかな!/『しなやかに生きるために 若い女性への手紙』J・クリシュナムルティ