2015-07-30

恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督


 ディレクターズカット版を観た。『セデック・バレ』は明らかに本作品から影響を受けている。山谷を駆け巡り、奇声を上げ、手斧を使うところがそっくりだ。ただし『セデック・バレ』を観た後では興醒めする。インディアも描けていなければ、戦争も描けていない。安っぽい恋愛を主題にしたのが失敗だ。恋愛茶番劇といってよし。そもそも主役のダニエル・デイ・ルイスが白人という設定がおかしい。尚、余談ではあるがダニエル・デイ・ルイスはニコラス・ブレイクの息子と知ってびっくりした。



ラスト・オブ・モヒカン [DVD]

「駅」という漢字の由来

2015-07-28

頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性/『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子


『お江戸でござる』杉浦日向子
『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』松原久子
『言挙げせよ日本 欧米追従は敗者への道』松原久子

 ・頬を打たれても尚、日本の真実を語る女性

『植民地残酷物語 白人優越意識を解き明かす』山口洋一
『敗戦への三つの〈思いこみ〉 外交官が描く実像』山口洋一
『日本人の誇り』藤原正彦

日本の近代史を学ぶ
必読書リスト その四

 日本の(伝統)文化の紹介や解説は、異国趣味と外交辞令もあって歓迎されるが、「弁明」はかの地では激しい抵抗にあわねばならない。いかなる抵抗にあわねばならないか、松原氏が月刊誌『正論』(産経新聞社)の平成13年1月号の随筆欄に体験の一端を披露している。
 ドイツの全国テレビで毎週5カ国の代表が出演して行われる討論番組に、氏がレギュラーとして出演していた折りの逸話である。そのときのテーマは、「過去の克服――日本とドイツ」で、相変わらずドイツ代表は、日本軍がアジア諸国で犯した蛮行をホロコーストと同一視し、英国代表は捕虜虐待を、米国代表は生体実験や南京事件を持ち出すなどして日本を攻撃非難した。松原氏は応戦し、ドイツ代表には、ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないと反論し、英国代表には、彼らの認識が一方的且つ独断的であることを指摘し、史実に基いて日本の立場を説明、弁明した。
 さて、逸話のクライマックスは番組終了後である。「テレビ局からケルン駅に出てハンブルク行きを待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきた。(中略)彼女は私の前に立ち、『我々のテレビで我々の悪口を言う者はこれだ。日本へ帰れ』と言うなり私の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」(中略)
 今や少なからぬ日本人が欧米で、講演、講座、討論会を通じ、「日本」を語っているが、彼らのなかで袋叩きに遭いながら反論し、そして平手打ちをくらうほど日本を弁明した人がいるだろうか。私は、いない、とはっきりいえると思っている。だから日本の世論はもちろんのこと、言論界でも、この事件は、この大事件は他人事なのである。(「訳者まえがき」)

【『驕れる白人と闘うための日本近代史』松原久子:田中敏〈たなか・さとし〉訳(文藝春秋、2005年/文春文庫、2008年)】

 GHQの占領政策によって大東亜戦争の罪悪感(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)を刷り込まれた日本人は、いまだに東京裁判史観から抜け出すことができないでいる。義務教育からは歴史が削除されて社会科となり、日本の近代史については目隠しをされたままだ。左翼は劣勢に立たされているものの、原発問題・環境問題・沖縄米軍基地問題・憲法擁護という隠れ蓑をまとって破壊工作を展開。一方、右側は過激な民族差別主義者からネトウヨと、幅はあるものの思想的な深さを欠く。

 我々が行うべきことは事実を虚心坦懐に見つめることである。政治性やイデオロギーに基いて歴史をつまみ食いすることこそ最も恐れなくてはならない。

 日本人同士が小競り合いを繰り返し、同じ日本人として歴史すら共有できない情況を思えば、松原久子の存在は我々の背に鞭を入れ、姿勢を正さずにはおかない。

 国家の安全保障をアメリカに委ねている以上、政治レベルで慰安婦捏造問題や南京大虐殺というフィクションに手をつけるのは危険であり、まして東京裁判に異を唱えることなどできようはずもない。それゆえ日本としては学問のレベルから反撃することが望ましい。就中、パール判事の反対意見書を基軸に据えた国際法研究を広く行うべきだ。学問的成果を一つひとつ積み上げてゆけば、自ずと映画や漫画などの文化にも反映されることだろう。

 尚、本書の原作はドイツ語で書かれており、純粋な翻訳書であることを付け加えておく。

2015-07-27

文体が肌に合わず/『カティンの森』アンジェイ・ワイダ監督


 2007年制作。ポーランド映画。どうもアンジェイ・ワイダの文体が肌に合わない。『灰とダイヤモンド』(1958年)もそうだが私はドラマ性を感じなかった。はっきり言えば、ぶつ切りの映像にしか見えない。主役のアンナは木村カエラみたいな顔で魅力を欠いているし、キャストというキャストがどうも冴えない。

 例えば甥っ子がソビエトのプロパガンダポスターを剥がす行為や、大将夫人が映画に抗議する場面など、見るからに拙い行為であり、正義よりも安易さが目立つ。

 唯一感動したのはポーランド人将校の収容所で大将が厳(おごそ)かに演説を行い、静かに皆で合唱をした場面だ。

 アンジェイ・ワイダの父親もカティンの森事件の被害者であった。構想に50年、製作に17年を要したらしいが、時間のかけ過ぎであると思う。

 現在ではカティンの森事件の被害者は22000人とされる。ドイツ軍が遺体を発見すると、ソ連は「ドイツの仕業だ」と喧伝(けんでん)した。共産主義と嘘はセットになっていると考えてよろしい。社会主義国家や共産党は病的な嘘つきである。

 思えば我が日本も大東亜戦争の終戦間際に日ソ中立条約があったにもかかわらず満州や北方領土を攻撃され、ソ連軍は虐殺、強姦、強盗の限りを尽くした。それどころではない。推定65万人もの日本人をシベリアに抑留し、強制労働をさせたのである。ソ連の行為はまさしく侵略戦争そのものであった。

 尚、カティンの森事件を知らない人のために動画を貼りつけておく。



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2015-07-26

小林よしのり、甲野善紀、レヴィ=ストロース、他


 4冊挫折、2冊読了。

国民の文明史』中西輝政(扶桑社、2003年/PHP文庫、2015年)/前置きが長すぎる。延々と文明史についての解説が続き中々本題に入らない。「国民の文明史」でもなければ「日本の文明史」でもなく、ただの「文明史論」となっている。構成がまずい。「日本の近代史を学ぶ」に入れてあったのだが外した。

無名の人生』渡辺京二(文春新書、2014年)/もったいぶった文体が鼻につく。やたらと石牟礼道子を引っ張りだすのも嫌らしい。韜晦(とうかい)を気取っている印象あり。

悲しき熱帯 I』『悲しき熱帯 II』レヴィ=ストロース:川田順造訳(中公クラシックス、2001年)/一つの言葉を探すために読んだのだが見つからず。ネットで検索したところ何と最終章にあることが判明した。つまり最初と最後しか読んでいない。哲学とは言葉をこねくり回すことと見たり。「はじめに言葉ありき」(新約聖書「ヨハネによる福音書」)というキリスト教ロゴス世界は形而上の果てに何を見出すのか?

 86冊目『実践! 今すぐできる 古武術で蘇るカラダ』甲野善紀(宝島社文庫、2004年/新装版、宝島SUGOI文庫、2009年)/本書のわずか数ページによって一本歯下駄がブームとなった。私も近々買う予定である。写真が小さくてわかりにくいのが難点。ただし古武術入門としての出来は決して悪くない。甲野の体のキレのよさも伝わってくる。養老孟司との対談もあり。

 87冊目『保守も知らない靖国神社』小林よしのり(ベスト新書、2014年)/小林の著書を読むのは初めてのこと。ずっと嫌いであった。まず声が悪い。次に「わし」という言葉づかいが社会性を欠いている。そして自分自身を美化する漫画の作風に嫌悪感を覚えていた。だが慰安婦捏造問題や靖国問題を通る時、小林を避けて通ることはできない。彼は1980年代から論戦の中に身を置いてきた。最初はオウム真理教が相手であったと記憶する。続いて薬害エイズ問題、そして慰安婦捏造問題、大東亜戦争擁護、沖縄問題、靖国問題へと至る。本書の前に中西輝政著『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』を読んでおくべきだ。小林は靖国神社が奉慰顕彰の施設であることに注意を促し、「不戦の誓い」を表明した安部首相を徹底的にこき下ろしている。小林はリアリストの立場から左翼はもとより右翼をも批判し抜く。

2015-07-25

原発事故の多層的な被害/『みえない雲』グレゴール・シュニッツラー監督


 ドイツ映画。2006年公開。原発事故を描いたパニックもの。ギムナジウムに通う14歳という設定の主役二人の演技がとてもよい。特にキアヌ・リーブス似の彼氏は陰影の深い役どころを見事にこなしている。

 授業中にABC警報(ドイツで定められている、A=核兵器、B=細菌兵器、C=化学兵器の攻撃を知らせる警報)のサイレンが鳴り響く。原発事故は多層的な被害を及ぼす。映画では家族が離れ離れになる~弟が交通事故に遭う~恋人と別れてしまう~被曝する~大切な人を喪うという流れが描かれる。

 原作の小説はドイツで150万部を売り上げ、国語教材としても活用された。「ドイツを脱原発へと導いた小説」と評されているが、映画にそれほどの説得力は見出だせない。ドイツは脱原発を目指しながらも、フランスから原発電力を輸入している(トータルではドイツは電力輸出国)。EUでは1999年から電力自由化が実現しているため、EU全体を見る必要があろう。

 私は原発にまつわる最大の問題は技術よりも、むしろ情報隠蔽、利権優先のシステム、杜撰な計画~運用、ヒューマンエラーにあると考える。電力を輸入できない我が国の現実を思えば、今直ぐ脱原発というのは難しいだろう。また一度進んだ技術は引き返すことができない。もちろん原子力技術は軍事力とも関連してくる。現状では再生エネルギーはコスト的に見合わない。とてもじゃないが太陽光パネルの10年間の発電量で太陽光パネルがつくれるとは思えない。

「主演女優パウラ・カレンベルクはチェルノブイリ原発事故の時に胎児であった。健康な外観で生まれたが、幼児期に検査をしたところ、心臓に穴が開いていること、片方の肺がないことが判明した。しかし彼女は体に障害があるとは思わせることはなく、疾走する場面も問題なくこなした」(Wikipedia)。



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テロに敗れつつあるアメリカ/『グアンタナモ、僕達が見た真実』マイケル・ウィンターボトム監督


 2006年に制作されたイギリス映画。日本公開は2007年。

 実話である。しかも本人たちのインタビューが随所に挿入されている。パキスタン系イギリス人の若者が結婚式のためにパキスタンへ里帰りする。彼は3人の友人を招待し、4人でパキスタンへ向かう。彼らは隣国のアフガニスタンが米軍の攻撃によって荒廃していることに心を痛める。せっかくここまで来たのだから、ということで彼らはアフガニスタンにまで足を伸ばし、難民支援のボランティアを行う。タリバンの戦闘に巻き込まれ、その後彼らは米軍に引き渡され、グアンタナモ収容所(※グァンタナモとの表記もあり)へ送られる。拘束期間は2年半に及んだ。


 私はキューバ国内にアメリカの飛び地があったことを知らなかった。元々はキューバやハイチからの難民を受け入れるためのキャンプであったらしい(1970年代)。9.11テロ以降はテロリスト容疑をかけられた各国の人々が収容されている。しかも裁判がない上、国内法をかわす目的で国外に設けられ、ジュネーヴ条約違反を回避するために捕虜ではなく犯罪者と位置づけている。そう。彼ら米軍こそが無法者なのだ。

 杜撰(ずさん)な取り調べ、でっち上げ、そして嘘。ある時は「イギリス大使館の外交官」を詐称する人物が現れる。もちろん米兵かCIAである。女性による取り調べも行われるが、最初から最後までテロリストと決めつけているだけだ。

 私はテロに敗れつつあるアメリカを確かに見た。日本の官僚主義とまったく同じ世界だ。事実はどうあれ結果だけが求められる。米兵の無能が犯罪に結びつく。こうした行為が強靭な復讐心を醸成させ、世界の至るところでアメリカ人が殺されるような目に遭ってもおかしくない。グアンタナモ収容所でアメリカは正義の旗を下ろした。

 そして主人公たち3人がイギリスに帰国した2004年、今度はイラクのアブグレイブ刑務所で米兵による捕虜虐待が発覚するのである。

 映画作品としてではなく、現実世界で起こった事実として見るべきだ。「世界の警察」を自認してきたアメリカが犯罪者に転落した瞬間を我々は目撃する。オバマ大統領はシリア問題に関するテレビ演説で「米国は世界の警察官ではないとの考えに同意する」と歴史に残るであろう発言をした(2013年9月10日)。ま、国防予算削減という背景もさることながら、米軍が世界各地で犯罪を冒してきた事実を思えば、犯罪者宣言とも思える。

 アシフは語る。「人生が変わってしまった。考え方、世の中の見方も……。この世界はいいところじゃない」。

 正義を叫ぶ者を疑え。彼らこそが世界に混乱を起こす張本人ゆえに。



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2015-07-22

漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた/『漢字雑談』高島俊男


 ・漢字制限が「理窟」を「理屈」に変えた
 ・障害者か障碍者か

 漢字制限は敗戦直後昭和21年の「当用漢字」から始まる。固有名詞(福岡などの地名、佐藤などの姓、その時現在の名)を除き、政府が決めた1850字以外使ってはならぬという、強い制限である。罰則はないので作家などは使ったが、官庁(法令、公文書等)、学校、新聞の三大要所を抑えて励行させた。

【『漢字雑談』高島俊男(講談社現代新書、2013年)以下同】

 いつの時代も権力は暦と文字を管理する。「どの国でも文字改革というのは、前の歴史との連続性を切断するために行う」と佐藤優は説く(『国家の自縛』)。当用漢字とは「当座は用いて構わない漢字」という意味で、GHQには日本語のアルファベット化という案もあった。マッカーサーが日本文化の破壊を意図したことは疑問の余地がない。それにしても、官庁、学校、新聞はさながら権力という風になびく草の如し。

 今は「理屈」と書く。従前は「理窟」と書いた。
「理窟」が「理屈」になったのには経緯がある。敗戦直後政府が制定した漢字制限によって「窟」の字の使用が規制(事実上禁止)された。昭和31年にいたって政府は「同音の漢字による書きかえ」と題する文書で、「理窟」は今後「理屈」と書け、と指示した。これによって、法令、公文書、学校の教科書などはもとより、新聞・雑誌その他社会一般も「理屈」と書くことになった。
「りくつ」を「理屈」と書くのは、りくつから言えばおかしい。
「理が屈する」というのは、話のすじみちが通らなくなって行きづまることである。「りくつ」は話のすじみちが通ることだから正反対である。
 中国では一口に「理屈詞窮」と言う。理に屈し詞(ことば)に窮する、話のすじみちが通らなくなって言葉に窮することである。論語の朱子注から出た成語である。「屈」はまっすぐに行けず折れ曲ること、行きづまることである。
 ただし、日本では「りくつ」は昔から口頭語として広く用いられたことばだから、江戸時代にはあて字で「理屈」と書いた例はいくらもある。(中略)
 理窟の「窟」は穴カンムリが示す通り「ほらあな」である。「アルタミラの洞窟」の「窟」である。では「理のほらあな」がなぜ「すじみちの通った話」になるのか。
 さあこれがむずかしい。
 国語辞典でこの意義を書いてあるものはほとんどない。『大言海』(昭和10年冨山房)にこうある(「理窟」は第四巻、昭和10年)。
   〈理窟(マミアナ)ノ意ニテ、理ノアツマル所ノ義〉

 最後の行の「マミアナ」とは狸穴のことか。字面(じづら)も理窟とよく似ている。私は本書を読むまで「理窟」という文字がまったく頭になかった。恥ずかしい限りである。もちろん『岩窟王』で字は知っていた。自分勝手に「理正しければ理に屈する」と読んでいた。

 というわけで今後は「理窟」と表記することにした次第である。

漢字雑談 (講談社現代新書)

目撃された人々 65

目撃された人々 64


目撃された人々 63

2015-07-21

筋肉と免疫力/『「食べない」健康法 』石原結實


 ・筋肉と免疫力

 なぜ筋肉を鍛えるのかって? 筋肉を鍛えることは、体のあらゆる部分の健康を効率良く維持してくれるからです。
 筋肉は、男性で45%、女性で36%と、人間の体重の4割前後を占めています。さらに、筋肉の75%以上が下半身についています。ですから、下半身の運動をするのが最も効率が良いのです。
 また、筋肉を動かすと体温が上がります。体温が1度上がると免疫力が5倍になります。一方、体温が1度下がると免疫力が30数%下がります。
 他にもいいことはたくさんあります。筋肉を動かすと血管が拡張したり、収縮します。これにより心臓の働きが助けられて、循環器、高血圧、心臓系の疾病の予防になります。筋肉を動かすと骨も強化されるので、骨粗しょう症の予防にもなります。
 さらに、筋肉の細胞から男性ホルモンが分泌されるから、自信が出てきてうつ病にも効果的です。その上、脳の血流が活発になって記憶中枢をつかさどる海馬を刺激し、認知症の予防にもなるのです。(『日刊ゲンダイ』2006年10月6日掲載)

【『「食べない」健康法 』石原結實〈いしはら・ゆうみ〉(東洋経済新報社、2008年/PHP文庫、2012年)以下同】

 石原結實は学生時代にパワーリフティングの経験があり、九州大会で優勝したこともある。本書は「一日一食健康法」を広く世に知らしめた一冊だ。

 私は48歳の時に生まれて初めて肩凝りとなった。床に積み上げている本につまづくようになったのが一つの兆候であったと思う。体のバランスが崩れ始めたのだ。で、つい最近はぎっくり腰をやったばかりだ。若い頃にスポーツをやっていた自信が裏目に出た格好だ。反射神経はそれほど衰えていないのだが、きっと体幹が歪んでいるのだろう。パソコンに向かう姿勢も決してよくはない。

 40代も後半になると健康診断でも何かと引っかかるようになってくる。いわゆる生活習慣病の要素が顕著になってくるのだ。ま、そんなわけで自然と健康情報に目が止まってしまう。まったく嫌なこったよ(笑)。

「食べない」ことが体にいいのは知っていた。アンドルー・ワイル著『癒す心、治る力 自発的治癒とはなにか』(上野圭一訳、角川文庫ソフィア、1998年)に絶食の効用が書かれていた。週に一度の絶食を勧めている。ただし古本屋を侮っては困る。アンドルー・ワイルや石原結實に科学性を認めることはできない。

「一日一食は体によい」との経験則に石原は後から理窟(りくつ)を加えたのだろう。物語としては実によくできている。で、私もその物語に乗ってみせたまでだ。

 本書を読み、私は直ぐさま一日一食に取り組んだ。善は急げである。効果はみるみるうちに現れた。まず体重が減った。体重が減ると意識が鮮明になる。当然、体の動きにもキレが出てくる。私の場合、休日に限っては好きなものを好きなだけ食べているが、翌日にはすっかり出てゆく。抗い難い空腹に苛まれた時はチョコレートや黒糖を投入する。一時は80kgを超えた体重も現在は70kgを切っている。もう少し落とせば20代の頃と変わりがない。

 食事は、朝食は人参ジュース2杯と生姜紅茶1杯、昼食も生姜紅茶だけです。夕食は、たこ刺しを食べながらビールを飲んで、ご飯にみそ汁、納豆、明太子、イカの炒め物などを食べる。毎日これだけ。肉も魚も卵も牛乳もとりませんけれど、こんなに元気。全身筋肉質でゼイ肉はありません。90歳までこの生活を続けるつもりです。

 石原式一日一食はこれが基本である。人参は有機栽培のもの。生姜はチューブ入りの練り生姜でも構わない。ちょっと調べてみたところ、生姜パウダーがいいようだ。

 このあたりは神経質になることもあるまい。私はやっていない。一つだけ注意点を挙げるとタンパク質不足になりがちなので、納豆・豆腐・チーズ・ヨーグルトなどは意識的に摂るようにするべきだ。私は毎朝、ヨーグルトにシリアルを入れて食べている。厳密にいえば一日一食半だが、頗る体調はよい。

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石原 結實
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癌治療の光明 ゲルソン療法/『ガン食事療法全書』マックス・ゲルソン

2015-07-19

藤原肇、アーノルド・J・トインビー、若泉敬


 2冊挫折。

未来を生きる トインビーとの対話』アーノルド・J・トインビー、若泉敬〈わかいずみ・けい〉:毎日新聞社外信部訳(毎日新聞社、1971年)/京都産業大学教授の若泉敬とトインビーとの対談であるが、実際は若泉による質問とトインビーの回答集といった内容。人生・学問、国際問題とテーマは多岐にわたる。碩学(せきがく)のトインビーですら時代の波には勝てなかったようで、やはり古いと言わざるを得ない。1971年といえばまだ日本でも「気違い」や「びっこ」などの言葉が日常で使用されていた時代であるから致し方ない側面もある。私はつくづくクリシュナムルティの偉大さを思わずにはいられなかった。クリシュナムルティの講話は第二次世界大戦前のものでも古さを感じないし、世俗でまかり通っていた差別感がどこにも見当たらない。トインビーの言葉はものの見方としては参考になるが、抜き難いキリスト教の影響が先入観として働いてしまっている。例えば「高等宗教と低次宗教」というネーミングなど。100ページほどでやめた。その後トインビーは創価学会会長の池田大作との対談集『二十一世紀への対話』(文藝春秋、1975年)を刊行しているが、池田をトインビーに紹介したのも若泉だった。

虚妄からの脱出 経済大国の没落と日本文化』藤原肇(東明社、1980年)/読みにくい文章である。「石油開発の弁証法」と「富国強兵と経済大国のソフトウェア」までしか読めず。小室直樹が説くところの「アノミー」(無連帯)を藤原は「ヤマトニズメーション」(空洞化から発狂へのプロセス)と表現したが、ネーミングが悪いと思う。

フィナーレ/『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


 ・台湾コメディの快作
 ・フィナーレ

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督

 映画を観た人限定。これから観る人は面白さが半減するので見てはならない。観客の反応がよすぎて死ぬほど笑える。












106歳の日本人教師から91歳の台湾人生徒に届いた奇跡の手紙

2015-07-17

特集『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督


『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

 ・『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督

『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三

 ウェイ・ダーション(プロデュース、脚本)がマー・ジーシアンを監督に起用したようだ。マー・ジーシアンは『セデック・バレ』の主要キャストだった。実に不思議なことだが近藤兵太郎〈こんどう・ひょうたろう〉が監督に就任した1931年は霧社事件が起こった翌年に当たる。











渦巻きの三角形







 渦巻きの三角形は巴紋(ともえもん)や(まんじ)を連想させる。これをマンダラの元型と考えることは可能だろうか。

B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ、小室直樹、藤原肇、手塚治虫


 1冊挫折、2冊読了。

手塚治虫クロニクル 1968~1989』手塚治虫(光文社新書、2011年)/町山智浩が「傑作」と評した「きりひと讃歌」を読もうと思ったのだが、第1話しか掲載されておらず。ネット注文にありがちな失敗のひとつ。

 84冊目『脱ニッポン型思考のすすめ』小室直樹、藤原肇(ダイヤモンド社、1982年)/学問の原理を重んじるこの二人が対話しているとは知らなかった。小室のデビュー作『危機の構造 日本社会崩壊のモデル』(ダイヤモンド社、1976年)を読んだ藤原が自著での主張と酷似していたため対談を申し出た。6歳年下の藤原がまったく臆することなく討論に臨む。内容は手厳しい日本叩きが大半であるが、東京裁判史観に毒された日本が高度経済成長を遂げ、バブル景気に向かう時期に当たる。史観を失って経済を重視したものの、国際社会で資本主義原理を弁えない日本の無知を二人は徹底的にこき下ろす。裏表紙の二人が実に若々しい。50歳の小室御大がギラギラした表情を放っている。天才が放つ火花に見とれる。

 85冊目『東京裁判とその後 ある平和家の回想』B・V・A・レーリンク、A・カッセーゼ:小菅信子〈こすげ・のぶこ〉訳(中公文庫、2009年)/ベルト・レーリンクは東京裁判の判決に異を唱えた判事の一人だ。オランダ人。他ではインドのパール判事が最も広く知られているが、フランスのアンリ・ベルナール判事も個別反対意見書を提出している。日本人である私はレーリンクの考えを全面的に支持するものではないが、やはり歴史の当事者が語る重みがある。重要テキストであることに鑑み「日本の近代史を学ぶ」に追加した。法学部の大学生は本書を通して東京裁判を法的に検証するべきだ。日本の軍事力が二流で政治力が三流である現状を思えば、国際法という分野でエリートを育成するしか手が残されていない。戦略的な法律研究が必要だ。レーリンクは東條英機を始めとする日本人の被告は「皆、立派であった」と語っている。小菅信子の「解題」も気合十分。

台湾コメディの快作/『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


 ・台湾コメディの快作
 ・フィナーレ

『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督
『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督

 ウェイ・ダーション監督が『セデック・バレ』の資金を集めるために制作した映画である。ウェイ・ダーションが関わった最新作は『KANO 1931海の向こうの甲子園』(馬志翔〈マー・ジーシアン〉監督)でいずれも日本統治時代の台湾が背景となっている。


『海角七号 君想う、国境の南』をまだ観ていない人は絶対にネット上で情報を検索してはならない。Wikipediaもダメだ。映画の重要な仕掛けがあちこちで紹介されているためだ。

 町長が経営するリゾートホテルで日本人ミュージシャン(中孝介〈あたり・こうすけ〉)が台湾でコンサートを行う。そこへ次期町長を狙う町議会の議長が横槍を入れる。議長は地域の発展だけを願うコテコテの保守政治家である。「地元メンバーによる前座を起用しなければコンサートを潰す」と脅した。モデル崩れの友子が通訳兼コーディネーターを務める。前座バンドの中心となるのは阿嘉(アガ)という夢破れたミュージシャンで彼は郵便配達をしていた。「海角七号」という古い住所が記された宛先不明の郵便物が現れる。そこには戦争に引き裂かれた日本人男性と台湾人女性を巡る悲しい恋の物語が記されていた。

 最初の30分ほどはやや忍耐を要する。だが教会のシーンあたりから突然コミカル度が急上昇する。牧師(※台湾キリスト教の最大勢力は長老教会なので多分プロテスタントだろう。カトリックだと「神父」)とピアノを演奏する少女の対比に大笑い。この冷めた少女が前座バンドのキーボートを担当するが終始一貫して面白い。

 やはり日本映画と比べるとキャスティングが際立つ。甘いマスクの阿嘉(アガ)と元特殊部隊だった警官でルカイ族のローマーは、どこか『プリズン・ブレイク』の主役兄弟を思わせる雰囲気が漂う。

「海角七号」宛てのラブレターはナレーションで随所に挿入される。もちろん日本語だ。台湾で公開された時リピーターが多かったのも頷ける。観客はラブレターの内容を確認したかったのだろう。

 60年前と現在が交錯し、友子と友子が交錯し、台湾人と日本人が交錯する。アガと友子は夢破れて傷つく二人であった。映画はクライマックスに向かって二人の再生を描く。構成の妙。

 アガと友子のラブシーンが唐突で興醒めするが、ま、構わない。そもそもコメディや風刺というものは常識を基準としており、そのステレオタイプが理解できないと笑えない。きっと感情は陳腐なものを好むのだろう。

 練習の時はドタバタバンドっぽかったのが本番となると音が変わる。2曲目のバラードは「海角七号」との題名で60年前の友子と現在の友子を歌ったものだ。ここから畳み込むようにドラマが展開され、最後の最後であっと驚くひとひねりが挿入されている。エンディングも秀逸。

 監督に力みがなかった分だけ映画の完成度が高い。作品の構成という点では『セデック・バレ』よりも優れている。友子役を演じたのは田中千絵という女優で、たまたま彼女の中国語ブログを見た監督が起用したという。「8か月の留学を終えて、日本に帰ろうとしていた二週間前に、この映画の話が舞い込んできた」(台湾で活躍する日本人7『田中千絵』インタビュー)。役どころと本人までもが交錯していたことになる。

【付記】前座バンドによる乗りのいい曲はザ・ガスライト・アンセム「The '59 Sound」のパクリっぽい。尚、「『野玫瑰』(野ばら)は日本統治時代の小学校での代表的な唱歌であり、台湾が日本統治を離れた後も、中国国民党軍政権に排斥された日本文化の中で、ドイツのフランツ・シューベルトの作曲ということで、かろうじて日本統治世代に受け継がれてきたもので、日本と台湾を結び付ける象徴となっている」(Wikipedia)とのこと。

海角七号/君想う、国境の南 [DVD]
(DVDが何と927円)

2015-07-16

『自我の終焉』の新訳/『最初で最後の自由 The FIRST and LAST FREEDOM』J・クリシュナムルティ:飯尾順生訳(ナチュラルスピリット、2015年7月22日)

最初で最後の自由―The FIRST and LAST FREEDOM―(覚醒ブックス)

J・クリシュナムルティの代表作のひとつ! 名著『自我の終焉』、新訳で待望の復刊!!

あらゆる人生の項目を網羅。実在はあるがままを理解することの中にのみ、見出すことができます。

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あるがままを理解することは、少しも同一化や非難がない心の状態を必要としますが、
それは注意深く、しかも受動的な心を意味します。
愛について塾考したり、養成したり、実践することはできません。
愛や兄弟愛の実践はなお心の領域内にあり、従ってそれは愛ではありません。
このすべてがやんでしまったとき、そのとき愛が生まれます。
そのとき愛することが何であるのかを知るでしょう。

自己認識によって、不断の気づきによって、
あなたは何かになることへの紛争、闘争、葛藤が、
苦痛や悲しみや無知に導くことを見出すでしょう。
あなたが並はずれた静穏、組み立てられたのではなく、
組成されたのでもない静穏、あるがままへの理解とともに生じる静穏を見出すのは、
内面の不十分に気づき、それを完全に受け入れ、逃避することなく、
それとともに生きるときのみです。
その静穏の状態の中にのみ、創造的な存在があるのです。

(本文より)

2015-07-15

藤原美子に惹かれて/『劒岳 点の記』木村大作監督


 2009年公開。藤原美子〈ふじわら・よしこ〉著『夫の悪夢』(文藝春秋、2010年/文春文庫、2012年)で知った。義父の新田次郎原作なので、軽い調子で監督に「息子を出させてもらえませんか?」と言ったところ、「坊主頭にするならOK」との返事。何と藤原美子まで出演することとなった。尚、試写会には皇太子殿下が訪れ、藤原夫妻と懇談されている。藤原正彦は驚くべきことに皇太子の前でも平然と冗談を放つ。

 ま、藤原美子のエッセイに惹かれて、その勢いで観てしまったのだが、やはり感情に任せたのが失敗であった。舞台となるのは北アルプスの立山連峰である。見たこともないような景色が次から次へと出てくる。特徴を一言でいってしまえば風景映画である。

 剱岳(つるぎだけ)の標高が2999メートルで三等三角点が2997メートルに位置する。暴風雨のシーンもあるがとにかく凄まじい。3000メートル級でこれほど苛酷な世界なのだから、エベレスト(8848メートル)を始めとする8000メートルともなれば異次元の世界と言ってよいのだろう。

 藤原は役所広司の妻役でワンシーンだけ登場。科白(せりふ)が棒読みのところを見ると、嘘をつくのが下手なタイプのようだ。

 山の映画であるにもかかわらずヤマ場がない。ストーリーの起伏を欠くこともさることながら、役所広司以外はミスキャストとしか思えない。仮に芸能プロダクションの意向を呑んだとしても酷すぎる。シナリオもおよそ明治時代に似つかわしくない言葉づかいが目立ち、惨憺たる結果となっている。



劒岳 〈点の記〉 (文春文庫)夫の悪夢 (文春文庫)

2015-07-14

甲野善紀、茂木健一郎、山川菊栄、鈴木明、藤原美子、中西輝政、他


 8冊挫折、5冊読了。

大君の通貨 幕末「円ドル」戦争』佐藤雅美(講談社、1984年/講談社文庫、1987年/文藝春秋改訂版、2000年/文春文庫、2003年)/冒頭1ページの文章が酷すぎる。「外交官」だらけ。

石原莞爾 満州国を作った男』(別冊宝島、2007年)/Wikipediaの記事は本書からの引用が多い。尚、私も知らなかったのだが〈いしわら・かんじ〉と読むのが正しい。戦時において規格外の天才ぶりを発揮した人物として知られる。満州事変の首謀者であるが、そこに収まるような大きさではない。雑誌サイズのムック版で内容はまとまりを欠く。「宝島社も落ちぶれたもんだな」との印象を拭えず。

歴史をつかむ技法』山本博文(新潮新書、2013年)/教科書的で面白くない。

霧社事件 台湾高砂族の蜂起』中川浩一〈なかがわ・こういち〉、和歌森民男〈わかもり・たみお〉編著(三省堂、1980年)/初公開の資料に基づく力作なのだが左翼的文章が散見されたのでやめた。ま、1960年代から80年代にかけてはさほど意識しなくとも「日本を貶める」のがあたかも知性のように思われていた。五十を過ぎると残された時間に限りがあるため、イデオロギーや思想の悪臭を発する本は読む気になれない。

右であれ左であれ、わが祖国日本』船曳建夫〈ふなびき・たけお〉(PHP新書、2007年)/タイトルはオーウェルから流用したもの。中途半端というよりは眠くなるような代物でスピード感を欠く。文章にも鋭さがない。

生命誕生 地球史から読み解く新しい生命像』中沢弘基〈なかざわ・ひろもと〉(講談社現代新書、2014年)/私の見込み違いであった。

日本が戦ってくれて感謝しています アジアが賞賛する日本とあの戦争』井上和彦(産経新聞出版、2013年)/聞き覚えのある名前だと思ったら、この人だった。テレビで見たまんまの印象を受けた。軽い。内容は重いのだが文章が軽いのだ。タイトルも軽薄だと思う。

ヴェノナ』ジョン・アール・ヘインズ、ハーヴェイ・クレア:中西輝政監訳、山添博史〈やまぞえ・ひろし〉、佐々木太郎、金自成〈キム・ジャソン〉訳(PHP研究所、2010年)/素人が読むには辛い。中西は自著で「ヴェノナ文書が公開されたことで、マッカーシズムが実は正しかったことが証明された」というようなことを書いている。ただしちょっとわかりにくい。ソ連のスパイが多かった事実がそのまま赤狩りのヒステリー現象を正当化することにはならないだろう。

 79冊目『日本人としてこれだけは知っておきたいこと』中西輝政(PHP新書、2006年)/中西の本気が伝わってくる。思わず感動した。靖国神社の意味と意義も初めて知った。東京裁判が行ったのは天皇陛下と靖国神社という日本のアイデンティティを完全に否定することであった。彼らの戦略は確かに成功した。しかし日本人は1990年代から近代史の呪縛を解く作業を始めた。保守論壇で孤軍奮闘してきた中西はその功労者の一人である。

 80冊目『夫の悪夢』藤原美子〈ふじわら・よしこ〉(文藝春秋、2010年/文春文庫、2012年)/名前は知っていた。『月の魔力』(東京書籍、1984年)の共訳者として。しっかし、びっくりしたなー、もう。藤原正彦の奥方がこれほどの美人だったとは。エッセイや講演では鬼嫁みたいな言い方をしている。しかも才色兼備。藤原正彦の宿六亭主ぶりを暴露する。あっけらかん。新田次郎や藤原ていのエピソードも出てきて本当に面白かった。ユーモアという点では藤原に引けをとらない。1日で読了。

 81冊目『高砂族に捧げる』鈴木明(中央公論社、1976年/中公文庫、1980年)/霧社事件で日本軍と戦った高砂族(台湾原住民)がなぜ高砂義勇隊となったのかを追うルポ。文章に心血を注いだ跡が窺える。霧社事件の背景は複雑なことがよくわかった。

 82冊目『武家の女性』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(岩波文庫、1983年)/やはり渡辺京二が紹介していた部分が一等面白かった。銭湯に登場する伝法なかみさんのエピソード。寅さんも真っ青のべらんめえ調が凄い。塾の様子も忘れ難い。後半は会津藩の天狗党にまつわる内容が目立つ。文章の調子が古き日本への郷愁を掻き立ててやまない。

 83冊目『響きあう脳と身体』甲野善紀、茂木健一郎(バジリコ、2008年)/面白かった。甲野の豊富な知識に驚かされる。甲野がずんずん斬り込んでゆき、茂木は受けに回っている。筋トレ否定論はもっと注目されるべきだ。誰か甲野とイチローを対談させる人がいないかね?

2015-07-13

邪悪な秘密結社/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 彼は青春時代と青年期を監獄と舞台で過ごし、その混乱した頭の中で、二つのものの区別がよくできていないようだった。そしてドイツで監獄に入ったことがとどめの一撃になった。
 彼の話では、真実と可能なことと想像とがごっちゃになって、ほどくことができない、多彩なもつれ合いを作っていた。彼は監獄や裁判所を劇場のように語った。そこでは誰もが自分自身ではなく、ゲームをし、才能を見せびらかし、他人の外貌をまとって、ある役割を演じていた。そして劇場は訳の分からない巨大な象徴であり、暗い破滅の道具であった。それはありとあらゆる場所に存在する、邪悪な、ある秘密結社が外に現れたもので、万人に害を及ぼすような支配をしていて、ある日家にやってきて、ある人物を捕まえると、仮面をかぶせ、本人以外のものに変え、意志に反したことをさせるのだった。この秘密結社とは「社会」だった。不倶戴天の敵で、彼トラモントはいつも戦ってきたのだが、常に打ち負かされた。しかしそのたびに、勇ましく復活してきたのだった。
 彼を探し出し、挑んできたのは「社会」のほうだった。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

「混乱した頭」が真実を鋭く見抜く。論理を司る左脳の破綻が右脳の直観を優位に仕立てる。社会とは「邪悪な秘密結社」であった。卓抜した表現が二重に深い洞察を与える。強制収容所もまた社会の産物であり、そして収容所内では下位の社会が構成される。障害者・ジプシー・ユダヤ人であることは自分の一部に過ぎないが、ナチスは彼らのすべてと判断した。

 自由とは「恐怖や衝動がなく、安心したいという欲求のない心境」(『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ)である。

 世界は衝突しあう信念やカースト制度、階級差別、分離した国家、あらゆる形の愚行、残虐行為によって引き裂かれています。そして、これが君たちが合わせなさいと教育されている世界です。君たちはこの悲惨な社会の枠組みに合わせなさいと励まされているのです。親も君にそうしてほしいし、君も合わせたいと思うのです。

【『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ:藤仲孝司〈ふじなか・たかし〉訳(平河出版社、1992年)】

 監獄の外もまた監獄であった。社会とは監獄の多層構造が織りなす世界なのだ。我々は「自分」であることよりも、何らかの「役割」を生きる羽目となる。社会を構成する我々はショッカーみたいな存在なのだろう。

 被害者からしか見えぬ真実がある。世界を正しく導くためには被害者の声に耳を傾けることだ。『すばらしい新世界』や『一九八四年』などのディストピア小説が示したのも、ファシズムや共産主義というよりは社会の同調圧力と見るべきだろう。

2015-07-12

NY証券取引所で一時取引停止…システム障害で


 ニューヨーク証券取引所(NYSE)は8日午前11時32分(日本時間9日午前0時32分)頃、システムの障害で全ての上場株式の取引を停止した。

 復旧作業の後、同日午後3時10分(同9日午前4時10分)頃に取引を再開した。この間、取引はナスダック店頭市場など他の取引所を通じて行われた。

 中国やギリシャの先行き不安に加えて取引停止が嫌気され、ダウ平均株価(30種)は大幅反落して前日終値比261・49ドル安の1万7515・42ドルと約5か月ぶりの安値で取引を終えた。ナスダック市場の総合指数は、87・70ポイント安の4909・76で取引を終えた。

 米国では2013年8月、ナスダック市場でシステム障害が起き、株式取引が3時間以上停止した例がある。

 8日は、ユナイテッド航空でもシステム障害が起きた。米国土安全保障省のジョンソン長官はワシントン市内で行った講演で、これらのトラブルについて「非道な行為の結果ではない」と外部からのサイバー攻撃の可能性を否定した。

YOMIURI ONLINE 2015-07-09

 実にきな臭いニュースだ。何かの予行演習だろうか。いずれにせよ、システムダウンを理由に何でもできることは確実だ。

2015-07-11

荒ぶる魂、ほとばしる生命力/『セデック・バレ』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督


『海角七号 君想う、国境の南』魏徳聖(ウェイ・ダーション)監督

 ・荒ぶる魂、ほとばしる生命力

『KANO 1931海の向こうの甲子園』馬志翔(マー・ジーシアン)監督
『台湾を愛した日本人 土木技師 八田與一の生涯』古川勝三
『街道をゆく 40 台湾紀行』司馬遼太郎
『台湾高砂族の音楽』黒沢隆朝

 twitterで教えてもらった台湾映画『セデック・バレ』(「真の人」という意味)を観た。凄まじい映画であった。「一部 太陽旗」「二部 虹の橋」で4時間36分の長尺。日本統治下で起こった霧社事件(1930年/昭和5年)を描く。

Difang(ディファン/郭英男)の衝撃

 監督の名前はウェイ・ダーシェンという表記もある。英語名が「Wei Te-Sheng」なので正確には「ウェイ・テシェン」という発音か。この作品に掛けた監督の本気は並々ならぬものがある。最初にウェイ・ダーションは600万円の私費を投じて以下のデモ映像をつくる。


 次に監督は資金集めの目的でまったく別の映画『海角七号 君想う、国境の南』(2008年)を制作する。


 口コミで人気が高まり、『タイタニック』に次ぐ興行成績を収めた。それでも資金は足りなかったようで、ビビアン・スーは格安のギャラで出演した上、資金提供も行っている(資金援助も話題に 「セデック・バレ」で台湾先住民演じたビビアン・スー)。尚、彼女の母親はタイヤル族であり、セデック族は最近になって公認された部族でタイヤル族系である。

『セデック・バレ』の国際的な評価は惨憺(さんたん)たるものである。

抗日映画「セデックバレ」に各国メディア酷評!「残酷」「過度の民族主義」―ベネチア映画祭

 個人的には魔女狩りで同胞を殺戮し、黒人を奴隷にし、インディアンを虐殺し、世界中を植民地化した挙げ句に惨殺・強姦を行ってきた白人に文句を言われたくはない。とはいえ、第一部を見ながらどうしても行き詰まってしまうのはやはり「首狩り」(出草/しゅっそう)である。つまり、首狩りをどのように理解するかでこの映画の評価は分かれる。

 日本においても武士は合戦で敵の首級(しゅきゅう)を挙げるという伝統があった。戦が終わると首実検が行われ、論功行賞が確定する。ま、我々の先祖も首狩り族と見てよい。首級は「しるし」とも読む。すなわち首はメディアであった。高砂族(たかさごぞく/台湾原住民の総称)の殆どは文字を持たなかった。首狩りは証拠保全の一つと考えられよう。

 それでも「なぜ首狩りが始まったのか?」という疑問が払拭できない。本作品の致命的な失敗は首狩りの必要性・根拠をまったく示していないところにあり、これによってストーリーが破綻(はたん)を来(きた)している。第一部を観ながら「首狩りとは何ぞや?」と私の脳はフル回転をした。

 ストーリーを追うとどうしてもついてゆけなくなる。そこで私は論理を司る左脳のスイッチを落とした。途端にわかった。かつて人間は「もの言う存在」であったのだろう。白川静は漢字の口部を「■(サイ)」と見抜いた(『白川静の世界 漢字のものがたり』別冊太陽)。■(サイ)は祝詞(のりと)を入れる箱であるが、書かれた文字の重みは元々言葉が持っていた重みであったのだろう。文字が生まれる前は論理や思考よりも、直観や閃(ひらめ)きが優位であったことと想像する。これを古代社会の宗教性と言い換えてもよい。神は右脳に御座(おわ)し(『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ)、サードマン現象も右脳で発生する(『サードマン 奇跡の生還へ導く人』ジョン・ガイガー)。首は脳や顔よりも、口を奪うところに目的があったと私は考える。

 首狩りがセデック族の荒ぶる魂の象徴とすれば、山谷を駆ける姿がほとばしる生命力を表す。「走る映画」といえば真っ先に『ポストマン・ブルース』が思い出されるがその非ではない。彼らは岩場ですらものともしない。たぶん、ランボーより強いよ。


 彼らの足は手のように開いている。霧社事件から11年後、大東亜戦争で高砂義勇隊が結成される。高砂族は日本人となってフィリピン、ニューギニアで大活躍をするが、当初は却下されていたものの戦局が行き詰まると「靴を脱ぐ」ことを許された。彼らの足は手のように大地をつかむことができたことだろう。

 出演者の殆どが台湾原住民と日本人で実は中国語が使われていない。しかも主役のモーナ・ルダオを始めとする主要キャストの大半が映画初出演である(公式サイト:キャスト)。明らかに日本人キャストが見劣りする。学芸会レベルにしか見えなかった。

 そしてやはり注目すべきはセデック族の「歌」である。時に優しく時に勇壮な歌声が不思議なほど血液の温度を上げる。彼らの顔は琉球とそっくりで、入れ墨や口琴(こうきん)、衣服の意匠はアイヌを思わせ、踊る姿は縄文人さながらである。もちろんインディアンとも酷似している。尚、台湾原住民はオーストロネシア語族であるが、かつてはインドネシア・フィリピン方面から渡ってきたと考えられてきたが、現在は台湾から南下したと判断されている。




 更にモーナ・ルダオが大地を踏みしめる舞は相撲の四股(しこ)とよく似ている。

 首狩りは勇気の証(あかし)であった。我々は首狩りをやめた。そして資本主義文明のもとで「カネ狩り」を行っている。経済的に見れば「カネは命」である。だから借金を苦にして自殺する人や、カネを奪うために殺人に手を染める者が出てくるのだ。これが「長期的な時間をかけた首狩り」でなくて何であろう? そして文明は知恵に重きを置き、知恵は知識となって共有される。「我々が行う首狩り」に勇気は認められない。きっと文明の進歩は人類から勇気を奪ってしまったのだろう。

 狩猟民族にとって狩場の死守は民族の存亡に関わるものゆえ、首狩りを女たちが喜んだのは当然だ。子孫の生存率が高まるわけだから。

 映画における最大の脚色はセデック族が日本軍を殺害するシーンである。実際の死者は「日本軍兵士22人、警察官6人、のみであった」(Wikipedia)。尚、モーナ・ルダオの妻やそれ以外の女性たちの振る舞いは史実に基いている。

 冒頭シーンの声とラスト近くの子供の声が信じらないほど美しく優しく響く。涙が込み上げくるほどだ。この声を聴くだけでも視聴に値する。

 霧社事件を通して少年たちが戦士へと変貌する。セデック族が夢見た「虹の橋」を超える理想を我々は持たない。彼らの首狩りと比べれば、映画や漫画の暴力シーンはあまりにも安っぽい。失った勇気を取り戻すためにもこの映画は広く見られるべきだ。

 映画の基調としては反日色が濃い。「よい日本人も描いている」との評価は甘い。ステレオタイプの威張り散らす日本人が殆どで、描き方としては拙劣だ。霧社事件には長年にわたる複雑な背景があり、文明移行期に生じた真空と解釈すべきだろう。単純な抗日行為ではなく、モーナ・ルダオ自身の政治的思惑もあったはずだ。その意味で私は幕末期に起こった会津戦争と霧社事件は似た性質があったと考える。セデック族は白虎隊であった。
セデック・バレ 第一部:太陽旗/第二部:虹の橋【豪華版 3枚組】[DVD]餘生~セデック・バレの真実 [DVD]セデックバレ(賽德克.巴萊) OST (台湾盤)

霧社事件
モーナ・ルダオの遺骨
恋愛茶番劇/『ラスト・オブ・モヒカン』マイケル・マン監督
会津戦争の悲劇/『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人

2015-07-07

中国雲南省の棚田











2015-07-03

フルビネクという3歳児の碑銘/『休戦』プリーモ・レーヴィ


『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』V・E・フランクル:霜山徳爾訳
『それでも人生にイエスと言う』V・E・フランクル
『アウシュヴィッツは終わらない あるイタリア人生存者の考察』プリーモ・レーヴィ

 ・フルビネクという3歳児の碑銘
 ・邪悪な秘密結社
 ・解放の時

『溺れるものと救われるもの』プリーモ・レーヴィ
『プリーモ・レーヴィへの旅 アウシュヴィッツは終わるのか?』徐京植
『イタリア抵抗運動の遺書 1943.9.8-1945.4.25』P・マルヴェッツィ、G・ピレッリ編
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

必読書リスト その二

 フルビネクは虚無であり、死の子供、アウシュヴィッツの子供だった。外見は3歳くらいだったが、誰も彼のことは知らず、彼はといえば、口がきけず、名前もなかった。フルビネクという奇妙な名前は私たちの間の呼び名で、おそらく女たちの一人が、時々発している意味不明のつぶやきをそのように聞き取ったのだろう。彼は腰から下が麻痺しており、足が萎縮していて、小枝のように細かった。しかしやせこけた、顎のとがった顔の中に埋め込まれた目は、恐ろしいほど鋭い光を放ち、その中には、希求や主張が生き生きと息づいていた。その目は口がきけないという牢獄を打ち破り、意志を解き放ちたいという欲求をほとばしらせていた。誰も教えてくれなかったので話すことができない言葉、その言葉への渇望が、爆発しそうな切実さで目の中にあふれていた。その視線は動物的であるのと同時に人間的で、むしろ成熟していて、思慮を感じさせた。私たちのだれ一人としてその視線を受け止められるものはいなかった。それほど力と苦痛に満ちていたのだ。

【『休戦』プリーモ・レーヴィ:竹山博英訳(岩波文庫、2010年/脇功訳、早川書房、1969年)】

 ヘネクという15歳のハンガリー人少年がフルビネクの面倒をみていた。ある日のこと、フルビネクが一言しゃべった。だが言葉の意味がわかる者は一人もいなかった。

 プリーモ・レーヴィの「見る」という行為は実に静かで淡々としたものだ。それは彼が化学者であったことに起因するのであろうか? わからない。ただその視線が自分の人生をも突き放して見つめることを可能にしたのは確かだ。


 フルビネクは3歳で、おそらくアウシュヴィッツで生まれ、木を見たことがなかった。彼は息を引き取るまで、人間の世界への入場を果たそうと、大人のように戦った。彼は野蛮な力によってそこから放逐されていたのだ。フルビネクには名前がなかったが、その細い腕にはやはりアウシュヴィッツの入れ墨が刻印されていた。フルビネクは1945年3月初旬に死んだ。彼は解放されたが、救済はされなかった。彼に関しては何も残っていない。彼の存在を証言するのは私のこの文章だけである。

 フルビネクという3歳児の碑銘である。書く営みは時に刻印となって永く世に残る。プリーモ・レーヴィの観察眼はアウシュヴィッツの日常を歴史化する作業であった。透明で硬質な美しい文体に惑わされて文学と思い込んではなるまい。大文字の歴史の中に小文字の歴史は埋没する。だが自分にとって大きな意味合いのある出来事は、自分の手で大きな文字を記せばよい。たとえそれが誰の目にも留まらなかったとしても、「書いた」事実こそが歴史なのだ。

『アウシュヴィッツは終わらない』の続篇だが、前作とは打って変わって苛酷な中にもユーモアが横溢(おういつ)している。思わず吹き出してしまう場面がいくつもある。個性的でユニークな群像が次々と登場する。レーヴィは650人のイタリア系ユダヤ人と共にアウシュヴィッツへ送られたが、生き残ったのはわずか3人であった。アウシュヴィッツは1945年1月、ソヴィエト軍によって解放された。プリーモ・レーヴィがイタリアへ帰国したのは10月19日のことであった。

観ることでビンラディン暗殺に加担させられる/『ゼロ・ダーク・サーティ』キャスリン・ビグロー監督


 タイトルは「深夜零時半」の意味。米軍の軍事用語らしい。ウサマ・ビンラディン暗殺に至るCIAの暗闘を描いた作品である。観終えた後で女性監督と知り、ちょっと驚いた。しかもキャスリン・ビグローは美形で身重が182cmとのこと。元モデル、元ジェームズ・キャメロン監督夫人という過去の持ち主。主役の女性CIA分析官を演じるのはジェシカ・チャステインで、生まれたばかりの鳥みたいな顔をしている。監督が男性であれば、このキャスティングはなかったことだろう。彼女の風貌が強いリアリティを生んでいる。

 映画はアルカイダメンバーの拷問シーンから始まる。殴打と水責め。ウォーターボーディングについて「アメリカでは短期的な適用は身体的は損傷を起こさないため拷問ではなく尋問であると主張され、水責め尋問禁止法案が民主党主導で上下両院を通過したがブッシュ大統領が拒否権を発動して廃案となった」(Wikipedia)。その後オバマ大統領が禁止したために、CIAは法律を遵守(じゅんしゅ)すべく、グァンタナモ収容所など国外で拷問を行っている。もちろん中東での拷問も国内法は適用されない。

 優秀な諜報員の執念がビンラディンの居場所を突き止める。同僚を殺害され、彼女は変貌する。CIAの上司にも歯向かう。確たる証拠がないため、彼女の情報は数年間にもわたって無視され続けた。

 正義はさほど感じない。ある集団の内部で一人の人間が感情に駆り立てられ、信念のまま突っ走り、願望を実現したというだけの物語である。冷めた目で見れば、悲しいまでにサラリーマン的な姿である。「相手を殺す」という目標だけ見れば、テロリストと完全に同じ次元で仕事をしていることがよくわかる。つまりテロリストの側にカメラを置けば――森達也監督『A』のように――まったく同じドラマを作成することが可能となる。

 観ることでビンラディン暗殺に加担させられる。そんな映画だ。



2015-07-02

ロビン・マッケンジー、宮城谷昌光、藤原正彦、中西輝政、他


 4冊挫折、5冊読了。

まんが 孫子の兵法』武岡淳彦〈たけおか・ただひこ〉監修・解説、柳川創造〈やながわ・そうぞう〉解説、尤先端〈ヨウ・シェンルイ〉作画、鈴木博訳(集英社、1998年)/注釈、漫画、解説の順で13章にわたる。注釈のフォントサイズが小さくて大変読みにくい。悪い本ではないが意図してビジネスに傾斜しており、読者の幅を狭めてしまっている。時間を要しすぎたので閉じる。

兵法孫子 戦わずして勝つ』大橋武夫(マネジメント社、1980年)/40版も重ねているということはロングセラーなのだろう。見返しにある大橋の顔は軍人そのものだ。これまたビジネスに翻訳しており、孫子の香りを台無しにしてしまっている。ただし私は序盤しか読んでいないため、本書の大部分を成す「孫子抜粋」は再読するかもしれぬ。

神を見た犬』ブッツァーティ:関口英子〈せきぐち・えいこ〉訳(光文社古典新訳文庫、2007年)/脇功訳よりこちらの方がいいと思う。が、挫けた。「天地創造」における神の矛盾に耐えられず。

東京裁判』日暮吉延〈ひぐらし・よしのぶ〉(講談社現代新書、2008年)/「著者には『東京裁判の忘却は危険だ』などと悲憤慷慨する趣味はないのだが」(9ページ)との一文に性根を見た思いがする。要は「学問的な趣味」で書かれた本なのだろう。致命的な軽薄さを露呈。

 74冊目『日本の「敵」』中西輝政(文藝春秋、2001年/文春文庫、2003年)/中西を保守思想家と見てきたのは間違いであった。彼の本質はリアリストなのだ。本書を読んでそう気づいた。15年ほど前の本だが内容は決して古くない。またいたずらに左翼を敵として糾弾するものでもない。これからも中西本を読むつもりだが、単行本215ページに見られるような「人間性の欠陥」があることを踏まえる必要があろう。

 75冊目『国家の品格』藤原正彦(新潮新書、2005年)/265万部の大ベストセラーを今頃になって読んだ。「国民の目を近代史に向けさせた一書」と言ってよいかもしれぬ。いやはや面白かった。一日で読了。講演が元となっているためわかりやすいが、随所に侮れない知見が光る。ゲーデルの不完全性定理の解説には目を瞠(みは)った。平和ボケの観念を常識で一刀両断にする。

 76、77冊目『子産(上)』『子産(下)』宮城谷昌光(講談社、2000年/講談社文庫、2003年)/わかりにくかった。主要人物のことごとくがわかりにくい。子駟(しし)もそうだし、子産の父の子国(しこく)もそうだ。それでも時折、短篇小説のような味わい深い光景が描かれる。解説によれば、宮城谷は物語性を抑えて史実に忠実であろうと心掛けたとのこと。子産は孔子が最も尊敬した人物として知られる。

 78冊目『自分で治せる!腰痛改善マニュアル』ロビン・マッケンジー:銅冶英雄〈どうや・ひでお〉、岩貞吉寛〈いわさだ・よしひろ〉訳(実業之日本社、2009年)/10日ほど前にぎっくり腰となった。数日前からマッケンジー法というエクササイズを励行している。読んでみると「なあんだ」と思う代物だが、やってみると実に効果がある。内容はたぶん100円のパンフレットにできる程度のもの。だが真実は単純の中にある。まだ少し痛みが残っているが、解消した暁には腹筋の鬼と化し、余生を正しい姿勢で送る決意である。