2017-12-17

教義とは鳥かごのようなもの/『オープン・シークレット』トニー・パーソンズ


『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
『これのこと』ジョーイ・ロット

 ・教義とは鳥かごのようなもの

悟りとは

 言葉で表せないものを教義という形に置き換える試みは、そのどれもが必然的に不正確な表現に終わるように私には思えた。もともとの美しく繊細な自由の歌を、際限なく語られ続ける制限の教義に変えてしまう。完璧さをめぐる矛盾した考え……。鳥が飛び立ったとき、その歌の本質はたいていは見失われ、そこには空の鳥かごだけが残される。

【『オープン・シークレット』トニー・パーソンズ:古閑博丈〈こが・ひろたけ〉訳(ナチュラルスピリット、2016年)以下同】

「覚醒ブックス」というネーミングセンスに鼻白むのは私だけではあるまい。本を読んで覚醒できるなら私が教祖になっていてもおかしくないのだが(笑)。

 あまりいい本ではない。翻訳もこなれておらず、「――に――に」や「――は――は」が目につき、理解に苦しむ文章が多い。トニー・パーソンズはノンデュアリティの大物で、彼に導かれた悟りを開いた人々が相当数いる。

「なぜ自転車に乗ることができるか」を言葉で説明することはできない。悟りや啓示を言語化することは、自転車を知らない人に対して自転車に乗ることを説明するようなものだろう。

 言葉はシンボルに過ぎない。教義や憲法の解釈が異なるのも当然である。コミュニケーションの手段である言葉を経典化する営みは必ず人間を隷属させる方向に動く。

 言葉は「使う」ものだ。「しがみつく」ものではない。

オープン・シークレット(覚醒ブックス)
トニー・パーソンズ Tony Parsons
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