2019-03-25

六道輪廻/『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ


『呼吸による癒し 実践ヴィパッサナー瞑想』ラリー・ローゼンバーグ

 ・六道輪廻

『ゴエンカ氏のヴィパッサナー瞑想入門 豊かな人生の技法』ウィリアム・ハート
『「瞑想」から「明想」へ 真実の自分を発見する旅の終わり』山本清次

 こうして私たちは、ふと人生をただ過ごしているということを理解します。平静を装い、なんとか収入の範囲内でやりくりし、外から見ればうまくやっているようにも見えます。しかし失望したときや、自分に関するいろいろなものが崩れていくと感じたとき、問題を抱えるのです。混乱します。混乱していることは知っていますが、その混乱をうまく隠すのです。
 他方、そうしたあらゆる不満のさらに奥のほうでは、何か別の生き方が必要だとか、世の中を見るもっとよい方法や、より充実して人生を過ごす方法が必要だ、ということも知っています。ときにはよい仕事を得たり、恋をしたり、勝負に勝ったりなど、好ましいことが訪れることもあるでしょう。しばらくのあいだ物事はよい方向に向かいます。人生が豊かで明るくなり、不満や退屈がなくなります。経験するあらゆることが好ましいほうに進み、「よし、うまくいった。これで幸せになる」と考えます。しかしその後、その好ましい状況もまた風に吹かれる煙のように徐々に消えていくのです。思い出だけが残ります。思い出と、何かがおかしいという漠然とした感覚が後に残るのです。
 私たちは、人生には深遠で優しい、まったく別の領域がきっとある、ということを感じているものの、どうもあまりそのことを理解していません。その世界から切り離されていると感じてイライラしています。何か心地よい楽しさから切り離されていると感じるのです。実際のところ、私たちは人生に触れていません。人生をよいものにつくり直そうともしていないのです。そしてその後、漠然とした“何かがおかしい”という感覚も消え、もとのいまいましい現実に戻ります。世の中がいつものひどく不快な場所に見えます。これは感情のジェットコースターに乗るようなもので、高いところに憧れつつも、傾斜面の一番低いところで多くの時間を過ごしているのです。

【『マインドフルネス 気づきの瞑想』バンテ・H・グナラタナ:出村佳子〈でむら・よしこ〉訳(サンガ、2012年)】

 真の意味で出家した者は世俗の姿がよく見える。彼らは世俗から離れているゆえに世俗の全体が見えるのだ。我々にとって幸福とは欲望を満たすことであるが、心の飢えや渇きが満たされることは決してない。遊園地で楽しさを満喫して、帰り道で疲労を味わい、明くる日からやりたくない仕事に束縛されるのが私の人生だ。

 幸福も不幸も長く続かない。生とは変化の異名である。諸行無常という言葉を知っている人は多いが実感する人はまずいない。「私」という存在を変わらぬものと錯覚した途端、世界は固定化される。

 冒頭に「ヴィパッサナー瞑想は簡単なものではありません」とある。のっけから馬脚を露(あら)わしていて笑ってしまった。簡単だとか難しいだとか言っている間は「瞑想が方式」になっているのだ。そんなことは悟りに至っていない私ですらわかる。

 スリランカ仏教(南伝仏教、上座部仏教、テーラワーダ仏教とも)はブッダの肉声を伝えていて魅了されるのだが、個々の僧を見ると妙な派閥意識の臭みが抜けていない。例えばスマナサーラの著作の量の多さなどに至っては「悟りの商品化」にすら見える。サンガという共同体に束縛されている姿がどうしても好きになれない。

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