2019-03-06

野党を政策立案に関与させない「事前審査制」/『逃げられない世代 日本型「先送り」システムの限界』宇佐美典也


 このような体験を経て私は日本社会の問題は「改革に抵抗する国民や既成権益」にあるのではなく、むしろ日本社会に大きな問題があることそのものを覆い隠し「先送り」を続ける国会や行政の構造にあるのではないか、と考えるようになりました。

【『逃げられない世代 日本型「先送り」システムの限界』宇佐美典也〈うさみ・のりや〉(新潮新書、2018年)以下同】

「報道特注」で宇佐美典也を知った。1981年生まれの元経産省官僚。オタクっぽい語り口が面白かった。経産省時代の大先輩である足立康史にペコペコする姿勢も微笑ましかった。一読して驚いた。やはり東大卒は侮れない。確固たる視点が誰も指摘をしてこなかった問題点を浮かび上がらせる。

 思えば私は官僚時代に国会答弁を多数書きましたが、その内容のほとんどは野党の質問に真っ向から答えるというより「どのように問題を問題と思わなせないか」というごまかしの発想に立っていました。当時は野党の攻勢から逃れるためにそれが当たり前と思っていましたが、それでは日本社会を取り巻く本当の問題が世の中に伝わるはずがない、官僚がそのようなスタンスで政治と向き合わざるを得ない政治の構造こそが最も大きな問題ではないか、いまではそう考えるようになったのです。

 逆に言えば官僚のごまかしを国民の前にさらけ出すことのできる力量が野党議員にあれば、我々は「官僚に問題があること」を理解できる。

 このように日本の政治は基本的には「目の前の選挙への対策を求める政治家と、そうした政治家の要請を満たしつつ対症療法的政策を実行して問題を先送りする官僚」という2~3年間の「先送りの連鎖」が行われる構造になっています。

 それをよしとするジャーナリズムと、関心すら持たぬ国民とが彼らを強く支える。先送りの最たるものが憲法改正であろう。

 しかし残念ながら、結論から言えば日本の野党議員は与党議員以上に短期志向で、その瞬間瞬間で与党と政府の問題を指摘して世論を盛り上げて政権を追い詰めることに特化しています。野党のスタンスは「短期的」を超えて「刹那的」といってもいいほどです。
 なぜこんなことになってしまうかと言うと、日本では政権・与党が「事前審査制」と呼ばれる野党にまったく政策立案に関与させないような仕組みを整備しているからです。ここで日本の政策決定の流れというものをざっと見てみましょう。
 国会で審議される議案というのは、内閣または議員が作成することができるのですが、日本では実効性のある議員立法はほとんどなく、実質において意味のある法律案・予算案はほぼ全て各省庁が作成します。こうして作成された法律案・予算案は政府から国会に提出される前に、自民党内の「事前審査」を受けることになります。
 各省庁が作成した法律案・予算案は、事前審査でまず自民党政務調査会、通称「政調会」で審議にかけられることになります。
 政調会は各省庁・政策分野に対応して様々な部会に分かれており、各省庁の作成した政策案は各部会に所属するいわゆる「族議員」によって審査されます。この時各部会の決定は所属議員の全会一致が原則であり、官僚たちは部会に所属する族議員の要望をあらかじめ聞き回って彼らの要望に合わせて法案を修正していきます。これが俗にいう「官僚の根回し」です。
 こうして部会で官庁と族議員が調整を重ねて議案が了承されると、今度は部会から政調審議会に議案は回されることになります。政調審議会は政務調査会の幹部が委員を務めており、細分化した部会よりも広範な見地から議論がなされ、問題があると委員が判断した時は部会に議案が差し返され再検討することになります。他方政調審議会で了承を得られると政調会での審議は終了し、議案は今度は自民党総務会に回されることになります。
 総務会は「党の運営に関する重要事項」を決める場ですがその審議は通常形式的なもので、政調会に議案が差し戻されるようなことはほとんどなく、この総務会で了承が得られると国会でのその議案の審議には「党議拘束」がかけられることになります。(中略)総務会での決定が得られるとようやく事前審査は終わり、審議の舞台は国会に移ることになり、閣議決定を経て内閣から議案が国会に提出されることになります。
 こうしてようやく国会の各委員会で政府と野党が議論を交えることになるのですが、ここまで見てきたように日本では国会での審議の前に政府と与党が議論を重ねてガチガチに議案の内容を固めてしまうため、国会での議論を通じて野党の意見を聞いて法律案や予算案を修正するようなことはありません。ただ政府が野党の質問を適当にいなして時間を使うだけの審議が延々と行われ、時間が来たら採決がなされます。

 驚くべき指摘である。この国の民主政は議論ではなく談合で動いているというのだ。以前から建設業などの談合を私は日本文化と捉えてきた。ま、村の寄り合いみたいなものだろうと高(たか)を括(くく)っていた。何もわからぬ素人が好き勝手な意見を言うより、事情通同士が順繰りで利益を分かち合うことは一種の知恵だと考えた。

 それにしても不思議なのは政治家の沈黙である。参議院議員になった青山繁晴が虎ノ門ニュースで「部会、部会」とのたまわっているが、議論なき国会システムを明かしたことは多分ないだろう。

 議会で実質的な議論が行われないのであれば、しゃんしゃん総会といってよい。厖大な時間がパフォーマンスのために使われているとすれば国民はやがて政治AIを支持するようになることだろう。

 かくして日本の野党は、政策立案にあたって建設的な役割を果たすことが政権・与党によって封じられているため、その瞬間瞬間の世論にのって刹那的に政権批判を繰り返すことくらいしかできない宿命にあります。その意味では日本の野党は与党に無能であることを強いられている、ということができると思います。これは重要なことで、野党議員の中には大変優秀な方がたくさんいますが、それとは関係なく日本の野党は組織的に無能にならざるを得ないのです。これは大変残念なことです。

 私はむしろ政治の機能不全に問題の根があると思う。

 非常に刺激的な内容で大変勉強になったが、全体を通してやや社会主義的な発想が見られる。それはそれで構わないのだが果たして宇佐美に自覚があるかどうか。

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