・『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
・『太公望』宮城谷昌光
・『管仲』宮城谷昌光
・『重耳』宮城谷昌光
・『介子推』宮城谷昌光
・『沙中の回廊』宮城谷昌光
・『晏子』宮城谷昌光
・『子産』宮城谷昌光
・『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光
・『孟嘗君』宮城谷昌光
・『楽毅』宮城谷昌光
・『青雲はるかに』宮城谷昌光
・戦争を問う
・学びて問い、生きて答える
・和氏の璧
・荀子との出会い
・侈傲(しごう)の者は亡ぶ
・孟嘗君の境地
・「蔽(おお)われた者」
・楚国の長城
・深谿に臨まざれば地の厚きことを知らず
・徳には盛衰がない
・『香乱記』宮城谷昌光
・『草原の風』宮城谷昌光
・『三国志』宮城谷昌光
・『劉邦』宮城谷昌光
「呂氏、長城が気にいったか」
勘ちがいをした向夷〈きょうい〉が、ぼんやりとたたずんでいる呂不韋の肩をたたいた。
「ああ、あきれるほど気にいったよ」
そういういいかたしかできないほど長城は無益なものにみえた。為政者の見識の低さを如実にあらわしているのがこれであるといえる。おおげさにいえば、人類の成長をとめ、可能性をさまたげるのが長城である。とくに庶民は、いちどは長城を有益なものと信じたがゆえに、その存在が無益なものであることがわかった時点から、為政者にたいして不信をつのらせ、人の営為そのものにむかう意味を阻喪(そそう)したであろう。楚(そ)の崩壊も、秦(しん)の圧力に耐えきれなくなったというより、内なる崩れが原因なのではあるまいか。
【『奇貨居くべし 黄河篇』宮城谷昌光(中央公論新社、1999年/中公文庫、2002年/中公文庫新装版、2020年)】
以下2003年のニュースである。
「中国最古の長城は河南省の楚長城」専門家が指摘
楚長城学術シンポジウムがこのほど、河南省魯山県で開かれた。参加した専門家と学者の見解は「紀元前688年に建設された楚国の長城が、中国最古の長城である」という意見で一致した。
河南省に現存する楚長城は、上部が丸まった形状をしており、西線、北線、東線の3つの部分に分かれている。平頂山市の魯山県と葉県、舞鋼市、南陽市の方城県と南召県にまたがり、全長にはおよそ800キロ。特に南召県板山坪鎮南部の周家寨楚長城は、全長20キロ以上が、ほぼ完全な形で残っている。
【「人民網日本語版」2002年10月30日】
楚の国名は「四面楚歌」との言葉で現在にまで伝わる。
作家のW・G・ゼーバルトは「途方もなく巨大な建築物は崩壊の影をすでにして地に投げかけ、廃墟としての後のありさまをもともと構想のうちに宿している」(『アウステルリッツ』)と指摘する。権勢を誇るための巨大な建物は「長城」と考えてよかろう。カトリック教会の麗々しさはその典型だ。
それを嗤(わら)うのは簡単だ。だが、その一方で豪邸や高級車を羨む自分がいる。現代における欲望は金銭への執着という形で具体化される。欲望から離れるための修行に「喜捨」(きしゃ)がある。これが六波羅蜜の布施行(ふせぎょう)となる。葬儀や法要で僧侶に渡すお布施の布施だ。
自分で稼いだお金を惜しみなく捨てる。捨てるのが嫌なら使うでも構わない。何かを買う、ご馳走を食べる、映画やコンサートへゆく、書籍を購入する。もう少し頑張って慈善団体に寄付をする。あるいは困窮している友人に返ってこなくても困らない範囲でカネを貸してやる。何かをプレゼントするのもいいだろう。
この国のシステムはきちんと税金が循環しないところに経済的な致命傷を抱えている。それを打開するには一人ひとりがお金を使うしかないのだ。皆がカネを使えば景気はあっと言う間に浮上する。
中国戦国時代の大商人は社会や人々に投資をした。それによって社会を改革した。少ない額でも他人に投資してみると、驚くほど人生は豊かになる。