終戦の日らしいことを言うと、我々があの戦争から学ぶべきことは「正義に酔うな」とかいう安っぽい相対主義的な教訓ではなく、「サンクコストに囚われるな」「制度的誤謬を運用でカバーしようとするな」「制度設計の問題点を是正する時は、慎重に」という、極めて具現的な教訓なのではないか。
— noiehoieさん (@noiehoie) 8月 14, 2012
2012-08-16
安っぽい相対主義的な教訓ではなく
2012-08-14
デイヴィッド・イーグルマン、オリヴァー・サックス、ラドヤード・キプリング、G・K・チェスタトン、佐々木融、ロジャー・スミス、グレッグ・ルッカ
7冊挫折。
『脳神経学者の語る40の死後のものがたり』デイヴィッド・イーグルマン:竹内薫、竹内さなみ訳(筑摩書房、2010年)/フィクションだった。ま、軽めの創作小噺の類いだ。10ページまで辿りつけず。
『火星の人類学者 脳神経科医と7人の奇妙な患者』オリヴァー・サックス:吉田利子訳(早川書房、1997年/ハヤカワ文庫、2001年)/満を持して読んだのだがダメだった。この人は文章に締まりがないと思う。テンプル・グランディンについて書かれた章すら読めなかった。「厳選120冊」改め「必読書」から外した。
『少年キム』ラドヤード・キプリング:斎藤兆史〈さいとう・よしふみ〉訳(晶文社、1997年/ちくま文庫、2010年)/訳文が肌に合わず。冒険小説、スパイ小説の古典だけに期待していたのだが。
『正統とは何か』G・K・チェスタトン:安西徹雄訳(春秋社『G・K・チェスタトン著作集 1 正統とは何か』、1973年/新装版、1995年)/チェスタトンがイギリスの保守派だったとはね。『木曜の男』を誤読してしまった可能性がある。
『弱い日本の強い円』佐々木融〈ささき・とおる〉(日経プレミアシリーズ、2011年)/投資ではなく金融本であった。文章がやや冗長。
『はいつくばって慈悲を乞え』ロジャー・スミス:長野きよみ訳(ハヤカワ文庫、2011年)/『血のケープタウン』と同じ翻訳者とは気づかなかった。それほど文章に力がない。原文の問題かもね。
『逸脱者(上)』グレッグ・ルッカ:飯干京子〈いいぼし・きょうこ〉訳(講談社文庫、2006年)/遂にグレッグ・ルッカをも読了できず。巻頭のエピソードに問題あり。三人称と一人称の視点が入り交じっていて明らかにおかしい。我慢して読もうかなと思ったが、やっぱりやめた。
幼児期の虐待、うつ病のきっかけになる可能性 米研究
子どもの頃に虐待されたり、虐待の場面を目撃すると、脳の構造が変化し、その後の人生でうつ病を患ったり、薬物を乱用する恐れが出てくるとの論文が、1日の英学術誌「Neuropsychopharmacology(神経精神薬理学)」に掲載された。
研究を発表したのは、米テキサス大学(University of Texas)サウスウエスタン医療センター(Southwestern Medical Centre)、先進画像化研究センター(Advanced Imaging Research Centre)のハオ・ホアン(Hao Huang)氏ら。身体や情緒の発達および脳の成熟で極めて需要とされる青年期の段階での早期発見や予防的カウンセリングに期待がかかる。
ホアン氏がAFPに語ったところによると、MRI(磁気共鳴映像法)を利用し、幼児期の虐待を経験している青年の脳を調べたところ、神経繊維の束からなる脳の白質の特定の場所で、微細な構造の乱れが確認された。
調査は10歳前に肉体的もしくは性的に虐待されたか、6か月間以上家庭内暴力を目撃した経験を持つ青年19人のグループと、こうした経験がない青年13人のグループを、半年ごとに最大5年間比較対照する方法で行われた。虐待被害にあったグループは平均16歳の調査開始当時、肉体も精神も共に健康で、アルコールや薬物への依存も見られなかった。
その後、虐待被害者グループの19人中5人がうつ病を発症した一方、虐待被害のないグループの発症者は1人にとどまった。薬物依存症についても、虐待被害者グループの4人に対し、虐待被害のないグループはわずか1人。さらに両方に当てはまった者は虐待被害者グループから2人出た。
幼児期に虐待の被害にあった青年と後年うつ病を発症した青年、双方の脳を調べたところ、白質の効率性を示すFA値が著しく低かったという。
ホアン氏は「脳のスキャンは、こうした症状を患うリスクが高い若者を特定し、早期予防に有効だと考えている」とコメントした。ただ白質が阻害されるメカニズムについてはまだ解明されていないため、さらなる研究が必要だという。
【AFP 2012-08-13】
・マレーシアで、レイプされて生まれてきた我が子を虐待する動画
2012-08-13
賽は投げられた
ルビコン川を渡らんとするまさにその時カエサルは叫んだ。「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう、神々の待つところへ! 我々を侮辱した敵の待つところへ! 賽(さい)は投げられた!」と。あとは決まった運命を確認しにゆくだけだ。
我々の脳は「因果という物語」に支配されている。サイコロの目は幸運と不運とに書き換えられる。ま、キリスト教の運命も仏教の宿命も似たようなものだ。どちらも形を変えた決定論と考えてよかろう。
サイコロは物理的法則によって動くわけだがそれだけではない。必ず何らかの不確実性が働く。因果が絶対的なものであると考えるのは信仰者だけだ。
全知全能の神様はラプラスの悪魔となり、ハイゼンベルクの不確定性原理がこれを打ち砕いた。
賽は投げられた――しかし、どの目が出るかは神様にもわからない。
俵万智~子を連れて西へ逃げる母を歌う
いま出ている「歌壇」九月号(本阿弥書店)に巻頭作品二十首「ゆでたまご」が掲載されています。震災で避難したころの心境を、初めて短歌にしました。「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」
— 俵万智さん (@tawara_machi) 8月 16, 2011
・子を連れて西へ西へと逃げて行く…俵万智さんの歌と母の愛に感動
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