2014-10-13

湖東京至の消費税批判/『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓


『円高円安でわかる世界のお金の大原則』岩本沙弓
『新・マネー敗戦 ――ドル暴落後の日本』岩本沙弓(2010年)

 ・湖東京至の消費税批判
 ・付加価値税(消費税)は物価

『消費税は民意を問うべし 自主課税なき処にデモクラシーなし』小室直樹
消費税が国民を殺す/『消費税のカラクリ』斎藤貴男
消費税率を上げても税収は増えない
【日本の税収】は、消費税を3%から5%に上げた平成9年以降、減収の一途

 湖東京至〈ことう・きょうじ〉は静岡大学人文学部法学科教授、関東学院大学法学部教授、関東学院大学法科大学院教授を務め現在は税理士。輸出戻し税を「還付金」と指摘したことで広く知られるようになった。岩本は既に『バブルの死角 日本人が損するカラクリ』(2013年)で湖東と同じ主張をしているので何らかのつながりはあったのだろう。更に消費税をテーマにした『アメリカは日本の消費税を許さない 通貨戦争で読み解く世界経済』(2014年)を著している。

 私にとっては一筋縄ではゆかない問題のため、湖東の主張と批判を併せて紹介するにとどめる。

湖東●私が写しを持っているのは2010年度版なのでちょっと古いのですが、これを見るとたしかに10年度時点で日本国の「負債」は1000兆円弱、国債発行高は752兆円あります。しかし一方で日本には「資産」もあります。これは預金のほか株や出資金、国有地などの固定資産などさまざまなものがありますが、この合計額が1073兆円あるのです。しかもこの年は正味財産(資産としての積極財産と、負債としての消費財産との差額)がプラス36兆円あるんですね。だから借金大国ではなくて、ひと様からお金を借りて株を買っている状態。そういう国ですから、ゆとりがあると言えばある。

【『あなたの知らない日本経済のカラクリ 対談 この人に聞きたい!日本経済の憂鬱と再生への道』岩本沙弓(自由国民社、2014年)】
 国債発行額は1947年(昭和22年)~1964年(昭和39年)まではゼロ。大まかな推移は以下の通りだ。

     1965年 1972億円
     1966年 6656億円
     1971年 1兆1871億円
     1975年 5兆6961億円
     1978年 11兆3066億円
     1985年 21兆2653億円
     1998年 76兆4310億円
     2001年 133兆2127億円
     2005年 165兆379億円
     2014年 181兆5388億円

国債発行額の推移(実績ベース)」(PDF)を参照した。湖東のデータが何を元にしているのかわからない。Wikipediaの「国債残高の推移」を見ると2010年の国債残高は900兆円弱となっている。

「実績ベース」があるなら「名目ベース」もありそうなものだが見つけられず。以下のデータでは昭和30~39年も発行されている。

国債残高税収比率

 まあ、こんな感じでとにかく税金のことはわかりにくいし、政府や官僚は意図的にわかりにくくしていると考えざるを得ない。響堂雪乃〈きょうどう・ゆきの〉は「国家予算とはすなわちブラックボックスであり、我々のイデオロギーとは旧ソビエトを凌ぐ官僚統制主義に他なりません」と指摘する(『独りファシズム つまり生命は資本に翻弄され続けるのか?』)。

 日本以外では「付加価値税」という税を、なぜか日本だけが「消費税」と命名している。直訳すれば世界で通用せず、反対に別の税だと受け止められると湖東は指摘する。

 以下要約――付加価値税という税を最初に考えたのはアメリカのカール・シャウプであるとされる。「シャウプ勧告」のシャウプだ。アメリカではいったん成立したものの1954年に廃案となる。フランスはこれを「間接税」だと無理矢理定義して導入した。日本やドイツに押されて輸出を伸ばすことができなかったフランスは輸出企業に対して補助金で保護してきた。しかし1948年に締結されたGATT(関税および貿易に関する一般協定)で輸出企業に対する補助金が禁じられる。

湖東●そこでフランスがルールの盲点を突くような形で考えたのが、本来直接税である付加価値税を間接税に仕立て上げて導入することでした。税を転嫁できないことが明らかな輸出品は免税とし、仕入段階でかかったとされる税金に対しては、後で国が戻してやる。その「還付金」を、事実上の補助金にするという方法を思いついたのです。

岩本●ほとんど知られていないことだと思いますが、消費税には輸出企業だけが受け取れる「還付金」という制度がある、ということですね。

湖東●あるんです。たとえばここに年間売上が1000億円の企業があり、さらにこの1000億円の売上高のうち500億円が国内販売で、500億円が輸出販売。これに対する仕入が国内分と輸出分を合わせて800億円だったとします。
 このモデルケースでは、国内販売に対してかかる消費税は500億円×5%で25億円であるのに対し、輸出販売にかかる消費税は500億円×0でゼロ。したがって全売上にかかる消費税は、国内販売分の25億円だけです。
 一方で控除できる消費税は年間仕入額の800億円×5%で40億円になりますから、差し引き15億円のマイナスになります。これが税務署から輸出企業に還付されるのです。
 私の調査では、日本全体で毎年3兆円ほどが還付されています。

岩本●仮にその会社の販売比率が、国内3に対し輸出7だとすれば、消費税は300億円×5%で15億円。還付される額は25億円になりますから、売上に締める輸出販売の割合が高ければ高いほど還付金が増える仕組みですね。

湖東●そうです。ですから日本の巨大輸出企業を見るとほとんどが多額の還付金を受け取っており、消費税を1円も納めていません。

 これが問題だ。国税庁は「消費税とは、消費一般に広く公平に課税する間接税です」と定義している(「消費税はどんな仕組み?」PDF)。間接税であれば事業者負担はない。これに対して湖東は中小企業が消費税分を価格に上乗せすることができないケースや、大企業が中小企業に消費税分を値引きさせるケースを挙げている。こうなるとお手上げだ。ってなわけで以下に湖東批判を引用する。

 消費税はすべて消費者に転嫁されるので、実は税率がいくらであっても、企業の付加価値は変わらない。(中略)企業は、受け取った消費税分から支払った消費税分を引いた金額を納税(マイナスになれば還付)するため、還付されたからといって収益に変化はない。(高橋洋一:「輸出戻し税は大企業の恩恵」の嘘 消費増税論議の障害になる

 しかし、それと輸出免税還付金とは別のハナシであります。なんとなれば、トヨタの値引き圧力にあらがうことができずに、60万円で売りたいところ50万円にしなさいという圧力に涙を呑んで受け入れても、実務的には消費税は伝票に記入せざるをえません。(雑想庵の破れた障子:消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(4)無理を承知の上で、あえて主張している…。

消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(その1)消費税額の2割強が還付されている。
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(その2)豊田税務署は “TOYOTA税務署” なのか?
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(3)直感的に正しく見えることは、必ずしも真ならず。
消費税の問題点とされる “輸出戻し税” について考える(5)消費税の増税は、逆に税収を減らす…。

 以下のまとめもわかりやすい。

「輸出戻し税」で本当に大企業はボロ儲けなの?(仮) - Togetterまとめ

 こうして考えると、湖東の分が悪いように思う。次回は富岡幸雄(中央大学名誉教授)との対談を紹介する予定だ。

あなたの知らない日本経済のカラクリ---〔対談〕この人に聞きたい! 日本経済の憂鬱と再生への道筋

2014-10-12

白川静


 1冊読了。

 75冊目『回思九十年』白川静(平凡社、2000年/平凡社ライブラリー、2011年)/日本経済新聞に連載された「私の履歴書」と呉智英〈くれ・ともふさ〉によるインタビューおよび対談で構成。対談者は10人ほど。白川本人の話を1000円で聴けると考えれば破格の値段である。ネット上を跋扈(ばっこ)する有料情報はこれに比すれば1円でも高すぎる。白川の文章は硬筆で書かれたハードボイルド文体の趣がある。自分を飾るところが全く見られない。淡々と事実を簡略に記す。それで物足りないかといえば決してそうではない。若き日に『詩経』と『万葉集』の間に東洋の橋を架けることを志し、やがて漢字に辿り着き、遂には甲骨・金文の解読に至る。白川漢字学は長らく日の目を見ることがなかった。白川は学生運動の嵐が吹き荒れる中でも大学での研究を絶やさなかった。その集大成が『字統』『字訓』『字通』となって花開くわけだが、この字書三部作に着手したのは何と73歳の時であった。「その真意を解明した独自の学説は、1900年もの長い間、字源研究の聖典として権威をもった後漢の許慎『説文解字』の誤りを指摘した」(東洋文字文化研究所)。凄いよね。1900年振りの大幅更新だよ。尚、『三国志読本』の宮城谷昌光との対談は本書からの転載のようだ。個人的には酒見賢一〈さけみ・けんいち〉、江藤淳、石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉、吉田加南子〈よしだ・かなこ〉の対談が面白かった。多少難しいところはあるが若い人にこそ読んでもらいたい。

サインとシンボル/『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ


『宇宙を復号(デコード)する 量子情報理論が解読する、宇宙という驚くべき暗号』チャールズ・サイフェ

 ・サインとシンボル
 ・アルゴリズムとは

『アルゴリズムが世界を支配する』クリストファー・スタイナー
『生命を進化させる究極のアルゴリズム』レスリー・ヴァリアント
『宇宙をプログラムする宇宙 いかにして「計算する宇宙」は複雑な世界を創ったか?』セス・ロイド

情報とアルゴリズム
必読書リスト その三

 デジタルコンピューターは機械であり、あらゆる物質的対象と同じく、熱力学の冷酷な法則がもたらす結果に縛られている。時間が尽きると、活力も尽きてしまう。緊張した2本の指の先でキーボードを叩くコンピュータープログラマーのように。私たちすべてと同じように。だが、アルゴリズムは違う。アルゴリズムは刺すような欲望と、その結果生じる満足の泡とを仲介する、抽象的な調整手段であり、さまざまな目的を達成するためての手続きを提供する。アルゴリズムは、サインとシンボルから構成され、思考と同じく時間を超えた世界に属する。

【『史上最大の発明アルゴリズム 現代社会を造りあげた根本原理』デイヴィッド・バーリンスキ:林大〈はやし・まさる〉訳(早川書房、2001年/ハヤカワ文庫、2012年)】

 アルゴリズムは算法と訳す。問題を解決する方法や手順を意味する。函数(関数、ファンクション)と混同しやすいので注意が必要。

アルゴリズムってなんでしょか

 つまり「アルゴリズムが優秀であれば、計算量を減らすことができる」(ニコニコ大百科)。巡回セールスマン問題を考えるとアルゴリズムの本質がわかりやすいだろう。そしてアルゴリズムの概念を定式化したのがチューリングマシンであった。「つまり、アルゴリズムの判定をする機械がチューリング機械である」(チューリング機械の解説)。

 上記テキストだけではわかりにくいと思うが、デイヴィッド・バーリンスキはコンピュータ以前からアルゴリズムが存在したことを指摘する。例として古代中国の官僚機構を示す。思わず膝を打った。なるほど、確かに計算手順だ。社会には必ずルールが存在する。それが効率や成果を目的としていることは明らかだ。社会や教育をアルゴリズムと捉えれば一気に抽象度が高まる。

 そしてアルゴリズムが「サインとシンボルから構成され」ているとの指摘に私は度肝を抜かれた。「サインとシンボル」といえばマンダラである。「ああ、あれはアルゴリズムだったのか」と思わず溜め息をついた。だとすれば宗教ってのは「生のアルゴリズム」なのか? そうかもしれない。

 もう一段思索を伸ばしてみよう。文字と言葉もまた「サインとシンボル」である。つまり言語とは「コミュニケーションのアルゴリズム」なのだろう。とすれば天才とは演算能力の高い人物を指すのだろう。y=f(x) の x の質が違うのだ。

 スポーツの場合だと作戦やセオリーがアルゴリズムとなる。アルゴリズムvs.アルゴリズムというわけだ。

 社会機能がアルゴリズムとすれば、政治家の本質はプログラマーでなくてはならない。社会の歪みは無駄な計算手順によって生まれる。日本の場合、第二次世界大戦に敗戦して以来、オペレーションシステムはアメリカ製でセキュリティソフト(日米安全保障)もアメリカ頼みだ。しかもGHQによって最初からバグを埋め込まれている。更に教育においてマシンへの愛着(愛国心)は否定的に扱われる有り様だ。

 求人:日本をプログラムし直す若者を募集します。希望者は次の衆院選に立候補されよ。

史上最大の発明アルゴリズム―現代社会を造りあげた根本原理
デイヴィッド バーリンスキ
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血で綴られた一書/『生きる技法』安冨歩


『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』安冨歩

 ・血で綴られた一書
 ・心理的虐待

『消えたい 虐待された人の生き方から知る心の幸せ』高橋和巳
『君あり、故に我あり 依存の宣言』サティシュ・クマール
『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル

虐待と知的障害&発達障害に関する書籍
必読書リスト その二

 しかし、私が受けてきた教育は学んだ学問の大半は、この簡単なことを隠蔽するように構成されていました。ですから、この簡単なことを見出すのが、とても大変だったのです。

【『生きる技法』安冨歩〈やすとみ・あゆむ〉(青灯社、2011年)以下同】

 昨年は同い年ということで1位にした佐村河内守〈さむらごうち・まもる〉にまんまと騙されてしまったわけだが、何と安冨も同い年であった。そして今年の1位はよほどのことがない限り本書で決まりだ。『原発危機と「東大話法」 傍観者の論理・欺瞞の言語』(明石書店、2012年)の柔らかな視点と剛直な意志の秘密がわかった。

 タイトルの「技法」はテクニックのことではない。エーリッヒ・フロム著『愛するということ』の原題"The Art of Loving"に由来している。つまり「生の流儀」「生きる術(すべ)」という意味合いだ。

 サティシュ・クマールが説く依存は調和を志向しているが、安冨がいう依存はストレートなものだ。クマール本は綺羅星の如き登場人物の多彩さで読ませるが、私はさほど思想の深さを感じなかった。これに対して安冨の精神性の深さは思想や哲学を超えて規範や道に近い性質をはらんでいる。もちろん著者はそんなことは一言も書いていない。その謙虚さこそが本物の証拠である。

【命題1-1】★自立とは、多くの人に依存することである

 このトリッキーな命題から本書は始まる。人々の心に根強く巣食う執着を揺さぶる言葉だ。命題は以下のように次々と深められる。

【命題1-2】★依存する相手が増えるとき、人はより自立する

【命題1-3】★依存する相手が減るとき、人はより従属する

【命題1-4】★従属とは依存できないことだ

【命題1-5】★助けてください、と言えたとき、あなたは自立している

 ここで安冨は自分の人生を振り返り、親や配偶者から精神的な虐待を受けてきたことを明けっ広げに述べる。そこから文字が立ち上がってくる。魂の遍歴と精神の彷徨(ほうこう)を経て、いわば血で綴られた一書であることに気づかされるためだ。安冨の柔らかな精神は自分自身と対峙(たいじ)することで培われたのだろう。

 私はたぶん安冨と正反対の性格だ。そもそもハラスメントの経験がない。若い時分から態度がでかいし、何かあったらいつでも実力行使をする準備ができている。そんな私が読んでも心が打たれた。否、「撃たれた」というべきかもしれない。なぜなら、自分自身と向き合うという厳しさにおいて私は安冨の足元にも及ばないからだ。

 朱序弼〈シュ・ジョヒツ〉との出会いを通して、この命題は見事に証明される。そしてハラスメントを拒絶した安冨の人間関係は一変した。価値観とそれに伴う行動が変われば世界を変えることができるのだ。

 もう一つだけ紹介しよう。

 友だちを作るうえで、何よりも大切な原則があります。それは、

  【命題2】☆誰とでも仲良くしてはいけない

ということです。これが友だちづくりの大原則です。誰とでも仲良くしようとすれば、友だちを作るのはほぼ絶望的です。なぜかというと、世の中には、押し付けをしてくる人がたくさんいるからです。誰とでも仲良くするということは、こういった押し付けをしてくる人とも、ちゃんと付き合うことを意味します。

 私は幼い頃からやたらと悪に対して敏感なところがあり、知らず知らずのうちにこれを実践してきた。たぶん父親の影響が大きかったのだろう。30代を過ぎると瞬時に人を見分けられるようになった。日常生活において善を求め悪を斥(しりぞ)ける修練を化せば、それほど難しいことではない。抑圧されるのは人のよい人物に決まっている。結果的にその「人のよさ」に付け込まれるわけだ。拒む勇気、逃げる勇気がなければハラスメントの度合いは限りなく深まる。何となく心が暗くなったり、重くなったりする相手とは付き合うべきではない。その理由を思索し、見極め、自分で決断を下すことだ。慣れてくると数秒で出来るようになる。

 人生や生活で何らかの抑圧を感じている人は必ず読むこと。アダルトチルドレンやハラスメント被害者は本書を書写することで精神科の名医と同じ効果を得ることができるだろう。いかなる宗教者よりも安冨は真摯に自分と向かい合っている。

 一つだけケチをつけておくと(笑)、ガンディーや親鸞はいただけない。ガンディーは国粋主義者であり、カースト制度の擁護者でもあった。アンベードカルを知ればガンディーを評価することはできない(『アンベードカルの生涯』ダナンジャイ・キール)。鎌倉仏教についてもブッダから懸け離れた距離を思えば再評価せざるを得ないだろう。

 私からは、『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル、『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ、『ブッダのことば スッタニパータ』中村元訳を薦めておこう。

2014-10-11

交換可能な存在とされた労働者/『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編


『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(上) 1492-1901年』ハワード・ジン、レベッカ・ステフォフ編

 ・交換可能な存在とされた労働者

 企業はさらに生産性をあげ、もっと金もうけのできる方法を求めていた。その一つが、すべての生産工程をいくつもの単純作業に分けるという“分業”だ。分業によれば、たとえば、一人で一つの家具を最初から最後までつくる必要がなくなり、男であれ女であれ、その者は分担された一つの作業だけをすればよいことになる。ドリルで穴をあける、接着剤をしぼり出す、というような単純作業をひたすらくり返せばよいのだ。これで、会社は高い技術をもった者を雇わなくてもすむようになった。そして労働者は、その者がまさに動かしている機械類と大差のない、交換可能な存在にされ、個性と人間性は奪われてしまった。

【『学校では教えてくれない本当のアメリカの歴史(下) 1901-2006年』ハワード ジン、レベッカ・ステフォフ編:鳥見真生〈とりみ・まさお〉訳(あすなろ書房、2009年)】

 近代の扉を開いた産業革命の本質は機械化にある。その機械化が労働の質を変えた。労働者は部品となった。こうして働く喜びが人類から奪われたのだろう。

 驚くべきことだが、この部分に続いてアメリカ国内で社会主義旋風が起こった歴史が記されている。もちろん実現することはなかった。町山智浩によると自動車産業が隆盛を極めた頃は労働組合の力が強かったというから、それなりにアメリカ社会のバランスは取れていたのだろう。その後、新自由主義の台頭によって労働組合は骨抜きにされる。

 21世紀に入り、格差は多重的な構造を形成している。世界には先進国と発展途上国という格差があり、国内にも格差が生まれ、地域内・会社内・学校内にまで格差が広がっている。

 労働も政治も経済に収斂(しゅうれん)される。資本主義とは社会の一切が資本へと向かうメカニズムを意味する。そして富める者はますます富み、貧しき者は貧窮を極める。

 現在、凄まじい勢いでロボット産業が前進している。ロボットに労働が奪われる日も近い。その時我々は何を糧(かて)として生きてゆくのだろうか。

 近代は先進国には意味のある歴史だが発展途上国を利することはなかった。それどころか先進国の発展を支えるために途上国は植民地とされた。

 過剰な貿易依存は国を傾ける。近代を否定するとなれば鎖国することが望ましいと私は夢想する。国内で産業や資本が回るようになれば貿易は最小限で済む。問題はエネルギーをどうするかだ。

 世界がひとつになることはあり得ないし、人類が皆兄弟になる日も来ない。国際化は必ず国際的な紛争に巻き込まれることを意味する。「日本はどちらにつくんだ?」とアングロサクソンは問う。

 国家の安全保障をアメリカに依存する以上、日本はアメリカにノーと言えない。我々が米軍基地と認識しているものは、ひょっとするとGHQかもしれない。