2017-01-26

中川八洋、鳥居民、他


 3冊挫折。

近衛文麿の戦争責任 大東亜戦争のたった一つの真実』中川八洋〈なかがわ・やつひろ〉(PHP研究所、2010年/PHP研究所、1995年『近衛文麿とルーズヴェルト 大東亜戦争の真実』より近衛に関する部分のみ再録。尚、同書には弓立社、2000年『大東亜戦争と「開戦責任」 近衛文麿と山本五十六』との改題版がある)/文章が危うい。肝心な箇所に推測・断定が混入している。近衛を左翼と断じているがすっきりしない。尚、佐々弘雄〈さっさ・ひろお/佐々淳行の実父〉をも共産主義者とするのは誤りである。ハリー・デクスター・ホワイトに関する記述が目を引いた。

近衛文麿「黙」して死す すりかえられた戦争責任』鳥居民〈とりい・たみ〉(草思社、2007年/草思社文庫、2014年)/こちらは近衛擁護派。鳥居は悪文だと思う。細部を想像力で補うことに異論はないが、文章の腰が定まらず何を言いたいのかがわからなくなる。「あろう」「かもしれない」の羅列がずっと続く。

罪人を召し出せ』ヒラリー・マンテル:宇佐川晶子訳(早川書房、2013年)/『ウルフ・ホール』が第一部で本書が第二部となる。2ページ読んでやめた。「彼の」「彼女の」が立て続けに出てきて読むリズムが失われる。ブッカー賞受賞作品だけにもったいないと思う。

2017-01-25

田中嫺玉


 1冊挫折。

インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯』田中嫺玉〈たなか・かんぎょく〉(ブイツーソリューション、2009年)/田中は私と同じ旭川生まれである。結婚後、40代半ばでベンガル語『不滅の言葉』の翻訳を始めた。私からすればラーマクリシュナは密教の権化のように見えて仕方がない。田中の心酔を嫌った。あまりにも右脳が勝ちすぎると統合失調症的要素が強くなる。

2017-01-24

ユヴァル・ノア・ハラリ、高田かや、他


 3冊挫折、1冊読了。

フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。』きたみりゅうじ(日本実業出版社、2005年)/内容が薄い。初心者向け。

夜明け前の朝日 マスコミの堕落とジャーナリズム精神の現在』藤原肇(鹿砦社、2001年)/朝日新聞にエールを送る内容。藤原は左翼ではないが共和主義者で天皇制には反対というスタンスの人物である。将来の見通しに失敗した感がある。

カルト村で生まれました。』高田かや(文藝春秋、2016年)/ヤマギシ会のコミューンで育った女性が来し方を振り返る漫画作品。親と離れて集団生活をするのだが、ビンタや食事抜きなど日常的な暴力が蔓延している。「なぜ仕返しに行かないのか?」が最大の疑問である。私なら金属バット片手に全員を血祭りにするところだ。一人でコミューンを破壊する自信もある。絵はほのぼのとしているのだが、異様な気圧を感じて放り投げた。どんよりとした天気が続いた後のような精神状態になる。子供を虐待するところがエホバの証人とよく似ている。正義に取り憑かれた連中は躊躇うことなく暴力を行使する。

 6冊目『サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)/あと10回くらい読むつもりだ。最後の結論の訳文に違和感を覚えた。ま、小さなことだが。

2017-01-22

奴隷航路 抵抗する魂



世界の偉人(1)お釈迦様:縁起が宇宙の原理だ

武田邦彦『現代のコペルニクス』#96「歴史の本質」


 本篇は36分00秒から。

ユヴァル・ノア・ハラリ


 5冊目『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年)/下巻と合わせると500ページ強のボリュームで、内容を鑑みれば4000円は破格である。Kindle版だと1割引の価格だ。ユヴァル・ノア・ハラリは1976年生まれのイスラエル人歴史学者。天才といって差し支えない。マクロ歴史学という超高度の視点からホモ・サピエンス(賢いヒト)の歩みを辿る。7~5万年前にヒトは言葉と思考を獲得した。ユヴァル・ノア・ハラリはこれを認知革命と名づける(通常、認知革命とは認知科学の誕生〈ダートマス会議、1956年〉を意味する)。想像力を駆使して言葉というフィクションを共有することで人類は150人を超えるコミュニティを形成できるようになった。自動車メーカーのプジョーに具体的な存在はないが法人として人格を与えられている。法的擬制を通して著者はフィクションを暴く。続いて農業革命が起こる。これまた目から鱗が落ちる。一般的には農業革命によって富が創出されたと考えられているが、実際は貧困と死に覆われていた。そして大きなコミュニティと天候との戦いから宗教が生まれる。ここから貨幣の登場~帝国の誕生~産業革命という流れが下巻半ばにかけて描かれる。まあ度肝を抜かれるよ。金融・経済に関する記述も正確で、私が見つけ得た瑕疵(かし)は日本の近代化くらいなものだ(ヨーロッパのシステムを導入したと書かれているが、寺子屋という日本の教育システムに負うところが大きい)。何にも増してナチスに対する暗い感情が見受けられないところを個人的には最大に評価したい。特定の信条や思想が複雑な憎悪を生みだす。ユヴァル・ノア・ハラリは学問の力で軽々と感情を乗り越える。私が20代であれば本書を書き写したことだろう。まさしく驚天動地の一書である。併読書籍としては「物語の本質」「世界史の教科書」を参照せよ。必読書入り。柴田の名前の読みが「やすし」であることに初めて気づいた。翻訳はこなれているが校正が甘く、ルビの少なさにも不満が残る。河出書房新社の手抜きといっていいだろう。

2017-01-15

オウム真理教と変わらぬ「土地真理教」/『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲、海外投資を楽しむ会


『金持ち父さん 貧乏父さん アメリカの金持ちが教えてくれるお金の哲学』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント 経済的自由があなたのものになる』ロバート・キヨサキ、シャロン・レクター
『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ』橘玲

 ・オウム真理教と変わらぬ土地真理教

『なぜ投資のプロはサルに負けるのか? あるいは、お金持ちになれるたったひとつのクールなやり方』藤沢数希
『国債は買ってはいけない! 誰でもわかるお金の話』武田邦彦
『スピリチュアルズ 「わたし」の謎』橘玲

必読書リスト その二

 さて、ここまで洗脳セミナーやオウム真理教の話を書いてきたのはなぜかというと、要するに、戦後日本社会に生まれた「土地真理教」の信者も、じつは彼らとたいして変わらない、といいたいわけです(などと書くと怒られるでしょうか)。
「土地真理教」の最大の教義は、「日本の地価は永遠に上がり続ける」というものでした。その理由が「日本は国土が狭くて人口が多い」という子どもじみたものであっても、これまで誰も不思議には思いませんでしたし、日本の地価総額がアメリカ全土を買収できるまで上がるという、非現実的というか、SF的な水準になっても、みんながそのことを当然と思っていたのですから、その異様さはオウム真理教に充分匹敵します。この「宗教」にはまったのが、一般大衆だけではなく、政治家や官僚、経済学者、企業経営者などの「エリート層」であったことも、よく似ています。
 オウム真理教は入信の際に全財産をお布施させることによって教祖への「絶対帰依(きえ)」を信者に叩(たた)き込みますが、「土地真理教」は、住宅ローンによってその信者に確固とした宗教心を植えつけます。
 年収の4~5倍もの借金を背負った人には、全財産を教団に寄進した人と同様に、もはや自分の判断を否定することなどできるはずがないからです。簡単にいってしまえば、これが戦後日本社会を支配した「土地真理教」の洗脳テクニックです。

【『世界にひとつしかない「黄金の人生設計」』橘玲〈たちばな・あきら〉、海外投資を楽しむ会編著(講談社+α文庫、2003年/海外投資を楽しむ会、メディアワークス、1999年『ゴミ投資家のための人生設計入門』を文庫化)以下同】

 持ち家への憧れを宗教に喩(たと)えているわけだが、私は逆に宗教の姿がくっきりと見えたような気がする。信者の金銭的・時間的な負担を頭金やローンに置き換えると腑に落ちるものがある。犠牲が大きければ大きいほど信仰心は燃え盛る。そして賭け金がでかいほど前のめりになるという寸法だ。

 地価上昇との教義が前面に出たのはバブル景気の頃だった。それまでは一国一城の主という要素が濃かったように思う。持ち家は社会的ステイタスとして大きな付加価値を発揮してきた。テキストの続きを紹介しよう。

 このように考えてみると、なぜ「持ち家派」の人が「家を買ってよかった」と主張して譲らないかがわかります。そのなかからわずかであれ、「高額で購入して失敗だった」と自己の判断を否定する人が出てきたこと自体が、驚くべきことなのです。
 これに対して「賃貸派」には、「持ち家派」ほどの確固とした「宗教心」はありませんから、ちょっとした誘惑で「持ち家派」に改宗してしまいます。たいていの場合、「賃貸派」が家を買わないのは自身の合理的な生涯設計から導き出された結論ではなく、ただたんに、「頭金がない」「気に入った物件がない」「面倒くさい」などの理由がほとんどですから、「持ち家派」の人たちの宗教心を前にしてはひとたまりもありません(あとで説明するように、賃貸生活者向けの優良な物件が供給されないなどの、インフラの問題もあります)。
 この国では、「持ち家派」と「賃貸派」が議論すれば、その熱烈な宗教心から、必ず「持ち家派」が勝つようになっています。しかし、だからといって「持ち家派」の理屈が正しいとはかぎりません。

 長期的なデフレと人口の減少によって現在では「持ち家派」のインセンティブは下がっている。橘玲は「賃貸派が優位である」と言い切る。

 本書の目的は「文庫版まえがき」でこう書かれている。

 国家にも企業にも依存(いぞん)せずに自分と家族の生活を守ることのできる資産を持つことを「経済的独立」という。人生を経済的側面から考えるならば、私たちの目標はできるだけ早く経済的独立を達成することにある。真の自由はその先にある。

 つまり橘の言う「持ち家」とは終(つい)の棲家(すみか)ではない。飽くまでも売却した際にキャピタルゲインが生じることを意味する。とすると「現在の持ち家」にしがみつくのは極めて古い信仰スタイルであろう。ま、小作人の一所懸命といってよかろう。土地への呪縛。

 持ち家派の強みから活動的な教団が優位であることがわかる。創価学会、エホバの証人、幸福の科学などの盛んな活動は何らかの大きな犠牲に支えられているのだろう。他の教団も信者に鞭(むち)を入れれば教勢を拡大できるかもよ。

 マネー本は若いうちに読むことを勧める。私が経済に関心を持ったのは40代になってからのこと。資産形成はやはり早い時期から取り組むべきで、複利思考を形成する必要がある。

 土地真理教を軽々と凌(しの)いで世界中の人々が誰一人として疑わないのが「マネー真理教」である。お金は交換(決済)手段に過ぎないが我々はその「実体」を信じる。かつてはゴールドによって価値が裏づけられていたが、ニクソン・ショックブレトン・ウッズ体制の崩壊(1971年)で紙幣はただの紙切れとなった。それでも貨幣としての価値を失わないのは人々が「信用」しているからである。一般的には信用経済というが信仰経済と言い換えてもおかしくはない。

 そして国家はいつでも国民の資産を奪うことができる。例えばデノミによって。あるいは接収することで。これが資産家にとって最大のリスクといってよい。

 マネー本を読む目的は資産形成よりも、むしろリスクマネジメントにある。

世界にひとつしかない「黄金の人生設計」

2017-01-14

パスカル・ボイヤー


 1冊読了。

 4冊目『神はなぜいるのか?』パスカル・ボイヤー:鈴木光太郎〈すずき・こうたろう〉、中村潔訳(NTT出版、2008年)/「叢書コムニス 06」。amazonの古書だと13510円の高値が付いている。定価は3800円。原書は2001年刊行。「訳者あとがき」によればボイヤーは1990年と94年に本書と同じテーマで2冊著しているそうだ。宗教を「進化」という枠組みで捉えた嚆矢(こうし)はジュリアン・ジェインズ(1976年)であるが、それに続いた人物と見てよい。因みに『ユーザーイリュージョン』が1991年、リチャード・ドーキンスとダニエル・C・デネットが1996年である。いっぺん刊行順に読む必要がある。ニコラス・ウェイドは多分本書やデネットに対抗したのだろう。再読であるにもかかわらず難しかった。アプローチが慎重過ぎて何を言っているのかよく理解できないのだ。しかも430ページ上下二段のボリュームでありながら外堀を埋めるのに250ページを要している。それ以降本格的に宗教を論じるのかと思えば決してそうではない。認知機能の説明に傾いている。その意味から申せば認知心理学入門としては素晴らしいのだが宗教解説としては物足りない。ボイヤーは複合的・複層的な推論システムということを再三にわたって述べるが、信仰を推論システムに置き換えただけで終わってしまっているような印象を受けた。ボイヤーとニコラス・ウェイドの違いは心理的機能と社会的機能のどちらを重視するかという違いに過ぎない。最大の問題は「錯覚」を取り上げていないことである。更にデータらしいデータが皆無であることも本書の根拠を薄いものにしている。神はまだ死んでいないし、宗教もまた死んでいないのだ。その事実をやや軽視しているように感じた。既に書評済み。翻訳のてにをはに、やや乱れがある。

2017-01-10

ニコラス・ウェイド


 1冊読了。

 3冊目『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド:依田卓巳〈よだ・たくみ〉訳(NTT出版、2011年)/再読。既に書評済みである。二度目の方が勉強になった。やはりある程度の知識を必要とするのだろう。キリスト教とイスラム教に関する記述がやや冗長で仏教への言及が少ない。宗教は人々を結びつけ、社会に道徳的活力を与え、団結の源となった――と肯定的な視点に貫かれている。著者は科学ジャーナリスト。宗教が果たす機能に重きが置かれている。「進化論からみた」とあるが進化生物学ではなく社会学視点が強い。ここのところ再読している書籍については毎年読み返すつもりである。いくらケチをつけたところで100点満点の作品。

2017-01-09

三田村武夫


 1冊読了。

 2冊目『戦争と共産主義』三田村武夫:岩崎良二編(民主制度普及会、1950年、発禁処分/『大東亜戦争とスターリンの謀略 戦争と共産主義』自由社、1987年、改訂版・改題/呉PASS出版、2016年/Kindle版、竹中公二郎編)/私が読んだのは自由社版である。本文200ページ、資料100ページの構成。度肝を抜かれてしまったため資料は読んでいない。読み終えてびっくりしたのだが150ページ以上に付箋を付けていた。三田村武夫は戦前の内務省官僚でその後衆議院議員となった人物。大東亜戦争の生き証人といってよい。首相の近衛文麿を諌めたエピソードなどが生々しく描かれている。極めて実務的な文章で感情の澱(よど)みが少ない。政治家としての自らの責任についても端的に述べている。内務省で共産党を研究してきた三田村の結論は共産主義者が大東亜戦争のグランドデザインを描き、敗戦に導いたというものである。二・二六事件の背景についても詳しく書かれており、日本の社会が時流によってうねる様相が俯瞰できる。大きな閃きを得た。「必読書」入り。