2011-06-26

科学と魔術


 科学の奇跡と出会うまで、ぼくの世界を支配していたのは魔術だった。

【『風をつかまえた少年 14歳だったぼくはたったひとりで風力発電をつくった』ウィリアム・カムクワンバ、ブライアン・ミーラー:池上彰解説、田口俊樹訳(文藝春秋、2010年)】

TED:William Kamkwamba on building a windmill

風をつかまえた少年

男の背を鞭打つ詩情/『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編


『銀と金』福本伸行
『賭博黙示録カイジ』福本伸行

 ・男の背を鞭打つ詩情

『福本伸行 人生を逆転する名言集 2 迷妄と矜持の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編
『無境界の人』森巣博
『賭けるゆえに我あり』森巣博
『真剣師 小池重明 “新宿の殺し屋"と呼ばれた将棋ギャンブラーの生涯』団鬼六

 福本伸行はギャンブル漫画の第一人者である。私が初めて買ったのは『無頼伝 涯』で、その後『銀と金』を読み、福本ワールドに絡め取られた。

 私はギャンブルとは縁がない。それでも心を揺さぶられるのは、ギャンブルという装置を通して福本が限界状況を描いているためだ。熾烈な攻防と過酷な勝負。ビジネスであれ、学問であれ、そうした局面に身を置くことは珍しくない。少なからず人生において「戦う」姿勢をもつ人であれば、福本が弾(はじ)く弦(いと)の響きに共振するはずだ。

 はっきりいって本の構成が悪い。せっかくの詩情が、解説のせいで台無しになってしまっている。それでも尚、福本の言葉は輝きを放って色褪せることがない。男の背が一直線になるまで鞭打つ。

 30になろうと40になろうと奴らは言い続ける…
 自分の人生の本番はまだ先なんだと…!
「本当のオレ」を使っていないから
 今はこの程度なのだと…
 そう飽きず 言い続け 結局は老い…死ぬっ…!
 その間際 いやでも気が付くだろう…
 今まで生きてきたすべてが
 丸ごと「本物」だったことを…!(『賭博黙示録 カイジ』)

【『福本伸行 人生を逆転する名言集 覚醒と不屈の言葉たち』福本伸行著、橋富政彦編(竹書房、2009年)以下同】

 怠惰(たいだ)に甘んじ、怯懦(きょうだ)を恥じることなく、のうのうと人生を過ごしているうちに、弱さが実体となる。決断を先送りにすることが猶予(ゆうよ)であると錯覚し、「待った」をかける。優勝チームが決まった後の消化試合みたいな人生を送っている中年男性は山ほどいる。

 彼らは、いつか神様が降りてきて一発逆転を約束しているかのように漫然と構えている。僥倖(ぎょうこう)への淡い期待が、白馬に乗った王子様を待ち侘びる少女を思わせる。

 伸びきったバネは弾力を失う。力は発揮してこそ強まる。

 リスクを恐れ 動かないなんてのは
 年金と預金が頼りの老人のすることだぜ(『賭博黙示録 カイジ』)

 簡単にできそうで実際にはできないことがある。例えば転職や引っ越しなど。離婚も同様だ。こんなことが一大事件になること自体、瑣末な人生を歩んでいる証拠といえよう。

 保身は自らを腐らせる。

 あの男は死ぬまで
 純粋な怒りなんて持てない
 ゆえに本当の勝負も生涯できない
 奴は死ぬまで保留する…(『アカギ』)

 波をかぶる勇気を持たなければ泳ぐことは不可能だ。今時は溺れることよりも、濡れることを心配する若者が目立つ。決断を先延ばしにするな。間違ったら修正すればいいだけのことだ。歩き出せば、今までとは違った景色が見えるものだ。

 一生迷ってろ
 そして失い続けるんだ……
 貴重な機会(チャンス)を…!(『賭博黙示録 カイジ』)

 判断力を欠いた人は、判断を放棄することで、ますます判断に迷う性向が強まる。少子化のせいで、親が過干渉になっている側面もあるのだろう。依存心を棄(す)てなければ人生の主導権は握れない。チャンスは人との出会いに集約される。ボーっとした人間は大切な人を見失っている。

 教えたる
 正しさとは【つごう】や……
 ある者たちの都合にすぎへん…!
 正しさをふりかざす奴は…
 それは ただ
 おどれの都合を声高に主張しているだけや(『銀と金』)

 短刀のように肺腑(はいふ)を突く言葉だ。正義とは特定のポジションから放たれる「言いわけ」なのだろう。

 無念であることが
 そのまま“生の証”だ(『天 天和通りの快男児』)

 無念とは念を空(むな)しくすることである。欲望・願望から離れ、自我をも超越したところに悟りの境地が開ける。自由とは「自由に離れる」ことなのだ。生の証は死を自覚する中から生まれる。

 勝負へのこだわりを捨てれば、戦場は磁場と化す。それは宇宙の姿と一緒で格闘というよりは、むしろダンスというべきだろう。

 みんな… 幸福になりたいんだよね…
 だから… 危ないことはしたくないの
 自分にとって都合のいい条件を
 どんどん揃えていくの──
 そして限りなく安全地域(セーフエリア)に入っていって
 そこで今度は絶望的に煮詰まってゆくんだわ
 揃えた好条件に囲まれて…
 身動きもできない──
 なんて不自由なんだろう(『熱いぜ辺ちゃん』)

 政官業のサラリーマン化を見よ。エリートとは奴隷の中から選抜された奴隷監督者にすぎない。真のエリートは独立独歩の道を往く。国家や企業に寄生する輩をエリートと呼ぶべきではない。支配者は常に被支配者でもある。

 棺さ…!
 お前は「成功」という名の棺の中にいる…!
 動けない…
 もう満足に… お前は動けない
 死に体みたいな人生さ…!(『天 天和通りの快男児』)

 目に見えぬ重力や圧力が社会の至るところで働く。我々は知らず知らずのうちに「競争」というレールの上に乗せられている。情報という情報が消費を煽り、幸福像を示し、犬ように吠え立てながら迷える羊を誘導する。

 現代社会における自由とは「モノを買う自由」でしかない。社会的ステイタスは賃金の多寡で決まる。レールの上を走る電車は脱線することを許されない。それは身動きできない棺(ひつぎ)のようなものだろう。

 モノと金に隠れて現実が見えにくくなっている。福本作品は、人生の虚像を剥(は)ぎ取って読者に現実を突きつける。それは手垢(てあか)にまみれた教訓ではなく、剥(む)き出しにされた「痛み」なのだろう。

 

2011-06-25

人格障害(パーソナリティ障害)を知る


人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見

 ・人格障害(パーソナリティ障害)を知る

自閉傾向に関する覚え書き

平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学良心をもたない人たち (草思社文庫)境界性人格障害(BPD)のすべて

モラル・ハラスメント―人を傷つけずにはいられないモラル・ハラスメントが人も会社もダメにする毒になる親 一生苦しむ子供 (講談社プラスアルファ文庫)

診断名サイコパス―身近にひそむ異常人格者たち (ハヤカワ文庫NF)自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」 (朝日文庫)香水―ある人殺しの物語 (文春文庫)

精神科医がたじろぐ「心の闇」/『平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学』M・スコット・ペック
『自閉症裁判 レッサーパンダ帽男の「罪と罰」』佐藤幹夫
反社会性人格障害の見事な描写/『香水 ある人殺しの物語』パトリック・ジュースキント
『アメリ』心理的虐待/『生きる技法』安冨歩

人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見


 ・人格障害(パーソナリティ障害)に関する私見

人格障害(パーソナリティ障害)を知る
自閉傾向に関する覚え書き

 私見であって試論に非ず。これから述べることは飽くまでも私見であって学術的根拠はない。裏づけとなるのは私の感覚であることを予(あらかじ)め断っておく。この手の言葉は悪口として使われるケースがあるので、取り扱いには重々注意されよ。

 世界保健機関 (WHO) によって公表された「疾病及び関連保健問題の国際統計分類」(ICD)によれば人格障害は10タイプに分類される。

ICD-10(第10版/1990年発表)による分類

 ここからは日本精神神経学会の基準にもとづいて「パーソナリティ障害」と表記する。

 私は今まで7~8名のパーソナリティ障害者と接してきた。統計を出すにはいささか数が少ないのだが、パーソナリティ障害を素早く見抜くことで被害を減らすことには意味があると信ずる。

 10タイプのうち、「反社会性」と「境界性」というのがキーワードになると考えられる。なお「反社会性」とは社会性の欠如を示したものであって、社会への反発やプロテスト(抗議)という意味合いではない。

 次に「境界性」だが、これは自他の境界が曖昧なため、周囲がびっくりするような行動や、相手を傷つける言動が顕著な特性である(境界例〈ボーダーライン〉とは異なる)。

 問題はここからで、注意をしても理解できず、著しく罪悪感を欠如しており、他者への想像力・共感が働かない。

 取り敢えず私の文章では、パーソナリティ障害を「自己と他者の境界が曖昧なため、周囲との軋轢(あつれき)を生んでしまうコミュニケーション障害」と定義しておく。

 これは完全な私見となるが、私はパーソナリティ障害を広汎性発達障害の症状として考えている。大雑把にいってしまえば「軽度の自閉症」である。

 実は意外と簡単に見分ける方法がある。それは「決まった手順の作業」が行えないということだ。例えば車から降りる時にドアをロックするといったことが彼らはできない。ドライバーに対する配慮を欠き、車上荒らしに遭うかもしれないという想像力が働かないためだ。

 簡単な作業であっても手順を覚えることができない人は、作業の意味や前後の流れを理解していない。そしてこれこそが社会性なのだ。

 普通に注意しても謝らない。謝ったとしても言葉に気持ちが入っていない。それどころか、「エ、どうして私が悪いの?」という態度を示すことが多い。

 問題行動から導かれるのは前頭葉の機能疾患であろう。これが遺伝要因(先天性)によるものか環境要因(後天性)によるものなのかは実に微妙だ。ただ、努力や改善を促す意味では環境要因と考えた方がよいと思われる。

 病因について考えてみよう。ミラーニューロンと自閉症との関連性は憶測の域を出ていないそうだ。しかし自己鏡像認知(自己鏡映像認知とも)から手繰ることは可能だ。

 高度な知能をもつ動物は鏡に映った自分を認識することができる。類人猿、イルカ、ゾウなどで確認されており、自我の概念があるものと考えられている。これを自己鏡像認知という。ちなみにサルにはない。また重度の精神病患者も認識できない。

 いずれも群れを形成することから、自己鏡像認知と高度な社会性との関連が指摘されている。「鏡に映った自分」を認識できる能力は、「相手の瞳に映った自分」を想像できる能力でもあろう。自己を客観視することで社会性は維持される。「他人に迷惑をかけてはいけません」ってわけだ。

 ヒトの場合、3歳前後から自己鏡像認知が働く。幼児を対象とした実験では、自己鏡像認知ができる子供ほど慰めなどの援助行動をすることが確認されている(『共感の時代へ 動物行動学が教えてくれること』フランス・ドゥ・ヴァール)。

 自閉症の場合は完全に生きている世界が異なる。常識や伝統的価値観は全く通用しない。異なる世界観を受け入れた上で、互いの存在を認めることが重要だ。

 パーソナリティ障害は自閉症と一般人との間に位置している。

 長くなってしまったので結論を述べよう。パーソナリティ障害は陰気臭い人物よりも、むしろ人気者の中に多く存在する。有り体に申せば、周囲からチヤホヤされてお高くとまったタイプに多い。エネルギッシュ&パワフル。ただしスタミナにはムラがある。

 パワーハラスメントの加害者はパーソナリティ障害だと考えてよい。被害者には隷属的傾向が窺える。アダルトチルドレンがパワハラ被害に遭うと地獄絵図となる。パーソナリティ障害は善悪の概念が乏しいことから長らく「サイコパス」(精神病質)と呼ばれてきた。

 一番わかりやすいのはお笑い芸人の世界だ。自他の境界が曖昧なため礼儀を弁えず、粗暴な振る舞いが目立つ。島田紳助、明石屋さんま、太田光などが典型的だ。お笑いの世界は保守的な上下関係が築かれているので、君臨する人物がパーソナリティ障害だと、コミュニティそのものが「いじめ文化」を形成する。

 ホリエモンやヒロユキを見て、彼らが罪悪感を欠いていることに気づかない人はパワハラ被害者予備軍だ。また、テレビに出演しているタレントの殆どはパーソナリティ障害だと私は思っている。

 政治家にも多い。石原慎太郎は小泉首相のことをテレビカメラの前で「純ちゃん」と呼んでいた。石原夫人の親戚と小泉の実弟が結婚しているので少なからず縁戚関係に当たる。石原は自分を大きく見せるために首相をちゃん付けで呼んだのであろうか? 違うね。公私の区別がつかないのだ。パーソナリティ障害者は周囲のあらゆることを「プライベート化」してしまう。一度や二度会っただけで、やたら馴れ馴れしい言葉遣いをする人物もこのタイプである。

 尚、パーソナリティ障害は治る見込みがない。厳しく注意したり、上手くなだめたりしながら、付き合ってゆくしかない。

人格障害(パーソナリティ障害)を知る

 ・人格障害・パーソナリティ障害
 ・人格障害
 ・境界性人格障害
 ・人格障害の治療とは
 ・パーソナリティー障害あれこれ

心理的虐待/『生きる技法』安冨歩

野生動物の自己鏡像認知

土本典昭、パトリシア・ハイスミス


 2冊挫折。

 挫折32『土本典昭 わが映画発見の旅 不知火海水俣病元年の記録』土本典昭(日本図書センター、2000年)/左翼思想っぽい文章に馴染めず。

 挫折33『11の物語』パトリシア・ハイスミス:小倉多加志〈おぐら・たかし〉訳(ハヤカワ文庫、2005年)/そこそこ面白いのだが途中でやめる。人生の残り時間が限られているため。いずれの短篇も独白調のため、被害妄想に付き合わされているような疲れを覚える。デュ・モーリアを知らなければ面白く読めたかもね。『太陽がいっぱい』はそのうち読む予定。