この世に生まれた時から人は競争を強いられる。大人たちは既に数多くのハードルを用意し、赤ん坊は20年ほど走らされることになる。
「位置について」――入学、進級、卒業は競争の合図だ。
結果を左右するのは才能や素質であるかもしれない。努力が通用するのは低いレベルの世界だ。山登りを愛する人は多いが、エベレストを制覇できるのはほんの一握りの人々に限られる。
「1位にならなければ意味がない」。本当にそうだろうか? 人生という競争で1位になれなければ、生きている甲斐はないのだろうか?
私は中学の時に野球をしていた。2年でレギュラーとなり、3年で4番打者となった。札幌で優勝し、全道大会の準々決勝で敗れた。サヨナラ負けであった。
野球は4番打者だけではできない。ピッチャーだけでもできない。そして何にも増して、相手チームがいなければゲームは成り立たない。
試合が終わって、審判の下(もと)で両チームが挨拶をし握手を交わす。声を掛けるのは負けたチームだ。「頑張れよ」「次も勝てよ」と、たわいない言葉である。しかしそのわずかな瞬間に二つのチームは完全に一つとなる。全員が味方と化す。
他人が勝手に用意したハードルを跳ぶ行為は、サーカスで曲芸をさせられる動物と似ている。飴とムチを与えれば一通りのことはできるようになるものだ。社会の順応競争に勝った彼らは省庁や大企業に送り込まれ、高額な報酬を約束される。
・2表 都道府県別企業数、常用雇用者・従業者数(民営、非一次産業、2009年)PDFファイル
企業数の構成比は大企業が0.3%であり、従業員構成比は37.1%となっている。
・図録 正規雇用者と非正規雇用者の推移
非正規雇用者が35.4%(2011年)とすると、労働者人口に占める大企業の社員数は24%となる。
ここに勝敗の基準を置く人は社会の奴隷といってよい。こんなものは15センチほどの定規で計測可能な価値観である。人生とはもっと複雑なものだ。真っ直ぐな定規で測れない事柄も多い。ゆえに妙味もある。
ハードルは自分で用意すればいい。それまで跳べなかった高さを跳んだ瞬間に人生の色彩は劇的に変わる。たとえ老いたとしても、そんな光を放っていたい。